映画『生きものの記録』(黒澤明監督・1955)

映画『生きものの記録』(黒澤明監督・1955)

鋳物工場の経営者・中島(三船敏郎)は、あるときから原水爆に異様な関心を示すようになり、全財産を処分して家族全員でブラジルへの移住を企てるが、反対する家族の者たちは裁判所に彼を準禁治産者とする申請を申し立てる。やがて申請は承認され、そのショックと疲労などで中島は狂乱の行動に出てしまう…。
彼が狂っているのか、水爆をもつ現代社会が狂っているのかを厳しく問いかける、黒澤明の社会派メッセージ映画。三船は頭を白く染めて、初の老人役を熱演。また、本作は初期黒澤映画になくてはならない名作曲家・早坂文雄の遺作ともなったが、そもそもこの企画は、ビキニ環礁での水爆実験のニュースを聞いた早坂が、黒澤に「こう生命をおびやかされては仕事ができないねえ」と何げなく語った言葉がきっかけとなって生み出されたものであった。

脚本:小国英雄 / 橋本 忍 / 黒澤 明
監督:黒澤 明
音楽:早坂文雄 / 佐藤 勝
【CAST】
三船敏郎 / 三好栄子 / 清水将夫 / 千秋 実
1955年



・この映画を見ていて、いわゆる娯楽性を追求した黒澤とは違った作品であり興行的には全く失敗であったということも理解できる。

実は、福島原発事故を経験した上で言えば、主人公が原水爆(放射能)の恐怖から海外移住を願うということも理解されやすいかもしれないかとも思う。

筋は分かりやすく、制作当時は準禁治産宣告という仕組みを使ってまで、親の暴走を止めようとする子どもたちとの対立は異質ではある。

ただ、実はこうした問題は深くは触れないという暗黙の了解が我々にはあって、日常や現実に逃避してしまっているとも言える。

今回の原発問題にしても、放射線や放射性物質による緩慢な影響という直ぐには現れない害に対しての想像力が及ばないということが感じれらる。

そして、黒澤作品を見ていて感じる昭和20年~30年代の街の風景がとても印象的だ。とても暑い、エアコンもなく半袖シャツやステテコ、手には団扇を持つといった映像に本来は、このような生活をしていたんだと昔を思い出した。

脚本の設定が極端ではなく、例えば福島の人が九州に移住したいというならば全く辻褄がある話になってしまう。そして、終局に語らせているように、貧乏人は動けないし受け入れるしかないという実態は現在でも変わらない。せめて子どもたちは疎開させても、自分たちは動けないという現状は今でも変わらなかった。

見えない恐怖や不安が精神を蝕むこともあるし、主人公が語っているように死ぬのは怖くないが、原水爆により殺されることは我慢ならないということだ。そのことを本気で考えて、社会的には非常識な行動に走ろうとしても何がおかしいのだろうか…と。

東京電力がデモ隊に包囲されたわけでもなく、危害が加えられてもいない・・・そんな大人しいことが果たして良いことなのだろうか…と。

映画を終わって、いろいろと感じさせることができれば、映画を見る理由はあるだろう。
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