澤木興道 語録1

仏教学者たちは、仏教をすべて文献とこころえて「自分」のこととは考えておらぬ。(澤木興道)1-185

・これは全ての宗教研究者に向けた言葉となる。宗教とは学問でなく生きる上の智慧。自分自身の生き方の答えが文献に書かれているはずもない。問題は、自分自身を客観視できるものと捉えることだろう。その上で、過去の叡智としての宗教的古典から学ぶことは多い。また、自称・宗教家たちも、宗教研究者の成果を小出しし分かったようなことを述べる。こうした業界により、生きた智慧が鄙びた高説になりさがってしまう。


【はじめに】
これから、澤木興道老師のことば連載を開始します。

個人的には、高弟であった内山興正師の著作に親しんでいた時期があり、その思想には澤木興道老師の教えが多く受け継がれているようだ。

禅宗の中でも、宗教組織を嫌って道を究めた特異の人物である。その言動には、宗教家の持つ臭味がなく己に忠実であったことが伺える。

なお、以下の書籍から澤木老師のことばを引用するが、(澤木興道)1-185とは①の185頁を指す。

①『禅に聞け―澤木興道老師の言葉』(櫛谷宗則編、大法輪閣、1986年)
②『澤木興道 生きる力としてのZen』(櫛谷宗則編、大法輪閣、2003年)

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澤木興道(さわき こうどう、道号:祖門、1880年6月16日 - 1965年12月21日)は、昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶である。

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三重県津市に生まれ、4歳で母を、7歳で父を亡くし、澤木文吉の養子となる。1897年に出家を志して永平寺に入り、1899年に出家するも、兵役に取られ、日露戦争に従軍して負傷する。退役後、佐伯定胤に唯識を学び、丘宗潭の命で熊本県の大慈寺に入り、旧制第五高等学校の生徒に坐禅を指導する。

これより、各地の道場を転々とし、「移動僧堂」、「宿無し興道」と称された。1935年に總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任して、鎌田茂雄や酒井得元を始めとする学生の坐禅指導を行い、それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。 「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。

現在、その思想、指導方法はアメリカのスタンフォード大学にある曹洞禅センターにも受け継がれている。このほかにも、栃木県の大中寺に天暁禅苑を、京都府の安泰寺に紫竹林参禅道場を開き、坐禅の指導に当たり、駒澤大学退任後は、安泰寺で弟子の内山興正と共に後進の指導に当たった。


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2012年06月01日(金) 01時45分 |

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