神話の力3

「神は究極のところ、『神』という名前を含めて一切のものを超越している。マイスター・エックハルトは、究極的で最高の別離は神のために神から別れること、あらゆる想念を超越したものを経験するために神についての想念を捨てることだ、と言っています」(ジョーゼフ・キャンベル)1-121

・神という概念を超えないと神を知るという神秘を経験することはできない。つまり、神学や宗教学を極めても神は分からないということだ。神学者や宗教学者に、ときおり無神論者がいてもおかしくない理由だろう。神秘というと敬遠される素材であるには違いないが、神秘というものを垣間見るしか宗教体験はあり得ない。ただ、神秘に憧れることは非常に危険なことであり、例えば、薬物によってハイテンションに導くような邪道もある。また、神秘に浸ることは現実生活を送ることが条件のように思える。
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コメント

dimanche #-

>神という概念を超えないと神を知るという神秘を経験することはできない

藤木師の断想にある「わたしの神」との出会いは、神という概念を越えたところにおられる神との出会いなのですよね。

今年もたれプーさんのブログを通じて、自分自身を点検させていただくことができました。ありがとうございました。

2011年12月26日(月) 19時00分 | URL | 編集

たれプーさん♪ #-

イノチを感じること・・・

dimanche さま

コメントありがとうございました。

概念で捉えることが学問の基礎ではありますが、生命はとらえらない神秘の世界としか言いようがありません。

神を概念に閉じ込めたり、人間の卑小な考えで論議することの不毛を感じます。

その議論の先が、宗教や教派対立であり、殺し合いの源となっています。

その神との出会いも、ただ求める、そして与えられる気づきを大切にして生きるということでしょう。

今年も藤木師との交流をしつつ自分自身を見つめる機会を得ることができました。

あなた様も、納得するまでは疑いつつ、自分自身にすでに降り注いでいるイノチを感じられるようになりますように、歩んでいってください。

ありがとうございました。

2011年12月26日(月) 22時54分 | URL | 編集


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