ローマ法王、地球温暖化に警鐘 公文書で呼びかけ

ローマ法王、地球温暖化に警鐘 公文書で呼びかけ
2015年6月19日 朝日新聞

 ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は18日、環境問題に特化した公文書を発表し、地球温暖化の原因である二酸化炭素の排出、海洋の酸性化といった環境汚染が続けば、「今世紀は並々ならぬ気候変動と空前の生態系破壊を目撃することになる」と警鐘を鳴らした。

 法王は、道徳や教義への法王の立場を示す公文書「回勅」の中で、「数々の科学研究が、ここ数十年の地球温暖化の原因は主に人間活動の結果排出される温室効果ガスの濃縮によるものだと示している」と指摘。温室効果ガスを排出し続けて経済成長を遂げた先進国が、貧困の克服や社会の発展を目指す途上国の温暖化対策に技術などで協力するよう呼びかけた。一方、二酸化炭素の排出量取引については、現状が必要とする「根本的な変化」につながらず、過度の消費を維持したい国々の策略に使われかねないと指摘した。

 温暖化対策を巡っては、年末にパリで開かれる国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で、京都議定書に続く新しい枠組みで合意できるかが焦点。カトリック信者は12億人おり、法王の呼びかけが、カギとなる途上国の動きに影響を与えるか注目される。(アテネ=山尾有紀恵)


・地球的規模の異常気象といえることに警鐘を鳴らしたもの。宗教と温暖化対策はつながりがなさそうでありそうだ。温暖化は地球が壊れるというよりも、人間の諸活動により生存が難しくなっていくということだろう。このような発言をしなくてはいけないのが現在の状況だ。

さすがにローマ法王の発言だけに反響は大きい。日本ではさして大きくは取り上げられないだろうが注目しなければならない。それが人間の行ってきたことの反省だからだ。それこそ宗教の本分とするところに違いない。

宗教家は死後のことを語るのではなく、現在のこと生きることを真摯に語るべき。それを要請されているし、それに応えられなければ存立の意義が問われるだろう。日本の宗教者も見習いたい。

追記
後日、その詳細が分かったので以下に示す。


教皇フランシスコ、回勅「ラウダート・シ」発表
18/06/2015 バチカン放送局

教皇フランシスコは、回勅「ラウダート・シ」を発表された。
これは、2013年6月に発表された「ルーメン・フィディ(邦題:信仰の光)」に次いで、教皇フランシスコの第2番目の回勅となる。

このたびの回勅の表題、「ラウダート・シ」は、アッシジの聖フランシスコの「太陽の賛歌」の中の言葉「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ」(「わたしの主よ、あなたは称えられますように」の意)から取られている。聖フランシスコはこの賛歌の中で、太陽や月、星、風、水、大地など、神が創られたすべてのものを通して、神を賛美している。

教皇はこの回勅を通して、わたしたちの家である地球が上げている叫びに耳を傾け、皆の共通の家を保全し、責任をもってその美しさを守るために「方向性を変えていく」よう、「環境的回心」を呼びかけている。

回勅は、以下のように、序章とそれに続く6つの章からなる。

序章「わたしの主よ、あなたは称えられますように」
1章「わたしたちの家で起こっていること」
2章「創造の福音」
3章「環境危機の人間的原因」
4章「統合的エコロジー」
5章「いくつかの方向性と行動」
6章「環境的教育と霊性」

教皇は同回勅で、環境問題に関する最新の科学的研究を踏まえ、気候変動・水問題・生物学的多様性の保護・環境的負債など、現在の環境危機のいろいろな様相を見つめている。(1章)

そして、聖書を通して、ユダヤ教およびキリスト教的伝統の視点から、自然に対する人類の責任、すべての創造物の間にある親密な関わり、皆の共通の財産としての環境について考えている。(2章)

教皇は現在の環境危機の原因を、哲学や人間科学との対話のうちに分析。テクノロジーや、人間中心主義の弊害、また人間の労働や遺伝子組み換えの問題にも言及している。(3章)

回勅は、人類がこの世界で置かれた位置と、それを取り巻く現実を包括した「統合的なエコロジー」を提案する。教皇は環境・自然をわたしたちが生きる様々な分野、経済・政治・文化・日常生活に密接に関わるものと認識し、環境問題と社会・人間問題を切り離すことのできないものとして提示している。(4章)

教皇は、わたしたちに何ができるか、何をすべきかとの問いに対し、社会・経済・政治のあらゆるレベルにおける誠実で透明性のある対話を提案。いかなるプロジェクトも、それが責任ある良心によって生かされていないならば、決して効果的ではあり得ないと指摘する。(5章)

教皇は、環境的回心のために、教育と育成の重要性を強調。文化的危機の根源は深く、習慣を改めることは容易ではないが、そのためにすべての教育環境を巻き込んだ歩みが重要になるとしている。違う生活スタイルの選択によって、政治・経済・社会に健全な影響を与えると共に、小さな日常の態度、簡素な生活から、世界に対する責任と、弱い人々への配慮を持った、統合的エコロジーを目指すよう招いている。(6章)

教皇は、「創造主であり父である神」を信じるすべての人々と、キリスト教徒に向けた2つの祈りをもって、この回勅を締めくくっている。


ENCYCLICAL LETTER ”LAUDATO SI’”
OF THE HOLY FATHER FRANCIS
ON CARE FOR OUR COMMON HOME


http://w2.vatican.va/content/francesco/en/encyclicals/documents/papa-francesco_20150524_enciclica-laudato-si.html

NHK文化講演会「現代と仏教~豊かに生きるための知恵~」

文化講演会
「現代と仏教~豊かに生きるための知恵~」
2015年6月14日 NHKラジオ第2放送

講演:町田宗鳳(広島大学大学院教授)比較宗教学

僧侶であり、宗教学者としても活躍している町田さんは、20年の仏道修行のあと、アメリカで比較宗教学を修めた。混迷を深めていく現代において、生と死、老いること、愛することとはどういうことか?「十牛図」を参考にしながら、いま、豊かに生きるための「知恵」について、お話いただく。

参考:「十牛図」は次の十枚で構成。
第一図:尋牛  第二図:見跡  第三図:見牛  第四図:得牛  第五図:牧牛  第六図:騎牛帰家  第七図:忘牛存人  第八図:人牛倶忘  第九図:返本還元  第十図:入塵垂手

録音:2015/4/18 NHK文化センター神戸教室


・比較宗教学者だが、禅寺の小僧・雲水を経て渡米しキリスト教神学を学び、比較宗教へと進んだ経歴の持ち主。それだけでも宗派に対するこだわりが少ないことは理解されよう。

話の冒頭で、宗教とは何かと問われれば、あなたのうちにあるものと答えるという。つまり20人いれば20通りの宗教があると、このあたりから考えが柔軟であることが理解できる。

最近は、結びの思想にたどり着いて、神と人を結ぶ、自然と人を結ぶ、男と女を結ぶ・・・二つのものを結びつけると新たな価値を作り出すものだという。そこで十牛図を用いて新たな思いを与えてくれると期待してみた。

通常は禅の悟りを牛に例えて、悟りに至る道程を表したものとされる。町田先生は、その牛について、お金や地位、名誉、家庭の幸せでもいいという。その牛を見つけて、関わっていき、対象と同化し、牛そのものを忘れて当たり前に生きていくこと。

ただ、1時間の講演を聞いていて何かしっくりとこないものを感じてしまった。町田先生のあるところまでは同じところだが、そこから違っていく。十牛図の解釈は誰がやっても同じようなことになろう。その例え方がしっくりとしない。

つまり、第十図にあるカリスマのような人格となることが人間の目的なのだろうか。私は人間心理に関しては、かなりいい加減ものだと感じている。だから行きつ戻りつしながら、悟りや智慧などもどうでもいいと思っている。

町田先生の開発したという「ありがとう禅」だが、座禅とお題目を合体させたものらしく、それで大勢の人が抱える問題が解決したそうだ。思うに、町田先生はやはり学問の人なのだろう。座禅を極めているならば、もう少しことばに生活感があり重心が低いものだ。意識と無意識を融合してモノを見ることが簡単にできるわけもなく、そこに大きな飛躍を感じた。

宗教を論ずることは難しいことで、それはつまり自分自身の好みを大きく反映させたものに過ぎない。絶対的な生き方を示すことができるはずもない。その点を、どのように自戒しつつ、人々に合わせた説き方をし異なった次元を一瞬でも感じさせることができれば十分であり、それぐらいしかできないのではないだろうか。宗教哲学も比較宗教学も個人的には好むのだが、それがいかに個人の生き方に沿ってあるものかを示すことがなければ机上となってしまう。ああ難しいことだ。


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町田宗鳳
1950年、京都市に生まれる。幼少期はキリスト教会に通ったが、14歳で出家。以来20年間を京都の臨済宗大徳寺で修行。34歳のとき寺を離れ、渡米。ハーバード大学で神学修士号およびペンシルバニア大学で博士号を得る。プリンストン大学助教授、国立シンガポール大学准教授、東京外国語大学教授を経て、現在は広島大学大学院総合科学研究科教授。


町田宗鳳 WEBサイト (ありがとう禅・断食道場・公開講座)  http://www.arigatozen.com/


関連 過去のNHKラジオ放送
ラジオ深夜便
明日へのことば「愚かさの再発見」
放送日時:2012年2月1日~2日
広島大学大学院教授 町田宗鳳(そうほう)

参考 上記番組の要旨
明日への言葉
2012年2月1日水曜日・愚かさの再発見  http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html
2012年2月2日木曜日・愚かさの再発見2  http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2012/02/2.html

人生いろいろ:神経心理ピラミッドと「気づき」

† 高次脳機能障害についてパンフレットを見ていたら、とても面白い模式図を見つけた。こうしたものは初めて見た。神経心理ピラミッドとするもので、いろいろと集めてみたのでご覧頂きたい。その頂点部分が「気づき(Self Awareness)」である。宗教の目的は「気づき」「平和」と、このブログで書いてきたが、では「気づき」とは何かについては難しいことなのだ。この模式図は、脳の機能が障がいされることで出現する症状を表したもので、病気・事故などにより脳の統合が困難になることを意味する。その頂点が、自己認識=気づきということなのだろう。関連情報を調べていき、この図を見ながら考える。つまり「気づき」は高度の脳活動であり全体が低層部から調和して初めて達成されることなのだ。「気づく」とは単に分かったという閃きではないようだ。

‡ さて、この図を紹介したのが以下の音楽学者であることが分かった。彼女はピアノ伴奏理論を専門としているが、米国でリハビリの研修を受けて脳機能障害にも関心を持ったようだ。その経緯は不明だが、この模式図が医師・リハビリ医でなく音楽学者によって紹介されたことは面白い。むろん音楽は脳活動とも言えるわけであり関連がないわけではない。近年、発達障がいと称してコミュニケーション能力の著しい欠如を訴える人たちが増えている。その点で、「気づき」を目指す宗教の本来的な役割は全人格的な発達を促すといったことをも含んでいるように感じる。この神経心理ピラミッドと宗教の関係を論じたものを他では見たことがないので、こうした指摘は有意義なことだろう。

追記 
神経心理ピラミッドだが、下記の模式図が一部改変された2008年9月以降に使われているモデルがあり、最上位は「自己同一性 Ego Identity」「受容 Acceptance」となった。その他の項目にも微細な変更がある。

以前の一番上の「自己の気づき」の項目は、「受容」と「自己同一性」の2つの階層に分けられた。受傷による「自己の変容や制限を受け入れた」うえで、「それでも以前と同じように自分を好きでいられる」、あるいは「新しい自分を自分として認められる」といった自己同一性を確立することを神経心理ピラミッドの頂点としている。『前頭葉機能不全 その先の戦略』59頁


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参考プロフィール
立神 粧子 (たてがみ しょうこ)
フェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科教授
専門分野:共演ピアノ(歌曲伴奏・室内楽)、音楽学、脳の認知機能研究

1976年フェリス女学院高等学校卒業。東京藝術大学卒業後、国際ロータリー財団奨学生として渡米。シカゴ大学大学院にて修士号を取得後、南カリフォルニア大学大学院にて共演ピアノ(歌曲伴奏・室内楽)の博士号を取得。全米名誉音楽家協会(Pi Kappa Lambda)会員。

2004年よりNY大学医療センター・ラスク研究所にて脳損傷患者の機能回復訓練を研修。『総合リハビリテーション』に体験記を連載、『前頭葉機能不全その先の戦略―Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド』を医学書院より出版(2010)。神経心理ピラミッドを日本に紹介し、医療の現場で注目されている。日本各地で講演多数。

人生いろいろ:歴史と想像力

† 歴史認識を巡って中韓から批判を浴び続けているが、歴史から学ぶことは非常に難しいことだ。同じ事象であっても立場の違いがあり解釈の違いが色濃く反映する。敗戦から時間が経過し経験者たちが少なくなり、ほとんどの国民は印象で語っているに過ぎない。また若者は戦争で生じる事柄を実感できないのは当然のこと。知らないこと見たくないことは学べないだろう。

‡ 歴史教育が議論があったが、これからは国による道徳教育も始まるという。それらが多様な価値観を育むものとなり世界平和とともに自身の判断に有効になればいいが、洗脳に近いものになれば大きな禍根を残すことになる。北朝鮮のような独裁国家ならいざ知らず、日本もソフトな独裁であることは変わりないだろう。それは国民が国にお任せしますという江戸時代以降の精神構造から変わっていないことを意味する。東日本大震災関連番組は繰り返し、忘れないようにと連呼するがそれは自然災害のみではない。

榎木孝明、30日間「不食」生活中!摂取水だけ

榎木孝明、30日間「不食」生活中!摂取水だけ
2015年6月17日 スポーツ報知

 俳優の榎木孝明(59)が、5月20日から続けてきた30日間の「不食」を18日に終える。15日夜、インタビューに応じた榎木に、今回の思い切った行動を起こすきっかけや、体に及ぼしたさまざまな変化を聞いた。

1か月不食もすがすがしい表情を見せる榎木孝明

 修行僧のような姿ではなかった。榎木は痩せているものの元気で顔色も肌つやもいい。「絶食、断食ではない。食べなくても生きられることを自分の体で科学的に調べてみたかった。不思議ですが一度も空腹感はない。心地良い満腹感に満たされているような。苦痛を探してもないんです」

 この間、万が一に備え、専門家の指導を仰ぎ、都内の研究室に泊まり込み、ここから仕事へ。摂取は水のみ。血糖値や塩分対策で1度あめ玉を補給しただけだ。採血、検尿、心電図を毎日検査しているが異常はなく、9キロ減った体重はいま71キロをキープしている。

 飽食時代。04年ごろから「不食」本が注目され始めたが、榎木は20代からインド中心に一人旅を続け、飲まず食わずで帰国後、いつも体調が良くなっていることに着目。短期間の「不食」を何度も経験してきた。「食べないと死ぬ、という恐怖感が良くない」。スケジュールを調整し、1か月間の実験を敢行。さまざまな変化が起きた。

 「集中力が増し、本を読むスピードが格段に速くなった。睡眠も深くなり、4時間眠ればすっきり。腰痛も消えた。理由はまだ分からない。でも、眠っていた自浄作用が一斉に目覚めた感覚。運動時も胸式呼吸が腹式に。スタミナが増しました」

 榎木は、この経験はあくまで個人の体験に基づくもので研究の第一歩だと強調。「これを強制するものではないし、私自身、食文化を否定しません」。無事に「不食」を成功させると、2日後にはテレビの“食レポ”の仕事が待っているそうだ。(内野 小百美)

 ◆榎木 孝明(えのき・たかあき) 1956年1月5日、鹿児島県生まれ。59歳。武蔵野美術大を経て劇団四季に入り、81年「オンディーヌ」主演。83年四季退団。主な主演作に84年NHK連続テレビ小説「ロマンス」、90年映画「天と地と」、フジ系「浅見光彦シリーズ」など。7月スタートの日テレ系「花咲舞が黙ってない2」(水曜・後10時)に出演する。2男1女の父。特技は乗馬、武術全般、絵画。身長180センチ。

 ◆不食、絶食、断食とは いずれも「食物を体内に入れない」という点では共通しているが、「絶食」は主に医療行為やダイエットなど、なんらかの目的のための行為を、「断食」は主に宗教的な行為に対して呼ぶことが一般的。食欲と闘わずして食べない行為が「不食」と位置づけられている。


・不食という言い方ははじめて聞いた。「不食、絶食、断食」に違いがあるらしい。

俳優・榎木さんの一つの健康法になるのだろう。ただ、彼はそれを自分自身にのみ適用する。このような態度は大いに見倣いたいものである。

誰もが自分の体験を絶対視して、こうすれば、これを食べれば健康になると高説を垂れることが多い。それは芸能人にとっては話題になるための手段だろうが、それを真に受ける人が必ず出てくる。

厳密に言えば、個人の体験が絶対でないのは宗教体験と呼ばれるものからも分かるだろう。ある人は神を見たという、神の声を聞いた、神の意思を感じたという人もいる。それが妄想でなくて本物と誰が判断するのだろうか。

ただ、そこから宗教は始まっていくのかもしれない。問題は適用範囲であり、極限られた範囲でしか感じられない程度のことを誇大視することが多くの間違いの原因となる。

肉体を極限までもっていくと、人間本来の野生が戻ることは知られている。すると何が自分にとって食すべきか、さらにどうしたらいいのかということも頭でなく全身で分かるようになる。

私は個人的に断食の経験はないがヨガ道場で小食の経験をしたことがあった。残念ながら体感力が乏しいので何かを感じることはなかったが、案外昔の日本人が朝夕二度の食事だったということもうなずけた。

そして彼の話で思い出したが、修行は肉体をいじめることではないのだ。だから苦痛な修行は方法を間違えているし快楽の極みの果てに何かが得られるわけでもない。それはやはり自分自身との対話ということになろう。

身体の欲する刺激が何であるのか、何を食べ、何を読み書き、誰と付き合い、どのように暮らしていくのかを知っていくことが人生という修行であり、それが苦痛であるはずもない。その程度のこと、つまり腹八分(飽食の現代は腹六分か!?)を生きるということだろう。

食の管理は、くれぐれもしっかりとした導師や環境下で、徐々に初めて徐々に回復させることが要諦。イスラム教徒のラマダンなどもそうした点で優れた伝統なのだろう。

不食に値するものを、各個人が自らつかんで行うことは有効だろう。それが趣味であっても仕事や生活の中で見つけ行うこともできる。少し生活を緩めてみることは何かに気づく契機となるに違いない。


続報

榎木孝明「不食」で緊急会見!「反響に驚いています」
2015年6月17日 スポーツ報知

 今月18日まで30日間、水以外を摂取しない「不食」を続けている俳優の榎木孝明(59)が17日、都内の所属事務所で会見し、改めて体験談を語った。

 この日、新聞で報じられ、マスコミ各社から問い合わせがあり、急きょ囲み取材に。「僕自身がこの反響に一番、驚いています」。この間の排便についても触れ、「食事中の方、すいません。この1か月間に計3回あり4、5日目に宿便と思われる黒い便が。20日目ごろに腸壁と呼ばれるものが出ました。よく腸が動き、オナラが出ます。お風呂でかいだら無臭でした」などと丁寧に説明した。

 集まった取材陣も、常識ではちょっと考えられない体験を、何の苦痛なくこなし、にこやかに話す姿に「お腹がすかないって、本当にあるんですか?」「食べ物の夢を見ませんか?」など、半信半疑の質問が相次いだ。

 榎木は「不食」に賛否両論の声があることも把握しており、「決して同じマネはしないでください」と強調。宗教とのかかわりにも「どのオカルトにも宗教にも加担していません。強いて言えば、榎木教でしょうか?」といつもの物静かな口調で話していた。


グーグル検索 「約3年前の逮捕」削除命じる決定

グーグル検索 「約3年前の逮捕」削除命じる決定
2015年7月2日 NHK

インターネットの検索サイト、グーグルで名前を検索すると、およそ3年前の逮捕の報道が表示されるのは人格権の侵害だとして、男性が検索結果の削除を求める仮処分を申請したのに対し、さいたま地方裁判所が削除を命じる決定をしたことが分かりました。

先月25日に出されたさいたま地方裁判所の決定によりますと、男性は18歳未満の女性に金を払ってわいせつな行為をしたとして児童買春の疑いで逮捕され、罰金50万円の略式命令を受けました。

男性は逮捕からおよそ3年がたってもグーグルで名前を検索すると当時の報道が表示されるのは、人格権の侵害にあたるとして、検索結果の削除を求める仮処分を申請していました。

これに対しさいたま地方裁判所は「罪が比較的軽く事件に社会的な意義がない」などとしたうえで、「3年たったあとも検索結果を表示し続ける公益性は低い」として、削除を命じる決定をしました。

グーグルは「表現の自由を侵害するおそれがあり決定は不服だ」として異議を申し立てる方針です。一方、男性の代理人の弁護士はNHKの取材に対し「依頼者の要望もあり私からはコメントできない」と答えています。


・このブログでも、過去に削除依頼の要請が来たことが複数回ある。プロバイダー経由で代理人を立てて法的措置をするぞ!という姿勢のこともある。

最近の傾向は、まず検索サービス会社に対して「忘れ去られる権利」も尊重し、軽微な犯罪で社会的な制裁を得ている場合は削除する方向にある。上記の場合も、その延長上に地裁レベルでの判断があったということで一つの流れである。

ブログにマスコミ配信記事を利用しているので、その配信元が期限切れで削除されたものは残しておく道理はないだろう。

犯罪に関与した人が、その裁判として有罪となり罪を償うことが済み、再起をしたいと思うことは当然であり、その際に過去の報道が足枷になることはあるだろう。ただ犯罪とは、そこまで考えて償う必要のあることなのだと思う。

一番問題となることは、軽微な犯罪であっても、性犯罪や薬物中毒など習慣性のある場合に、そうした人の存在を警察や地域が把握しておく動きもあるほどに再犯する可能性が高いこともある。

また、このブログでも詳しく取り上げた京阪神地区でのキリスト教会へ消化器投げ込み連続事件。法的には軽微な器物破損事件でもう罪の償いは済んだことだろうが、教会関係者に与えた恐怖感は計り知れないものがあってまとめた。

彼にとっては、実名が書かれている報道は再起には負担があろだろう。ただ、すでに実名は広く拡散しており一つ一つのブログや掲示板を消すことは不可能。だから検索サービス会社に、検索しても表示されなように要請したり処分申請を裁判所に求めることになるのだろう。

報道は事実を伝えること、原因を探ること、抑制を社会に求めることがある。軽微な犯罪で社会的な制裁ということを、誰がどう判断するのか難しい問題で、個別に判断されることになるのではないだろうか。

ところで宗教者と社会的に認知されている人が、殺人まで平気で行う時代に急速に悪化した社会状況になっている。つまり市井の人たちと何ら変わらくなり、このブログで特に宗教報道と分類する意味ももはやなくなった。

職業と職業倫理が乖離し、もはやその点で問題提起をしても仕方ないと感じるようになり無力感がある。宗教者が平気で児童虐待、性的虐待する時代、家族を殺し隣人をも殺す。

このブログのマスコミ報道に関しては、縮小・削除を進めていくことは既定路線であり、その範囲を具体的に考えていく必要に迫られている。


関連

ヤフー削除基準“便乗”業者にご用心
2015年4月20日 プレジデントオンライン  ※PRESIDENT 2015年5月4日号 掲載

個人名を検索して出てくる知られたくない過去や不利益な情報が、人事や採用に影響を及ぼしたり、第三者に書き込まれた誹謗中傷で精神的苦痛を受けるケースが増えている。近年はSNSの普及に伴って、デマや虚偽の情報が拡散するスピードや範囲も上がり、重大な人権侵害となっている。

こうした被害に遭ったとき、どう対処すればよいのか。ネットの情報を完全に消し去るには、書き込まれた匿名の掲示板やブログ、SNSを逐一当たる必要がある。無数のミラー(コピー)サイトに書き込みが散在するネットの世界で、そのすべてを消すことは事実上不可能に近い。しかし、検索してもネガティブ情報が表示されなければ、元の情報に行き着くことは難しいので、問題の大半は解決する。

3月30日にヤフーが公表した「検索情報の削除に応じる際のガイドライン」は、そうした解決法の一つの形だろう。削除するか否か、要望にどう応えるかの基準を公表したもので、時代の要請にマッチした取り組みといえる。

ただ現場で削除に当たる法律家からは「ヤフーで対処しても、グーグルで検索すると出てくるのでは解決に至らない可能性が高い」(清水陽平弁護士)という声も。現在、国内の検索サイト市場はヤフーとグーグルでシェア9割。勢力は五分五分だが、世界市場ではグーグルの一人勝ちだ。しかもヤフーは2010年からグーグルの検索エンジンを採用している。「グーグルが表示しない措置を取ればそれがヤフーに反映されるから、グーグルに対処を依頼すればよい」(前出・清水氏)という。その依頼は、“削除ポリシー”一語の検索でトップに表示される「削除ポリシー」のページから行える。ただし、名誉毀損など多少の法的知識が必要だ。

問題はこうした報道に便乗し、「削除請け負います」などと宣伝し、困った会社や人に高額な月額料金を請求したり、できないことをできると称する業者の存在だ。すでに法的な対処や適切な手続きを踏めば、解決に繋がる時代になっている。今後、こうした悪質な業者の排除が急務だ。

(ソーシャルメディアリスク研究所代表 田淵義朗)


故三浦綾子さん夫妻の遺産、寄贈 資料、著作権を財団に

故三浦綾子さん夫妻の遺産、寄贈 資料、著作権を財団に
2015年6月10日 中日新聞

 作家の故三浦綾子さん(1922~99年)の夫で昨年10月に90歳で死去した光世さんの遺言に基づき、預金や著作権など夫妻の遺産が三浦綾子記念文化財団(北海道旭川市)に寄贈されたことが10日、分かった。財団は今後、寄贈された遺産の活用方法を検討する。

 夫妻に子どもはおらず、光世さんが生前に遺言公正証書を作成していた。寄贈されたのは、綾子さんと光世さんが著した文学作品など105点の著作権や光世さんの日記を含む資料約4万5千点、預金約4500万円、自宅の土地・建物。

 財団の松本道男専務理事は「貴重な資料を三浦文学の全体像を伝えるために有効に活用したい」と話した。


・著作権の寄贈ができるんだね。それにしても預貯金は思ったよりも少ない。

日本のキリスト教文学だが現在はどのようなのだろうか。三浦綾子さんの貢献は大きかった。

文学界は詳しくないが、人間の内面に迫るもの、自分を反省できるものが彼女の書くものにはあったと思う。

仏教界では瀬戸内寂聴さんが現役でバリバリやっている。

クローズアップ現代 No.3651
「愛し 書き 祈る ~瀬戸内寂聴 93歳の青春~」
2015年5月14日 NHK


上記の番組を見ていたが、1年の闘病後の復帰をアピールして、取り巻きたちも大喜びの様子だった。

寂聴さんの書いたものは全く読んだことがないが、しゃべることを聞いていると、やはり尼僧という印象はまったく感じない。法衣を着ている芸能人という感じだ。これは印象なので違うかもしれない。 

●今回病気で伏せっているとき、お墓に何を刻むか決めたそうだが?(国谷裕子)

 “愛した”“書いた”“祈った”(瀬戸内寂聴)


番組の最後で墓標に書く言葉を聞いた時に、このように語った。格好良すぎるだろう~と素直に感じる。時流に乗ることができるのが彼女の特徴だろう。

一方で、三浦夫妻は実直で朴訥とした言動を最後まで貫いた。それが素晴らしいと思う。

NHKこころの時代 福島を支えるということ。(安斎育郎)

こころの時代 シリーズ 私にとっての“3.11”「福島を支えるということ。」
2015年6月7日 Eテレ

安斎育郎さんは放射線防護学者。毎月福島に通って放射線を測定、子どもたちのため安全な散歩道を探し、自らスコップを振るって除染するなどボランティア活動を続けている。

放射線防護学者の安斎育郎さん75歳は、原発事故の後、毎月福島に通って住民を支えるボランティア活動を続けている。「反原発を主張する異色の原子力研究者」として知られる存在だったが、原発事故が現実のものになると、専門家として事故を食い止められなかった責任を痛感。住民の安全を確保するため除染などに取り組んできた。原子力の未来を夢みた若い時代から、次第に危険性に気づく過程、現在の思いなどを聞く。

【出演】放射線防護学者、立命館大学名誉教授、安斎育郎


・安斎先生は東京大学原子力工学科第一期生。専門は放射線防護学。

こころの時代ではシリーズとして著名な方々の活動を取り上げている。今回は福島での除染活動の様子が多く、安斎先生発言はかなりマイルドな感じになっていた(編集されていた!?)。

安斎先生が語ったように、「信」が崩れた。電力会社、政府、専門家、マスコミという今まで安全を担保していた言説がおよそ嘘であったということ。その信頼崩壊が、今後とも社会を混乱させていく。

安斎先生らが現在福島で行っている除染活動も、原子力に少なくとも関わってきたものとしての反省であるとし、愚直な努力しか信頼を回復する術はないという。批判的な学者でさえこのような思いを抱いていることと、体制側にあった学者らは、そうした努力をしているのだろうかと問われれるだろう。

安斎先生も語っていたように、誰も答えを持っていないからこそ、それぞれの立場で福島の汚染濃度を減らす努力をすること。それは原発推進派だろうが反対派だろうがすべきことというのは正論。

電気の恩恵を受ける私たち世代の意思決定だけで、管理が困難で危険な放射性廃棄物を今後とも産み出し続けてよいものだろうか、その答えは難しい。それも原発から遠く、中間貯蔵施設からも程遠い私が何かを言える立場にはない。

安斎先生は、経歴を見れば分かるが東大助手として長年干されていた。こうした学者は何人かいる。この道に進むきっかけは、大学時代にネズミに致死量の放射線を浴びさせて、どのように死んでいくかや臓器解剖から影響を知るという授業の実験であったという。

放射線が管理されて閉じ込められることが完全にできるならば外界に対する影響はないだろうが、一端事故があった時にはどうなるのか、そのような当たり前の議論が海外ではあった。日本では原発は絶対に安全であるという神話に思考停止していた。

今では絶対に安全などと言うバカげた主張をする人はいなくなったが、それでも安全は確保されるだろうという期待から技術を信頼するしかないという。福島原発の事故で、首都圏壊滅という事態も予想されたほどの過酷事故だったが、壊滅的な事態まで進行しなかったのは幸運だったというだけのこと。

安斎先生は、オカルト批判の著書多数で、こちらの方の著作を持っている。それは私の関心である騙す・騙されるという心理と科学の裏付けを導く、数少ない専門家の一人ということがいえる。

反体制の学者という評価も間違いではないだろうが、筋の通った真面目な学者らしい学者ということだろう。精悍で眼光鋭く、切れのよい思考をみると、こうした学者が科学・技術をリードすれば日本は大きく変わったことだろと感じる。

東日本大震災による原発事故だが、すでに脳裏から離れていく。現在、安全保障問題という難題があって国民不在のところで着々と実績が作られていく。歴史を直視できず学べない日本人は致命的だ。この番組で実はもっと過激な発言があったのではないかと推測するが、今のNHKではそれを放送する勇気はないかもしれない。

人生いろいろ:内閣支持率と株価

† 政権運営には二つの指標を見つつ行っていると言われている。それは内閣支持率と株価で、支持率は50%を切ると一気に低落するし株価は海外の不安要因もあり操作できるものとできないものがある。支持率調査の基礎となるメディアの世論調査も、調査手法に限界があることとメディアでの数字が違うことなど信頼性が十分とは思えない。この数字を睨みながら、硬軟おりまぜて政策を実行していく。

‡ 多くの国民が理解できないという安保法制だが政府は強引に成立を目指すのは、内閣支持率が未だ50%を超えているからだ。国の将来を大きく左右される重要法案が簡単に決められるとすれば現在の民主主義制度が機能していないことになる。それも国民の多く(25%)が選択したことは間違いない。多くは年金をもらっている世代の支持ということになる。それが禍根を残し苦しんだ戦後を生き抜いた人たちであることを思うと複雑な気持ちとなる。孫の世代以降が大義もない戦争に行き命を落とすことを容認し、生活維持のために若者世代の今後の生活を見捨てる政策に反対しないことは同意したものと見做されても仕方ない。以前、某政治家が「ナチスのやり方をまねる」と発言し問題となったが現実的にそれは着実に完成しつつある。それこもれも国民一人一人の責任というしかなく、それを支持しない人も等しく汚名を被ることが日本人の限界なのだろう。

介護主夫始末記:ネット社会と高齢者

† ネット社会の拡大で情報格差が浮き彫りとなった。情報は、その入手方法と判断方法が難しく、特に子どもたちと高齢者には扱いにくいことははっきりしている。ただ、全ての情報伝達手段がネットに接続されいく現状では、アナログ的な情報伝達での再送信や扱いやすい情報端末の普及とリテラシー教育が不可欠となっている。

‡ 以下の記事にあるように、操作方法が簡単ではない機器の普及で情報格差が進んでいくことが心配される。このブログでは特に消費生活情報を掲載しているのは、その被害に合わないための注意喚起なのだが、それを知るにはネット環境に馴染んている必要が前提なのだ。つまりネットにつながることと検索方法だけは必要最小限できないと情報にアクセスすらできない。その点で、テレビ・ラジオ・新聞の役割は未だ大きいといえる。


60歳以上、ネット未利用67% 15年版高齢社会白書
2015年6月12日 中日新聞

 政府は12日午前の閣議で、2015年版「高齢社会白書」を決定した。60歳以上の日常生活に関する調査では、インターネットやスマートフォンなどの情報端末を「全く利用していない」「あまり利用していない」が合わせて67・2%に上り、高齢世代には浸透していない実態が浮き彫りになった。

 情報端末を「利用したい」と答えた人は60~64歳が59・2%。70~74歳は30・4%、80~84歳は16・2%で、年齢が高くなるにつれて割合が下がる傾向にあった。調査担当者は「現役時代にネットを利用したことのない世代は、なじみがないのではないか」と分析している。(共同)



見守り新鮮情報 第224号    平成27年6月9日
◇発行:独立行政法人国民生活センター◇

   日本年金機構の個人情報流出に便乗した電話に注意

消費生活センターを名乗る人から電話があり「年金の個人情報が流出しており、
空き巣に入られるケースが増えている。あなたの情報が新聞に全部書いてある。
消費生活センターなら無料で削除することができる」と言われたので、「あや
しい」と思い、こちらから電話を切った。(70歳代 女性)

<ひとこと助言>
☆「あなたの年金情報が流出している」「流出した年金情報を削除できる」な
 どといった不審な電話や勧誘があっても、相手にせずすぐに電話を切ってく
 ださい。
☆この件に関して、日本年金機構や消費者庁、国民生活センター、消費生活セ
 ンター等の職員から消費者へ電話やメールで連絡をすることはありません。
☆少しでも不安を感じたら、すぐにお住まいの自治体の消費生活センター等に
 ご相談ください。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)

詳細は、「日本年金機構における個人情報流出に便乗した不審な電話にご注意
ください!」



オレオレならぬ「ワタシワタシ詐欺」 東京で13件被害
2015年6月11日 朝日新聞

 「息子」ではなく「娘」を装い、高齢者から現金をだまし取る「ワタシワタシ詐欺」が首都圏で出始めている。「オレオレ」で多い会社の金の使い込みではなく、「株で失敗した」など個人的なことを名目にすることが多い。警察は「女性の声でも油断しないで」と注意を呼びかけている。

 「お金を返さないと捕まる」。東京都北区の70代の女性方に4月、長女を名乗る女から電話があった。「銀行から金を借りて株を買ったが、会社と連絡がつかなくなった」と言い、近くの駅前まで現金を持っていくよう求めた。女性は、弁護士の秘書を名乗る男に500万円を手渡した。その後、長女に連絡し、だまされたと気付いた。

 警視庁によると、娘や妹をかたる詐欺事件(未遂を含む)は今年に入り、今月1日までに都内で少なくとも13件発生。計2500万円がだまし取られた。犯罪抑止対策本部の担当者は「統計はないが、実感として増えている」と話す。埼玉県内でも同様の電話が9日までに12件、神奈川県内でも1件あった。いずれも未遂に終わっているという。

 ほぼ共通しているのは、「会社の金を使い込んだ」など、勤務先とのトラブルを訴えることが多い「オレオレ詐欺」に対し、「ワタシワタシ詐欺」は株のほか「友人から金を返せと言われている」など個人的な事情をかたることが多いという点だ。担当者は「詐欺グループは手を替え品を替え、何とかだまそうと必死。『娘』だから詐欺ではないと思わないで」と注意を呼びかける。


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