余録:古本屋の看板を気を付けて見てみなさい…

余録:古本屋の看板を気を付けて見てみなさい…
2010年8月16日 毎日新聞

 「古本屋の看板を気を付けて見てみなさい。『高価買い入れ』とあっても、『古本売ります』とは書いていないでしょ。買い取りこそ腕のみせどころですから」。ある古書店主にそう教わった。言われてみると確かに「売ります」は少数派だ
▲「せどり」という商いがあることも聞いた。見知らぬ土地の古書店に飛び込む。書棚に並んだ背表紙をざっと見回すと、結構な値打ち本がほこりをかぶっている。それを安く買い、転売するのである。目利きを競う古本屋の他流試合みたいなものか
▲だがこの手だれの古書店主にしても、近ごろ書物の“自炊”がはやっていると聞けば驚くだろう。自分で本を裁断し、1ページずつスキャナーで読み込んで電子書籍にすることを指す隠語だ。iPadなどの登場で注目され、高価な裁断機が売れているという
▲本の悲鳴が聞こえてきそうな蛮行である。いや、「陶板や木簡から紙に変わったのが、今度は電子データになっただけ」とドライな考え方もある。引っ越しのたびに本の山と格闘し、腰を痛めた身には心が動くのも確かである
▲お盆に京都の下鴨神社・糺(ただす)の森で開かれている「納涼古本まつり」(16日まで)をのぞいた。関西の約40店が木陰に80万冊を並べ、リュック持参の熱心なファンもいた。一冊一冊の手触りまで確かめる愛書家にとって“自炊”など言語道断であろう
▲会場を出て如意ケ岳(大文字山)を仰ぐと、今夜の送り火に向け火床の準備が進んでいた。ご先祖様の精霊は彼岸に戻るが、裁断された本たちの魂はさてどこに帰るのか。インターネットのクラウド(雲)とやらのかなただろうか。



・書籍をめぐる環境は大きく変化していることは違い。印刷機の発明に続き電子データへの変換は人類の英知の共有ということに大きく前進する。一部の人たちの独占であった情報に、誰でもいつでもどこからでもアクセスできることは素晴らしいこと。これからは情報の蓄積といった行為よりも情報の創造といった本来の脳力の使い方をできる時代となるかもしれない。

記事にある本を裁断しスキャナーに読み取らせることは、本好きにはいたたまれない行為かもしれない。裁断された本はゴミとなるしかない。どんな形態であれ人間は知的好奇心を満足せずにいられない生き物だから情報との付き合いは今後も続くだろう。昔々は巨大な百科事典を飾っていくことがステータスであった。現在はスマートフォンで検索することが格好いいのかもしれない。

記事では、京都・大文字の風景と、昨今のクラウド技術の掛け合いをして楽しいコラムに仕上がっている。阪神・淡路大震災では蔵書に押しつぶされて亡くなった方が多数いたというから、読書家にとっては置き場所が最大の問題であり続けることには違いない。
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