NHKラジオ深夜便 統合失調症の母との歩み 児童精神科医・夏苅郁子

NHKラジオ深夜便
統合失調症の母との歩み 児童精神科医・夏苅郁子
2013年2月22日深夜 NHKラジオ第一

児童精神科医:夏苅郁子
きき手:佐々木智一 アナウンサー (放送時はNHK津放送局、現在広島放送局勤務)

 
・少し調べてみたが以下のように頻繁に放送されており反響がいかに大きな番組であったかが分かる。
 
 2013/2/22 ラジオ深夜便
 2013/3/16 ラジオ深夜便 再放送
 2013/4/13 とっておきラジオ 再々放送

貧困な生活・病気との母との暮らし、貧困によりイジメにあった経験も。医学部に入った動機もイジメにあったことで友人たちを見返そうということだという。

両親の離婚後に父のもとに行った。母は実母のもとで生活することになった。女子大に一時進学、後に医学部へ進学。父は再婚したが本人は二度の自殺未遂・摂食障害となり孤独が支配していたという。

10年間音信が途絶えていた母との再会は、医学部生の時に母との再会を友人に促されたからだという。北海道に行って母との再会により、新しい知見を得た。2006年に母は亡くなり、その時期に主人となる男性と出会う。この体験を公表すべきかという悩みがあったという。

話の要旨は以下の記事にあるとおりである。誰も子どもを選べないように自分の親も選べない。その母親が精神疾患に罹り理解できない娘は孤立し葛藤を生きる。その解決には医学生を経ても消えることがなかった。

このブログでは、精神疾患の親を持つ人たちの事柄を取り上げてきた。そうした動きが出たのはまだつい最近のことだ。これも時代の変化だろうと思う。ウツ病などの疾患が身近な問題とされることで、こうした病に対する敷居も低くなってきたのだろう。精神疾患は稀な病気ではない。身近に誰かしらいるはずだ。理解できないから排除されるという歴史をたどってきた。

私も境遇は違うが同じような状況を経験したことがある。また、この分野にずいぶん以前から関わりながら生きてきたものとして、よく分かる。理解できないことの辛さが重い。妄想・幻聴という体験は、恐らく人間を守る意味があるのかもしれない。それを病状として理解しようとしても教科書的な記述はほとんど人間理解に役立たないのだ。そのひとりの人間が、どういう見方で社会や他人を見ているのか、大事なことは何なのかを深く思う機会となる。

この話に飛躍する箇所はない。一人の女性が成長するにつれて、母親、父親との関係を見つめ、自分を知り理解を深めていく。こうした日常ゆえに、多くの人たちの心深くに残っていくのだろう。


NHK深夜便で紹介『統合失調症の母との歩み』圧倒的共感呼ぶ
2013年10月27日 NEWSポストセブン ※週刊ポスト2013年11月1日号

 明治神宮が朝早く開門するとラジオ体操をする高齢者グループが訪れる。「ラジオ深夜便」を聞いて、終わると外に出てくるというラジオ体操参加者から教えられた「深夜便」で繰り返し放送され、若者からも反響が大きかった『統合失調症の母との歩み』について、作家の山藤章一郎氏が紹介する。
 * * *
 渋谷〈NHK放送センター〉から歩いて20分ほど。5時40分、明治神宮の代々木門が開く。ほどなく、ラジオ体操・爺さん軍団が10人ほど、鼻息荒く競歩の勢いでやってきた。ついで、婆さん軍団も同じ数集まってくる。〈明治神宮宝物殿〉前。杖をついた爺さんが、ヨイショとベンチに腰かけた。「3時に起きて。やることないの。〈深夜便〉終わる5時、外に出て。まあ掃除でもやるかって。でも、あんた、ホウキって、シャッシャッ、結構、音出て。うるさいっ、近所迷惑だっ。うちの婆さんに叱られて。まあほんと、ラジオ体操ぐらいしかやることないの」
 ベンチから立ち上がる。6時30分。宝物殿の受付脇のラジカセから放送が流れてくる。ラジカセは〈明治神宮お早う体操会〉のメンバー会費で買った。♪「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動から」
 10月の朝。腕、脚を動かすと汗ばむ陽気である。全国には、約820か所のラジオ体操会場、2800万人の愛好家がいる。ラジオ体操はいまから85年前に始まった。「国民保健体操」と呼ばれたという。歌もつくられた。♪「躍る朝日の光を浴びて まげよ伸ばせよわれらが腕 ラジオはさけぶ一 二 三」

 定年から20年経つという爺さんが、意外なことをいいだした。
「『ラジオ深夜便』聞いて。ほんとに毎朝、大晦日も元旦も雨が降っても雪が降ってもここへ来て、ちょっとシャキッとすんの。もうなんにも楽しみないからね。そうそうあんた、〈深夜便〉でなんども繰り返し放送された話。あれは泣けた。もういっぺん聞きたいんだけどな」

 あとで調べた。4時から放送される「明日へのことば」というコーナーで紹介された話だった。タイトルが『統合失調症の母との歩み』という。

 私が2歳のとき母は「発症」した。父は外に女をつくり帰ってこない。娘の私は母の料理をいちど「美味しい」といった。母はそれを8年間毎日つくりつづけ、自分はせんべいだけを食べ、ひたすら煙草をすいつづけていた。

 夜は寝ずに闇のなかをのそりのそり歩きまわり、わけの分からないことをぶつぶつ呟く。家は貧しい。

 中学になって、母が制服をつくってくれた。できあがったのは変なもので、あちこち針が残っていた。学校ですさまじいいじめにあった。踊り場から突き飛ばされた。

 転げ落ちて、スカートがめくれ、下着が丸見えになった。落ちた痛みより、そのことが恥ずかしかった。私は、突き落とした5人の男女を階段の下から見上げて、心に決めた。「あいつらより絶対にいい人生を生きてやる」

 同時に母への怖れが憎しみに変わった。身なりが貧しいからこんな目に遭う。母を恨んだ。見返してやる職業をめざす。医学部に合格し、精神科医になった。精神科の勉強で、母の病気は〈統合失調症〉だったと知る。

 だが同時に思う。目的を達成しても、動機が復讐だと心は救われない。私の過去はボロボロだ。そしていまは孤独。母とはまったく会わなかった。もう1分1秒も生きたくない。2度の自殺をはかる。

 助かったが、しょんぼりと生きていた。人にいわれた。お母さんとこのまま会わなかったら、あなた自身が幸せになれない。そうだ、母を見捨てたままでは、自分はどうせろくな人生しか生きられない。札幌の奥の方に住んでいた母親に会いに行く。

 母は空港まで迎えに来ていた。1台1台のバスに首を突っ込んで、私の名前を呼びながら探している。「いっちゃん、いっちゃん」その姿が目に飛びこんできて私は驚く。なんてちっちゃくなったんだろう。再会への不安も恨みもすべて消し飛んで私は声をあげた。「お母さん」

 ひとり暮らしの家に入ると、あの8年続いた料理が出てきた。母の私への思いは子どものころに止まってしまっていた。

 私は50歳を過ぎている。人が回復するのに、締切はない。「もう遅い」といってしまってから、可能性はしぼんでいく。精神科医、夏苅郁子さんの話は、圧倒的な共感を呼んだ。中村プロデューサーも驚いた。「別の枠で再放送したらまた要望があって再々放送。〈深夜便〉だから長いお話を静かにお届けできて。この時は、若い人からも痛切な感銘が寄せられました」




心病む母が遺してくれたもの: 精神科医の回復への道のり

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単行本(ソフトカバー): 154ページ
出版社: 日本評論社 (2012/8/20)

目次
刊行によせて……中村ユキ

序 章
第1章 母の生い立ち
第2章 別人になってしまった母
第3章 両親の離婚、そして新しい家族
第4章 医学生になって
第5章 精神科医になって
第6章 母との再会
第7章 私を強くしてくれた人たち
第8章 私の結婚
第9章 母の晩年
終 章 私を変えたマンガの力

あとがき──「人生って素晴らしい」と言えるようになるまで


夏苅 郁子(なつかり いくこ)
1954年 北海道札幌市生まれ。浜松医科大学医学部卒業後、同精神科助手、共立菊川病院、神経科浜松病院を経て、2000年 やきつべの径診療所(静岡県・焼津市)を開業。
児童精神科医、医学博士、精神保健指定医、日本精神神経学会専門医、日本児童青年精神医学会認定医、日本夜尿学会会員。(2012年8月現在)




統合失調症の母との歩み 児童精神科医が本出版
2012年8月15日 中日新聞

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偏見なくし、同じ境遇の人の力に 「人薬」や「時間薬」が大切

 母が統合失調症と公表している静岡県焼津市の児童精神科医、夏苅(なつかり)郁子さん(58)は23日、母の病気で自身も心を病み、そこから回復した過程をつづったエッセー「心病む母が遺(のこ)してくれたもの 精神科医の回復への道のり」(日本評論社)を出版する。「統合失調症の親と暮らし、同じように悩んでいる人の力になれば」と、書き上げた。(佐橋大)

 夏苅さんが10歳のころ、母は発病した。

 昼夜逆転し、夜になると目つきが鋭くなり、意味不明な独り言を言いながら、部屋を歩き回っていたという。きれい好きだったのに、掃除や外出をしなくなった。父も家に寄り付かず、買い物などは一人娘の夏苅さんがこなしていた。

 エスカレートする奇行に振り回され、母への感情は悪化した。中学生のころから「まともなしつけを受けていない」との劣等感に悩まされた。何をするにも自信が持てず、特に人付き合いは苦手に。母の病気で人付き合いの経験が乏しく、周囲と適切な距離を取れず、医学部生になっても友人はできなかった。生きることに絶望して2度、自殺未遂をした。抗うつ薬が処方され、拾われるように精神科医になった。

 10年間、断絶していた母親と30歳で再会、その後、一緒に「やきつべの径(みち)診療所」を開く夫、直己さん(60)との結婚…さまざまな人との出会いや出来事を経て、夏苅さんの精神の状態は徐々に良くなった。だからこそ「精神疾患の治療には薬物療法だけでなく、人が丁寧にかかわる『人薬(ひとぐすり)』と、焦らず見守る『時間薬(じかんぐすり)』が大切」と思う。

 回復とともに、母への嫌悪感は「かわいそう」を経て、「尊敬」に変わった。母は6年前に死亡した。

 4年前、漫画家中村ユキさんの自伝漫画「わが家の母はビョーキです」と出合い、心が解放された。そこには、統合失調症の母と過ごした幼少期からの日々が描かれていた。自らと重なるエピソードや感情に「私だけじゃなかった」と涙した。

 それまで母の病気を公にしていなかった。社会に残る偏見が怖かったから。患者の家族に「病気を受け入れましょう」と言いながら、自分自身が受け入れていない矛盾。偏見があるから、家族は周囲に悩みが言えず、ストレスがたまることも実感していた。

 この漫画でやるべきことが見えた。母の病気を公表し、病気への偏見を取り除き、中村さんの漫画で元気になったように、同じ境遇の人の力になりたいと各地で講演している。自身の経験を語り「人が回復するのに締め切りはありません」と呼び掛ける。

 本は1365円。書店で予約するか、インターネットで書名を検索すれば購入できる。

 統合失調症 幻覚や妄想などの陽性症状と、意欲や活動性の低下などの陰性症状が出る精神疾患。100人に1人が発症し、10~20代で起きやすい。




精神科医の本棚から
信頼される精神科医になろう  http://npsy.umin.jp/psychiatrist/

心病む母が遺してくれたもの――精神科医の回復への道のり
出版社 日本評論社
著者 夏苅郁子

人の回復に締め切りはない―「夜と霧」以来の衝撃

フランクルの「夜と霧」から受けた衝撃以来四半世紀、精神科医への道のりを歩んできて、一定の達成感もありましたが、さまざまな困難に直面し、これでよかったのだろうか、今後どのように生きていけばよいのか、とも感じていました。そんなとき出会ったのが本書です。夏苅さんのお母さんが統合失調症を発症したのは、夏苅さんが思春期に入ろうとする10才の頃です。お母さんの症状は不安定で、お父さんとの不仲もあり、夏苅さんのこころは大きく傷つきます。医学生となり、精神科医への道を志すものの、自分自身の存在価値を見いだすことが出来ず、自殺企図を繰り返しました。友人との出会いと死、尊敬するターミナルケア医や夫との出会いを経て、人生後半になって同じ境遇(お母さんが統合失調症)の漫画家、中村ユキさんと出会います。自分の人生を物語り、価値づけることで、リカバリーを力強く果たしていきます。お母さん自身も、お父さんとの離婚後、地元の北の大地で孤独な生活を送りながら、俳句に打ち込み、出版を果たすまでに至ります。母と子のリカバリー過程の共通点は、「物語る言葉の力と勇気」でした。リカバリーに締め切りはない。これまでの人生の事実をかえることはできないが、意味を変えることは出来る、自分自身の存在の意義や新たな可能性を知ることが出来る。本書を一気に読んで涙が涸れたあともたらされたのは、私自身の存在と人生についての構造と実存の理解、すなわち私自身のリカバリーへの一歩でした。人間という存在の奥深さと世代・人生の意味を教えてくれる本書は、精神保健・医療従事者の必読書です。

笠井清登 (東京大学医学部附属病院 精神神経科教授)


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