人生いろいろ:ライブと録音

† クラシック音楽が子どもの頃から好きでずっと聴き続けている。音楽一般だが、最近はCDなどの売り上げが低迷している一方でライブなどの興行売り上げが大きく伸びている。想像するにライブでの演者・観客の一体感やハプニングを楽しむことがより大きな充足感を与えることなのだろう。クラシック音楽では、演奏家が会心の満足を得る演奏会は100回やって一回あるかないかと口を揃えて言う。それほど気持ちを高める体調管理は難しく、観客と会場の音響などの相乗効果が見事に調和した時にだけ伝説的なライブとなるようだ。

‡ 私はほぼライブには行かない。理由はお金がないこと、録音を繰り返して聴く方が曲を隅々まで把握できるからだ。むろんライブに行ってCDを買って聴くことがベストなのだろう。名古屋は地方都市であるが大物演奏家は名古屋公演をしないことが多い。ただ地元テレビ局などが国際音楽祭と称して海外の有名演奏家を招聘することは毎年のことだ。そして私の大きな問題として、自分の耳で雰囲気に飲まれずに音楽を記憶し把握することができるのかという恐れが強い。私はライブに行くと演奏よりも周りのことが気になってしまい集中できない性質なのだ。鳴っている音よりも、演奏家や観客の挙動、配置や構成など裏方の動きなどに神経がいってしまうのだ。だからライブは非常に疲れて音楽そのものの記憶が薄くなってしまう。音の振動を身体で感じて同化するような体験をしたいと思うのだが・・・今年はオーケストラ演奏を聴きに行きたい。

人生いろいろ:混沌

† 21世紀を前にいろいろな予測が出ていた。その中でも地域紛争の激化が現前化している。世界大戦から70年、その経験を知る世代の減少は勢い戦争への道を再び歩む危険を孕んでいる。政治・宗教など組織の論理で末端の人たちが殺し合う。そんな混沌とした状態が続いている。

‡ キャンベル教授は神話無き人類を見通して混沌を予想していた。それは祖先から引き継いだ智慧とも呼ぶべきで、人間がどう生きるべきかを示してきた。それは非科学的であり隠喩であるので現代から忌避されてしまった。ただその伝える心を知り考えることは大切なことだ。昔話に秘められた智慧が伝えられない現実だが、その神話の後を継ぐものがない。では新たな神話とは何か。キャンベル教授は宇宙意識を持ったものになるのではないかと予想していた。国家を超えた宇宙的な視点を持ったもの、それが求められるのだろう。

介護主夫始末記:相続ゾクゾク

† 相続手続きを専門家に依頼しなかった理由は、相続が単純だったという偶然の理由のみだ。ずいぶん以前から研究を開始していたが、いざやってみると取り掛かりに難儀した。名義変更を急いだのち、時間をおいて税・登記という流れを予定していた。名義変更に関しては、ライフライン関係は直ぐに連絡したがインターネットのプロバイダー会社に連絡するのを忘れていた。電話会社は丁寧に連絡してくれないのだ。なお相続関係が複雑な場合は早めに準備をして臨むことが必要だろう。登記については登記事項に抹消すべきものも見つかったが手続き的には問題は発生しなかったので、そのまま相続人名を変えたのみに留めた。

‡ ご承知の通り、2015年1月から相続税の基礎控除が大きく変更となった。改正前だったため、基礎控除を有効に活用できたことは被相続人に感謝すべきことだろう。なお、以下のように「税務署からのお尋ね」なるものが税務署から郵送されてくることもあるそうだ。現時点では送られて来ていないし自身による簡易的な計算では相続税は収める必要がない。今後は、マイナンバー制度が導入されると資産・収入の捕捉が厳格となり、昨今の財政問題で課税強化が必至となろう。資産を保有される方は、それなりの対策を日々実行されているはずで問題ないだろう。特に相続人が複数いる場合は、意志疎通が必要であり簡単に済まないことも予想される。それにしても相続手続きは終わるまで冷や冷やゾクゾクが続くものだ。


「税務署からのお尋ね」
財産の総額が基礎控除以下のため申告をしなかった場合でも、税務署から申告書が送られてくることがあります。これは、申告をする必要があるかどうかを調べるためのものです。その場合は、基礎控除以下のため申告が不要である旨を文書で伝えることになりますが、財産評価等の資料が必要となる場合がありますので、手持ちの資料などは保管しておくようにしましょう。


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参考
「相続税の申告要否判定コーナー」(国税庁の関連情報トップページに)

◆相続財産の金額などを入力することにより、相続税の申告のおおよその要否を判定するものです。
◆相続税の申告書を作成するものではありませんので、ご留意ください。
◆税務署から「相続税についてのお尋ね」が届いた方が、税務署への回答を作成する場合にも利用することができます。

人生いろいろ:国の行く末を考えないなら・・・

† 国の根幹は人づくりであり教育である。長期政権となり愛国や歴史認識の強調が進む一方で、国を支える高等教育はガタガタになっている。全世界の論文引用数などから評価される指標では東京大学も欧米水準に及ばない。むろんユニークな研究者は日本にも多く、一概に断定しづらいが多くは海外への頭脳流出組として日本を去る。文科省の通知素案というものでは、人文社会系の規模縮小を進めようとしている。覚えておられる方もあろうが、国は博士を量産するために大学院課程定員を大幅に拡充していたのだ。今回は理工系学部の産業と直結したものは温存しつつ、お金にもならない人文社会系を縮小する。

‡ いわゆるオーバードクターという博士号を持っていても就職できない人たちの嘆きは各所で聞かれる。基礎研究の大事さが強調されているが、その基礎たる部分の教育が十分に行われていないという現状は変わっていない。昨年度発覚した理研の万能細胞問題も、研究者の養成が上手くいっていない例としても考えていいだろう。法科大学院のように、大こけしたものも含めて、一貫したモノの見方をせずに右往左往する高等教育が大きな成果を生み出すこともなく、いたずらに人材の墓場を作ってしまう現状を憂う。


国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換 文科省が素案提示
2015.5.28 産経ニュース

 文部科学省は27日、全国の国立大学に対して人文社会科学や教員養成の学部・大学院の規模縮小や統廃合などを要請する通知素案を示した。理系強化に重点を置いた政府の成長戦略に沿った学部・大学院の再編を促し、国立大の機能強化を図るのが狙いで、6月上旬に文科相名で大学側へ通知する。

 素案は、同日開かれた国立大の評価手法などを審議する有識者会議で提示された。国立大は6年ごとに中期目標を文科省に提出しなければならず、各大学は通知を参考に6月末に中期目標を文科省へ提出する。

 通知素案では、少子化による18歳人口の減少などを背景として、教員養成や人文社会科学などの学部・大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように努めることとする」と明記された。

 政府の試算では、平成3年に207万人だった18歳人口が42年に101万人まで半減する。文科省は少子化に伴う定員縮小の影響を指摘したほか、文系の学部・大学院の人材育成方針が明確でないなどの理由もあげた。

 組織再編の動きはすでに出ている。弘前大(青森県)は来年4月から人文学部(3課程)を人文社会科学部(2課程)に再編。教育学部でも、教員免許を取得せず芸術や体育を学ぶ1課程を廃止し、2学部で定員を計150人減らす。一方、理系の理工学部と農学生命科学部の定員は90人増やす。

 今後、こうした形で他の大学でも、地域性や得意分野に重点を置いた文系学部の廃止や統合を進めることになる見通しだ。

 素案は、実績にばらつきがある法科大学院について、定員規模の適正化や組織の廃止も含めた検討も求めた。


識者の指摘
国立大学改革亡国論「文系学部廃止」は天下の愚策 - 内田 樹
2015年05月30日 PRESIDENT Online  


追記 さらに実学移行への傾斜拍車

政府、職業訓練専用の高等教育機関設立方針 4年後にも開校
2015.6.4 産経ニュース

 政府は4日、産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)を開き、経済成長に向けた人材を育成する高等教育機関を設立する方針を示した。今月中にまとめる成長戦略に盛り込み、平成31年度の開校を目指す。安倍首相は「実社会のニーズに合わせた職業教育を行う新たな高等教育機関制度を創設し、学校間の競争を促す」と強調した。

 現行の大学などでは、産業界が求める実務的な教育が行われていないとの指摘がある。新たな教育機関は、ITなど成長が見込まれる産業分野での職業養成に特化したカリキュラムを、産業界と共同で作る。高校の新卒に加え社会人の入学も可能にし、キャリアアップへの活用を促す。大学や短大、専門学校からの移行も認める方針だ。

 また、教育訓練休暇制度を導入した企業や、キャリア変更を希望する中高年を受け入れる企業に対し、助成金を拡充する方針も盛り込んだ。安倍首相は会合で「個人の意思と選択に基づき、必要な能力開発を支援する」と述べた。

 政府は社会の変化に対応した高等教育機関の設立に向け検討を重ねていた。来年に制度の内容を固めて、31年度の開校を目指す。



夕歩道(夕刊コラム)
2015年6月18日 中日新聞

 知の拠点、いかにあるべきか。文部科学省が国立大学に人文社会科学系や教員養成系の学部・大学院の改廃を求めている。お国が次世代に求めるものは、まず実学。教養や洞察力など邪魔ものか。

 入学式や卒業式では国旗掲揚と国歌斉唱を、と下村博文文科相が国立大の学長に。お国が最高学府に求めるは、小中学校のような式典進行ということか。真理の探究よりも上意下達の規律の追求。

 憲法学者の言うことなど聞いていられるか、という政府である。意に沿わぬ答えを出す学問や理屈っぽい人材に何の用もないのだろう。目指すは為政者に都合のよい大学か。学の軽視、極まれり。


人生いろいろ:国益と民益

† 与党副総裁や政府官房長官が安保法案について強引な弁を述べ続けている。特に参考人として憲法学者らが明らかに法案が違憲であると国会で述べてことに対して、それを打ち消すことに汲々とししている。これらの動きに対して閣僚や党幹部などを歴任してきた与党重鎮OBらが懸念を表明している。何よりも安保法案の仕組みが難しくとても国民の理解するところではない。また政府解釈も二転三転していき、これが成立して統一的な運用ができるか、現場レベルで混乱する懸念は払しょくできない。

‡ それらの根本にある想いは、ズバリ国益そして民益をめぐる考え方の違いにある。国益という大局的な判断をする責任と民益という国民の基本的な権利をどう調整するのかが問われる。副総裁が追い詰められて、さらにこの国を牛耳る人たちの構造を明らかにしてしまった。それは内閣解釈と最高裁判断のお墨付きの両輪があれば、どこかの国の利益を最大化でき、かつ国益という権力層の保持が可能であるということだ。そこには民益はなく、国民に対する私権制限を通しての生きづらさが増すのみだ。意志表示の唯一の手段である選挙の包括委任は今や限界にあるのだろう。今でも世論調査の内閣支持率は50%を超えるというのが、この国の哀しい民度。

人生いろいろ:過労死のある国

† 日本では当たり前の過労死だが、欧州の人には不思議に思えるだろう。働くのは生活をエンジョイするためであり、働くことで死んでしまうことは目的が違う。アジアでも、昨今の事情とは違っているかもしれないが働くというよりも時間を潰しているという感じの働き方であろう。確かに働くことは充実感があり結果として成果を手に入れられれば生活も向上するだろう。しかし、そこで失う家族との触れ合いや自分自身の趣味の充実など、大切なことが何かということになろう。

‡ 「残業代ゼロ」法案を閣議決定 裁量労働制も拡大(2015年4月3日朝日新聞)、この国の労働法制も経済界の要請で急速に変化しつつある。政府はいろいろな規制を廃止することで、もっと厳しい環境におこうとしているような気がする。日本でも明治期から富国強兵として、児童労働も含む長時間労働を強いていた時代もあり、過酷な労働から人間らしい働き方を求めて地道な運動の成果があった。それをなし崩しに人間不在という過去に戻るのだろうか。過労死と日本人が結びいて世界から語られるならば、もう一つの印象を持たれることになる。


「掛け持ち勤務で過労死」 月250時間も時間外勤務と店員遺族が経営者とファミリーマートを提訴
2015年6月5日 産経新聞

 大手コンビニ「ファミリーマート」に勤務していた大阪府の男性=当時(62)=が死亡したのは、2店の掛け持ち勤務による過労が原因だったとして、遺族3人が店舗経営者とファミリーマートに計約5800万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。ファミリーマート側は5日の第1回口頭弁論で争う姿勢をみせた。

 訴状によると、男性は平成23年ごろから大阪府大東市内のファミリーマートに勤務していたが、経営者から24年以降は同府門真市内の店舗での勤務も命じられた。男性にはほとんど休日がなく、最長で午後9時から正午まで休憩なしで掛け持ち勤務する状態となった。同年12月に勤務中に意識を失い脚立から転落。頭を強打し搬送先で25年1月に死亡した。

 遺族側は、転落前6カ月間の時間外労働が1カ月当たり約220?250時間だったとして、経営者側に安全配慮義務違反があったと主張。ファミリーマートに対しては「加盟店に過酷な労働をやめさせるよう指導する義務を怠った」と訴えている。


人生いろいろ:理髪店の楽しみ方

† 理髪店ですることは置かれているスポーツ紙や雑誌を見ることだ。購読したことのないスポーツ紙を見る機会があるのは理髪店の待ち時間のみ。注目するのは求人広告と風俗からみる景気動向。また一般紙の主要記事の取り上げ方である。スポーツ全般、娯楽にお金を使うことがないのだが大人がする道楽には興味がある。

‡ 地元プロ野球チームすら応援していないので一面から興味が湧かない。そのスポーツ紙の他、週刊現代と写真週刊誌、週刊少年ジャンプそして店長の趣味らしきグッズ雑誌等。以前より冊数が減っている。週刊誌は過激な内容もあるので見出しのみしか見ない。普段接することないものを見ることは理髪店のもう一つの楽しみ方である。

介護主夫始末記:終末期狂騒時代

† 戦後のベビーブーム世代がいよいよ終末期対策に入る。これに対するニーズを満たすべくさまざまなサービスが提供されていく。こうした世代に対する配慮は、日本人が初めて経験していることだろう。姥捨て山なぞ、もはや死語になった。むろん、それは資産を持っているからに他ならない。

‡ 終末期に関して、その際の手順作りが進んでいる。意志がはっきりしない状態にあった場合に、医師らが責任を回避するためと本人の希望を尊重する姿勢もあろう。「スピリチュアルケア」を巡っては宗教界からも専門家を養成を始めたが、個人的には疑問すら感じる。一般的なケアならば可能としてもそれが勉強や研修などを経ればできるのであろうか。人は生きてきたように死んでいくというのが正解、その際に看取りをする誰かがいればベストということだろう。


日本病院会、延命中止で6事例 終末期医療
2015年5月27日 中日新聞

 全国約2400の病院が加盟する「日本病院会」は27日、回復が見込めない終末期医療に関する見解を発表し、延命措置の中止を患者の家族らに提案することが適当なケースをまとめた。

 「高齢、寝たきりで認知症が進み、周囲と意思疎通が取れない」「がんの末期で生命延長を望める有効な治療がない」など六つの事例を列挙。それらに当てはまり、複数の職種による医療チームが「根治できない」と判断した場合には、延命措置の差し控えや中止など「患者に苦痛を与えない最善の選択」を家族らに提案する、としている。(共同)



参考 日本病院会の文書は次のもの
2015.5.28 日本病院会 http://www.hospital.or.jp/
「尊厳死」― 人のやすらかな自然な死についての考察 ―

延命措置について家族と話し合う場合の6事例
 (※神経難病、重症心身障害者は含まない)
 ・高齢で寝たきりで認知症が進み、周囲と意思の疎通がとれないとき
 ・高齢で自力で経口摂取が不能になったとき
 ・胃ろう造設されたが経口摂取への回復もなく意思の疎通がとれないとき
 ・高齢で誤飲に伴う肺炎で意識もなく回復が難しいとき
 ・がん末期で生命延長を望める有効な治療法がないと判断されるとき
 ・脳血管障害で意識の回復が望めないとき


看取り支える「認定援助士」育成へ-在宅医らが一般社団法人設立
2015年5月21日 医療介護CBニュース

 人生の最終段階を迎えた患者や利用者らを精神面からサポートする医療・介護人材を養成するため、在宅の専門医らが一般社団法人「エンドオブライフ・ケア協会」を設立し、21日に東京都内で記者会見を開いた。同法人では今後、7月の横浜市を皮切りに全国6ブロックで養成講座を開催。終末期の看取りを支える「認定エンドオブライフ・ケア援助士」の育成に乗り出す。【敦賀陽平】

 同法人は先月21日の設立。理事には、▽めぐみ在宅クリニック(横浜市)の小澤竹俊院長▽北里大病院・トータルサポートセンター(神奈川県相模原市)の小野沢滋センター長▽長尾クリニック(兵庫県尼崎市)の長尾和宏院長―の3人が名を連ね、専務理事には一般社団法人「フューチャー・ラボ」の田口空一郎代表理事が就任した。また、淀川キリスト教病院(大阪市)の柏木哲夫理事長が顧問を務める。

 認定援助士は、団塊の世代が75歳以上となる2025年に向け、終末期の痛みを和らげる緩和ケアだけでなく、「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか」といった患者や利用者らの心の苦しみ(スピリチュアルペイン)にしっかりと耳を傾け、その「支え」を言葉で伝え、相手の理解者となる人材を育てることが目的だ。

 養成講座では、在宅医療の経験の豊富な医療者が講師を務め、実際の場面を想定したロールプレイや事例検討を含め、2日間にわたって「スピリチュアルケア」の基礎などを学ぶ。同法人では、フォローアップ講座も開催し、援助者の輪を全国に広げることを目指す。

■心の苦しみに何ができるか、講座の柱は「言語化」
 この日の会見で小澤氏は、「苦しみに対して何ができるかを、きちんと言葉にすることが、この講座の大きな柱になる」と指摘し、患者や利用者らにきちんと言葉で伝えることができる人材の必要性を強調した。

 また、長尾氏は「モルヒネなどの薬剤、身体的な痛みに対するマニュアル等は在宅でもだいぶ整備されてきたが、肝心の魂の痛みは理屈ではない。不安やおびえみたいなものに対して、どうしていいか分からないというのが現場の本音だと思う」と述べ、看取りを支援する医療・介護従事者の育成に意欲を示した。


人生いろいろ:特攻隊と自爆テロ

† 過激派組織ISによる自爆テロの報道が続く。以下の記事は自爆テロに失敗した兵士にインタビューをしたものだ。宗教的に価値が高いと吹聴されていることは想像通りである。また報道で伝えられているように組織内も恐怖支配の対象であり一度入ると容易に抜け出せない。どうせ死ぬならば・・・という気持ちになるのだろう。このような心理を巧みに使うやり方は簡単だろう。

‡ 第2次世界大戦末期、米軍は日本軍の特攻作戦を恐れた。通常なら戦闘行為が不能となれば降参し捕虜となり、その扱いはある。ところが日本人は捕虜となることを潔しとしないことで死ぬために果敢になる。死を強く覚悟した人ほど強いものはない。ゼロ戦特攻のように片道切符しかもたずに自身を爆弾と一体化する発想を欧米人が理解できないのは当然だろう。それと同じく現代の自爆テロも、宗教的な意向を背景に捨て身攻撃してくることの恐怖は計り知れない。そのように人を追い込む大義が実は指導者らの私利私欲であることを分からないように洗脳することがさらに恐ろしいことだ。


IS戦闘員「自爆は高価値と教わった」
2015年6月10日 NHK

過激派組織IS=イスラミックステートが勢いを盛り返すなか、自爆攻撃を試みて拘束された外国人戦闘員の男がNHKの取材に答え、「『自爆攻撃は、宗教的により高い価値がある』と教えられた」などと証言しました。

NHKは、イラク北部にあるクルド自治政府の収容施設で拘束されているISの戦闘員の男2人に、情報機関の立ち会いのもとでインタビューを行いました。

このうち、爆発物を積んだトラックで自爆攻撃を仕掛けて失敗したチェチェン人の26歳の男は、自爆攻撃の方法について「アラビア語は分からなかったのでビデオで教えられた。トラックの車内にあるボタンを押すと自爆する仕組みだった」と説明しました。

そして「IS幹部からは、『戦闘で単に死亡するよりも、自爆攻撃は宗教的により高い価値がある』と教えられていた」と証言しました。

またクルド部隊との戦闘の際に拘束されたイラク人の20歳の男は、ISに加わった動機について、「イラク政府が、自分たちスンニ派を抑圧しているのを見て、銃を取って戦いたいと思った」と話しました。

戦闘員の証言からは、ISが信仰心や宗派間の対立を利用して、自爆攻撃や前線での戦いに投入する戦闘員を仕立て上げている実態が浮き彫りとなりました。


人生いろいろ:春になると思うこと・・・

† 異動・転勤の季節になり新人の加入もあり組織は新しい歩みを始める。この時期は何かウキウキとする一方で予想外の職場に配属された人たちの苦悩は計り知れない。私も期待に胸を膨らませていた新人時代、配属された職場にショックを受けた。専門性を重視し配属されると思っていたが、全くの異分野であった。この組織は人をどう見ているのか疑問が深まったが、何年かすれば配属希望を出せると信じて続けることになった。

‡ だいたい3年を目途に異動は行われていたが、その3年という時間が人にとっては丁度いいのだろう。慣れるまでに1年、自分らしいスタイルを作るまでに2年、そして課題を整理しているうちに3年という感じだろうか。どんな仕事でもやり方は独自であり、何かしらの発見をできると思う。嫌な上司・部下・新人がいなくなることはなく、その中で学ぶことができればいい。いろいろあった職場だったが、多くのことを学んだことは確かだ。

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