<土曜訪問>加島祥造さん 現代人を言葉で励ます

<土曜訪問>加島祥造さん 現代人を言葉で励ます 
2012/7/21 中日新聞夕刊

 「普通の人なら、もうバテてるよ。僕はもうこれを二十年以上やってる。だからもってるんだ」

 東京都内でお目にかかった八十九歳の加島祥造(かじましょうぞう)さんは、そう言って膝を曲げ伸ばししてみせた。この日の朝、独り暮らしをしている長野県の伊那谷から東京へ、車で四時間かけてやって来たという。

 英米文学者として横浜国大や青山学院女子短大などで教壇に立った加島さんは二十年ほど前、七十歳を前に伊那谷に移り住んだ。一九九三年には、老子を英語から翻訳し、その後も伊那谷から、老子などをめぐる著作や、詩集や画集を発表してきた。

 そしてこの七月、加島さんは詩集『受(うけ)いれる』(小学館)を出した。五年前に四十万部を超えるベストセラーとなった『求めない』に続き、表題の言葉で始まる詩を収めている。

 受いれる

 すると/優しい気持ちに/還る

 受いれる-

 すると/運命の流れは変わるだろう/すこし深くなり/すこし静かになり/前とはすこし/ちがった方向へゆくだろう


 語りかけるようにやさしくつづられた言葉は、深みをもって響く。「頭で求めるのはやめて体の中にあるものの声を聞こう、というのが『求めない』のテーマだった。今度は、頭ではもういろんなものを受け入れすぎた。体で欲しているものの方を受け入れたらどうか、と言っているんだ」

 体で欲するものと、頭で求めるもの。加島さんはそれを「はじめの自分」と「次の自分」とも呼ぶ。そしてその両方のバランスをとることが、「やすらぎにつながる道」だという。

 「両方を自覚したら、その人はいいバランスになるんだよ。今、コンピューターに入力できる知識だけで生きようとするような若い者がいるけれど、頭に入れられる知識はたかがしれている。どんなに知識を増やしたって、喜びや人間に対する愛情、理解などはわからないんだ。二つの自分に気づきさえすれば、どんなふうにバランスのいいものにするかは、その人に任せる。あらゆる人の条件や判断は違うから」

 二つの自分とは、感情や感性に従い、ありのままでいる自分と、社会で理性的に行動する自分ともいえまいか。「そうね、『次の自分』は社会の中の自分といってもいい。それも重大で、僕は否定しないんだ。否定したら生きられない。でも、感性とか感情とか感覚とか、五感でもいいけど、そういうものをもっと大事にしたら、『はじめの自分』につながるだろうと」

 特に都会に生きる現代人は「感情などを置き去りにしているのでは」として、加島さんは続ける。「でもそれぞれ、心の中では探してるんじゃないかと思う。それは人間にとって大切な部分で、持たないままでは気の毒な気がする。そういう人に励ましの言葉を与えたくて、詩を書いたともいえるんだ」

 そんな詩には、温かさもにじむ。

 受いれる

 いまの自分/だめな自分/愚かな自分/恥ずかしい自分を受いれる/そしてかわいがってやる


 「自分で自分をけっ飛ばしたくなる時が、あるじゃない。家庭でも会社でも。でもそれを受け入れるとね、まあ今の自分でいいわって、自分を大切にできる部分が出てくるんだよ」

 人は、生まれると/光を/空気を/大地を/受いれた-

 詩の中には、無為自然への復帰を人間のあるべき姿だと説いた老子の思想も、息づいているように思える。

 その思想を実践するかのような加島さんに、自然の脅威を見せつけた東日本大震災はどう映ったのか。「自然には二つの面がある。一つはあらゆる生物を育て上げる優しい力。もうひとつは、大きな破壊力。人間もそうだ。都市文明の中で人間は火薬から原子力まで、破壊力をたくさん利用してきた。その利用を否定はしないけど、今の文明はそれをやりすぎている。科学を発展させるあまり、生命を萎縮させている」

 詩集を手掛けた編集者に、加島さんは「ハグ(抱擁)がお好き」と聞き、米国に滞在していたこともある英米文学者の片鱗(へんりん)を見る思いがした。でも日本ではちょっと気恥ずかしく、最後は握手で再会を誓い合った。 (岩岡千景)



・求めない ⇒受け入れる ⇒別れる!?

タオを説く加島さんの近著。記事にもあるが、人間としての枯れ方を伝授されそうだ。

頭の求めから、身体の求めに力点を移して、双方のバランスをはかる。極めてまっとうな話であり、それなりに合点するが、これが89歳の心境ということで、今まで分からなかったのとツッコミたくなる。

人間を深く知るには、結局、精神現象とは何だろうかということなり、脳の研究に落ち着いていく。上記のように頭の求めも身体の求めも、精神現象に過ぎない。

頭がなければ何も感じないし考えない、生命の維持さえできない。その頭を知るためには、臓器の一つとしての脳を知ることで旧脳と新脳のバランスの問題となる。そのバランスの崩れが、さまざまな問題を起こすことは当然のこと。

「求めない、受け入れる」と思考するのは、やはり脳の思考に過ぎない。対極として、考えるよりは身体を使った生活をする生き方がある。晴耕雨読とはよくいったものだ。

受け入れるとは、実は生命そのものの在り方であり、生命そのものに選択の余地はもともとない。気づいたら生まれており死んでいくのであり、生命がそれを受け入れるか否かの選択をしている訳ではない。

「受け入れる」と気づくことが人間には必要なのだが、人間が受け入れようが入れまいが、すでに生まれて以来、生かされて続けている。だから人間の気づきなんてちっぽけなものに過ぎない。そうした人間の思考から別れる(離れる)ことが、次のステージかもしれない。すると、もうそんなことどうでもいいよ!となる。

ごちゃごちゃ言わないで、目の前のことを丁寧に心を込めてすること、ただ、それだけ。終わり。


受いれる
加島 祥造 (著)

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単行本: 189ページ
出版社: 小学館 (2012/6/28)

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追記

詩人・加島祥造さん死去…老子の思想を実践
2016年01月06日 読売新聞

 詩人、英米文学者で、老子の思想を実践した独自の暮らしでも知られた加島祥造(かじま・しょうぞう)さんが昨年12月25日、老衰で死去した。

 92歳。告別式は近親者で済ませた。

 東京・神田生まれ。早大在学中に学徒動員を経験し、戦後、詩作グループ「荒地」に参加。米国留学を経て、フォークナーなど数多くの英米文学を翻訳した。

 60歳のころ、英訳を通じて老子の思想に触れ、その後、老子の現代語訳「タオ・ヒア・ナウ」を刊行した。長野・伊那谷に移り住み、老子の思想に基づいて詩作や執筆、墨彩画の制作などに励んだ。2007年の詩集「求めない」は、「求めない――すると、本当に必要なものが見えてくる」など印象的なフレーズでベストセラーとなった。


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