NHKラジオ 文化講演会「私の女優人生」 樫山文枝

文化講演会「私の女優人生」
2012年8月26日 NHKラジオ第2

女優…樫山文枝
紀伊國屋サザンシアター初代支配人…柳 義男
〈収録:NHK文化センター町田教室 現代演劇3回講座・2012年2月18日)



・この講演は、上記のカルチャースクール講座の一環として行われたようだ。詳しい資料もないが、当日、参加された方のブログから詳細を確認。なお放送は58分程度なのだが恐らく編集されており90分程度の講座を抜粋したものと思われる。

内容は、柳の主催する講座の最終回に樫山文枝をゲストとしてよび、舞台と女優人生について語らせたものと思われる。

私個人としては、樫山文枝に興味を持っていたので番組を聴いてみたいと思った。ただ、こうした対談形式とは思わなかった。

ウィキペディアの以下の記事では詳しく書かれていないので、この話の中から気になったところを記述しておく。

父は早稲田大学教授。母も歌人。四人兄弟(姉・兄・本人・妹)の三番目。俳優座養成所を経て劇団民藝へ。

樫山の語ったところでは、家庭の雰囲気は何か威儀を正したような生活だったという。父は家庭でも姿勢を崩さずに専ら書斎で研究していた、母も家事をしながら思いついた短歌を大学ノートに書いているという二人とも無口な夫婦であった。

兄弟仲はよく、母よりも姉に育てられた節もあるという。父の躾は厳しく間違っていると徹底的に問い詰められたという。父の関係から民藝の芝居を見ていたらしい。

役者にはなりたかったようで民藝に入って宇野重吉などに影響を受けた。彼女の転機となった、NHK「おはなはん」であるが、主役は森光子に決まっていたそうだ。それが病気で反古になって彼女が抜擢された。樫山は役を受けるか否か逡巡していたが宇野の「やりなさい。小人閑居して不善をなすだ」という一言で出演を決めた。

出演の大騒ぎで、電車にも乗れないことになった。当時は専属マネージャーもなく、電車に乗るときは人の死角に立つこと目線を合わせないなどし、目立たない自分を消そうという習慣がついてしまったという。

苦しいことは口にしないように生きてきた。スランプの時のあり方を聞かれた樫山は、さびしいときは「天声人語」などを大声で何度も読むということだ。そうしていると時間も過ぎて日常に戻るということだ。間の悪いひと時間を工夫することで乗り切れるという。

寅さんに出演することになって、それまで見たことなかった寅さんを映画館で見たときに、演劇で感じるよな観客の反応があることを知ったという。演劇をやっていて良かったことは、公演のない地方での演劇であり十分な条件でないところでも作り上げたことが印象的だと語った。

女性の一生モノを演じる機会が多く、樫山よれば50代後半からは自分から役作りができるようになったという。最近の迷いは、自分の好きなことをすることと、他人からしてほしいと言われることのギャップがあり、どちらに力をいれたらいいのだろうかということだそうだ。

俳優という職業は、己を知ることが必要であり、肉体の限界をある限度で把握し、己を空しくすることで役になり切る。そうした自己訓練を重ねて、演劇の持つ普遍的な意義を追い求めていることが必要だろう。それは究極的に信仰に生きる人たちと似ているではないのだろうか。


《ウィキペディア》 フリー百科事典

樫山 文枝(かしやま ふみえ、1941年8月13日 - )は日本の女優である。
東京都生まれ、劇団民藝所属。

1966年4月から1年間放送されたNHK朝の連続テレビドラマ『おはなはん』の主役に抜擢されたことで一躍有名になる。主な出演映画は『黒部の太陽』(1968年)、『弧島の太陽』(1968年)、『男はつらいよ 葛飾立志篇』(1975年)、『典子は、今』(1981年)。主な舞台は『アンネの日記』のアンネ役など。 

俳優の綿引勝彦は夫。父親は早稲田大学教授・同野球部長を歴任し、またヘーゲルの研究者として著名な樫山欽四郎。大手アパレルメーカーのオンワード樫山(法人としては、現:オンワードホールディングス)創業者・樫山純三は伯父。両親とも長野県小諸市の出身。

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「おはなはん」でヒロインを演じた樫山文枝

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