映画 『マシンガン・プリーチャー』 (2011)

映画 『マシンガン・プリーチャー』 (2011)

アフリカの紛争地で内戦に巻き込まれた子どもたちの救出に奔走する実在のアメリカ人活動家、サム・チルダースの半生を描いた人間ドラマ。監督は『チョコレート』『ネバーラ­ンド』のマーク・フォースター。武装ゲリラに誘拐された子どもたちを救い続ける元麻薬売人の主人公を、ジェラルド・バトラーが熱演。そのほかミシェル・モナハン、『レボリ­ューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』のマイケル・シャノンら実力派が共演する。
配給: 日活



・2月から公開されている実話をもとにした映画。

この映画を実際に見ていないが、見た人の感想から紹介すべき映画だと感じた。主人公は、破天荒な生き方をしてきたが、宗教に目覚めてスーダンの子どもたちの援助に邁進する。ただ、ことばだけでなく銃も使いながら内戦を生き延びつつ孤児院建設に成功している。

そこには、綺麗ごとではない生き方を感じる。一方でキリストの愛を説きながらも他方で銃を持って戦うことでしか活動をできないというジレンマ。

上映館は少ないが、信仰と現実を考える上で厳しい思いを抱かせる作品となっていると想像する。


映画『マシンガン・プリーチャー』 公式サイト  http://mgp-eiga.com/


映画『マシンガン・プリーチャー』予告編



aboutサム・チルダース  Sam Childers

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Another Man's War: The True Story of One Man's Battle to Save Children in the Sudan

元麻薬売人からアフリカの子どもたちの命を守る人生へ
“銃を持った牧師”と呼ばれる、サム・チルダースを知っていますか?
壮絶な彼の人生を通して世界の真実がみえてくる――

1962年6月生まれ(現在49歳)

自伝「Another Man’s War」2009年3月出版よりThe Sam Childers Story

サム・チルダースは、ペンシルベニア州で慎み深く誠実な両親のもと育てられた。しかし、小さい頃から何かと問題を起こしては、元海軍の父親から「そのうち誰かに殺されるよ」と言われていた。10代から、サムはよく喧嘩を起こし、またドラック売人になり、女遊びも激しかった。彼は暴力と犯罪と隣合わせの生活に陥り、やがてショットガンナーと呼ばれる麻薬売人のための銃携帯のガードマンとなる。同時期に、彼は後に妻となるストリッパーのリンと出会うのであった。

サムは父親のあの言葉のように、いつか麻薬関係で殺される日が来るのではないかという不安がよぎるようになった。そして、ゆっくりとではあるが足を洗う努力を始めた。彼は建設現場の仕事を見つけ、ドラッグと酒を止めることに成功する。一方、リンは昔行ったきりになっていた教会に再度通い始めたのだった。

サムも信仰をきっかけに、人生を再スタートさせた。ゆっくりではあるが、物事は良い方向へ向かっていった。リンは健康な女の子を出産し、サムは自ら建設業を始めた。すぐそばまで人生最大のチャレンジが待ち受けているとは誰も知らなかった。

1998年、サムは南スーダンのYei村を訪れる。そのころアフリカは第二次スーダン内戦の真っ只中である。彼は本国の司祭に促され、内戦の被害にあった住居を修復する派遣団体に参加したのだった。この任務中、サムは偶然地雷によりバラバラになった子どもの死体を発見してしまう。彼はひざまずき、そして南スーダンの人々を救うためなら何でもしようと神に誓ったのであった。

スーダンの村に孤児院をつくる

孤児院をつくるという彼の考えは、地元の人たちにとっては到底実現出来ないであろう理解し難いものだった。LRA(神の抵抗軍)は3万人(※2009年時点、現在は推計20年間で4万人以上)の子ども達を誘拐し、数十万人にも上る市民を虐殺した野蛮な抵抗軍がこの地域を支配していたからだ。しかし、サムは頑固であった。彼は米国に戻り、建設業の仕事道具を売り払い、アフリカに金を送った。そして、徐々に孤児院は形を成していった。昼間は雑草を刈り取り、子どもたちが住むことになる小屋を建てた。夜は聖書を片手に軍用小銃AK-47をもう片手に、かやを吊るした木の下で睡眠を取った。

一方、ペンシルベニア州でのリンと娘のペイジは別の窮地に立たされていた。自家用車は差し押さえられ、家は抵当に入れられていた。サムは住宅ローンを払うか孤児院を完成させるかのどちらかを賄えるだけの金しか持っていなかった。結果、彼は有り金をアフリカに送ることを選択する。

孤児院が完成すると、サムは武装した一軍を率いてLRAから子どもたちの救出を始めた。彼の活動のうわさは瞬く間に広まり、いつしか村民は彼のことを「マシンガン・プリーチャー」と呼ぶのであった。

13年後、1000人以上の子どもの収容経験を持つサムの孤児院は南スーダンで最も大きい孤児院となっていた。そして今日でも200人以上の子どもたちがその孤児院で生活している。

不幸にも、今だ多くのスーダンの子どもたちが被害に合い、救いの手を求めている。
サムとリンは今でもペンシルベニア州の同じ家に住み、13年前と変わらずスーダンの子ども達の窮地に手を差し伸べている。


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