<目耳録> 宗教者と平和

<目耳録> 宗教者と平和 
2012/10/27 中日新聞 夕刊

 京都宗教者平和協議会副理事長で、キリスト教元牧師の大江真道さん(81)を取材する機会があった。協議会は半世紀前に各宗教、宗派の人たちが「平和」の一点で一致して結成。戦争、死刑、核実験、原発とさまざまな社会・政治問題に意見を発信し続ける。

 「ここを読んでください」。大江さんが開いた聖書には「平和を実現する者は幸い」の言葉があった。「仏教など各宗教にも平和の教えがあるんです」という。

 宗教は権力に利用された歴史があり、一方で弾圧の中、命懸けで平和を訴えた宗教者もいた。だからこそ宗教のあるべき姿を追い求め続ける。

 京都の街の各所で見かける寺社、教会。運動に関わっているのはまだ少数というが、参加者には観光地として知られる寺の要職者もいる。個人的には冠婚葬祭でしか接点がなかった宗教だが、奥深く感じてきた。 (植木幹雄)


・宗教そのものが権力であり、平和よりは争いを好む時代があった。

戦前・戦中に国家管理のために、多くの団体が翼賛的な性質を期待されて統合されていき、宗教合同という形で再編されたのが近年の我が国の歴史である。それは宗教だけでなく、あらゆる業種で行われており強制的な力で統合されたことは間違いない。

それが戦争というものであり、国家を統一的に管理し資材・人材を総動員することで勝利するという目的を遂げることにある。

宗教者の社会・政治問題に対するスタンスであるが、それが宗教団体の発するものであるのか、宗教者個人の思いなのかで大きく見方が違うだろう。

平和・愛を説かない世界宗教があるだろうか。それなのに誰も軍備や自衛権を放棄しろということは言わない。平和・愛とはスローガンではなく生き方そのもの。それは社会制度の改革では恐らく達成できないもの。人間が新たに目覚めることが必要だろうが、それができないところに宗教の意味があるのだろう。

平和とは、自分自身の内心の平安のことを指すのだろうと考える。

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