墓もピンキリ、格差の時代 2000万円の青山霊園から、海洋散骨まで

墓もピンキリ、格差の時代
2000万円の青山霊園から、海洋散骨まで
2013年10月27日 東洋経済オンライン 大野和幸(東洋経済 記者)

全国にある「墓地」は87万3790カ所(2011年3月末時点、厚生労働省「衛生行政報告例」)。うち個人所有が全体の4分の3強を占めている。都道府県別で見ると、トップ3は①岡山県(10万6284カ所)、②島根県、③長野県の順で、人口比では東京都(9684カ所)は、墓の数が少ない。

死亡者数が毎年100万人以上いるのに、墓地の数は10年前でも87万カ所あり、墓の数自体は増えていない。核家族化や非婚化に伴い、檀家離れも進んだとはいえ、まだまだ地元の寺にある、先祖墓や家族墓に入る人が多いことがわかる。が、こうした統計に表れない、“従来と違った”墓が増えていることも事実だ。

まだまだ墓の値段は高い。地域による価格差も大きく、お墓案内センター(日本仏事ネット)によると、東京23区で平均309万円(主に墓石代と永代使用料。年間管理料は別途。13年9月時点)。一方、福岡県は155万円と、ほぼ半額である。これは地価を反映し、墓の面積に対する墓石代や永代使用料が高価だからだ。最近の墓石はコスト高もあって、「中国産からベトナム産にシフトしている」(全日本墓園協会)という。

犬養毅や池田勇人など、歴代総理も眠る、都営「青山霊園」(港区)。13年度の募集では8月26日に公開抽選会が行われ、50区画が売り出された。最も高い場所で、永代使用料が何と1635万円!?墓石代を含めれば、総額2000万円近いと見ていい。同じ都営で、多磨霊園(府中市・小金井市)は527万円、小平霊園(小平市・東村山市)でも480万円だ。いかに都心で墓不足が深刻なのかがわかる。これらはみな通うのにも便利で、都営ゆえに宗旨・宗派を問わない、というのも魅力だろう。

日本人の墓参りの頻度は、平均で年2.8回という(メモリアルアートの大野屋「11年・お墓参りに関する意識調査」)。墓参りが足りないと思う理由のトップは、「お墓が遠いから」(61.0%)。高齢化が進めば、体力的にもきつくなるし、郊外なら車でなければ移動できない、といったことが背景にある。

自動搬送・ロッカー式の納骨堂が増えるワケ

目下、大都市を中心に需要が増えているのが、先祖からの継承を問わない「納骨堂」だ。特にビル内にある、自動搬送でロッカー式の納骨堂が、注目されている。10年に開設された「本郷陵苑」(文京区)が、5年で販売する計画を1年半で売り切ったことから、大きくメディアに取り上げられた。

いずれも、JRや地下鉄の駅から徒歩5分圏内と、アクセスは抜群。値段も安い。4月から売り出した「両国陵苑」(墨田区)は、77万円という安さだ(ローンも可)。読み取り機にカードをかざすと、遺骨の入った厨子が自動的に、参拝口へとセットされてくる。斎場や本堂を備え、葬式や法要もできる、オールインワン・タイプである。

これらの納骨堂は、外墓地と異なり、墓石もなく、土に埋めたものでもない。だがその反面、屋内でエアコンも効いているから、掃除などのメンテナンスが楽、といったメリットもある。檀家制度の縛りもなく、子孫への継承も問われない。「お墓が一族の墓から、個人の墓に移っている」(霊園開発するニチリョクの役員)。開園時間も長いので、サラリーマンが会社帰りに手ぶらで墓参り、というのも可能である。

海への「散骨ブーム」も静かなブーム

さらにはその先を行き、墓自体が要らない、というやり方もある。「海洋散骨」はその典型だ。故人の思い入れのある海に、酒や花束とともに遺骨を粉末状にしてまく。チャーター船を借り、首都圏であれば、東京湾の羽田沖や相模湾から散骨するパターンが多い。

実は1990年頃から始まっていた海洋散骨だが、元々は「戦友が沖縄の海に眠っているから」など、個別の事情から始まったという。現在では納骨堂と同様に、継承者が不要で「子どもに迷惑をかけずに済む」、といった理由が増えている。

海洋散骨の場合、遺骨を乾燥させ、機械を使って2ミリ以下に粉砕する。現在ではサン・ライフなど上場企業も参入しており、価格はチャーター代も含めて平均20万~30万円台。墓を買うよりはずっと安い。お参りしたければ、法要クルーズと称し、3回忌や7回忌などで海上に出ることもできる。

時代が変われば、墓のありようも変わってくる。2000万円近い超一等地の墓から、ロッカー式の納骨堂、果ては海洋散骨まで。今後も格差や嗜好を反映し、バラエティに富んださまざまな墓が増えそうだ。

~『週刊東洋経済』10月26日号巻頭特集「いま知りたい 終活」


・このブログでは葬祭の変遷を綴ってきている。その変貌ぶりは、この4年足らずでも大きい。

家から個人へと、弔いの意味も変わってきており、それが寺院経営を圧迫していく。見ているとよりビジネスライクになっていくようだ。

日刊紙朝刊に入ってくる広告には、家族葬儀や永代供養をうたった宗派不問の寺院の広告が多くなった。これも時代に流れであり加速していくことは間違いない。

個人的には、ココロに墓を持ち供養すべしと思っているが、宗教に関心を持たない人たちにはさらに違った世界の出来事ととなることが悲しいことだ。

大事なことは、死後のことではなく今、生きている時間を充実させることのみだ。いくら豪華な墓に葬られても高価な戒名をもらっても、法要をしっかりしても、遺族の中にあなたがしっかりと生きていなければ仕方ないことなのではないだろうか。

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