藤木正三 師の言葉から学ぶために②

藤木正三 師の言葉から学ぶために②
~〈納得の福音・限定性の福音〉をめぐって~


政治と宗教心
政治と宗教の関わりは深く、古代から宗教が政治を司っていた時代が長く続き、職業としての政治・行政制度が形作られてからは相互に作用しながら密接に影響し合っている。日本においても昭和に起きた第二次世界大戦という国家体制の下で宗教合同し戦争協力の道を宗教者らは選んだ。戦後はこの反省に立って再出発したはずであったが、宗教者の戦争責任を巡る問題でキリスト教界は長い大きな混乱の時代を経験した。

藤木師は、その時代に生きた教職として、一人の信仰者としての懊悩・煩悶があったことで、さらにご自身の思想を磨き上げたということがいえる。そこで問われるのは宗教とは何なのか、信仰とは何なのかという根本的な問いになる。藤木師の書かれたものに、その葛藤の末に辿りついた心境が見事に表れている。これら著作を素通りできる感覚の持ち主は藤木師を理解する糸口を失ってしまう。同じような疑問を感じて何とか整理しようとしてもがき苦しんだ人しか分からない心境だからだ。

普遍性と限定
そして人は困難な時にどう対応するのだろうか。①分からないままでも信じる。理解できないのは自分の能力が足りないと判断し指導者に従う。②分からないことから逃げる。自分が分かる程度に理解しているものを求めてさまよう。③分からないを分かろうと思索を繰り返す。ただ結論まで至ることができないので不安が残る。この③を成し遂げることが、信仰を得るという道標であると私は考えるのだが、常人では指導者からヒントを与えてもらうことが必要である。その指導をできる信仰者は極めて少ないのだ。

藤木師の場合は非常に稀ではあるが、この過程を突破して思索を続けることができた。その思いは、あくまでも限定されたものとして理解されており、その姿勢は一貫している。つまり自分自身の納得は、所詮それだけのことだと、人類普遍の真理ではないという思いがある。普遍でないという限定が大事になる。一般的に普遍性が誤解され教条となり、人を束縛する要素となり、できない人を排除することに陥りやすいのだ。

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