洗脳体験をナラティヴに16

「たっぷりと時間をかけて執着の腐敗性、その堕落しきった本性を観察する。人はふつう執着のもたらすスリル感、一瞬の快感に集中するものだ。そうではなく、その不安、苦痛、束縛に目を向ける」(アントニー・デ・メロ)3-107

† 執着はこころだけでなく行動にも及ぶ。例えば、何かの依存症状態となっている場合も同じことだろう。買い物依存にある人は、何かを所有したいという気持ちよりは選んで買うという行動に快感を感じるのだろう。だから、買ってしまえば箱のままで使用することもない。こうした快感が得られることを学んだゆえに、特にストレス状態にある人たちは無意識に快行動を誘発する行為を行ってしまう。そして、ストレス状態そのものが解消されていなければ、同様の行為を繰り返ししまう。

‡ 宗教も快い体験を得させることで関心を誘う。私が所属していた、とある宗教組織も最初の段階で「ラブシャワ」ーと言われるものを経験した。それは、集会に参加すると話しかけてもらい関心を払ってくれるというもので、自分自身が持っている所属欲求を叶えや認められているという意識を生む。そして、その集会に集いたいと思うようになった。ただ、その後に分かったことは、自分に関心を払っていてくれたわけではなく、誰もがそうするものと教え込まれていたということだ。あなたに関心を払い甘言をもたらす人が、どのような人なのかはよく知るべきだろう。
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