NHKこころの時代~宗教・人生~「人生に光あり」

こころの時代~宗教・人生~「人生に光あり」
2012年5月6日 Eテレ

3・11の大震災に見舞われた日本にただよう、先行きの見えない不安感の中で、私たちは、どう生きるべきなのか? エッセイや法話で人気の尼僧・青山俊董さんに、釈尊以来2500年にわたって伝えられた仏法によって、「光」を見いだす生き方の具体例を聞く。

20120512

愛知専門尼僧堂 堂長…青山俊董  きき手:金光寿郎
(無量寺にて収録)



・尼僧としては有名な方であり、土地柄からも御縁がある。表情を変えずに淡々と話をされるが、的確な引用と解釈で分かりやすい話である。ただ現代人にとっては、教訓的な話だが、自分自身との関連が分からないので難しい面があるだろう。青山師も企業研修などでも話をされるようだが、なかなか伝わっていないことを感じておられる。

★話の核心

本当のことを自覚するには気づきが必要。それには教えに出会うことが必要。前提として悲しみ・苦しみの経験という上でアンテナを張っていないと難しい面がある。

自覚した瞬間を持つ → 教えに出会う ←悲しみ・苦しみ

気づきは、自分の持ち合わせの寸法しか得られない。その寸法を拡げてゆくしかない。具体的な生活の中で気づいたことを暖めていく。それが縁が熟するということ。

では、何に気づくのか。食欲や眠りなども授かりもの。与えられている、いのちの働きに気づく。そのためには、修・証、つまり実践と悟りが必要。実践とは身近なところにあるもので、いま・ここに、仰せのままに限りなく一歩を踏み出していく。悟りは結果であり、悟りを追い求めることは筋が違う。

自分のことを深く知ると自分はダメだと思っている人が多いが、実は自分ダメであると気づいたことがは仏の目を持ったことであり自己嫌悪する必要はない。

★印象に残った逸話

澤木興道老師は、言づけ仏教(仏はこう仰った…と教えを垂れるのみ)、立見席の仏法と言われ戯論(けろん)を排したものを追求された。

青山師が尼僧の修行者に対して話していること
「水と氷」・・・他人のこころの氷は気づきやすい。仏の教えに照らされて、私のこころが氷であったことに気づく。教えと煩悩は、裏と表。どこに行っても教えのど真ん中。

肉眼は他の非が見え、仏眼は自己の非に目覚める (川瀬和敬)

以上、私的な要約

さて今回は禅宗からの教えであったが、キリスト教でも同様のことを説いていることが分かる。イエスにしてもブッダにしても、気づきを得ることで自ずから生き方が変化するということを説く。

その気づきとは、いのちの自覚に他ならない。生かされていることが本当に分かったときに、自分という狭い枠で縛られている自分自身に反省し、同時に、共に生かされている隣人や生物、自然にまで思いが至る。

ただ当たり前に与えられている、いのちの自覚が簡単にできるわけでもない。青山師の話にあるように、人生に対する苦しみ・悲しみという体験が必要である。それは自分自身のこころに向き合うことができるからだろう。

特に禅なのでは系譜というものがあり、誰々について修行したことは立派な証言ともなる。今回も、いろいろな師匠の名前が出てきて逸話が語られた。それはそれでいいのだが、自分自身の気づきとは教訓めいたものでないものが相応しいと思う。

なぜなら、そうした師匠や賢人にまみえる機会が誰にもあるわけでもない。一方で自分自身が日常から気づいたことには嘘がない。そして誰でも自分自身を掘り下げていけば、丁寧に見てゆけば分かることなのだ。

こころの時代でも、宗教者の話は経典や逸話の類に縛られてしまうことで堅苦しくなり現代人には生き生きと感じられないことがある。一方で芸術家や職人などの話は理屈よりも対象を細かく把握しており、そこに信仰を感じられることが多い。

もともと言語で把握できることの限界・危険を知っているはずの宗教家が、気づいたことを言語でしか伝えらないもどかしさがある。加えて論理形式や証明により普遍化し、人間の感情や欲望といったナマの思いを封じてしまっていることに配慮しない。

芸術家や職人はモノを制作することで、相手に応じて柔軟に対応しつつ一定の制約中で、モノを活かし、かつ最上の美や利便性を追求する。普遍化よりも個別に、一つ一つに納得する仕事を通していく柔らかさのようなものがあるのだろう。また人間のようにコロコロと変化するものでないことも幸いしている。

人間の頭脳は精緻であり、惑星の運航を計算し探査衛星を飛ばして帰還させる技術を持つに至った。科学の対象とするものは証明が可能であり理屈が立てられる。ただ人間は、その存在そのものがよく分かない。特にこころというものがよく分からないのである。

宗教というものが、もっと個別に吟味され自分のこととして考えられることが必要であり何か大きな知識体系というものを把握すれば安心・納得できるものでもない。ただ残念ながら、気づくことに生きることは誰でも可能であるが持続することは困難なのだ。目に見えないことなど知覚に把握できないことは特に難しい。だから繰り返し繰り返し分かった人は説かなければならないのだ。

その点では、この番組も含めてインタビューする側の在り方が大きく作用し、出演者も気づいていないことを汲み取り、視聴者に分かりやすく伝えることに努力している。金光寿郎さんも、ご自身よく分かっていながらも巧みに話の構成を考えて的確な質問をされる。いくら師匠が良くても弟子がダメなら仕方ない。良い弟子の役割を演じている金光師にも頭が下がる。


〈金光 寿郎〉
1927年、岡山県に生まれる。京都大学経済学部卒業。1954年、日本放送協会(NHK)に入局。札幌、室蘭、京都、名古屋、東京で勤務し、その間、主として教養番組、特に人生・宗教番組を担当。1984年、定年退職。以後もNHK「こころの時代」など、人生・宗教番組の制作を手伝って現在に到る。

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2012年05月13日(日) 01時25分 |

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