素・極意ぃ~:人間の単純さ

「私の生き方、その生育歴や精神形成に含まれている葛藤が形をとって現れたのが、……最高裁判所調査官時代のうつの発病だったと思う。ちょうど四〇歳のことであった。
入院していた病院で私が悟ったのは、人間の単純さということだった。一本のロウソクが小さく点り、しばらくの間輝き、やがて燃え尽きる。結局、人生というのは、それだけのことであり、そういう単純なものなのだ。私は、なぜ、ただそれだけのことを、こんなに難しくしているのだろう?」

瀬木比呂志『絶望の裁判所』198-199頁


・落語の演目に「死神」というものがある。その最後に上記のようなロウソクの例えがある。死神は、そのロウソクの長短で人の人生が分かり亡くなる直前に赴くという仕組みだ。少し恐ろしい感じもするが死期を悟ることは常人には不可能なことだ。

著者の裁判官時代の体験は、いわゆる頭脳型エリートの燃え尽きにも似たもので、自分自身の指向と本来性の葛藤が深いウツ状態を引き起こした。彼は、それを通して本当のことを自覚した。

考えることと任せることのバランスができれば、ずいぶんと楽な生き方ができる。著者の達観のように、自分自身ができることはしれているし狭いものだ。自ら死を選ぶ人たちが多いが、こうした気づきの時間があれば恐らくは考え直していくことだろう。

この社会に生きるときに社会に過剰適応することは非常に危険である。結局、自分のやりたいことも自分も分からないままに終わっていく。そんな人生を歩むことは生きながら死んでいるのと同じことだろう。


裁判官に広い世界を 「絶望の裁判所」著者
2014/4/1 中日新聞 朝刊

 再審開始の可否決定や、大きな訴訟の判決言い渡しがあると注目される裁判所。市民が参加する裁判員裁判も定着しつつあるが、まだまだ縁遠い場所だ。裁判官らの素顔もなかなか伝わってこない。元裁判官が明かす知られざる裁判所の世界とは-。(上田千秋、白名正和)

◆厳しい管理社会

 「裁判所は外部から閉ざされた特殊な空間。外部からは分からない、強固でありながら見えにくいおきてで統制されており、社会の感覚との間にずれが生じている」

 『絶望の裁判所』の著者で、明治大法科大学院の瀬木比呂志教授(59)は、裁判官の世界をこう言い表した。

 高学歴で博識、世の中の事情を熟知し、原告と被告双方の意見を冷静に聞き、適切な判断をしてくれる-。多くの市民は裁判官に、そんなイメージを抱くのではないか。統計はないが、裁判官は司法試験合格者の成績上位者から採用される、という印象もある。ところが、「一般的な学識や教養に乏しく、法律のことしか知らない人が増えているのが実態だ」と瀬木氏は指摘した。

 大半は大学卒業後、他の職に就くことなく裁判官になる。任官後は法曹界以外との接触を極力避けるよう暗に求められ、社会の一般常識を身に付ける機会は極端に乏しくなりがち。裁判所の上層部は、個々の裁判官が外の世界や市民と触れ合って自己主張を強め、統制が効きにくくなることを嫌がるという。

 「裁判所は、精神的に抑圧された収容所のような場所になっている」。問題は社会と隔絶された裁判官が閉じた世界でアメとムチで管理され、人事や出世のことしか目に入らなくなることだという。

◆独自の視点冷遇

 「多くの裁判官は、事なかれ主義や前例踏襲を是とする。独自の視点を持ち、画期的な判決を出すような人は、大都市以外の裁判所支部を転々とさせられることも珍しくない。また、近年はセクハラやパワハラも少なくない」。ピラミッド型の組織である裁判所は、その閉鎖性のため、他の省庁以上に荒廃しやすいという。

 例えば民事裁判では、裁判官が和解を勧めることが多い。当事者のことを思ってばかりではなく、困難な判断をする判決を避け、短期に処理したい動機に基づく場合も多いという。「多くの事件を抱え込む裁判官は、仕事が遅いとして評価が下がる。原告や被告を人というより訴訟記録上の『記号』としか見ていない裁判官は少なくない」

◆検察寄りに注意

 刑事裁判でも問題があるとする。「検察官は被告が無罪になると、人事上の大きな失点になるので、死に物狂いで有罪判決を求める。刑事に特化した裁判官は検察寄りになり、事件の本質を見つめる目を失いがちだ。推定無罪どころか、推定有罪が前提になっているような審理のあり方が問題だ」

 二〇〇七年、痴漢をしていないのに逮捕され、有罪になった男性を描いた映画「それでもボクはやってない」がヒットしたが、瀬木氏は「日本の司法ではいつでも起こり得る。目新しいとは思わなかった」。

◆過剰な守秘義務

 市民感覚を裁判に反映させる目的で、〇九年五月に始まった裁判員裁判制度にも問題があるという。導入の過程で、「長らく劣勢にあった刑事系の裁判官が、その基盤を強化するとともに人事権をも掌握しようと考えた」と瀬木氏は指摘する。

 懲役刑まである裁判員への過剰な守秘義務の規定は「密室の中で審理をリードしたいという裁判所の考えの表れであり国際的非常識」。裁判員六人に対し、裁判官が三人という構成になっているのも、裁判員の意見を通りにくくするためではないかとみる。「痴漢など、冤罪(えんざい)が起こりやすい類型の事件が、対象になっていないこともおかしい」

 瀬木氏の批判を、裁判所はどう考えるのか。健康上の理由で定年(七月)まで三カ月を残して退官するのを前に三月二十四日、記者会見した最高裁の竹崎博允(ひろのぶ)長官は、「中には不満を持たれる方もあるんだろう。ただ、多くの裁判官が職場としても、職務の内容についても、そういうネガティブな意見を持っているとは思っていません」と話した。

 ちなみに、竹崎氏は〇二~〇六年に事務総局のトップである最高裁事務総長を務め、裁判員裁判制度の創設に深く関わった。

◆会見で出席制限

 この記者会見が裁判所の閉鎖性をよく表しているといえる。会見場にいた記者は十五人だけだった。司法記者クラブに所属するマスコミ十五社から各一人しか出席を認められなかった。最高裁広報課によると、長官会見はいつもそうだという。

 本紙も東京社会部記者が出席したため、特報部記者は出席を拒否された。東京に拠点を持たない地方紙記者や雑誌記者、フリーランス記者も参加は認められない。

 「場所の制約がある」という理由だった。しかし、記者会見場は十五人より多い人数が入れる広さがあったという。

 同じく三権の長である首相や衆院と参院の議長の記者会見は、ずっと開かれている。それぞれの記者会見で人数の制限はなく、記者クラブへの所属も問われない。

 首相の記者会見には毎回、百五十人前後の記者が集まる。首相官邸報道室によると、民主党政権が一〇年三月、首相の記者会見を開放し、自民党政権に戻ってからもその流れが続いている。

◆司法官僚の発想

 瀬木氏は最高裁長官の記者会見の対応について、「上から目線が顕著な司法官僚特有の発想」と解説した。裁判官時代には、マスコミの取材依頼を断るよう命じられたり、無断で断られたりしたこともあったという。

 法学者らが〇七年に、民事裁判に関わった人にアンケートを実施したところ、「裁判制度に満足」という回答は約24%しかなかった。〇〇年の司法制度改革審議会の公式調査でも、裁判制度に「不満」が約46%で、「満足」は約18%にとどまっている。

◆市民に不利益も

 瀬木氏はこのままでは市民の不利益が続くとし、裁判所の根本的改革の必要性を訴える。今回、『絶望の裁判所』を出版した理由を、「裁判所の中枢に比較的近い所で、多くの経験をした。現在は学者として発言できる立場にいる。何も知らせないのは、市民に対する裏切りだと考えた」と説明した。

 「裁判官を弁護士から起用することを基本とする『法曹一元化制度』を導入するしかない。すぐには実現できないが、絵空事とは思わない。市民が自分たちの利益を守るため、声を上げていく必要がある」

 <瀬木比呂志(せぎ・ひろし)> 1954年、名古屋市生まれ。東京大法学部在学中に司法試験に合格し、同大卒業後の79年4月に任官。東京地裁や最高裁、大阪高裁などで勤務し、2012年3月に退官した。12年4月から明治大法科大学院教授。


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