神戸・摩耶山の朽ちた山門 38年放置、市と天上寺押し付け合い

神戸・摩耶山の朽ちた山門 38年放置、市と天上寺押し付け合い
2014年5月23日 神戸新聞

 1976(昭和51)年に焼失した旧摩耶山(まやさん)天上寺で唯一焼け残っていた山門(神戸市灘区)が、屋根に穴が開くなど急速に荒廃している。倒壊の恐れもあるとして、神戸市は周辺の登山道を立ち入り禁止に。しかし、山門の所有権をめぐって市と寺側の主張が食い違ったままで、撤去も修理もままならない状況だ。「人気の高い登山コースなのに」と関係者は頭を悩ませている。(阿部江利)

 山門は江戸末期の建築とみられ、幅約13メートル、高さ約9・5メートル。摩耶山中腹に市が整備した「摩耶山史跡公園」内にあり、寺に続く旧参拝道・上野道の石階段の上に立つ。

 公園を管理する市森林整備事務所によると、山門は昨年秋ごろから檜皮(ひわだ)ぶき屋根の部材が落ち始め、穴が開いた状態に。同事務所は付近の階段約100メートルを通行止めにし、迂回(うかい)路を整備した。

 天上寺は火災後、約1キロ北に新築され、市と寺側で土地交換が行われた。山門については「寺側が他の建物などの撤去を履行した場合、市が寄付を受ける」という内容の書面を交わした経緯があるという。

 同事務所の重藤洋一所長によると、寺側が住居跡や墓石をまだ撤去していないため、市は山門を今も寺の所有物とみなしているという。「協議を続けているが、屋根が崩れるまで放置された山門をいまさら引き受けるわけにはいかない」とする。

 一方、寺の関係者は「残った建物などの撤去は費用と人手をかけて進めてきた」と反論。「長く交渉を重ねてきた中で、山門ごと土地を市に差し上げたことになっており、決着がついている話。市の所有物なので、寺が口出しできる立場にない」としている。

 山門の歴史的な価値を認め、保存を呼び掛ける動きもある。山門を独自に調査したNPO法人「ひょうごヘリテージ機構神戸」の1級建築士松原永季(えいき)さんは「古くから信仰を集めた旧天上寺のたたずまいを伝える貴重な遺構。摩耶山の歴史を伝えるためにも残してほしい。2月に調査した段階では修復可能な状態だった」と強調している。

 【摩耶山天上寺】 646年の開基とされ、平安時代に空海が釈迦(しゃか)の母摩耶夫人の像を唐から持ち帰って寺にまつったのが山号の由来とされる。安産祈願など女性を守護する寺としても知られる。1976年の火災で本尊や大半の仏閣が焼失したが、地元住民らの支援で再建が進められてきた。


・この摩耶山は観光スポットとして有名らしい。

この山門が焼失を免れて残っているが、管理を巡って争い、老朽化が激しくなっており危険という。

移築再建された寺はなかなか素晴らしいものだ。消失した旧寺院も趣ありそう。

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市と寺側の主張だが、はたから見るとどうでもいいように思う。歴史的な建築物というならば保存すればいいし、でなければ撤去するだけのこと。どちらもほしいと思っていないようだから。


朽ちた山門の状態がよく分かる写真
摩耶山から摩耶ケーブル下まで下山してきた (個人ブログ、外部リンク)


摩耶山 天上寺  http://www.mayasan-tenjoji.jp/
兵庫県神戸市灘区摩耶山町2-12


摩耶の森クラブ  (神戸市建設局、外部リンク)

摩耶山のポータルサイト  http://www.mayasan.jp/

摩耶山 登山道 ハイキングマップ  (外部リンク)


摩耶山へ行こう!(紹介編) 神戸市


決着

荒れた山門、神戸市管理へ 所有権で争い40年 旧摩耶山天上寺
2014年11月14日 神戸新聞

 旧摩耶山天上寺(神戸市灘区)の朽ちた山門をめぐり、約40年前から続く神戸市と寺側の“論争”にようやく決着がついた。1976年、同寺で火災が発生し、本堂などは全焼したが、江戸期の建築とされる山門は残った。しかし、所有権については寺側、神戸市とも「相手側にある」と主張。手つかずのまま山門は荒廃し、危険性から昨年10月には周辺の登山道が一部封鎖される事態になっていた。(田中陽一、阿部江利)

 山門は幅10・5メートル、高さ5・5メートル、奥行き6・8メートル。摩耶山への最短ルートとして多くのハイカーが利用する登山道「上野道」の途中にある。

 傷みの激しかった檜皮(ひわだ)ぶきの大屋根は既に撤去され、登山道は10月中旬、1年ぶりに制限が解かれた。今は板と鉄の簡素な屋根に変わり、以前のような趣はない。

 所有権をめぐる食い違いは、76年の火災後に寺側と市側の間で行われた「土地交換」がきっかけだった。

 天上寺は約1キロ北の市有地を譲り受けて移転・再建し、代わりに同市が寺の跡地を取得した。ただ、山門の取り扱いについては、「土地ごと差し上げた」とする寺側と、「焼け残った建物跡の撤去などが引き受けの条件。まだ履行されていない」とする市側の間で平行線をたどった。

 放置状態が長く続き、山門は屋根の一部が崩れ落ちる状態となり、昨年10月にはついに立ち入り禁止に。今年5月、神戸新聞の報道で知った同市の久元喜造市長が「早急な解決」を指示し、あらためて双方で打開策を探った。

 そこで出た結論は、「天上寺が所有権を放棄し、神戸市が所有する」。担当する同市森林整備事務所は「安全性の確保を優先した」。寺側は「多くの市民から残してほしいという声が上がっていた。皆さんの摩耶山を愛する気持ちで山門が残った」とする。

 決着を受け同市は屋根を修理し、今後も維持管理を図る。ただ、元通りの檜皮ぶきに戻す予定はないという。

摩耶山天上寺 開創は646年と伝わり、平安時代、空海が釈迦(しゃか)の生母・摩耶夫人の像を唐から持ち帰り、寺にまつったのが山号の由来とされる。南北朝時代には3千人もの僧を数えるほど栄えたといわれる。女人守護の寺としても知られ、安産を祈願する「腹帯」の発祥地とされる。



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