カトリック教徒、離婚はダメでも…「結婚無効」の判決

カトリック教徒、離婚はダメでも…「結婚無効」の判決
2014年8月10日 産経新聞

 カトリック教徒にとって結婚は「七つの秘跡」の一つであり、配偶者が死亡しない限り結婚は解消されないものとされている。

 英国王ヘンリー8世が、世継ぎが生まれないことを理由にキャサリン妃との結婚の無効を法王クレメンス7世に承認してもらおうとしたが、法王は拒否し続けた。そのためへンリー8世は、最後にはカトリック教会とたもとを分かち、英国教会を設立したことは有名な話だ。

 離婚が存在しなければ、教会当局から結婚の無効、つまり結婚そのものが存在しなかったとの証明を得るほかはない。バチカン市国にはこうした結婚の無効を判定する裁判所があって、これまでもヨーロッパの貴族やお金持ちが、すでに何年もの結婚生活を送っていたにもかかわらず、莫大(ばくだい)な弁護費用を使って結婚無効を認めてもらってきた。

 それだけではない。イタリア全国には19もの宗教裁判所があって、ここでも結婚無効の判決を下しているのである。

 最近、イタリア南部ベネベントの宗教裁判所が、2013年に312件もの結婚無効の判決を下し話題になっていた。

 こういう手軽な裁判所があったなら、ヘンリー8世もわざわざ現在の英国国教会などを設立する必要はなかっただろうに。(坂本鉄男)


・結婚というものの歴史を見ると、中世に恋愛が発明!?されるまでは家と家のそれであった。今でも、その伝統を継いでいる国家は多い。つまり個人の恋愛が許されるまで長い歴史は結婚は個人意志の問題ではなかった。

そして特にキリスト教徒は、神の前に誓って添い遂げることを契約する。つまり契約なのだ。神と人間が、従うことを契約することで加護を得るという宗教構造が古代からずっと続いていた。

個が発見された中世以降に、人間は神との契約と同様に結婚についても契約関係の図式を用いてきた。それは互いに慈しみ裏切らない永遠のつながりであり、信仰する神の前で誓うことにより強固にされる。

ところが、個が発見されてから恋愛も許される人間の感情として認識されることになった。婚姻関係にあっても、それが続くためには非常な忍耐を要する。

記事にあるように、契約関係を秘跡・恩寵と考える人たちには離婚することは許されないという結論がある。事実上、破たんしている婚姻関係をどのように収束させるのか。その詭弁が、そもそも婚姻契約自体が無効であると判示することだという。

カトリック教会だけでなく、宗教組織がナマの人間に拠らず、教理・教義の解釈にのみ従うならば混乱することは当然のことだろう。

時代の流れとしては、人間がわがままになったということも言えるが、結婚が当初考えたような理想のものではなく、日々困難を互いに克服しつつ思いやることを続けることがないとどうにもならないという現実に直面することだろう。

よく牧師夫妻の離婚という話題も聞くが、牧師すらも離婚している現実があるならば信徒らがそうしても何ら問題はないのではないのではないか。それを恰好をつけて表現すると結婚無効というものになるのだろう。

結婚がもたらす喜びと裏腹に現実の生活をどのように宗教的に過すのかが問われるのだろう。神が結び付けたという大義を、もう一度軽く捉えてもいいのかもしれない。縁はあるだろうが、その縁がどのようなものであるかが分かるには時間がかかるのかもしれない。

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