洗脳体験をナラティヴに13

「教師は、せいぜい現実のある方向を指示することはできるが、わたしが何を見るべきかを教えることはできない。わたしはひとりでそこに向かって歩いて行き、自分自身で発見しなければならない」(アントニー・デ・メロ)3-91

† 非常に重い言葉である。「師と弟子」という関係性のみならず、ものごとを究極まで把握することは個人個人の問題に落ち着く。例えば、良い家庭教師はどんな人だろう。彼らは生徒一人一人に対して解法の仕方を教えたり、やる気を起こさせることはできるかもしれない。しかし、受験会場においては生徒自らが問題に取り組み及第点を得るしかないのだ。

‡ この言葉は、むろん宗教のことを考えている。とある宗教団体に所属していた頃、教団の教えに従うことを求められたが、それは私自身に与えられたものではなかった。私という個人の救いに合わせたものではなく、これこれをすれば良いというものだった。実感として感じることは、他人を教育することは非常に難しく、それが自分の秘伝を弟子に伝えようとしても困難であろうことは想像できるのだ。藤木師やデ・メロ師の真意を曲解せずに受け取ることが果たしてできるだろうかと思う。
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