エーリッヒ・フロムの戦争観

<論説委員のワールド観望> エーリッヒ・フロムの戦争観 
2014/5/13 中日新聞 夕刊

◆原点の戦争体験

 谷川俊太郎さんや女優の杏さんも推薦の言葉を寄せるエーリッヒ・フロムの書、「愛するということ」が書店で静かな人気という。

 近代人の疎外を論じ続けたドイツの社会思想家フロムの、決して平明とはいえないヒューマニズム論が、半世紀を超えて読み継がれる理由はどこにあるのだろう。

 フロムの代表作といえば「自由からの逃走」があげられる。中世の桎梏(しっこく)から解き放たれ自由を獲得したはずの近代人が、かえって自由を持て余し、その重荷に押し潰(つぶ)される姿を克明に描いたこの書は、一九六〇、七〇年代に学生時代を過ごした筆者の世代のいわば必読書だった。

 自由がもたらす孤独から逃れようと、権威に自ら従属する、そんな近代人の心理がヒトラーを崇拝する全体主義に繋(つな)がったとする分析は、今も鋭い警鐘として響く。

 フロムの思索の原点は、今年百年の節目を迎える第一次大戦にあったという。

 ドイツ・フランクフルトに在住、十四歳だった少年フロムは、それまで慎み深く分別に富んでいた大人たちが、開戦を機に熱狂し、次々反英国的な狂乱に陥ってゆく現実を目の当たりにした。

◆仏教への接近

 理性的なはずの近代人が未曽有の悲劇を生む不条理の解明。生涯を貫く思索にはこの時の経験が決定的に作用した、と自ら著書で記している。

 社会主義研究の拠点として知られたフランクフルト大学を起点に、フロイトの精神分析とマルクスの唯物史観の融合を試みて執筆した数多くの作品の深層には、戦争に対する厳しい批判が貫かれていることを物語っていよう。

 「愛するということ」は「自由からの逃走」発表から十五年、第二次大戦後間もない米国で出版された。そこで語られる「能動的な愛」や「技術としての愛」は、ユダヤ教、キリスト教的な考え方を色濃く反映しており、日本人にとって必ずしもなじみやすいものではないが、「~からの自由」を超える「~への自由」を追い求めたフロムの一つの到達点だったのだろう。

 日本の読者にとっての魅力は、フロムが西欧的価値観を超えて東洋的な考え方に接し、積極的に自らの思想に取り込んでいる点にあろう。中でも仏教思想、特に禅とのかかわりはよく知られる。

 メキシコ在住中、鈴木大拙を迎えて行った共同研究の結果を纏(まと)めた「禅と精神分析」は、精神分析と仏教の無意識の接点を探っている。ユタ大学のナップ教授による評伝は、フロム自身がスイスでの晩年を仏教徒として過ごした、と記している。

◆冷戦後への示唆

 フロムは冷戦終結を見ずに没したが、その思想に対する関心はむしろ冷戦後のドイツを中心に高まっている。旧東独政権下、牧師として人権活動を貫いたガウク独大統領が好んでフロムを引用するのもその一つの表れだ。

 西洋、東洋とも既成秩序が崩壊し新たな価値観が問われる現代社会にあって、フロムが残した思索は多くの示唆を与えてやまない。(安藤徹)


・かなり示唆に富む内容で、こうした論説委員がいることが一つの強みだろう。

戦争の功罪があるが国家のために殉じることや家族・子どもたちのために戦うことが当たり前の時代に人は多くのことを考えたことだろう。

また、その猛省にあって二度と不戦の誓いをし後世に思いを伝えることが希望なのだろうが、体験の継承は困難であることは歴史の教えるところである。

現代は情報機器で世界中が繋がれて国境はないが、それでも平和が訪れたわけでもなく却ってより複雑化し解決が困難な状況に陥ってしまっている。

武力による威嚇を声高に叫ぶ人たちが大勢現れてきて何か猿山のボス争いのようで人間はそれから変わったのだろうかと感じる。武力がなくても信頼される国民を持った国家が強いのだろうが、武力も金も情報もすべて握ることでしか運営できない政治に信頼は持てないだろう。

他文化を学び、いろいろな価値観があり絶対はないことや戦ってまで守るべきものは少ないことを経験してきた。そして、たゆまぬ努力をしないならば人間もすぐに絶滅危惧種に登録されることになるだろう。

誰もが思想といえるようなものを構築できるわけでもないが、生きている証として何か一つでも自分らしいポリシーを持ち実行できれば素晴らしいし、それが活きた思想になるのだろう。

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