洗脳体験をナラティヴに28

「日中目ざめている間ほとんどの時間、人々をなだめすかし、機嫌をとって過ごしている自分の姿を見つめる。わたしは彼らの規範に従って生き、彼らの標準に自分を合わせ、彼らの仲間づきあいを求め、彼らの愛を望み、彼らの嘲笑を恐れ、彼らからの拍手喝采を夢見、彼らの課す罪悪感にすなおに屈している」(アントニー・デ・メロ)3-84

† デ・メロ師の書いていることに異議を唱えることは簡単である。人間は集団で生きる生物であり、それが長い生存競争を生き延びた要因であるということだ。だから、他人にどのように見られるかや振る舞うかは死活問題とも言える。ただ、そのことのみで生きるならば人間に与えられた個性は必要ないだろう。

‡ 神や仏をたてることで、人間を相対化することが宗教の目的の一つではないだろうかと考えている。人間のみ、また、組織(人間のかたまり)のみだけではエゴの闘いに終始してしまう。そこから別の視点を得て生きることが、狭いエゴからの脱却には必要とされるだろう。
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2012年05月05日(土) 17時59分 |

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