捕鯨の瞬間、漁師たちは「南無阿弥陀仏」と唱えた…「ワケタラマセ」の精神

捕鯨の瞬間、漁師たちは「南無阿弥陀仏」と唱えた…「ワケタラマセ」の精神
2014年6月8日 産経新聞

 「先人たちは生きるがためにクジラに挑み、その恵みで生かされてきた。『現在』『未来』へとクジラに関わり続け、今後の歴史を築きたい」

 和歌山県太地(たいじ)町長の三軒一高(さんげん・かずたか)(66)は町に根付くクジラ文化の継承を誓い、静かに手を合わせた。4月29日、大粒の雨が降るなか、同町の順心寺(じゅんしんじ)で営まれた「鯨(くじら)供養祭」。町では毎年この日に漁協関係者らが集まり、古くから生活の糧としてきた海の恵みに感謝し、冥福を祈る。

 クジラを弔う慣習は江戸時代からあった。「クジラが捕れたとき、漁師たちは『南無阿弥陀仏』と唱えたそうです」と町歴史資料室の学芸員、桜井敬人(42)は話す。

 当時、太地では、南の海のかなたに観音菩薩が住む浄土があると信じられていた。その海でクジラを追っていた男たちが乗る鯨舟には鳳凰(ほうおう)や松竹梅など縁起の良い意匠が描かれ、極彩色に彩られていた。

 「あくまでも仮説」と断りつつ、桜井は語る。「人間に捕獲されたクジラが最期に見るものは装飾された鯨舟。浄土を連想させる風景をなぜ舟に描くのか。そこにはクジラの成仏を願う気持ちが込められていたのかもしれません」

 ■100人以上が犠牲になった古式捕鯨

 太地町は日本の古式捕鯨発祥の地といわれるが、その捕鯨の歴史は江戸時代初めにさかのぼる。

 古式捕鯨は200~300人の男たちが数隻の手漕ぎ舟で沖合に出てクジラを取り囲み、銛(もり)を打って仕留める組織的な漁法で、体長15メートルを超す大型のセミクジラやザトウクジラなどを狙った。

 クジラを追い込む舟は「勢子(せこ)舟」、その船首に立ち、銛を投げ打つ花形の男たちは「刃刺(はざし)」と呼ばれた。クジラが息絶えそうになると、「刺水主(さしがこ)」という若い見習いの刃刺たちが海に飛び込み、頭部によじ登って鼻の内部に刃物で穴をあけ縄を通す。判断が早すぎればクジラが息を吹き返して暴れ出す、命を落としかねない危険な仕事だ。

 それぞれの役割は世襲制だったというが、生死に関わる仕事を的確にこなした勇敢な刺水主だけが、刃刺になることができた。

 古式捕鯨の歴史は明治時代に終焉(しゅうえん)を迎える。明治11年、子連れの巨大なセミクジラ(背美鯨)を追った太地の鯨舟の一団が強い潮の流れにのまれ、100人以上が行方不明になった。今も「背美(せみ)流れ」と伝えられる事故を機に、古式捕鯨は衰退。明治後期、蒸気船に捕鯨砲を搭載した西洋式が導入されると、近代化が一気に進んだ。

 「古式捕鯨は命と引き換え。太地の男たちは運命共同体だった」。祖父が最後の刃刺だったという、元町立くじらの博物館館長の北洋司(72)は語る。

 ■揺るぎない連帯感

 古式捕鯨の名残は今も町に色濃く残る。住民の幾つかの名字は、先祖代々の捕鯨の役割に由来をもつ。「背古(せこ)」は勢子舟に乗って銛を打っていた人、クジラから油を採取する仕事をしていたのは「由谷(ゆたに)」、「筋師(すじし)」は鯨筋(げいきん)を扱う仕事をしていたとされる。

 その一人、筋師史郎(82)は南極海での捕鯨や近海での沿岸小型捕鯨に長年携わった。船には神棚が祭られ、クジラが捕れれば尻尾を切って供えた。「太地で生まれたからには、クジラなしには生きていくことなど考えられない」。男たちは沖でクジラを追い、町では多くの人が解体・加工にあたった。クジラに関わる町のすべてが当たり前だった。

 「捕鯨の町」の人々の結びつきは時代を経ても揺るぎない。町の連帯感を示すのが、今に伝わる「ワケタラマセ」の精神と、北は説く。

 ワケタラマセ、ワガラノエビス-。古くからあるこの方言は「私たち(ワガラ)が得たもの(エビス)を皆で分け合おう(ワケタラマセ)」という意味で、危険と隣り合わせで捕鯨を続けていた相互扶助の気持ちが込められている。

 「太地は互いの信頼が厚い。よそが『捕鯨をやめろ』と言ってきても町の絆は揺るがない」(敬称略)


・ここでは鯨と漁師の話であるが、実は農山漁業や狩りにも人間の食に供されるものへの感謝の気持ちが背景にある。それは信仰ともいえるべきものにまで高められているのは古今東西を問わずのことなのだ。

それが見えなくなってしまい、単に食糧というもので金で売買できるモノになっているのが現代。そこで忘れ去られているのが生命との一体感でありイノチを分け合っているという思いだ。

だから乱獲はしないし保護もするという共生のバランスをずっとヒトは行ってきた。それが大きく崩れた時代にある。

記事にあるように、いろいろな文化・風習が醸成されて生活に影響を与えたことも大事だが、もっと大事なのはイノチの一体感があったからこそ、「南無阿弥陀仏」と唱えつつ命を頂いたのだろう。

単に捕鯨反対国に対する皮肉ではなく、誰もが他のイノチを頂いて生きていることの自覚がなければ薄っぺらな反対運動に終わってしまうだろうし論争となるだけだろう。

昔、米国植民者らはバッファロー狩りをしたが、それは皮を取ることのみに終始し、古代からのインディアン文化をも破壊してしまった。それに類することは、時代・場所を超えてあるのだろう。

そうした共通意識がなければ資源保護の名目であっても単に文化が違っているものを、自分が関与していないゆえに野蛮な残酷な行為と切り捨てることは問題がある。動物・植物を殺して自分の命としている。誰もが同じことを形を変えておこなっていることは揺るぎない事実だからだ。

関連記事
スポンサーサイト

コメント


トラックバック

↑