宗教も友敵分ける小沢流

宗教も友敵分ける小沢流――編集委員・伊奈久喜
09.12.20 日経新聞

ことし5月に91歳で亡くなった英国の詩人、ジェームズ・カーカップは、約40年前、日本のクリスマスを「異教徒の商業主義」と見た。キリスト教では、クリスマスイブまでの4週間を「待降節」と呼び、神の子の誕生を静かに待つ。

商業主義的クリスマスは日本に限らず、世界的現象だが、キリスト教団体が、例えばサンタクロースの衣装をみだりに使うな、などと訴えた話は聞かない。キリスト教は排他的なのか、クリスマスを前に、旧聞を検証する。

民主党の小沢一郎幹事長は、11月10日、次のような宗教観を述べた。

▼キリスト教=排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰っている。

▼イスラム教=キリスト教よりはいいけど、排他的だ。

▼仏教=人間がどのようにあるべきか、心の持ちようや生きざまを原点から教えてくれる。

日本キリスト教連合会(山北宣久委員長)が抗議書を送った。小沢氏は11月16日に「仏教は死ねばみな仏様になる。ほかの宗教でみんな神様になれるところはあるか。基本的な考え方が違う」と述べた。

10日の発言は、和歌山県高野町で全日本仏教会松長慶会長との会談後に、記者団を前に飛び出した。深い思いからではない、印象論とあえて考える。

16日の発言でもわかるように、小沢氏は仏教を寛容の教えとは知ってはいる。が、それが胸に深くあれば、他の宗教に「独善的」「排他的」といった否定的な言葉は使いにくい。使えば、仏の道に反するからだ。

チベット仏教の指導者、ダライ・ラマ14世は10月31日、東京の外国特派員協会で会見し、宗教者にとって敵とも思える世俗主義に触れ、次のように語った。

▼世俗主義は宗教の拒絶ではない。あらゆる宗教を受け入れることだ。

敵にも懐深く対応する。仏教的寛容なのだろう。一方の小沢発言は、政治論としても適切さを欠く。

世界人口の35%がキリスト教、19%がイスラム教、仏教は6%とされる。小沢発言は、世界の半数以上の人々を「排他的」と呼んで敵に回す。首相あるいは外相の発言であれば、国際的批判を浴び、進退にも議論が及んだはずである。

特に「キリスト教を背景として欧米社会は行き詰っている」の部分は、近衛文麿が書いた「英米本位の平和論を排す」に通じる。その後の日本の針路を誤るきっかけのひとつになった論文である。

小沢氏は、20世紀前半に活躍したドイツの法学者、カール・シュミットの著書「政治的なものの概念」の実践者のようにみえる。シュミットによれば、友と敵を分け、敵を滅ぼそうとするのが政治である。「友敵」論と呼ばれる。

1997年の新進党解体では「純化路線」が語られた。政策論を無視して自民党と対決し、衆院解散に追い込んだ「政局市場主義」も典型的な友敵論だ。それが勝利し、皮肉にも、鳩山「友愛」政権ができた。

3つの宗教に対する考え方は、いかにも小沢氏らしい。宗教も友敵論だととらえるからだ。

民主党の土肥隆一衆院議員は牧師である。木俣佳丈、ツルネン・マルテイ、羽田雄一郎各氏ら同僚議員とともに、聖書を読み、祈りをささげる記録がサイトにはある。

小沢発言を聞いたキリスト者は、心弱いペトロの過ちをゆるすイエスを思い、胸に言い聞かせるのか。待降節に歌う「マリアの歌」には「おごるものを/とりひしぎて」とある。


・小沢発言は、単純な印象を語ったものだ。
彼には宗教よりも現実的な政治に興味が集中していると思う。
強面・小沢、ソフト・鳩山と舞台で演じているだけだと思う。
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