NHK文化講演会「君たちはどう生きるか~生きる意味について考える」

文化講演会
「君たちはどう生きるか~生きる意味について考える」
2015年6月28日 NHKラジオ第2

講演:姜 尚中(東京大学名誉教授)

私たちは今、幸せの形が見えにくい時代を生きている。そして不確実性に満ちた世界の変化は、日常の生活の中にも影を落とし、不安感が広がっているようにも見える。いったい、この時代とは何もので人はどこに向かおうとしているのか?その果てに何が待ち構えているのか?ミリオンセラー『悩む力』でも知られる姜さんが「平凡の偉大さ」と生きる意味について考える。

録音:NHK文化センター京都教室 第309回 オムロン文化フォーラム (2015年4月26日)
※オムロン文化フォーラムは、講演後原則として約1時間に編集しNHKラジオ第2放送で放送されます。


・『悩む力』 (2008/5/16)、『続・悩む力』(2012/6/15)(集英社新書)にある夏目漱石作品についての講演になる。講演の内容は新書内容を踏まえたものだろう。題名はちょっと仰々しいが問われている内容は重い。

なお姜さんは本ブログに追加記載してあるが、聖学院大学長をこの3月で辞めた。就任後から僅か1年という異例なことで学園側との亀裂があったと言われている。かなりこだわりの強い筋の通った生き方を指向されている学者なので、らしいところである。

新書が発売されてから時間が経過している。興味があれば新書にも取り組んでみるといい。そして本講演会の最後に、姜さんが最近感じることという話をしたので触れたい。それは4月末での一番ホットな思考だからだ。

いろいろな視点・論点で話がされており、まとめ切れないが、結論的に述べるならば、現代人の不安は、実は100年前に書かれた夏目漱石作品にすでに書かれていた。その雰囲気がまるで現代の日本社会であるという。自由を謳歌しているはずが、何かもの足りない不安・孤独にさいなまれる。そして現代の不安に対するには他者による絶対的な承認が必要だと説く。自分史ブームも自己承認の作業だという。

そのあとで、姜さんは現代はイニシエーション(通過儀礼)がなくなっていくことに問題を感じ、再発見の必要を説いた。人間は生まれて死ぬまでいくつもの儀礼を通過する。

ただ通過儀礼は、古臭く伝統的保守的で意味をなさなくなったという。通過儀礼を通して、何かを学び新しいステージを迎え、そして最後に死を迎えられる。この通過儀礼を自分自身で見直してみる、地域の中で見直してみる。これは人間が生きる中でとてもとても大切だと説く。

私たちは自由であることで多くのものを失った。漱石作品『こころ』では年上の人との魂の交流であることも大事な通過儀礼と捉えることができる。試練をくぐり抜けることで深い知恵を学んでいく。通過儀礼を経ながら、さまざまに展開していく。人間は通過儀礼を経ていくことで人生の深いところを学んでいく作品としても捉えることができるのではないかと説いた。


実はびっくりした。それは本ブログの中心課題の一つであるジョーゼフ・キャンベル教授と同じ指摘だったのだ。むろん文脈は異なるにしても、姜さんが独自にそれを感じているならば感性が鋭いと言うしかないだろう。

文化人類学的には通過儀礼とは、一人の人間が大人になっていく過程で社会参入をするために与えられる試練というべきもので、それが儀礼として残っているものだ。例えば、日本では元服式や成人式など、また広くは結婚や葬儀も含めていいだろう。

子どもが大人になる、それは社会の一員としてデビューすることなのだが、そこには試練がある。その意味が薄れてしまい単に儀式となってしまった現代では形だけになってしまったのだが、それはもともとは自分の生存をかけた試練という重いものなのだ。

それを経て、一人前の人間として社会に認められ受け入れられ、本人も自覚するとともに共同体の一員としての振る舞いを学ぶということなのだ。それから結婚し子どもを設けるという営みに入っていく。

ただ、それが単に儀式になっていくときに通過儀礼をできない状況も生まれる。その価値を大人たちも忘れてしまい強要する雰囲気すらない。それを因習からの自由と捉えるのだろう。ただ、その通過儀礼ん持っていた本質的な役割が欠落することで人間の成長に与える影響は計り知れないほど大きかったのだ。


最近の人間の振る舞いを見れば分かるだろうが、まったく自己本位になり自分だけ良ければいいし、そのために他人がどんなに困っても構わない風潮が加速しているようだ。それを縛るのは、道徳でなく法律ということが悲しい現実である。

私個人は一匹狼的な人間で、もともと通過儀礼に参与することを嫌って生きてきた。それが合っていたしそれしかできなかった。ただ、もともと一匹狼的な人でない人間までも通過儀礼をしない状態に急速になってしまったことに違和感を感じている。

つまり社会に対しての振る舞い方が分からないし理解すらできない人たちが大量にうまれていく社会に、何ら規律も統一も与えられない事態にある。道路、電車の中、あちらこちらで横着な振る舞いをする人がいても注意すらできないししないのだ。

私個人は保守的な人間ではないと思うのだが、保守革新という見方でなく、人間が人間らしくなるための教育的な社会装置として通過儀礼の担ってきた機能は、やはり残さなくてはならない。それに代わるものを作らなければならない。


まとめると人間の悩み苦しみは時代によって変わるものではないと感じる。しかし人間の本質でなく、社会の変化が大きいと、その矛盾も大きく出てくるのだと思う。

いまの若者にとって社会はどのように映っているのだろうか。目標もなく夢もなく単に働くことだけ食べていくことだけだったなら何とさみしいことか。自死したり自暴自棄になってしまうことも肯定できないまでも理解できることがさらに辛いことだ。

姜さんが思考の果てに感じた通過儀礼の問いなおしは、このブログでも行っていることである。そのような指摘をできる人がまだ残っていたことに少しだけ安堵した。



なお、この文化講演会録音だが、オムロン(株)が社会貢献活動し主催している。最近の講演会は90分が主流だから、それを60分に編集しており質疑応答もあるのかもしれない。

NHK文化センターだが、株式会社で役員はNHKOB・OGである。データにある出向者2名というのはNHKの現役職員ということだろう。NHKの看板だけで立派に商売ができる。

株式会社 NHK文化センター
社員数 167人(平成27年3月31日現在)このうち、NHKからの出向者2名
教室数 全国48か所
講座数 全国65,000講座(4期延べ)
会員数 全国235,000人


巨大マスコミNHKだが、世界的にもこれほど巨大な放送局はない。その中立性やジャーナリズムとしての役割が問題視されている現状にある。最近では、受信料収入が上昇してニュースで報道するほどだが、それは不払い者に対する強硬措置・民訴を展開しているためだ。

以前は、「NHKは皆様の受信料で支えらえてます」⇒「NHKの番組は皆様の受信料で作られています」とアナウンスしていた時代もあったが、今では全く聞かれなくなった。中央集権の日本では、地方の文化が育っていない。それが大きな問題である。

NHKの放送テキストを扱う(株)NHK出版は、あの薄いテキストを販売するだけで相当に利益がある。テキストを無料にするだけで、この国の文化水準は変わるのだろうけれどね。

NHKグループネット  http://www.nhk-grp.jp/list/index.html

NHK番組の質を支えているのは受信料収入による豊富な資金だろう。民放のように視聴率のみではない。ただ、それだけでなく巨大組織ゆえの問題を孕み簡単ではない。

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姜尚中氏が聖学院大学長辞任へ 任期途中、意見の相違か
2015年3月21日 朝日新聞

 聖学院大学(埼玉県上尾市)の学長を昨年4月から務める姜尚中氏(64)が今月31日付で辞任することが分かった。姜氏は20日、同大のHPで「諸般の事情で大学を辞めることになりました」と明らかにした。

 5年間の任期途中での辞任は、今月16日の臨時理事会で承認された。大学関係者によると、学校法人聖学院の阿久戸光晴理事長との間で、大学運営を巡る意見の相違があったという。

 姜氏は東大名誉教授で、テレビ番組への出演やベストセラー「在日」などで知られる政治学者。HPで「若い学生諸君と、共に語り合い、知ることの喜びや、生きることの悲しみ、そして希望を分かち合いたいと切望していただけに、残念」とも記した。(河原夏季)


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