茨木のり子「時代おくれ」

時代おくれ」茨木のり子『倚りかからず』(1999、筑摩書房)


  車がない

  ワープロがない

  ビデオデッキがない

  ファックスがない

パソコン インターネット 見たこともない

けれど格別支障もない


  そんなに情報集めてどうするの

  そんなに急いで何をするの

  頭はからっぽのまま


すぐに古びるがらくたは

我が山門に入るを許さず

   (山門だって 木戸しかないのに)

はたから見れば嘲笑の時代おくれ

けれど進んで選びとった時代おくれ

        もっともっと遅れたい


  電話ひとつだって

  おそるべき文明の利器で

  ありがたがっているうちに

  盗聴も自由とか

  便利なものはたいてい不快な副作用をともなう

  川のまんなかに小船を浮かべ

  江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも


  旧式の黒いダイアルを

  ゆっくり廻していると

  相手は出ない

  むなしく呼び出し音の鳴るあいだ

  ふっと

  行ったこともない

  シッキムやブータンの子らの

  襟足の匂いが風に乗って漂ってくる

  どてらのような民族衣装

  陽なたくさい枯草の匂い


  何が起ろうと生き残れるのはあなたたち

  まっとうとも思わずに

  まっとうに生きているひとびとよ




・便利なものがなければ生活ができないこともない。

電気がなければ、好きな音楽CDも、ラジオも聴けない。

原発が止まり、節電の夏を過ごし、現代が電気で動いていることを知る。

私たちが失ったのは、人間の五感を動員する生き方であり、クライシスを生き延びるのは、文明人と言われる人たちではないだろう。

そうした古の智慧を捨て去り、日々蓄積されるゴミのような情報に踊らされる。

スマートフォンの普及を見ていると、それで豊かになったのかという疑問である。

悠久の時間を感じ、星空を眺めて、過去から未来を想いいる。

そんな時間の豊かさを知らないことは、豊かでないということだろう。
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