ラジオ深夜便 わたしの“がむしゃら”時代 小林研一郎(指揮者)

NHKラジオ深夜便
2013年5月13日深夜 午前1時台
わたしの“がむしゃら”時代

小林研一郎(指揮者)
聴き手:森田美由紀

 福島県いわき市の出身の指揮者「炎のコバケン」こと、小林研一郎さんは、10歳のときにラジオから流れてきたベートーヴェンの第九(交響曲第九番)に涙が止まらなくなるほど感動し、音楽の道を目指しました。東京芸大に入学し、作曲家の道を歩みましたが先が見えず、その後、指揮者を目指すことに。

 国際的な指揮者コンクールの年齢制限は、ほとんどが20代という中で、34歳になった小林さんは、年齢制限が35歳というブタペストのコンクールに応募し、見事優勝。優勝するまでは、まさに必死の、がむしゃらな1か月だったといいます。

 小林さんは、心身に障害のある人がオーケストラの一員として参加したり、観客として参加したりできる「コバケンとその仲間たちオーケストラ」の活動にも力を注ぎ、東日本大震災で被害を受けた故郷の子どもたちを支援するコンサートも行っています。



 アンカーは以前もNHK-BS番組「あなたが主役 音楽のある街で」で長くご一緒し気心のしれた森田美由紀アナウンサーです。

・この4月からラジオ深夜便のアンカーを務めている森田チーフ・アナウンサーだが、彼女が自ら企画するコーナーのようである。森田さんは札幌出身で東京勤めが長い。

指揮者・小林研一郎氏は、日本を代表する指揮者の一人であるが、個人的にはあまり演奏を聴くことはなかった。情熱系という評判であり、それが上手く作用すればエキサイティングな演奏をする方であろうと思う。

この番組では、がむしゃら時代を紐解いてゲストの生き方を探る企画である。小林氏は、第九を聴いて衝撃を得て作曲家になろうとする。むろん教員であった両親は反対したが、彼の才能が徐々に開花すると認めるようになったという。

進学校で学びながらも、東京まで汽車で通いながら作曲の勉強を続ける。そして周り忠告を聞いて、卒業後一年して東京藝大作曲家に進む。ただ卒業後も悩みながら自分にできることを模索していたという。当時の作曲の前衛にしっくりとこなかった。

そして指揮者となることが、より感動を与えられるのではないかと直観し、大学時代に学んだ渡邉曉雄にも相談して、今度は東京藝大の指揮科をまた受験し入学し学ぶこととなった。卒業後は東京交響楽団の副指揮者を務めながら次のステップを求めていた。

その機会が訪れたのは彼が34歳の時、ハンガリーの国際指揮者コンクールが目に留まった。普通、指揮者コンクールは30歳以下しか応募できないものなので、この機会をつかみたいと思った。ところが、その応募条件は3年の実務経験と40曲の交響曲(ベートーヴェン9曲、ブラームス4曲、チャイコフスキー6曲、ドヴォルザーク9曲等)+5曲のオペラの、どこの部分が出ても振ることができることだった。その時点で小林が勉強していて振れるのは1~2曲だけだったという。

コンクールまで一月ほどの間に猛勉強をし、むろん山掛けをしながら臨んだ。また実際に新交響楽団やOB交響楽団に頼んでいくらか振ってみたという。彼が引き当てた課題曲2曲のうち最初はベートーヴェン:交響曲第1番第二楽章。そして運命の女神がほほ笑んだのか、彼の得意とする曲が課題曲(ロッシーニ:セビリアの理髪師 序曲 )が選ばれて順調に進む。ベートーヴェンは山が外れたので、強引にロッシーニを最初に指揮してテンションを上げたことでオーケストラも乗りにのったという。4次審査までを済ませて見事に優勝してしまった。

それにしても集中力の強さが目につく。まず東京藝大に合格することが難関であり、さらに国際指揮者コンクールに優勝できるのは運の良さだけでは説明できない。それを、熱い思いで語るところからしても熱血な方であると思う。指揮者の中には、こうした熱い思いを語れる方は少なからずいる。それがなければ世界的な活躍はできないだろう。


「炎のコバケン」小林研一郎オフィシャルサイト
 http://www.it-japan.co.jp/kobaken/index2.htm
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