洗脳体験をナラティヴに23

「自分自身を見るのだ。自分の動機、感情、必要、不正直さ、自己追求、支配癖、操縦癖に、容赦なく気づきの光を放つのである。これは、その発見や結果がどれほどつらくても、物事をその本来の名で呼ぶことを意味する。他人と自己に対するこのような気づきに到達すると、愛の正体を知る」(アントニー・デ・メロ)3-123

† 哲学、宗教の根本は、自分自身を知るということに尽きる。デ・メロ師は、容赦なく自分自身に気づきの矢を放ち結果を直視する。そこには所謂借り物のコトバは浮かんでこない。自分の本当の動機を知ることは辛いことであるが、それが真実だから仕方あるまい。そこまで指導できる宗教家こそホンモノである。

‡ 愛の正体とは、愛でないことを知ることの裏がえしを知ることなのだ。愛という美名のもとにある、真の動機・感情を知ると正直いたたまれなくなるに違いない。人間は他人を支配し自分だけがかわいいと感じる生きものなのだ。それすら分からない人ばかりの世の中であり、「愛の証拠」と称する行為に酔ってしまい自分を知ることなく終わってゆくのである。その点で、宗教には「思い」が大事か「行動」が大事かという連綿と続く論争があるが、実は自分自身を知ることが宗教の極意なのであり、その結果が思いや行動に反映するだけのことなのだ。
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