キリシタン史料、バチカンで発見 1万点を公開へ

キリシタン史料、バチカンで発見 1万点を公開へ
2014/2/13 中日新聞 夕刊

 カトリックの総本山バチカンの図書館で、江戸時代のキリシタン禁制に関する史料約一万点が見つかったことが分かった。一九三二年から五〇年に大分県を拠点に活動したイタリア人神父が集めた臼杵(うすき)藩(現大分県)などの文書群で、世界的にも厳格だった近世日本のキリスト教弾圧の研究が深まりそうだ。

 これほど大量のキリシタン文書群が確認された例はないという。日本の研究チームとバチカンが合同で調査や史料整理を進めている。インターネットでの史料公開も目指す。

 文書群は二〇一一年、バチカンの図書館の改修時に見つかった。教会関係者から連絡を受けた大分県立先哲史料館(大分市)の職員が現地を訪問、大分の教会にいたサレジオ会の宣教師マリオ・マレガ神父(一九〇二~七八年)が集めた文書群と確認した。戦前、戦後の混乱期に処分されそうになった個人蔵の古文書などを集め、イタリアに送っていたとみられる。

 史料は藩が幕府や長崎奉行所と交わした文書などで、禁教が強化された江戸初期のものが多い。改宗した「転びキリシタン」の子孫が埋葬されたことを村の役人たちが藩に報告した文書もあり、改宗者の親族も徹底した監視の対象としたことがうかがえる。

 調査は、神父の名前にちなみ「マレガ・プロジェクト」と命名された。代表を務める国文学研究資料館(東京都立川市)の大友一雄教授(アーカイブズ学)は「時期的、内容的にも多岐にわたる史料だ。宗教の自由を制限された人々の生活がどのようなものか、現代を照射する研究の進展にも期待できる」と述べた。

◆人々の生活見える
 <大分県立先哲史料館の佐藤晃洋館長の話>
 これだけ大量の史料であれば、地元に残っている古文書や遺跡、遺物と合わせて研究することで、江戸時代に暮らしていた人々の生活が、より具体的にきめ細かく見えてくることが期待できる。また、デジタル史料として公開されたら、県民をはじめとして、広く郷土の歴史に興味を持ち、調べてもらうきっかけにもなる。


・日本関連1万点の資料が残されているという。すでに刊行されている「豊後切支丹史料」の原資料となったもので未整理のものが多数含まれている。

前に紹介したドキュメンタリーでバチカン市国図書館の資料保存についても触れていたが、バチカンが布教のために世界各地に赴いた宣教師らによって収集したものは単に宗教関連資料のみではないだろう。半ば原住民族から収奪したものもあるだろう。それら世界各地の資料保存が十分でないことを伝えていた。保存する資金と人材が不足しているためだ。

発見とは、つまり倉庫に無造作に入れたあったものを整理していたら出てきたということであり、つまり収蔵目録すらも整備できていないというのがバチカン市国図書館の現状なのだ。

記事に書かれていたことで面白いと思ったのは、「世界的にも厳格だった近世日本のキリスト教弾圧の研究」という見方だ。キリスト教を最初に信じた日本人たち、それは日本人だからというよりも最初に信じた人たちの思いを感じることになるだろう。

日本人が外来宗教を受容していく、それも国家でなく個人としての過程を知ることは現在の日本文化を考える意味で興味深いことだろう。この時代の大きな資料はイエズス会によって記録・収集された資料が中心だろうから、藩と幕府の見方を知るものとして価値はある。また江戸時代初期のキリスト信仰についても風俗を含めて学ぶことができるかもしれない。


記事に記された研究機関だが初耳である。国文学研究資料館は次のような組織の一部である。

人間文化研究機構  http://www.nihu.jp/

大学共同利用機関法人。国立歴史民俗博物館、国文学研究資料館、国立国語研究所、国際日本文化研究センター、総合地球環境学研究所、国立民族学博物館から成り、総合研究大学院大学を構成する。

国文学研究資料館  https://www.nijl.ac.jp/

大分県立先哲史料館  http://kyouiku.oita-ed.jp/sentetusiryokan-b/


バチカンで近世豊後のキリシタン文書発見
2014年01月25日 大分合同新聞

 カトリックの総本山バチカンのバチカン図書館で2011年に見つかった約1万点の文書が、マリオ・マレガ神父(1902~78年)が大分地区在任期間(32~50年)に収集した近世豊後のキリシタン関係史料だったことが24日までに、人間文化研究機構(東京都港区)などの調査で分かった。マレガ神父は集めた文書を基にして「豊後切支丹史料」を刊行していたが、原本の所在は長い間不明だった。見つかった史料には同史料集未収録の膨大な文書も含まれていて、今後は禁教下の豊後キリシタンの研究が進むと期待される。

 史料は臼杵藩や岡藩などの藩庁文書、豊後各郡での踏み絵や宗門改などキリシタン禁制政策の実施状況、改宗した元キリシタンの縁者や子孫の動向を監視した「類族調べ」など。マレガ神父の文書整理や刊行に関わるイタリア語のメモなどもある。大分県立先哲史料館の職員らがバチカンを訪れて確認した。

 バチカン図書館と人間文化研究機構(代表機関=国文学研究資料館)、県立先哲史料館、東京大学史料編纂(へんさん)所が連携し、2014年度から「マレガ・プロジェクト」に本格的に着手。6カ年計画で文書目録の作成、写真画像撮影などによるデータベース化を進め、公開して研究利用できるようにする。

 バチカンから大分地区に派遣されていたマレガ神父は豊後キリシタン関連の文書を集めて1942年に「豊後切支丹史料」、46年に同続編を刊行した。同史料集に収められた文書は江戸時代初期から幕末までを網羅し、研究者の間では近世豊後キリシタン研究に必須の史料といわれていた。

 同機構によると発見された文書は、防虫のために保存袋にガスを入れた状態で密封され計21袋あった。マレガ神父が古書店などで購入し、第2次世界大戦中から戦後にかけて、バチカン図書館に送付したと考えられるという。同史料集収録の文書の原本は2袋に収納され、他の19袋には未収録の文書が入っていた。

 プロジェクト代表の国文学研究資料館研究主幹の大友一雄教授(アーカイブズ学)は「これほどの規模のキリシタン関連文書は国内では確認されていない。近世日本のキリシタン禁制は厳格な仕組みであり、世界的なキリスト教史研究にも活用できる」と話した。

宗教統制解明も

 バチカン図書館で発見された近世豊後のキリシタン関係史料は主に、江戸幕府によるキリスト教の弾圧が激しかった時代のもの。1万点に及ぶ膨大な史料の研究によって豊後キリシタン史とともに、世界的にも珍しいとされる江戸幕府の徹底したキリスト教禁教システムの解明が進む可能性がある。

 キリシタン大名の大友宗麟の統治やフランシスコ・ザビエルの布教活動によって花開いた豊後のキリシタン文化は、近世に入ると厳しい弾圧・迫害にさらされた。大分教会に赴任し第2次世界大戦前後にかけて史料を収集したマリオ・マレガ神父は、特にキリシタン弾圧が進んでいった江戸時代初期に関心を寄せていたとみられる。

 マレガ神父が刊行した「豊後切支丹史料」には、殉教者や奉行所が置かれた長崎に連行された信者の情報、踏み絵の方法、キリシタンから改宗したことを示す証文などを収録。元キリシタンの子孫の動向調査は出生や結婚、転居、死亡、葬送法に至るまでを監視し、幕閣や長崎奉行、大名との間で情報をやりとりしていたことが分かる。

 既刊史料集には、今回発見された文書の一部分しか活用されておらず、県立先哲史料館の佐藤晃洋館長は「原本を調査できる意義は大きい」と話す。県内に多数残る庄屋文書などの古文書、キリシタン関係遺跡と合わせて調査研究を進めることで、近世の豊後キリシタン史と幕藩体制下の宗教統制の実態解明が進むかもしれない。佐藤館長は「史料の調査・研究、データベース化を進めて、将来的には県民の皆さんに役立ててほしい」と期待する。

 文書は2011年、バチカン図書館の改修作業中に偶然見つかり、ラッファエレ・ファリーナ前館長から、親交のあるカトリック・サレジオ会の溝部脩神父(別府市出身)に情報がもたらされた。12年に溝部神父と県立先哲史料館職員がバチカンを訪問して文書の存在を確認、13年11月に人間文化研究機構とバチカン図書館との間で史料の調査・研究協力に関する協定が結ばれた。

<ポイント>
 マリオ・マレガ神父
 1902年イタリア生まれ。ウィーンやトリノで教育を受け、カトリックのサレジオ会員になる。29年に来日し、大分・別府などで伝道。大分教会の主任司祭を務め、大分市のカトリック海星幼稚園を開いた。豊後に多かったキリシタンの歴史に関心を寄せ、史料の収集・紹介やキリシタン遺跡の調査に努めた。古事記など日本の古典文学のイタリア語訳もした。収集した日本の古典籍は、サレジオ大学(ローマ)でマレガ文庫として公開している。


関連記事
スポンサーサイト

コメント


トラックバック

↑