<三浦綾子記念文学館>「想い出ノート」が100冊超える

<三浦綾子記念文学館>「想い出ノート」が100冊超える
2010年9月20日 毎日新聞

 北海道旭川市の三浦綾子記念文学館で来館者に感想をつづってもらう「想(おも)い出ノート」が、100冊を超えた。これを記念して10月末まで、100冊すべてを公開し、約1万5500編のメッセージから印象深いメッセージ50編を選び出しパネルで展示している。

 文学館は、小説「氷点」で知られる同市出身の作家、三浦綾子さん(1922~99年)を紹介している。ノートは開館した98年6月から始められ、その内容を毎月1回、10編程度をホームページで公開してきた。

 三浦文学は、愛や命、「人はいかに生きるべきか」などをテーマにしただけに、悩んだり、くじけそうになった時に訪れて立ち直ったことなど、メッセージには思い入れの強いものが多い。「自殺しようと思っていたが思いとどまった」との記述もあったという。パネル展示では、留置場で初めて三浦作品を読んで感動し、「二度と同じ過ちやつまずきを起こさないと誓わせていただきます」と再出発を約束した内容などが紹介されている。

 同館の松本道男事務局長は「展示された三浦さんの数々の言葉は心の中に残り、困難に直面した人の“駆け込み寺”になっている一面もある。これほど多くの感想が寄せられているのは、三浦文学のメッセージ性の強さの表れではないか」と話している。【横田信行】

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三浦綾子記念文学館ホームページ  http://www.hyouten.com/

・三浦綾子さんが亡くなって、もう10年になるのか。早いものである。

記事では、記念文学館の据え付け書き込み帳に書かれた入館者のメッセージが大学ノート100冊分に達したという記事である。

北海道まで出かけていくのは、やはり思い入れがあるわけであり素直な気持ちが綴られているのだろう。その点で、普遍的な文学というものは値打ちがあるものだ。人間の心理は共通する部分も多くあるので共感することができるし、学ぶことができる。経験を積み重ねることで、理解できる部分が増えていったりすることは嬉しい発見である。

作曲家の頭には音が完璧な形で浮かんでくるという。写譜することは機械的な作業に過ぎないという。凡人はピアノを叩きながら考えていくこととは違うのだ。いくつもの楽器が頭の中で鳴り響いているということだ。また、数学者にとっては数式は、頭の中で完璧に考えた理論を数式的にあてはめて検証しているに過ぎないという。凡人のように正しく計算しようという発想ではないのだ。共通するのは閃きが既にあり、それをどう表現するかといった技術に過ぎない。

作家も同様であるだろう。三浦綾子さんは持病があり口述筆記という手法で作品を仕上げていったが、彼女の語りは、そのままに作品となっていった。むろん、推敲の作業はあるのだろうがストーリイやセリフは既に完璧に頭に浮かんでいることだろう。

そうした過去の遺産に支えられて人間は生きていく。聖書や仏典などは、それが語り継がれる価値があるということで継承されてきている。古典を学ぶということは、人間を学ぶということであり叡智を知るということだ。歴史は過去の繰り返しというが、規則性のあるなしの問題ではなく生き方の両極端を行きつ戻りつしているのが思考のパターンに過ぎない。現在は、自由と平等という相容れない価値の間を揺れ動いているに過ぎない。

わたしたちは言語という共通する記号を使って密なるコミュニケーションが可能になったことで飛躍的に変化した生物である。その言語の限界を見定めながら、日々起こる問題を解決しながら生きるということしかないのだろう。
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