神の風景-人間と世間-116

「狡さは敬虔にはなりませんが、敬虔は狡さになるということ。念頭に置くものが神から人になると敬虔は狡さになります」(藤木正三)2-138狡さと経験

・狡(ずる)さと敬虔と題する断想。ものごとに対する時に両方の気持ちがあるかもしれません。ただ藤木師の言われるように神を第一にしている場合は狡さから多少は遠のくのではないでしょうか。
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