NHKラジオ 宗教の時間「信じるということ」雨宮慧

宗教の時間「信じるということ」
2013年3月31日 NHKラジオ第2放送

上智大学神学部教授…雨宮慧(あめみやさとし)
【きき手】大福由喜(おおふくゆき)NHK文化福祉番組部ディレクター



・雨宮神父は、無宗教の家庭から上智大学に哲学を学ぶために進学した。その理由は中学生の時に感じた「なぜ生きているのか」「どう生きたらいいのか」を学ぶためだった。阿部次郎『三太郎の日記』を読んでいた。

大学ではホイヴェルス神父の必修授業があり出会った。ホイヴェルス神父で印象に残っていることとして①「神様はイエス・キリストを創る前に、ソクラテスを送って下さった」②「スズメがさっと電線に止まります。何と不思議なことなのでしょう」と言われたことを覚えている。

①は、哲学を勉強しても、理性を使っても究極のところまでは行きつけない。②は、そこにある不思議な力、豊かにするのが信仰なのだろうと感じた。

人生においてもっとも大事な問題は「何において自分自身を確かにさせるのか」に答えること。人間は何かを信じたい、富や社会的評価において、それが自分自身を確かにさせるのだろうか。

アブラム(アブラハム)とペテロの言動から、信じることを考える。ペテロはゲッセマネの園で、イエスから裏切ることを予告された。それに対してペテロは三度にわたり否認した。イエスを裏切ったペテロは激しく泣いた。

それは後悔の涙なのだろうか!? 裏切られても捨てられることのないイエスの愛に気づくといった慰めの涙ではなかったのだろうか。

「信仰とは賭けである。冒険である」(ベネディクト16世)

キリスト教の信仰とは、頑張らなくてもいい、(イエスがともにいてくださるので)自然のままにでいいという教え。問題なのは自分の力で救いを得ようとする発想であり、弟子たちのように信仰に不安や疑いが残っていても自然なことなのではないのだろうか。

以上、私的な要約

イースターを念頭にした番組。哲学が人生の諸問題を解決すると思い学ぶ学生は少なからずいる。哲学を学んでいくと、行き詰る時があり、宗教的なあり方にも魅力を感じることはあるのだろう。

ただ神学を学ぶことと宗教を生きることは全く次元の違うことだろう。神学は哲学に似た構造を持っているわけであり理論である。一方で、生きることは体験であり頭でなく全身で感じることである。

ベネディクト16世が、信仰とは賭けであると書籍に書いているという。不思議なことだが、一流の学者は科学の先に神を感じることがある。前法王も、それを感じていたのだろうか。

自分自身を確かにするとは、自分を相対化させるために何をたてるかということだろう。それが富や社会的地位という移ろいやすいものに求めたならば右往左往するしかないだろう。

雨宮神父によれば、信じるという語根は「確かである」ということらしい。つまり、確かにある・分かることを感じなければ信じることはできない。書籍に書いてあることや頭の中で考えたことが、果たして本当なのだろうかということだ。

一方、ホイヴェルス神父のことではないが、スズメが電柱に止まるという当たり前のことの不思議さに気づくことが、生命のすべてである。そこからも、「頑張るな・自然のままに」という気づきが実は復活(生命の再発見)というイースターの意味であろうと思う。
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