仏教から見た、恋愛の『縁』のお話

仏教から見た、恋愛の『縁』のお話
2011年9月22日 LAURIER(ローリエ)

『縁』という言葉は、恋愛のなかでよく使う言葉。例えば、好きな人と結ばれなかったとき、「彼とは縁がなかったと思おう」なんて言い聞かせたり、自然な流れで結ばれた相手がいれば、「何かのご縁があったのかも」と思ってみたり。『縁』という言葉は、千年単位で受け継がれてきた仏教の言葉。悩みを生み出すのが恋愛というものですが、この「縁」の考え方を少しだけ心に取り入れてみると、少し気持ちを楽にしてくれる場面もあるかも。今回はそんな、『縁』という言葉について掘り下げてみました。

■「因」があり、「縁」があって、「果」となる

仏教では、すべてのことはある「原因(因)」に「環境(縁)」がはたらき、そして「結果(果)」ができる。それがまた「原因(因)」になって、それに「環境(縁)」が働き、「結果(果)」ができる……という考え方をします。分かりやすく「お米」で例えてみます。私たちが食べるお米が実るには、まず最初に稲モミという、お米の遺伝子が含まれた物体が必要になります。この稲モミが「原因(因)」になります。さらに、これに太陽、水、自然状況、害虫など様々な環境(縁)がきちんと働けば、最終的にお米が実るという「結果(果)」が訪れます。そして、そのお米の粒がまた「原因(因)」になり……と続いていくのです。

さらに、仏教では、この3つの要素(「原因(因)」、「環境(縁)」、「結果(果)」)は、互いに作用しあっている、と説かれています。「良い事をすれば、良い結果がくる(善因善果)」そして、「悪い事をすれば、悪い結果がくる」と教えているのです。

■過去の結果が、「今」に表れる=『時節因縁』

さらに、上記の3つの要素は関係しあっていますが、何か「因」や「縁」があったとしても、すぐには「果」として表れないこともある、としています。世の中には、悪い事をしても、捕まらずに平然と生活している人もいますね。しかし、それは「今」、結果が出ていないだけのことで、後々必ず、悪い結果を呼ぶ、としています。このことは、『時節因縁』といい、もし、今、何か悪い事が起きているのだとすれば、それは「過去の行い」の結果でそうなった、と考えるのです。代表的な説法には以下のようなものもあります。

「水滴が大きな器にたまり、器がいっぱいになれば水が溢れてしまうように、小さな悪事を積み重ねると、そのようにして、いつか大きく悪い結果が出る(『法句経』/釈迦の言葉)」」
「悪い事をしても、別に困った事は起こらないから大丈夫だとか、良い事をしても良い運が来なくてむなしいとか、それは間違いだ。時期が来れば必ず、悪い事をした人の運は悪くなり、良い事をした人の運は良くなるのだ(道元禅師/曹洞宗の開祖)」

■恋や出会いは、過去の『縁』次第!?

さて、上記を踏まえた上で、恋愛でいう「縁」はどうなのでしょうか。まず、仏教では上記を踏まえた上で、恋愛でいう「縁」はどうなのでしょうか。まず、仏教ではどんな人間関係も軽視しませんが、特に男女や親子の関係は、『無限の縁』の上に成り立っているため、大切にしなさい、と教えます。私たちが日々、何百人もと出会うなかで、特別に男女の縁で結ばれる人=過去に何らかの非常に強い関係を持っていた人だ、としているのです。

つまり、結婚など、自分の意思でしているように見えても、仏教的に言えば、「過去の因縁の力が強かったので、結ばれた」ということになるのです。しかも、この『縁』というのは、無くなることもあるとされています。銀行口座の貯金と借金のように、「過去の二人の間にあった縁という貯金」を使い切れば、二人の縁はなくなり、切れてしまう。そうなれば二人の関係は終わる(別れる)……という風に考えるのです。つまり、仏教的に言えば、恋や出会い、結婚というものは、「過去の人生の総括」のようなもの。その『縁』が続く限り、関係も続く……ということになります。

確かにこう考えてくると、辛く別れた相手でも、「過去からの『縁』が無くなってしまったんだな」と考えると、自分にはどうしようもない出来事なのかも、と思えてもきますね。恋人ができず焦ってしまうときも、「過去に誰かとの縁があるのであれば、この世のどこかに結ばれる人もいるかもしれないな」、などと心を落ち着けることもできます。仏教徒ではなくても、長年、人々の心を導いてきただけあって、すんなりと頷ける部分もあるな、と著者は感じましたが、皆さんはいかがですか? もし恋愛の出会いや別れについて悩み、答えの出ないときは、こんな『縁』の考え方、ちょっと取り入れてみるのも良いかもしれません。(ゆひら)



・因果は巡るということでしょうか。私個人は、例えば過去の因縁というものを過大に考えることはありません。過去は変えることはできないからです。また、来世も考えることはありません。しかし、一つのつながりの中で生きていることは確かなことでしょう。

よく前世を記憶しているという人がおり、そうした現象の真意は理解できないこともあります。それは、前世の因縁を商売する人たちにいささか腹が立っているということもあります。証明できないこととで他人を不安に陥れ金品を詐取する人たちが多いからです。

縁がなかったということはしばしば口にすることがあります。人間関係は不思議なものであり切っても切れないものと言えます。現在では、地球の裏側にいる人にもリアルタイムで交信できる時代になりました。ただ、そうした物理的な障壁ではなくとも、過去に一瞬出会った人にも影響を受けていることはあるのです。

どのように人間同士が結びついているのかは解明されていませんが、何らかの結びつきがあるものだと確信しています。縁がないということは、そういう縁があったということだと考えます。長く付きあうことはないにしても、人生のある一点に置いて交錯していく。そんな結びつきは記憶に留まっていないにしても、たくさんあることでしょう。

藤木正三師のことばにありますように、自分たちの力だけで結婚できたと思っている夫婦がいたならば、やはり未熟な考えであると思います。恋愛結婚にしろ、見合いにしろ全く異なった生活環境で育ったものが一つの家庭を作るという作業には多くの人たちの力が背後にあります。自分たちの愛の結びつきだけでは、どうにもならないものです。

また、有史以来の人類は家族間の婚姻という形態がずっと続いており、個人間の恋愛結婚は中世のヨーロッパから始まったものに過ぎません。結婚という制度を通して社会を維持し次世代に望みをつなぐということは、これかも続くことでしょうが、それ以上のものが結婚にはあるんだと思います。
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