洗脳体験をナラティヴに8

「愛は盲目と言われる。が、そうだろうか。実際には、愛ほどよく目のきくものは地上にない。盲目なのは、愛ではなく執着である。執着とは、自分の幸せのためには何かやだれかが必要だという誤信から生じるしがみつきの状態を言う」(アントニー・デ・メロ)3-48

† 一番の誤解は愛をどう捉えるかということに尽きる。この愛をめぐっての思い違いが多くの不幸の原因となっているように感じる。パウロが列記した愛では、愛は分からないというか、その側面のみを書いているに過ぎない。デ・メロ師は愛は人間を見通すと書かれているように、相手に対して必要ならば厳しい態度も取ることができるということだ。

‡ 洗脳体験を通しても愛が何たるかは分からなかった。一般的には、神の愛と人間の愛は違い、神は人間を愛するがゆえに御子たるイエスを地上に遣わして受難を与えたという神学的な解釈もされていた。ただ、これがしっくりとこなかった。愛を本質を示す宗教は、ホンの僅かではないかと感じる。


「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(コリント13:4~7)
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