クリスマスを廃止すべし

クリスマスを廃止すべし
2008年11月8日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 バチカン放送によると、イギリスのオックスフォードの町で「今後は公にはクリスマスを挙行しないで、その代わりに『光の祭典』を行う」ことが決定された。その理由は「クリスチャンでない市民がいる。彼らの心情を傷つけてはならない」というものだ。その決定を知った多くの市民はショックというより、怒り心頭といったところだ。
 毎年さまざまな行事があるが、クリスマスはその中でも最大の祝日だ。神を信じる者、信じない者にとっても12月24日、25日のクリスマス祝日は欠かせられないものとなっている。それを「廃止する」というのならば、それなりの理由がなければならないが、「他宗派の市民に配慮して」というのだけでは、納得できないわけだ。バチカン法王庁文化評議会議長のジャンフランコ・ラヴァージ大司教は「反生産的な決定だ」と抗議している1人だ。
 実際、ユダヤ教徒やイスラム信者たちも同市の決定に反対している。その理由はシンプルだ。「クリスマスが廃止されたとなれば、自分たちの宗教の祝日も遅かれ早かれ同様の理由で廃止される可能性が考えられる」として、反対を表明し、クリスチャンたちと連帯している。
 米国の同時多発テロ事件(2001年9月11日)が発生して以来、キリスト教圏の欧米社会でイスラム・フォビア(イスラム教嫌悪)が拡大する一方、他宗派を怒らせる事を控えるべきだとして、自身の宗教的言動を過敏に抑制する傾向が見られだした。例えば、英国航空会社ではスチュワーデスが十字架のネックレスをかけて仕事をしていたが、「他宗派のゲストを不快にさせるかもしれない」としてネックレスの廃止を職員に要求した、といった事態が起きている。キリスト教社会では「クリスチャン・フォビア」(クリスチャン嫌悪)と呼ばれる現象だ。



・宗教が日常生活から遊離していく。欧州各国にとってキリスト教は文化そのもの。つまり、血肉化しているわけだ。ところが、その文化が薄れていく。無神論が拡がっているというよりも、価値相対化が進んでいるということだろう。他文化を尊重することは結構なことには違いないが、自分を文化を忘れては会話することができなくなる。かくいう私も、地域文化の共同性に背を向けてきた一人でありお祭りや行事にことごとく欠席してきた。それは性格的な歪みだと思っている。一方で、このような動きが進行していた。日本でも、同じようなことになっているのではないだろうか。

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