オウム脱会支援の僧侶「上祐は罪を麻原になすりつけて教祖に」

オウム脱会支援の僧侶「上祐は罪を麻原になすりつけて教祖に」
2013年8月12日 産経新聞

 かつて教祖の麻原彰晃(しょうこう)(58)が君臨し、地下鉄サリン事件(平成7年)など一連の凶悪事件を引き起こしたオウム真理教。後継団体「アレフ」が「麻原回帰」を進め、事件を知らない若者を獲得して勢力を拡大しつつある中、オウム真理教の信者約40人を脱会させるなど教団と長く対峙(たいじ)してきた日本脱カルト協会理事で日蓮宗僧侶の楠山泰道(65)がインタビューに応じ、脱会活動の実態を語った。「オウム後」もカルト視される宗教団体が続々と現れる中、楠山を頼る信者の家族は後を絶たない。命がけで脱会支援に携わる僧侶が語るカルト宗教の問題点とは-。(小野木康雄)

 ■マインドコントロール解除は「死闘」

 --どんな活動をしているのか

 「臨床心理士や精神科医、弁護士を目指す人などのスタッフと連携しながら、いわゆるカルト問題に対処しています。相談は年間約3千件あります」

 --元オウム信者にマインドコントロールを解くカウンセリングも行ってきたとのことだが

 「一筋縄ではいきません。死闘です。何カ月もかかります。自分の人生を投げて、命がけでないと、できません。語れないことも山ほどあります」

 --身の危険を感じたことは

 「何回か殺されそうになったことがありますし、脅迫電話は、今でもしょっちゅうあります」

 --オウム以後にみられるカルト教団の特徴は

 「より巧妙で、犯罪性の立証が難しくなりました。社会から攻撃される一歩手前までにしておこう、という感じで、オウムに学んでしまった。オウムが悪い意味での参考資料になった面はあります」

 --後継団体のアレフが勢力を伸ばしているが、背景として考えられることは

 「オウム真理教の教義は『ユートピア』。ただ、オウムが危ない宗教だと分かっても、人生の重荷を背負った若者たちにとっては、社会で逃げ場所がなくなった。それで、再び教義が生きてきたということです。特殊能力を身につけて自信を得たいと思う人や、オウム事件を知らない若者が増えているのも問題です」

 --麻原彰晃の死刑執行についてはどう考える

 「メシア(救世主)にしてはだめです。アレフでは間違いなく神格化される。心から反省したメッセージを出した上での執行なら納得するが、現状では執行によって一件落着ということはありえない」

 --特別手配犯で昨年逮捕された3人を除けば、オウム裁判は終結した

 「マインドコントロールによって、社会を救おうとした有能な信者たちが無差別殺人をやったことについては、何ら解明されていません。死刑判決を受けた実行犯の心理状態を解明すべきです」

 ■中学・高校での予防教育するべき

 --以前のオウムと後継団体のアレフとひかりの輪で信者に共通点は

 「まじめなこと。みんな真剣に自分自身や人生を見つめようとして、社会で存在理由や価値観を見いだせなかった子たちです」

 --アレフとひかりの輪の問題点は

 「アレフは正体を隠し、ヨガという間口から入信させて、マインドコントロールをしています。正体隠しの勧誘は、宗教を断れる自由がないという意味で、信教の自由を逸脱している。一方、上祐(史浩)は麻原に代わる存在になりたくて、ひかりの輪を作ったのだと思います。罪を麻原に押しつけ、アレフを批判して教祖として生き残るのは、ずるい考え方です」

 --伝統仏教によるオウム問題への対応はどうか

 「この18年間、ずっと及び腰ですね。宗教の名のもとに無差別殺人をした教団に、真っ向から挑戦できるのは、宗教しかない。それをしてこなかったのは、伝統仏教教団の怠慢です。一方で、法整備も必要。たとえばマインドコントロールのシステムや方法を研究して、法で規制すべきです」

 --社会の側にある課題は何か

 「若者たちが魅力を感じているのは、ヨガや聖地巡礼などの修行体験によって得るとされる能力なのです。社会がカルト宗教やマインドコントロールのシステムをしっかり認識しておくべきですし、中学・高校での予防教育もするべきでしょう。社会があまりに無頓着すぎます」=呼称・敬称略


・産経新聞という色眼鏡を外しても、脱マインドコントロールを実践している方の偽らざる言葉だろう。

このブログでの、再三再四記録してきたことだが、マインドコントロールはオウムのような分かりやすいものばかりではない。特に社会的な不安を背景として、また自分に核心を持てない若者を中心に精神世界に対する関心はずっと残っているはずだ。

本来であれば既成宗教が、この宗教現象に対して批判や活動支援をすべきなのだが、どの団体にとっても、私たちはオウムとは関係ないという消極的な態度に留まってしまう。

楠山氏の語るように、脱会や脱マインドコントロールは簡単ではない。その過程では、信者らを拉致し安全な場所に避難させるというギリギリの人権侵害行為すら起きかねないのだ。

信仰の自由とは、むろん騙されることも反社会主義を貫くことも容認されるわけであり、その過程での他人に対する人権侵害すらも許されるという極端な思想を形成することになる。

それは広く言えば、信仰のみの問題ではなく政治思想や経済思想までに及ぶ。問題は、与えられる思想を無批判に注入されロボットのように動かされることが、本当に本人の望んでいる姿なのだろうかということだ。

その意味で、オウム事件とは社会性の乏しいエリート理系学生の起こした犯罪行為ではなく、我々すべてが抱えている人間の闇の部分を照射し、己の生き方を深く反省して生きることを求めてくることだろう。

このような活動に全精力を傾ける人たちは敬意に値するのだが、脱マインドコントロールはされた人が新たに自分の中核となる生き方を身につけなければならないという途方もない問題を孕んでいることに違いない。
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