【告知】今後、新ブログへ移行します

戦後70年、社会が大きく変わろうとしています。どんな時代になっても、自分自身がどのように考え選択して生きるかは変わりありません。特に生活が苦しくなり社会が混乱した時に大事なことは、自分自身の生き方を貫くという姿勢かもしれません。

介護主夫を卒業し事後処理にも目途がたちました。今までの経験を踏まえて次のステップに移ることになります。宗教臭いものに代えて幅広く究極的人生態度の把握に努めることにしたいと思っています。

その範囲は無限に大きくて手に負えないとも思いますが、あまり開拓されていない分野だけに遣り甲斐もあります。宗教は大事なことなのですが、宗教ということばに捉われたりアレルギー反応を起こす人もいて誤解されやすく、その意味するところである「生きる」ことに焦点を当てたいと思います。

新しいブログは次の通りです。試行錯誤しながら不定期に更新。できるだけオリジナルなもの、メモ程度の内容にしたいと思っています。

後は野となれPoohとなれ~今から、ひとりから~
 http://blog.livedoor.jp/iamthat/

このブログは更新停止となりますが記事のメンテナンスは引き続き行っていきます。
特に宗教メディア報道に関しては適時削除を予定しています。
長らく、ご愛読ありがとうございました。 

2015年8月敗戦記念日に by たれプーさん♪

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NHK文化講演会「君たちはどう生きるか~生きる意味について考える」

文化講演会
「君たちはどう生きるか~生きる意味について考える」
2015年6月28日 NHKラジオ第2

講演:姜 尚中(東京大学名誉教授)

私たちは今、幸せの形が見えにくい時代を生きている。そして不確実性に満ちた世界の変化は、日常の生活の中にも影を落とし、不安感が広がっているようにも見える。いったい、この時代とは何もので人はどこに向かおうとしているのか?その果てに何が待ち構えているのか?ミリオンセラー『悩む力』でも知られる姜さんが「平凡の偉大さ」と生きる意味について考える。

録音:NHK文化センター京都教室 第309回 オムロン文化フォーラム (2015年4月26日)
※オムロン文化フォーラムは、講演後原則として約1時間に編集しNHKラジオ第2放送で放送されます。


・『悩む力』 (2008/5/16)、『続・悩む力』(2012/6/15)(集英社新書)にある夏目漱石作品についての講演になる。講演の内容は新書内容を踏まえたものだろう。題名はちょっと仰々しいが問われている内容は重い。

なお姜さんは本ブログに追加記載してあるが、聖学院大学長をこの3月で辞めた。就任後から僅か1年という異例なことで学園側との亀裂があったと言われている。かなりこだわりの強い筋の通った生き方を指向されている学者なので、らしいところである。

新書が発売されてから時間が経過している。興味があれば新書にも取り組んでみるといい。そして本講演会の最後に、姜さんが最近感じることという話をしたので触れたい。それは4月末での一番ホットな思考だからだ。

いろいろな視点・論点で話がされており、まとめ切れないが、結論的に述べるならば、現代人の不安は、実は100年前に書かれた夏目漱石作品にすでに書かれていた。その雰囲気がまるで現代の日本社会であるという。自由を謳歌しているはずが、何かもの足りない不安・孤独にさいなまれる。そして現代の不安に対するには他者による絶対的な承認が必要だと説く。自分史ブームも自己承認の作業だという。

そのあとで、姜さんは現代はイニシエーション(通過儀礼)がなくなっていくことに問題を感じ、再発見の必要を説いた。人間は生まれて死ぬまでいくつもの儀礼を通過する。

ただ通過儀礼は、古臭く伝統的保守的で意味をなさなくなったという。通過儀礼を通して、何かを学び新しいステージを迎え、そして最後に死を迎えられる。この通過儀礼を自分自身で見直してみる、地域の中で見直してみる。これは人間が生きる中でとてもとても大切だと説く。

私たちは自由であることで多くのものを失った。漱石作品『こころ』では年上の人との魂の交流であることも大事な通過儀礼と捉えることができる。試練をくぐり抜けることで深い知恵を学んでいく。通過儀礼を経ながら、さまざまに展開していく。人間は通過儀礼を経ていくことで人生の深いところを学んでいく作品としても捉えることができるのではないかと説いた。


実はびっくりした。それは本ブログの中心課題の一つであるジョーゼフ・キャンベル教授と同じ指摘だったのだ。むろん文脈は異なるにしても、姜さんが独自にそれを感じているならば感性が鋭いと言うしかないだろう。

文化人類学的には通過儀礼とは、一人の人間が大人になっていく過程で社会参入をするために与えられる試練というべきもので、それが儀礼として残っているものだ。例えば、日本では元服式や成人式など、また広くは結婚や葬儀も含めていいだろう。

子どもが大人になる、それは社会の一員としてデビューすることなのだが、そこには試練がある。その意味が薄れてしまい単に儀式となってしまった現代では形だけになってしまったのだが、それはもともとは自分の生存をかけた試練という重いものなのだ。

それを経て、一人前の人間として社会に認められ受け入れられ、本人も自覚するとともに共同体の一員としての振る舞いを学ぶということなのだ。それから結婚し子どもを設けるという営みに入っていく。

ただ、それが単に儀式になっていくときに通過儀礼をできない状況も生まれる。その価値を大人たちも忘れてしまい強要する雰囲気すらない。それを因習からの自由と捉えるのだろう。ただ、その通過儀礼ん持っていた本質的な役割が欠落することで人間の成長に与える影響は計り知れないほど大きかったのだ。


最近の人間の振る舞いを見れば分かるだろうが、まったく自己本位になり自分だけ良ければいいし、そのために他人がどんなに困っても構わない風潮が加速しているようだ。それを縛るのは、道徳でなく法律ということが悲しい現実である。

私個人は一匹狼的な人間で、もともと通過儀礼に参与することを嫌って生きてきた。それが合っていたしそれしかできなかった。ただ、もともと一匹狼的な人でない人間までも通過儀礼をしない状態に急速になってしまったことに違和感を感じている。

つまり社会に対しての振る舞い方が分からないし理解すらできない人たちが大量にうまれていく社会に、何ら規律も統一も与えられない事態にある。道路、電車の中、あちらこちらで横着な振る舞いをする人がいても注意すらできないししないのだ。

私個人は保守的な人間ではないと思うのだが、保守革新という見方でなく、人間が人間らしくなるための教育的な社会装置として通過儀礼の担ってきた機能は、やはり残さなくてはならない。それに代わるものを作らなければならない。


まとめると人間の悩み苦しみは時代によって変わるものではないと感じる。しかし人間の本質でなく、社会の変化が大きいと、その矛盾も大きく出てくるのだと思う。

いまの若者にとって社会はどのように映っているのだろうか。目標もなく夢もなく単に働くことだけ食べていくことだけだったなら何とさみしいことか。自死したり自暴自棄になってしまうことも肯定できないまでも理解できることがさらに辛いことだ。

姜さんが思考の果てに感じた通過儀礼の問いなおしは、このブログでも行っていることである。そのような指摘をできる人がまだ残っていたことに少しだけ安堵した。



なお、この文化講演会録音だが、オムロン(株)が社会貢献活動し主催している。最近の講演会は90分が主流だから、それを60分に編集しており質疑応答もあるのかもしれない。

NHK文化センターだが、株式会社で役員はNHKOB・OGである。データにある出向者2名というのはNHKの現役職員ということだろう。NHKの看板だけで立派に商売ができる。

株式会社 NHK文化センター
社員数 167人(平成27年3月31日現在)このうち、NHKからの出向者2名
教室数 全国48か所
講座数 全国65,000講座(4期延べ)
会員数 全国235,000人


巨大マスコミNHKだが、世界的にもこれほど巨大な放送局はない。その中立性やジャーナリズムとしての役割が問題視されている現状にある。最近では、受信料収入が上昇してニュースで報道するほどだが、それは不払い者に対する強硬措置・民訴を展開しているためだ。

以前は、「NHKは皆様の受信料で支えらえてます」⇒「NHKの番組は皆様の受信料で作られています」とアナウンスしていた時代もあったが、今では全く聞かれなくなった。中央集権の日本では、地方の文化が育っていない。それが大きな問題である。

NHKの放送テキストを扱う(株)NHK出版は、あの薄いテキストを販売するだけで相当に利益がある。テキストを無料にするだけで、この国の文化水準は変わるのだろうけれどね。

NHKグループネット  http://www.nhk-grp.jp/list/index.html

NHK番組の質を支えているのは受信料収入による豊富な資金だろう。民放のように視聴率のみではない。ただ、それだけでなく巨大組織ゆえの問題を孕み簡単ではない。

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姜尚中氏が聖学院大学長辞任へ 任期途中、意見の相違か
2015年3月21日 朝日新聞

 聖学院大学(埼玉県上尾市)の学長を昨年4月から務める姜尚中氏(64)が今月31日付で辞任することが分かった。姜氏は20日、同大のHPで「諸般の事情で大学を辞めることになりました」と明らかにした。

 5年間の任期途中での辞任は、今月16日の臨時理事会で承認された。大学関係者によると、学校法人聖学院の阿久戸光晴理事長との間で、大学運営を巡る意見の相違があったという。

 姜氏は東大名誉教授で、テレビ番組への出演やベストセラー「在日」などで知られる政治学者。HPで「若い学生諸君と、共に語り合い、知ることの喜びや、生きることの悲しみ、そして希望を分かち合いたいと切望していただけに、残念」とも記した。(河原夏季)


人生いろいろ:軽口と人生態度

† 沖縄の地元二紙のfacebookを購読し出したのは、翁長沖縄県知事が訪米し沖縄の窮状を訴えに行った時からだ。それは沖縄の地元紙が書いていた知事の行動内容が全国紙には書かれていなかったからだ。沖縄県の県内情勢は特に知る必要がないにしても国政を揺るがせかねない基地問題を含める事案だけに、全国紙も訪米の詳しい様子を報道してほかった。本当の沖縄、それを知ることが第一歩となる。それは日本の現状についても同じことだ。全国紙が伝えるものと地元の人が伝えることを比較できる時代にある。

‡ 下記のような異常な雰囲気が国政に蔓延しており、こうしたことを容認する人たちが大手をふっていることが不思議でならない。人生態度は各自が決めることであろうが、それが究極的に人類や隣人にとってどうであろうかという逡巡がなければ達成されることはないだろう。私たちは時代の証言者であり当事者なのだ。

中日春秋(朝刊コラム)
2015年6月27日 中日新聞

 ある国で、新しい法律がつくられた。「ペット特別措置法」である。茶色以外の犬や猫は飼ってはならぬ。黒い犬も白い猫も「処分」せねばならぬという法律だ

▼この法を批判する記事を連日のように載せた新聞は、政府によって廃刊に追い込まれる。残ったのは「茶色新報」なる新聞だけ。そんな状況でも、人は考える。「茶色に守られた安心、それも悪くない」

▼茶色は、フランスではナチスや全体主義を思わせる色。かの国で十数年前に出版されて、大反響を呼んだF・パヴロフ氏の短編『茶色の朝』(藤本一勇訳)は、人々が異を唱えることをためらううちに、あらゆるものが一色に染め上げられるさまを淡々と描いた寓話(ぐうわ)だ

▼首相に近い自民党の若手議員の会合で「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」との発言があったという。その場で作家の百田尚樹氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と語ったともいう

▼沖縄の二紙とは、安保法制などで反対の論陣を張る琉球新報と沖縄タイムスのこと。「茶色新報」や「茶色タイムス」を求めるような人が、この国の権力の中心近くにいるのだとするなら、茶色の寓話も妙に生々しく響く

▼パヴロフ氏は執筆の動機をこう語っている。「最初は重大に見えないことが、恐ろしい結果につながり、気付いたときには手遅れになることを知ってほしい」



<社説>百田氏発言 開いた口がふさがらない
2015年6月27日 琉球新報


 ものを書くのをなりわいとする人間が、ろくに調べず虚像をまき散らすとは、開いた口がふさがらない。あろうことか言論封殺まで提唱した。しかも政権党の党本部でなされ、同調する国会議員も続出したのだ。看過できない。

 安倍晋三首相に近い自民党若手国会議員の勉強会「文化芸術懇話会」で、作家の百田尚樹氏が「沖縄の2紙をつぶさないといけない」と述べた。

 出席した議員も「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番だ。経団連などに働き掛けて」と述べた。気に入らない報道は圧力でつぶすということだ。

 国会でこの問題をめぐる質疑が出たが、自民党総裁である安倍首相はおわびを拒否し、発言議員の処分も拒んだ。言論封殺に対する首相の認識を疑わざるを得ない。

 百田氏は米軍普天間飛行場について「もともと田んぼの中にあった。まあなんにもない。基地の回りに行けば商売になるということで人が住み出した」とも述べた。事実誤認も甚だしい。

 戦前の宜野湾村役場があった場所は現在の滑走路付近だ。周辺には国民学校や郵便局、旅館、雑貨店が並んでいた。さらに言えば琉球王国時代の宜野湾間切の番所(村役場に相当)もここだ。有史以来の地域の中心地なのである。

 ここは沖縄戦のさなか、米軍が地元住民を収容所に閉じ込めている間に建設を強行した基地だ。民間地強奪を禁じたハーグ陸戦条約違反だが、戦後も居座った。土地を奪われた住民が古里の近くに住むことを金目当てであるかのごとく言うのは、誹謗(ひぼう)中傷に等しい。

 しかも日本復帰までは落下傘降下訓練が主で、今のような運用ではなかった。1974年に滑走路が整備され、76年に岩国基地から海兵航空団が移駐してきて今のような運用になったのだ。62年には既に市制に移行し、75年に人口は5万人を超えていた。市街地に航空団の方がやってきたのである。

 この情報は宜野湾市のホームページにある。少し調べれば分かる話だ。百田氏はそれすらせずに虚像を拡散させたのである。軍用地主が「みんな大金持ち」というのもうそだ。極めて悪質と言わざるを得ない。

 「沖縄2紙をつぶす」発言について、百田氏は翌日になって「冗談として言った」と述べたが、言い訳は通用しない。言論封殺を望む考え方自体が問題なのである。



社説[自民勉強会 暴言]権力による言論統制だ
2015年6月27日 沖縄タイムス


 政党であれ個人であれ批判の自由は保障されなければならないが、これはまっとうな批判とはとてもいえない。政権与党という強大な権力をかさにきた報道機関に対する恫喝(どうかつ)であり、民主的正当性を持つ沖縄の民意への攻撃である。自分の気に入らない言論を強権で押しつぶそうとする姿勢は極めて危険だ。

 安倍晋三首相に近い自民党の若手議員約40人が25日、憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」の初会合を党本部で開いた。

 講師として出席した作家の百田尚樹氏は、沖縄の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し、「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と発言した。一体、何様のつもりか。見過ごせないのは、百田氏の基地問題に関する発言に事実認識の誤りやゆがみが目立つことだ。

 百田氏は米軍普天間飛行場の成り立ちについて、「みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」と指摘した上で、騒音訴訟の判決に触れ、「そこを選んで住んだのは誰だと言いたい」と自己責任論を展開した。

 とんでもない認識不足である。普天間飛行場は沖縄を軍事占領した米軍が本土侵攻に備えて住民を収容所に移住させ、地権者の合意もなしに一方的に建設したものだ。宜野湾市には戦後、普天間飛行場のほかにもキャンプ瑞慶覧、キャンプ・マーシー、キャンプ・ブーンなどの基地が建設された。地域の人々は、旧居住地に戻れないために基地の周りや他地域で不便な生活を強いられたのだ。

 司法は騒音の違法性を認め、いわゆる「危険への接近」論を採用していない。普天間飛行場の騒音被害を自己責任だと主張するのは、周辺住民の苦痛や不安を知らない局外者の暴言というしかない。

 百田氏は米兵によるレイプ事件についても「沖縄県全体で沖縄県自身が起こしたレイプ犯罪の方がはるかに率が高い」と語ったという。人権感覚が疑われる発言である。

 勉強会では安保関連法案を批判するメディアの報道について、出席した議員から「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働きかけてほしい」との声が上がった。

 4月には自民党情報通信戦略調査会が放送内容に文句をつけ、放送法上の権限がないにもかかわらず、テレビ朝日などの経営幹部を呼びつけたばかり。国会の1強体制がもたらした「権力のおごり」は、とうとう来るところまで来てしまったようだ。

 「沖縄に寄り添う」と口では言いながら、安倍自民党の対応は沖縄の多くの人々の感情を逆なでし、反発を増幅させている。

 昨年の名護市長選、県知事選、衆院選で「辺野古ノー」の圧倒的な民意が示されたことを地元メディアの報道のせいにするのは、現実から目をそむけるようなものである。

 一連の選挙でなぜ、あのような結果が生じたのか。沖縄の声に謙虚に耳を傾け、見たくない現実にも目を凝らすのでなければ沖縄施策は破綻する。



追記

百田氏「本気でつぶれたらいい」 沖縄2紙に
2015年6月28日 19時07分 中日新聞

 作家の百田尚樹氏は28日、大阪府泉大津市で講演し、自民党勉強会での「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」との自らの発言に触れ、「その時は冗談口調だったが、今はもう本気でつぶれたらいいと思う」と話した。

 講演を聞いた人によると、共同の抗議声明を出した沖縄タイムスと琉球新報に対し「おかしな話だ。私の話を何も聞いてない。伝聞にすぎない」と批判。さらに「まだしばらく2紙とはやりあっていかないといけない」と述べた後「本気」発言をした。

 講演では、ツイッターに「私が本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞」と投稿したとも話した。




翁長知事「基本的認識に間違い」と批判
2015年6月29日 NHK

自民党の若手議員らが開いた勉強会で、沖縄県の地元紙など報道機関を批判する意見などが相次いだ問題で、沖縄県の翁長知事は「表現の自由、報道の自由は私たちが守らなければならない重要なことだ。基本的な認識において間違っているのではないかと思う」などと述べ批判しました。

今月25日、自民党の若手議員らが開いた勉強会で、出席した議員から沖縄の地元紙の報道について「沖縄の世論がゆがんでおり何とかしなければいけない」といった意見が出されたほか、講師として招かれた作家の百田尚樹氏からアメリカ軍普天間基地の周辺地域について、「街の真ん中に基地があり、騒音がうるさいのは分かるが、そこを選んで住んだのは誰だ」といった意見が出されました。

これについて翁長知事は29日夕方、報道各社に対し「表現の自由、報道の自由は私たちが守らなければならない重要なことだ」と指摘したうえで、「主張が偏向しているとか間違っていると話すこと自体が基本的な認識において間違っているのではないかと思う」と述べました。

さらに「自民党の若手の皆さんがそういう議論をしたのであれば永遠に自民党が政権を握ると錯誤しているのではないか」と批判しました。

また百田氏の発言については、「本当に悲しいし寂しい。知識人であるがゆえに大変怒りも出てくる」などと述べました。




<報道圧力発言>日本新聞協会「報道の自由を否定」抗議声明
2015年6月29日 毎日新聞

 ◇日本記者クラブ「言論・報道・表現の自由の擁護を」

 自民党国会議員の勉強会で出席者が報道機関に圧力をかけるような発言をした問題について、新聞各社などで組織する日本新聞協会の編集委員会は29日、「極めて深刻な問題だ。表現の自由をないがしろにした発言は、報道の自由を否定しかねないもので到底看過できず、強く抗議する」との声明を出した。

 新聞・通信・放送各社が加盟する日本記者クラブの伊藤芳明理事長も同日、「みずからに批判的な報道は規制し、排除してもいいという考え方に反対する。言論・報道・表現の自由を擁護することを改めて表明する」との声明を出した。



<放送アーカイブ>国会図書館で全番組保存 超党派が法案化
2015年6月29日 毎日新聞

 ◇放送業界は「事後検閲につながる」と警戒
 国立国会図書館がテレビやラジオ番組を録画・録音して保存する「放送アーカイブ」構想の実現に向け、国会の議論が加速している。今年5月には超党派の議連が発足したが、議論を主導する自民党内には、テレビの報道への不満から、事後検証にアーカイブを活用しようとする意見もあり、放送業界は「事後検閲につながる」と警戒を強めている。

 構想は、放送番組を文化的資産として保存しようと、12年3月から衆参両院の議院運営委員会で議論され、骨子案も公表された。「放送アーカイブ議連」(会長、野田聖子自民党衆院議員)は今年5月、自民、民主、公明、共産などの27人が呼びかけ人となって発足。議連はこの骨子案を継承している。

 骨子案によると、国会図書館で受信できるNHKや在京民放5局、BS放送7局、首都圏のAM・FMラジオの全番組を保存。コピーは認めず、保存後に一定期間を置いて視聴できるようにする。

 これに対して放送業界は「公権力によるメディア監視につながりかねない」と反発し、国会議員と距離の近い国会図書館以外での実施を求めている。また、図書館での保存、閲覧は放送の目的外使用に当たるため著作権者から改めて許諾を得る必要があるという課題も指摘されている。

 議連は、議論がまとまり次第、国立国会図書館法や著作権法改正案を国会に提出する方針。【丸山進】

 ◇自民党議員「どう報道したか調査するのは大事」
 今年3月、放送アーカイブ構想を議論した参院自民党の政策審議会で、島尻安伊子参院議員(沖縄選挙区)は「地元のメディアがかなり偏っていたりする。あの時あの問題をどう報道したかをサーベイ(調査)するのは大事なこと」と述べ、アーカイブ構想に賛意を示した。

 島尻議員は毎日新聞の取材に「検閲や規制の意味で発言したわけではない」と釈明したが、自民党がメディア監視を強めていることに、放送各局は警戒感を募らせている。今年4月には自民党がテレビ朝日とNHKの幹部を党本部に呼び、番組内容について事情を聴いた。

 研究者や視聴者が放送を研究や批評の対象とすることはその質の向上に資する。そのための番組の保存は必要だろう。しかし、メディアのチェックを受ける権力の側が放送法第4条が定める「政治的に公平であること」をたてにメディアを監視し、圧力をかけるためにアーカイブが利用されることは避けなければならない。

 アーカイブをどこが運営するのか、どのような番組を保存するのかなど、制度設計には慎重な議論が求められる。【丸山進】


NHKこころの時代「釜ヶ崎で福音を生きる~神は小さくされた者の側に~」

こころの時代~宗教・人生~「釜ヶ崎で福音を生きる~神は小さくされた者の側に~」
2015年7月5日 Eテレ

大阪・釜ヶ崎で労働者の支援を続けるカトリック司祭の本田哲郎さん。「神はいちばん小さくされた者の側にいる」。本田さんが訳した福音書のメッセージについてお話を伺う。

日雇い労働者を支援する「ふるさとの家」で、本田さんは週4回、労働者の散髪を行っている。フランシスコ会の元日本管区長で、バチカンの聖書研究所にも留学した本田さんは、労働者たちと苦労を共にする日々の中で、聖書の再訳を進めてきた。「隣人愛-人を人として大切にする」、それが聖書の中で最も大事な教えだという。小さくされた人々の側から、現代人の心に響くイエス・キリストの言葉-福音の世界について語っていただく。

カトリック司祭:本田哲郎
ディレクター:西世賢寿


・今回は放送を見て浮かんだことなどを記す。

本田訳の実例・・・マルコ福音書一章14-15節

ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。『口語 新約聖書』

ヨハネが捕えられたのち イエスはガリラヤに行き 神の福音を告げ知らせて 
時は満ち 神の国はすぐそこに来ている 低みに立って見直し福音に信頼してあゆみを起こせ

(口語訳) 悔い改めて
(本田訳) 低みに立って見直し


ギリシャ語「メタノイア」(視座を移す)
ギリシャ語「ピスティス」(信じて行動を起こす)

上記のような私訳を番組では紹介し、小さくされたものの視点から翻訳を試みているという。

本田神父など語学に堪能な方は自ら翻訳を試みられるようだ。言語を学ぶとはそういうことであり適切な訳とは、機械翻訳のような単語を単語に移し替えるような作業ではないのだ。そこには解釈があり意図がある。

ただ翻訳に関してというよりも言語の持つ問題点として、細分化できないし現実との遊離は避けられないことだ。だから本田神父の訳も、その説明を受けないと意味をなさないというのが本当のところだ。

敷衍すると、聖書というものはその程度の曖昧さにあるということだ。それを至高の書として崇め立て自己を縛る信仰者の何と多いことか。ギリシャ語・ヘブル語が深く分からなければキリストの心は分からないということになる。そんなことはないだろう。

言語に得意な人もいればそうでない人もいる。哲学書が難しいのは、その哲学が難解であるというよりも翻訳者がそもそも理解していなくて、それを機械的に訳することの弊害であると考えている。つまり分かっていれば、こなれた日本語を探して当てはめても意味は十分に通るのである。

宗教書にも同じことがいえる。言語のスペシャリストであることと生き方のスペシャリストであることは何ら関係がない。

私の能力不足だと思うが、この単語には、このようないくつもの含意があると説明されても、それを同時に理解することができないのだ。

そして原語ほど多義語になり、いくらでも解釈は可能なのだ。それが元で、宗教観に対立が起きて果てには戦争までしかねないというのが人間の限界なのだ。


さていわゆるホームレスだが、統計によれば減少している。この分野については専門として古くから関心を持ってきた。また学生時代の所属サークルもセツルメント活動という古めかしいものだった。

あまり活動しなかった理由は疑問を感じたからだ。それは設立当時と状況が変わっているにもかかわらず活動をしていたからだろうと思う。私個人はホームレスに関心もなく、それは一つのライフスタイルという認識になり、弱きものとして独特の地位を与えているわけではない。

ただ本田神父が炊き出しや見守り活動で感じたように、彼らの言葉は、自分はまっとうに社会に生きていると信じている人を混乱させるには十分であろうと思う。それは裏社会にしても底辺に生きるしても、それなりに哲学があり生活感があり思いがあるからだ。

本田神父は、ホームレス支援をしながら彼らから多くのことを学んだという。「自分で働いたお金でメシが食いたい」といった彼らの本当の気持ちを汲むことで、自分自身が知らず知らずに上からの視点で見ていたことに気づいたという。

本田神父のような地味な活動が大きな潮流となることはないだろう。ただ、そのような地味に見える活動からすべては始まり、気づいたら周りが変わっていくのだろう。


福音書は宗教的古典として、過去の人びとの生きざまを描いている。その中には虐げられた人も、権力を持っている人も現れる。イエスは何ために行動を起こし、弱きものたちの立場で発言をしたのだろうかと問われるべきことだろう。

福音書を読むとは、神学的に読むというよりは、現在の置かれた状況からより低い立場にある人の視点で見ることを求められるのではないだろうか。ただ、それは社会改革運動を求めるというよりは、人間の限界として生じる社会において、どのように隣人を扱うかという問題に応えているのだろう。

宗教の不思議は、逆転の構図が随所に見られることだ。つまり弱いものが強くなり、最後のものが最初になることだ。分かっていると思っている人は分かっておらず、信仰深いと思っている人が浅い理解しかないという道理である。

最近感じていることは、広く社会を論じることの不毛さと手応えのなさだ。テレビ画面に映っている人はいったいどこの人なのだろうか、この国の現実なのだろうか。これだけグローバルに密接に生きているはずの人類なのだが、起こっている事件・事故を見ても共感できない自分を発見する。

藤木正三師への思いを先にまとめたが、人間が連帯できるのは人間の弱さではないかということだ。つまり、どうにもならない自分自身の持つ性向や腹黒さなどを自覚する時に、誰もが同じ地平を生きていることにびっくりとする。大統領だろうとテロリストだろうと大阪のおばちゃんでも同じことなのだ。そこから何かが始まると思う。


過去の放送の逐語禄
こころの時代 「弱き立場の人々に学ぶ」
平成二十年七月十三日
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-354.htm


追記
この記事の反響は、本田神父の人気なのかもしれないしNHKというメディアの大きな影響力を物語るものかもしれない。ディレクターは聖書の知識も豊富であるが、NHKは公正中立・不偏不党!?らしいので安心して見られるとよいだろう。ディレクターの信仰が番組に表現されることはないし、それは番組を見れば分かることだろう。

翻訳に関して言えることは、聖書でも仏典でもそうだが、その意図するところを把握するには字面ではなく、それを書いた人の思いを想像することだろう。つまり私たちも、言葉の持つ不自由さと限界、そして言外になる思いがあり、かつ言葉以外の全身から発せられるものがあるから、言葉のみに捉われる必要はまったくない。

さて言行一致ということが人間の姿勢としてもっとも尊いことだと思うのだが、口先だけ知識だけの宗教者が何と多いことだろうか。まあ男性はどちらかというと理屈に頼り、女性は感性・母性に頼るのではないかと思う。本田神父にマザー・テレサのような優しさを感じないが、彼も専心に隣人に仕えようとする姿勢だから言葉が重いのだろう。

7/12こころの時代では、NHK・OBディレクターの金光寿郎さんが進行を務めていた。金光さんを重用しなくてならないほど後輩が育っていないのか、補聴器をしながら進行していた姿を見ながら胸を打たれる思いになる。NHKを初めとして放送業界には、かなり変わった人たちが生息しており、画期的な番組を提供していたが人材も枯渇しつつあることを憂う。

イエスが私たちに問うているのは、「あなたの隣人とは誰なのか」ということです。
マザー・テレサは、それは「まず家族」と答えるでしょう。
そうした身近なところから手をつけること、貧しい小さくされた者はカルカッタでも釜ヶ崎にいるわけではないのです。

いまあるところで福音を生きる~神は弱く小さくされたいと思う者の側に~

あなたの隣人は一体誰でどこにいるのでしょうか、自分のように丁寧に接することで何かが変わっていくはずです。



関連書籍

『釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に』 (岩波現代文庫)

20150321.jpg

文庫: 280ページ
出版社: 岩波書店 (2015/2/18)


岩波書店 内容紹介ページ  http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6032820/top.html

本田哲郎(ほんだ・てつろう)
1942年生まれ.65年,上智大学を卒業し,フランシスコ会に入会.71年,司祭叙階.72年上智大学神学部修士課程修了.78年,ローマ教皇庁立聖書研究所卒業.89年より大阪釜ケ崎にて日雇い労働者に学びつつ聖書を読み直し,「釜ケ崎反失業連絡会」などの活動にも取り組む.著書に『イザヤ書を読む』(筑摩書房),『小さくされた者の側に立つ神』『続 小さくされた者の側に立つ神』(新世社),『聖書を発見する』(岩波書店),聖書の個人訳に『小さくされた人々のための福音』『パウロの書簡』(新世社)など.


参考
マザー・テレサ ‏@MotherTeresabot
わたしは一般大衆を責任の対象と見なしたことは一度もありません。わたしは個人を相手にします。わたしは同時に一人しか愛せません。同時に一人にしか食べさせることはできないのです。対象はつねにひとりなのです。


追記
再放送 【初回放送去年7月5日】[Eテレ]
2016年7月10日(日) 午前5:00~午前6:00(60分)
2016年7月16日(土) 午後1:00~午後2:00(60分)

全米で同性婚“合法化”へ 米連邦最高裁が判断

全米で同性婚“合法化”へ 米連邦最高裁が判断
2015年6月27日 NHK

アメリカの連邦最高裁判所は、男性どうしや女性どうしが結婚する同性婚をすべての州で認める判断を示しました。全米で同性婚が事実上、合法化されることになります。

アメリカでは、全米50州のうち37の州と首都ワシントンで同性婚が認められる一方、中西部オハイオ州など4つの州を管轄する連邦高等裁判所は、去年11月、同性婚を認めない判断を示しました。
同性婚の是非に対する司法の判断が州で分かれたことから、連邦最高裁判所が審理を進めてきましたが、26日、すべての州で同性婚を認める判断を示しました。

この判断は、9人の判事のうち5人が支持したもので、多数派の代表の判事は、判決文で「ある州で認められた結婚が別の州で否定されることは、当惑や苦悩を与える」と指摘したうえで「同性愛者が求めているのは法の下での平等な尊厳だ。憲法は同性愛者にその権利を与える」と記しました。

アメリカでは、同性婚の是非を巡って長年、世論を二分する議論となってきましたが、今回の判決で同性婚が事実上合法化されることになり、同性婚の支持派は「歴史的な勝利」と今回の判決を喜んでいます。

大統領が声明「アメリカにとって勝利」
アメリカの連邦最高裁判所が、男性どうしや女性どうしが結婚する同性婚をすべての州で認める判断を示したことについて、オバマ大統領は26日、ホワイトハウスで声明を発表しました。この中で、オバマ大統領は、「すべての人たちが、誰を愛しているのか問われること無く、平等に扱われるべきだと再確認された。自分たちが結婚できるのかどうか、多くの同性愛者が、不確かな状況におかれてきたがこれで終止符が打たれる。同性愛者や支援者、そしてアメリカにとっての勝利だ」と述べ、歓迎しました。

また、与党・民主党の大統領候補ヒラリー・クリントン前国務長官も、「この歴史的な勝利を祝えることを誇りに思っている」と評価するなど、民主党側からは歓迎する声が相次いでいます。

一方で、同性婚に反対する人が多い野党・共和党では、大統領候補のジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事が、「私は伝統的な結婚を支持している。連邦最高裁判所は、それぞれの州に判断を委ねるべきだ」とする声明を出しました。また、共和党のベイナー下院議員も、「失望している。結婚は、男性と女性との間での神聖な誓いのもとで、行われるべきだ」として、キリスト教の教えや伝統的な価値観などを重視する保守派を中心に反発の声が上がっています。

オバマ大統領は、みずからの政権発足時には、同性婚は全米で2つの州しか、認められていなかったとしており、今後、すべての州で同性婚が認められることについて、みずからの実績だとして、強調するものとみられます。

変化する世論 著名人も告白
アメリカで男性どうしや女性どうしで結婚する同性婚に対する世論は、過去およそ20年間で大きく変化してきました。

世論調査会社「ピュー・リサーチセンター」によりますと、2001年、同性婚を法律で認めることについて、賛成すると答えた人は35%、反対すると答えた人は57%で反対が賛成を大きく上回っていました。その後、賛成する人たちが徐々に増加し、2011年、賛成が46%、反対が45%で初めて賛成が反対を上回ります。そして、ことし5月の調査では、賛成が57%、反対が39%と、賛成が多数となり、2001年の調査と比べて賛成と反対の数が逆転する形となっています。

党別では、民主党支持者の65%が同性婚に賛成すると答えたのに対し、共和党支持者では賛成が34%にとどまるなど、民主党と共和党の支持者の間で大きな開きがある一方、「同性婚が全米で認められるのは避けられない」と答えた人は、どちらの党の支持者でもそれぞれ72%を占め、共和党支持者の間にも同性婚を取り巻く状況に対し一定の理解があることがうかがえます。

アメリカの著名人も、次々にみずからが同性愛者であることを明らかにしています。CNNテレビのキャスター、アンダーソン・クーパーさんは、2012年、同性愛者であることを告白しました。また、俳優のジョディ・フォスターさんは、おととし、ゴールデングローブ賞の授賞式で同性愛者であることを公表し、去年、女性のパートナーと結婚したことが明らかになりました。アメリカの四大スポーツのひとつ、プロバスケットボールNBAでは、おととし、ジェイソン・コリンズ選手が四大スポーツの現役選手としては初めて、同性愛者であることを告白し大きな注目を集めました。さらに、去年10月には、IT企業アップルのティム・クックCEO=最高経営責任者が、「ゲイであることに誇りを持っている」として同性愛者であることを告白するなど、さまざまな分野で活躍する著名人による公表は、アメリカで同性婚を容認する雰囲気を広げていきました。

法律で同性婚認める 約20か国
同性婚を法律で認めているのは世界でおよそ20か国に上ります。このうちアイルランドでは、先月、同性どうしの結婚を認める憲法の改正案への賛否を問う世界で初めての国民投票が行われ、その結果62%の賛成で改正が認められました。アイルランドは、国民の多数がカトリック教徒で、教義が憲法に反映されて同性愛は犯罪だとされてきました。しかし、同性どうしの結婚を盛り込む憲法の改正案は、若者を中心に賛成への動きが広がり、首相も支持を表明するなど、伝統的な家族観への変化が見られています。

イギリスでも、イングランドとウェールズでおととし7月、同性婚を認める法律が成立したのに続いて、スコットランドでも去年2月、同性婚を認める法案が議会で可決されました。法律の成立を受けて、イギリスで人気歌手のエルトン・ジョンさんは、去年12月、同性のパートナーと正式に結婚し結婚式を挙げました。

ヨーロッパではこのほか、フランスやフィンランド、それにデンマークやポルトガルなどで同性婚が認められており、同性婚を合法化する動きが広がっています。

ヨーロッパ以外で同性婚を法律で認めているのは、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、ニュージーランド、南アフリカ、カナダで、これらの国をすべて合わせるとおよそ20か国に上ります。


・歴史的な決断となる。米国以外でも合法化する動きが広がりつつある。

宗教界に与える影響は大きく、今後の対応が注目されることなる。

介護主夫始末記:大量死時代の道標、「送骨」と終活支援

† 日本の大きな転換期に生きている私たちは急速な少子高齢化を直に体験しつつある。都市部まで高齢者が溢れいる。これから20年間が勝負となり、介護難民・認知症難民で社会問題がより先鋭化する。それを乗り切るには財産があるかないかということに尽きてしまい、血縁関係などはまったく役に立たなくなっていく。そこで起きるのが葬送文化の大転換である。このブログで報じた時間だけでも、自由という名前で従来の家族血縁を中心にしたものが崩壊過程にある。それは新しい文化創造ともいえる。より簡素に費用負担の少ない、中身のないものに変容していくのだろう。

‡ 以下の送骨だが、書かれているように孤独死した人が火葬されるまでの諸手続きは誰かが代行しないといけない。それを民間NPOが高価な費用で請け負うことが多いが、ここにきて横須賀市が市役所の事業として終活支援を開始した。こうした流れは各地で加速すると予想される。もし身寄りのない遺体があれば市役所が担当するが、その負担を大きく軽減する意味でも事前に支援事業で同意をとっておくことが楽なのだろう。この担当が福祉部 生活福祉課という生活保護+不明死亡者担当であることからも狙いはハッキリしている。福祉部 高齢福祉課、福祉総務課でも市民部 地域コミュニティ支援課でもないことから明らかだろう。


送骨.com  http://xn--w83au3s.com/

横須賀市「エンディングプラン・サポート事業」 横須賀市役所
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/3040/nagekomi/20150619.html

遺骨が宅配便で送られる…“送骨”の現場でみた無縁社会の「終活」とは!?
2015年06月16日 dot.

 「送骨」という言葉をご存じだろうか? 宅配便で寺に遺骨を送り、供養や埋葬してもらうシステムである。富山県高岡市にある日蓮宗大法寺が始め、追随する寺や霊園、企業などが増えて、ネット上には「送骨.com」というホームページもある。無縁仏を弔う手段として広まりつつあるが、現実はそう簡単ではない。死後、火葬するための手続きさえ滞るケースもあるらしい。「無縁社会」の深淵をのぞいてみた。

 大法寺の栗原啓允住職は「送骨」を受け入れるようになった経緯をこう話す。

「首都圏の行政担当者や団地の管理者、葬儀社から『檀家さんの縁者』という方の遺骨を引き取ってほしいとの依頼が届くようになりました。『うちが断ったらどうなるのか?』と聞くと、『廃棄する』とのこと。そこで、放っておけなくなったのです」

 2006年に墓を継承する家族がいない檀家のために合祀墓を設け、07年にはNPO法人「道しるべの会」を立ち上げた。遺骨を引き受けるだけではなく、高齢者の施設入所や「終活」を支援するようになったという。

 都市部はもちろん、地方でも血縁者とのつながりは薄くなりつつある。少子化で跡継ぎがいない、子はいるが海外在住である、おいやめいはいるが頼みにくい、墓はあっても夫と同じ墓に入りたくない……などの理由が挙げられる。また、墓があり、子がいても維持管理が難しいため「墓じまい」を希望する人も増えている現状がある。

 送られてきた遺骨はどこで供養されるのか? 栗原住職が墓地の一角にある納骨堂「寂照」へ案内してくれた。届いた遺骨は祭壇にまつられ、読経をして供養される。供養が終わると袋に入れられ、埋葬されていく。また、「寂照」内の壁際には扉付きのロッカーが並んでおり、細かく仕切られたスペースに骨壺を安置できる。

 また、境内には永代供養のための納骨堂として「慧明」と「瑞光会館」という施設もある。「瑞光会館」は遺骨を入れるスペースが大きく、扉に装飾が施され、高級感がある。仏壇型ロッカーとでもいおうか。石で造った墓を「一戸建て」とするなら、納骨堂は故人を集めて供養する「集合住宅」ということになる。いずれも、「娘が嫁に出たので墓守がいない」などの理由から希望する人が多いそうだ。

■「送骨」の現状は? 

 2010年代以降、身寄りのない高齢者の孤独死が社会問題として取り上げられるようになり、埋葬する墓のない遺骨が大法寺には次々と届いている。栗原住職も知らないうちに、「送骨.com」なるホームページが立ち上がり、「送骨を受け付けるお寺一覧」として16の寺・霊園などの情報が並んでいる。価格は1万9440円から9万円までで、表記がない団体もある。一見すると最安値を競うネット販売のような印象を与えかねない。しかし、「少ない負担で遺骨を供養してほしい」というニーズは多いのだ。

「『送骨』は大法寺の専売特許ではありませんので、まねをしてくださって結構。われわれのできることは限りがあります。全国で同じような取り組みをしてくださる寺が増えることは当然の流れかもしれませんね」

 栗原住職が痛切に思うのは、孤独死や「送骨」が“悲惨の極み”ではないということである。

「お骨にする段階で手続きができない場合があります。死亡届は自宅で亡くなった場合、親族か同居者が出すでしょう。医療機関や介護施設、賃貸物件ならば、その施設の管理者や代表者が手続きをすることができます。しかし、自宅で孤独死した場合、親族や同居者が不在ですと、われわれが運営するNPO法人では代行できません」

 次のようなケースが考えられる。親族はいても絶縁状態で、双方ともかかわりを拒絶していたり、認知症や精神性の疾患を抱えていたりすると、死亡届や遺体の火葬や埋葬の許可申請ができないのである。一連の業務を法律の専門家に委託する経済力がなく、介護施設などに入っておらず、持ち家があるため生活保護も受けられない……。終活の質は、金と縁に左右されるが、その両方を築くことができないまま死を迎える人がいるのだ。

「この記事を読んだだれかが、『大法寺にお願いしたい』と思うかもしれません。でも遺骨になってから歩いて行くわけにはいかない。死亡した後、火葬して遺骨になるまでの手続きをだれに託すのでしょう。お金を払って専門家に頼むか? 生前に縁を築いておいてお願いするか? 元気なうちから準備をしておいてください」

 死に方は選べないが、生き方は、きょうからでも変えられる……ということだろう。

(ライター・若林朋子)



葬儀や納骨 生前に望む形を 横須賀市が「終活」支援
2015年6月25日 東京新聞

 身寄りがなく、資産や収入の少ないお年寄りの「終活」の手助けをしようと、横須賀市は七月一日から「エンディングプラン・サポート事業」を始める。生前に葬儀や納骨先、死亡届人、延命治療の意思を決め、登録しておく制度。市は「同様の事業を行う民間組織はあるが、最期まで安心して暮らせるよう自治体として対応する必要がある。県内で初の取り組みで、全国でも珍しいのでは」と話す。 (中沢佳子)

 市によると、市内の独り暮らしのお年寄りは、およそ一万人。身元がはっきりしていながら引き取り手のない遺体は、年間五十体に上るという。市の担当者は「民生委員などから、独り暮らしの高齢者の終活について相談が増えている」としている。

 事業の対象は、資産がおおむね百万円以下で、生活保護受給額を基に算出した収入が十六万~十八万円以下の身寄りのないお年寄り。市内では千人以上が対象になると見込んでいる。

 市の窓口に相談すると、市が紹介する協力葬儀社(現在七社)から希望する社を選択。生前契約を交わしてあらかじめ葬儀代を支払った後、市が終活の支援プランを立てる。その際、緩和ケアや延命治療の希望の有無、葬儀社名、緊急連絡先を記した登録カードを発行。携帯してもらい、いざという時に医療機関や救急隊などがカードを確認して、葬儀社や市に連絡できるようにする。

 本人の希望があれば、定期的に訪問して安否確認もする。死亡した場合は、市の担当者が葬儀や納骨を見届け、納骨先情報を保管する。

 相談の受け付けは、平日午前九~十一時と午後一~四時。問い合わせは、市生活福祉課自立支援担当=電046(822)8070=へ。


NHK SWITCHインタビュー 井村雅代×広上淳一

NHK
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「井村雅代×広上淳一」Vol.69
2015年2月14日 Eテレ
2015年6月20日 Eテレ アンコール再放送

国内外で大人気の「踊る指揮者」広上淳一が名伯楽として名高い井村雅代シンクロ日本代表コーチと激突!やる気を引き出す叱り方、プレッシャーを味方にする方法、教えます!

8大会連続14個のメダルという驚異の結果を出し続けてきた井村の持論は「一番できのいい子にレベルを合わせる」「本番前にリラックスさせない」など一見逆説的に見えることばかり。一方、中学をサボってアイドルの追っかけに精を出すなどエリート教育とは無縁の人生を歩んできた広上は「成否は最初の5分で決まる」「嫌われることを恐れるな」など世界の舞台に立つヒントを伝授。カリスマ指導者たちが語る、世界で闘う秘けつ!

出演:シンクロ日本代表ヘッドコーチ…井村雅代、指揮者…広上淳一
語り:吉田羊、六角精児
ディレクター:田向奈央子


・この対談番組は、二人のゲストが前後半に分けて、それぞれ主導して相手のインタビューを引き出すという意図の番組。好評の番組はアンコール放送となる。今年度から再放送枠をもったことで見やすくなっている。

本放送時には見逃していて今回、初めて見たが大変に面白い、参考となった。

指揮者の広上さんについては、昨年度からFMで放送されている番組を聴いており、人柄は十分に知っている。彼も自覚しているが、音楽人生スタートが遅れてしまって念願の東京藝大も入れてもらえなかったことは反骨人生のエネルギーとなっている。ただ優しい人柄なので、人づきあいを会得してからは本来性が発揮し楽団員に好まれる指揮者へと変貌した。

この番組の内容については、他のブログでも話されたものの要約をされており触れない。いろいろと名言があるので心に止めたいものだ。また動画もあるのでご興味あればご覧いただければいい。

広上さんは東京音大指揮科教授として母校で後輩の指導をしている。そこで悩まれているのが、どう若者を育てるかということらしい。彼の育った経験から、若い人には回り道をさせたくないという配慮なのだが、そうした配慮が実は若者の教育として良いのかという壁にぶち当たっているようだ。

一方で、シンクロの井村コーチは中国ナショナルチームも育てて、現在は日本チームへと復帰して指導をしている。この名声は知っていたが、具体的に話を聞くのは初めてであった。

全体として感じたことを列挙してみたい。

井村コーチの方法論は、シンクロ選手はプールの中だけじゃなく普段の生活をきちんとさせることから始めていくこと。間違っているところを具体的に教えて、それが直るまで根気強く付き合うこと。トップ選手に全体を合わせて指導することが結局はチーム全体の力を押し上げること。目標をはっきりとさせて選手に動機づけを与えること。

8人、ペア、ソロのシンクロと、50~100人規模になるオーケストラでは少し事情が違うのかもしれないが、人心掌握術では共通するものも多い。

広上さんは、日本の教育の一番の間違いは、登山に例えると入口はここしかないと決めてしまい、そこから登ることが一番安楽に頂上を目指すシステムになっていることだという。これは彼が辛酸を舐めてきた音楽閥の問題も含んでいるのだろう。つまり東京藝大や桐朋学園大学を卒業しないと一流と見做されない日本の風土を批判したものだろう。

広上さんが、ふと漏らした彼の煩悩に、「成功、名声」があるらしい。つまり指揮界で成功することに対する疑問がある。彼が音楽監督を務める京都市交響楽団の演奏会はチケットを取るのが難しいくらいの大人気であり、評価が高い。指揮者としての成功することで我を忘れるのではないかという不安があるのだと思う。ここに二人の性格の違いがある。

二人の違いははっきりとしていて、井村コーチは後を引かないカラッとした性格、広上さんはくよくよと考える性格からくるものだ。FM番組などで語られたことを敷衍すると、人間関係で悩んでしまい指揮活動もブランクを自ら作ってしまうほどの繊細さがある人柄なのだ。広上さんは、そこを脱出したことで、つまり自分を出すことを覚えたことで演奏家との付き合いを上手にできるようになった。

オーケストラ団員は、それぞれがサムライであると形容したが、それほどだから指揮者の仕事は難しい。広上さんが語ったように、指揮者はオーケストラをコントロールすると思われているがそれは間違いで、演奏を補佐する役割だということだ。これは現代の指揮者で成功している人と共通する見方である。

井村コーチの指導は実に厳しい。それは怒っているのでなく叱っているからで感情の赴くままにしているわけではない。それが選手に分かれば、いくら指導が厳しくてもついていけるのだろう。

考えると、シンクロの選手は20歳代前半までの年齢だ。オーケストラは20歳から60歳台まで、幅広い演奏家を対象とする。井村コーチは孫くらいの女性を相手にする。広上さんは自分よりも年上の演奏家をずっと相手にしてきたという違いは大きいだろう。

個人的に知っている音楽家たちの話だが、彼らは非常にプライドが高くて扱いは難しい。それは演奏技術があるなしに関わらず、音楽家全般に言えることだろう。そうでなければ演奏はできない。

個人技でなくチームとして一つの目標を設定し達成することはかなり難しい。それをしていくためにはコーチとして何か卓越した見方が必要なのだろう。それを誰もが知りたいし学びたいと思っていても簡単にいかないのは、指導者にきちんとした考え方あり方向性を持っていること、人間についてよく理解していることが前提となろう。

過去にも対談番組は作ってきたNHKだが、前後半に分けて相手の懐に飛び込んでさせるという企画は面白い。過去の出演者のラインナップを見てみると、やはり有名タレントや文化人が多いことが不満だ。有名でなくても面白い人を発掘し魅力を引き出せなければ、他局や雑誌対談と変わらなくなるだろう。

人生いろいろ:消費生活相談は「188」へ!

† 最近いろいろな短縮電話番号があり、この188も普及するかは分からない。ただ各地の消費生活センターへの案内電話であるので、そちらが分かれば大丈夫である。全国一律の共通短縮ダイヤルは便利そうでかえって不便な面がある。110番、119番くらいにピックアップするくらいがいい。困ったらとにかく相談してみることだ。

‡ このブログでは国民生活センター発の情報をピックアップして転載してきたが、その甲斐もなく騙される人、困っている人は一向に減る気配はない。その国民生活センター自体も廃止されようとしていて復活したということも記憶の新しいことだ。消費社会はあれこれを巧みに宣伝し購入させる圧力があり、それに抗うことは難しい。ただ確かな情報と確かな目を持って消費活動を行ってもらいたいと心から願うものだ。すでに国民生活センターが発表する段階では問題が累積されている訳であり、騙しのテクニックパターンを考えることで賢く生活して頂きたい。


見守り新鮮情報 第225号     平成27年7月7日
◇発行:独立行政法人国民生活センター◇

   消費生活相談は「188」へ!

悪質商法等による被害、不適切な表示に関するトラブル、製品やサービスなど
による危険や危害などについて相談したいときは「消費者ホットライン=局番
なしの『188』」をご利用ください。

「188」へ電話をすると、音声ガイダンスが流れ、郵便番号を入力するなどを行
えば、お住まいの地域の消費生活センター等をご案内します。

<ひとこと助言>
☆「消費者ホットライン」は、全国共通の電話番号から消費生活センター等の
 消費生活に関する身近な相談窓口を案内します。開始当初の電話番号
 「0570-064-370」もお使いいただけます。(ガイダンス終了後、相談窓口に
 つながった時点から通話料金がかかります。)
☆お住まいの市区町村の相談窓口が開所していない場合等には、開所している
 都道府県の相談窓口や国民生活センター等を案内します。
☆自分が相談している窓口の名称と電話番号を必ず確認しましょう。後から連
 絡する場合に役立ちます。
☆消費生活でのトラブルでどこに相談してよいか分からない場合には、一人で
 悩まずに「消費者ホットライン」を利用しましょう。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)


ローマ法王、地球温暖化に警鐘 公文書で呼びかけ

ローマ法王、地球温暖化に警鐘 公文書で呼びかけ
2015年6月19日 朝日新聞

 ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は18日、環境問題に特化した公文書を発表し、地球温暖化の原因である二酸化炭素の排出、海洋の酸性化といった環境汚染が続けば、「今世紀は並々ならぬ気候変動と空前の生態系破壊を目撃することになる」と警鐘を鳴らした。

 法王は、道徳や教義への法王の立場を示す公文書「回勅」の中で、「数々の科学研究が、ここ数十年の地球温暖化の原因は主に人間活動の結果排出される温室効果ガスの濃縮によるものだと示している」と指摘。温室効果ガスを排出し続けて経済成長を遂げた先進国が、貧困の克服や社会の発展を目指す途上国の温暖化対策に技術などで協力するよう呼びかけた。一方、二酸化炭素の排出量取引については、現状が必要とする「根本的な変化」につながらず、過度の消費を維持したい国々の策略に使われかねないと指摘した。

 温暖化対策を巡っては、年末にパリで開かれる国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で、京都議定書に続く新しい枠組みで合意できるかが焦点。カトリック信者は12億人おり、法王の呼びかけが、カギとなる途上国の動きに影響を与えるか注目される。(アテネ=山尾有紀恵)


・地球的規模の異常気象といえることに警鐘を鳴らしたもの。宗教と温暖化対策はつながりがなさそうでありそうだ。温暖化は地球が壊れるというよりも、人間の諸活動により生存が難しくなっていくということだろう。このような発言をしなくてはいけないのが現在の状況だ。

さすがにローマ法王の発言だけに反響は大きい。日本ではさして大きくは取り上げられないだろうが注目しなければならない。それが人間の行ってきたことの反省だからだ。それこそ宗教の本分とするところに違いない。

宗教家は死後のことを語るのではなく、現在のこと生きることを真摯に語るべき。それを要請されているし、それに応えられなければ存立の意義が問われるだろう。日本の宗教者も見習いたい。

追記
後日、その詳細が分かったので以下に示す。


教皇フランシスコ、回勅「ラウダート・シ」発表
18/06/2015 バチカン放送局

教皇フランシスコは、回勅「ラウダート・シ」を発表された。
これは、2013年6月に発表された「ルーメン・フィディ(邦題:信仰の光)」に次いで、教皇フランシスコの第2番目の回勅となる。

このたびの回勅の表題、「ラウダート・シ」は、アッシジの聖フランシスコの「太陽の賛歌」の中の言葉「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ」(「わたしの主よ、あなたは称えられますように」の意)から取られている。聖フランシスコはこの賛歌の中で、太陽や月、星、風、水、大地など、神が創られたすべてのものを通して、神を賛美している。

教皇はこの回勅を通して、わたしたちの家である地球が上げている叫びに耳を傾け、皆の共通の家を保全し、責任をもってその美しさを守るために「方向性を変えていく」よう、「環境的回心」を呼びかけている。

回勅は、以下のように、序章とそれに続く6つの章からなる。

序章「わたしの主よ、あなたは称えられますように」
1章「わたしたちの家で起こっていること」
2章「創造の福音」
3章「環境危機の人間的原因」
4章「統合的エコロジー」
5章「いくつかの方向性と行動」
6章「環境的教育と霊性」

教皇は同回勅で、環境問題に関する最新の科学的研究を踏まえ、気候変動・水問題・生物学的多様性の保護・環境的負債など、現在の環境危機のいろいろな様相を見つめている。(1章)

そして、聖書を通して、ユダヤ教およびキリスト教的伝統の視点から、自然に対する人類の責任、すべての創造物の間にある親密な関わり、皆の共通の財産としての環境について考えている。(2章)

教皇は現在の環境危機の原因を、哲学や人間科学との対話のうちに分析。テクノロジーや、人間中心主義の弊害、また人間の労働や遺伝子組み換えの問題にも言及している。(3章)

回勅は、人類がこの世界で置かれた位置と、それを取り巻く現実を包括した「統合的なエコロジー」を提案する。教皇は環境・自然をわたしたちが生きる様々な分野、経済・政治・文化・日常生活に密接に関わるものと認識し、環境問題と社会・人間問題を切り離すことのできないものとして提示している。(4章)

教皇は、わたしたちに何ができるか、何をすべきかとの問いに対し、社会・経済・政治のあらゆるレベルにおける誠実で透明性のある対話を提案。いかなるプロジェクトも、それが責任ある良心によって生かされていないならば、決して効果的ではあり得ないと指摘する。(5章)

教皇は、環境的回心のために、教育と育成の重要性を強調。文化的危機の根源は深く、習慣を改めることは容易ではないが、そのためにすべての教育環境を巻き込んだ歩みが重要になるとしている。違う生活スタイルの選択によって、政治・経済・社会に健全な影響を与えると共に、小さな日常の態度、簡素な生活から、世界に対する責任と、弱い人々への配慮を持った、統合的エコロジーを目指すよう招いている。(6章)

教皇は、「創造主であり父である神」を信じるすべての人々と、キリスト教徒に向けた2つの祈りをもって、この回勅を締めくくっている。


ENCYCLICAL LETTER ”LAUDATO SI’”
OF THE HOLY FATHER FRANCIS
ON CARE FOR OUR COMMON HOME


http://w2.vatican.va/content/francesco/en/encyclicals/documents/papa-francesco_20150524_enciclica-laudato-si.html

NHK文化講演会「現代と仏教~豊かに生きるための知恵~」

文化講演会
「現代と仏教~豊かに生きるための知恵~」
2015年6月14日 NHKラジオ第2放送

講演:町田宗鳳(広島大学大学院教授)比較宗教学

僧侶であり、宗教学者としても活躍している町田さんは、20年の仏道修行のあと、アメリカで比較宗教学を修めた。混迷を深めていく現代において、生と死、老いること、愛することとはどういうことか?「十牛図」を参考にしながら、いま、豊かに生きるための「知恵」について、お話いただく。

参考:「十牛図」は次の十枚で構成。
第一図:尋牛  第二図:見跡  第三図:見牛  第四図:得牛  第五図:牧牛  第六図:騎牛帰家  第七図:忘牛存人  第八図:人牛倶忘  第九図:返本還元  第十図:入塵垂手

録音:2015/4/18 NHK文化センター神戸教室


・比較宗教学者だが、禅寺の小僧・雲水を経て渡米しキリスト教神学を学び、比較宗教へと進んだ経歴の持ち主。それだけでも宗派に対するこだわりが少ないことは理解されよう。

話の冒頭で、宗教とは何かと問われれば、あなたのうちにあるものと答えるという。つまり20人いれば20通りの宗教があると、このあたりから考えが柔軟であることが理解できる。

最近は、結びの思想にたどり着いて、神と人を結ぶ、自然と人を結ぶ、男と女を結ぶ・・・二つのものを結びつけると新たな価値を作り出すものだという。そこで十牛図を用いて新たな思いを与えてくれると期待してみた。

通常は禅の悟りを牛に例えて、悟りに至る道程を表したものとされる。町田先生は、その牛について、お金や地位、名誉、家庭の幸せでもいいという。その牛を見つけて、関わっていき、対象と同化し、牛そのものを忘れて当たり前に生きていくこと。

ただ、1時間の講演を聞いていて何かしっくりとこないものを感じてしまった。町田先生のあるところまでは同じところだが、そこから違っていく。十牛図の解釈は誰がやっても同じようなことになろう。その例え方がしっくりとしない。

つまり、第十図にあるカリスマのような人格となることが人間の目的なのだろうか。私は人間心理に関しては、かなりいい加減ものだと感じている。だから行きつ戻りつしながら、悟りや智慧などもどうでもいいと思っている。

町田先生の開発したという「ありがとう禅」だが、座禅とお題目を合体させたものらしく、それで大勢の人が抱える問題が解決したそうだ。思うに、町田先生はやはり学問の人なのだろう。座禅を極めているならば、もう少しことばに生活感があり重心が低いものだ。意識と無意識を融合してモノを見ることが簡単にできるわけもなく、そこに大きな飛躍を感じた。

宗教を論ずることは難しいことで、それはつまり自分自身の好みを大きく反映させたものに過ぎない。絶対的な生き方を示すことができるはずもない。その点を、どのように自戒しつつ、人々に合わせた説き方をし異なった次元を一瞬でも感じさせることができれば十分であり、それぐらいしかできないのではないだろうか。宗教哲学も比較宗教学も個人的には好むのだが、それがいかに個人の生き方に沿ってあるものかを示すことがなければ机上となってしまう。ああ難しいことだ。


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町田宗鳳
1950年、京都市に生まれる。幼少期はキリスト教会に通ったが、14歳で出家。以来20年間を京都の臨済宗大徳寺で修行。34歳のとき寺を離れ、渡米。ハーバード大学で神学修士号およびペンシルバニア大学で博士号を得る。プリンストン大学助教授、国立シンガポール大学准教授、東京外国語大学教授を経て、現在は広島大学大学院総合科学研究科教授。


町田宗鳳 WEBサイト (ありがとう禅・断食道場・公開講座)  http://www.arigatozen.com/


関連 過去のNHKラジオ放送
ラジオ深夜便
明日へのことば「愚かさの再発見」
放送日時:2012年2月1日~2日
広島大学大学院教授 町田宗鳳(そうほう)

参考 上記番組の要旨
明日への言葉
2012年2月1日水曜日・愚かさの再発見  http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html
2012年2月2日木曜日・愚かさの再発見2  http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2012/02/2.html

人生いろいろ:神経心理ピラミッドと「気づき」

† 高次脳機能障害についてパンフレットを見ていたら、とても面白い模式図を見つけた。こうしたものは初めて見た。神経心理ピラミッドとするもので、いろいろと集めてみたのでご覧頂きたい。その頂点部分が「気づき(Self Awareness)」である。宗教の目的は「気づき」「平和」と、このブログで書いてきたが、では「気づき」とは何かについては難しいことなのだ。この模式図は、脳の機能が障がいされることで出現する症状を表したもので、病気・事故などにより脳の統合が困難になることを意味する。その頂点が、自己認識=気づきということなのだろう。関連情報を調べていき、この図を見ながら考える。つまり「気づき」は高度の脳活動であり全体が低層部から調和して初めて達成されることなのだ。「気づく」とは単に分かったという閃きではないようだ。

‡ さて、この図を紹介したのが以下の音楽学者であることが分かった。彼女はピアノ伴奏理論を専門としているが、米国でリハビリの研修を受けて脳機能障害にも関心を持ったようだ。その経緯は不明だが、この模式図が医師・リハビリ医でなく音楽学者によって紹介されたことは面白い。むろん音楽は脳活動とも言えるわけであり関連がないわけではない。近年、発達障がいと称してコミュニケーション能力の著しい欠如を訴える人たちが増えている。その点で、「気づき」を目指す宗教の本来的な役割は全人格的な発達を促すといったことをも含んでいるように感じる。この神経心理ピラミッドと宗教の関係を論じたものを他では見たことがないので、こうした指摘は有意義なことだろう。

追記 
神経心理ピラミッドだが、下記の模式図が一部改変された2008年9月以降に使われているモデルがあり、最上位は「自己同一性 Ego Identity」「受容 Acceptance」となった。その他の項目にも微細な変更がある。

以前の一番上の「自己の気づき」の項目は、「受容」と「自己同一性」の2つの階層に分けられた。受傷による「自己の変容や制限を受け入れた」うえで、「それでも以前と同じように自分を好きでいられる」、あるいは「新しい自分を自分として認められる」といった自己同一性を確立することを神経心理ピラミッドの頂点としている。『前頭葉機能不全 その先の戦略』59頁


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参考プロフィール
立神 粧子 (たてがみ しょうこ)
フェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科教授
専門分野:共演ピアノ(歌曲伴奏・室内楽)、音楽学、脳の認知機能研究

1976年フェリス女学院高等学校卒業。東京藝術大学卒業後、国際ロータリー財団奨学生として渡米。シカゴ大学大学院にて修士号を取得後、南カリフォルニア大学大学院にて共演ピアノ(歌曲伴奏・室内楽)の博士号を取得。全米名誉音楽家協会(Pi Kappa Lambda)会員。

2004年よりNY大学医療センター・ラスク研究所にて脳損傷患者の機能回復訓練を研修。『総合リハビリテーション』に体験記を連載、『前頭葉機能不全その先の戦略―Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド』を医学書院より出版(2010)。神経心理ピラミッドを日本に紹介し、医療の現場で注目されている。日本各地で講演多数。

人生いろいろ:歴史と想像力

† 歴史認識を巡って中韓から批判を浴び続けているが、歴史から学ぶことは非常に難しいことだ。同じ事象であっても立場の違いがあり解釈の違いが色濃く反映する。敗戦から時間が経過し経験者たちが少なくなり、ほとんどの国民は印象で語っているに過ぎない。また若者は戦争で生じる事柄を実感できないのは当然のこと。知らないこと見たくないことは学べないだろう。

‡ 歴史教育が議論があったが、これからは国による道徳教育も始まるという。それらが多様な価値観を育むものとなり世界平和とともに自身の判断に有効になればいいが、洗脳に近いものになれば大きな禍根を残すことになる。北朝鮮のような独裁国家ならいざ知らず、日本もソフトな独裁であることは変わりないだろう。それは国民が国にお任せしますという江戸時代以降の精神構造から変わっていないことを意味する。東日本大震災関連番組は繰り返し、忘れないようにと連呼するがそれは自然災害のみではない。

榎木孝明、30日間「不食」生活中!摂取水だけ

榎木孝明、30日間「不食」生活中!摂取水だけ
2015年6月17日 スポーツ報知

 俳優の榎木孝明(59)が、5月20日から続けてきた30日間の「不食」を18日に終える。15日夜、インタビューに応じた榎木に、今回の思い切った行動を起こすきっかけや、体に及ぼしたさまざまな変化を聞いた。

1か月不食もすがすがしい表情を見せる榎木孝明

 修行僧のような姿ではなかった。榎木は痩せているものの元気で顔色も肌つやもいい。「絶食、断食ではない。食べなくても生きられることを自分の体で科学的に調べてみたかった。不思議ですが一度も空腹感はない。心地良い満腹感に満たされているような。苦痛を探してもないんです」

 この間、万が一に備え、専門家の指導を仰ぎ、都内の研究室に泊まり込み、ここから仕事へ。摂取は水のみ。血糖値や塩分対策で1度あめ玉を補給しただけだ。採血、検尿、心電図を毎日検査しているが異常はなく、9キロ減った体重はいま71キロをキープしている。

 飽食時代。04年ごろから「不食」本が注目され始めたが、榎木は20代からインド中心に一人旅を続け、飲まず食わずで帰国後、いつも体調が良くなっていることに着目。短期間の「不食」を何度も経験してきた。「食べないと死ぬ、という恐怖感が良くない」。スケジュールを調整し、1か月間の実験を敢行。さまざまな変化が起きた。

 「集中力が増し、本を読むスピードが格段に速くなった。睡眠も深くなり、4時間眠ればすっきり。腰痛も消えた。理由はまだ分からない。でも、眠っていた自浄作用が一斉に目覚めた感覚。運動時も胸式呼吸が腹式に。スタミナが増しました」

 榎木は、この経験はあくまで個人の体験に基づくもので研究の第一歩だと強調。「これを強制するものではないし、私自身、食文化を否定しません」。無事に「不食」を成功させると、2日後にはテレビの“食レポ”の仕事が待っているそうだ。(内野 小百美)

 ◆榎木 孝明(えのき・たかあき) 1956年1月5日、鹿児島県生まれ。59歳。武蔵野美術大を経て劇団四季に入り、81年「オンディーヌ」主演。83年四季退団。主な主演作に84年NHK連続テレビ小説「ロマンス」、90年映画「天と地と」、フジ系「浅見光彦シリーズ」など。7月スタートの日テレ系「花咲舞が黙ってない2」(水曜・後10時)に出演する。2男1女の父。特技は乗馬、武術全般、絵画。身長180センチ。

 ◆不食、絶食、断食とは いずれも「食物を体内に入れない」という点では共通しているが、「絶食」は主に医療行為やダイエットなど、なんらかの目的のための行為を、「断食」は主に宗教的な行為に対して呼ぶことが一般的。食欲と闘わずして食べない行為が「不食」と位置づけられている。


・不食という言い方ははじめて聞いた。「不食、絶食、断食」に違いがあるらしい。

俳優・榎木さんの一つの健康法になるのだろう。ただ、彼はそれを自分自身にのみ適用する。このような態度は大いに見倣いたいものである。

誰もが自分の体験を絶対視して、こうすれば、これを食べれば健康になると高説を垂れることが多い。それは芸能人にとっては話題になるための手段だろうが、それを真に受ける人が必ず出てくる。

厳密に言えば、個人の体験が絶対でないのは宗教体験と呼ばれるものからも分かるだろう。ある人は神を見たという、神の声を聞いた、神の意思を感じたという人もいる。それが妄想でなくて本物と誰が判断するのだろうか。

ただ、そこから宗教は始まっていくのかもしれない。問題は適用範囲であり、極限られた範囲でしか感じられない程度のことを誇大視することが多くの間違いの原因となる。

肉体を極限までもっていくと、人間本来の野生が戻ることは知られている。すると何が自分にとって食すべきか、さらにどうしたらいいのかということも頭でなく全身で分かるようになる。

私は個人的に断食の経験はないがヨガ道場で小食の経験をしたことがあった。残念ながら体感力が乏しいので何かを感じることはなかったが、案外昔の日本人が朝夕二度の食事だったということもうなずけた。

そして彼の話で思い出したが、修行は肉体をいじめることではないのだ。だから苦痛な修行は方法を間違えているし快楽の極みの果てに何かが得られるわけでもない。それはやはり自分自身との対話ということになろう。

身体の欲する刺激が何であるのか、何を食べ、何を読み書き、誰と付き合い、どのように暮らしていくのかを知っていくことが人生という修行であり、それが苦痛であるはずもない。その程度のこと、つまり腹八分(飽食の現代は腹六分か!?)を生きるということだろう。

食の管理は、くれぐれもしっかりとした導師や環境下で、徐々に初めて徐々に回復させることが要諦。イスラム教徒のラマダンなどもそうした点で優れた伝統なのだろう。

不食に値するものを、各個人が自らつかんで行うことは有効だろう。それが趣味であっても仕事や生活の中で見つけ行うこともできる。少し生活を緩めてみることは何かに気づく契機となるに違いない。


続報

榎木孝明「不食」で緊急会見!「反響に驚いています」
2015年6月17日 スポーツ報知

 今月18日まで30日間、水以外を摂取しない「不食」を続けている俳優の榎木孝明(59)が17日、都内の所属事務所で会見し、改めて体験談を語った。

 この日、新聞で報じられ、マスコミ各社から問い合わせがあり、急きょ囲み取材に。「僕自身がこの反響に一番、驚いています」。この間の排便についても触れ、「食事中の方、すいません。この1か月間に計3回あり4、5日目に宿便と思われる黒い便が。20日目ごろに腸壁と呼ばれるものが出ました。よく腸が動き、オナラが出ます。お風呂でかいだら無臭でした」などと丁寧に説明した。

 集まった取材陣も、常識ではちょっと考えられない体験を、何の苦痛なくこなし、にこやかに話す姿に「お腹がすかないって、本当にあるんですか?」「食べ物の夢を見ませんか?」など、半信半疑の質問が相次いだ。

 榎木は「不食」に賛否両論の声があることも把握しており、「決して同じマネはしないでください」と強調。宗教とのかかわりにも「どのオカルトにも宗教にも加担していません。強いて言えば、榎木教でしょうか?」といつもの物静かな口調で話していた。


グーグル検索 「約3年前の逮捕」削除命じる決定

グーグル検索 「約3年前の逮捕」削除命じる決定
2015年7月2日 NHK

インターネットの検索サイト、グーグルで名前を検索すると、およそ3年前の逮捕の報道が表示されるのは人格権の侵害だとして、男性が検索結果の削除を求める仮処分を申請したのに対し、さいたま地方裁判所が削除を命じる決定をしたことが分かりました。

先月25日に出されたさいたま地方裁判所の決定によりますと、男性は18歳未満の女性に金を払ってわいせつな行為をしたとして児童買春の疑いで逮捕され、罰金50万円の略式命令を受けました。

男性は逮捕からおよそ3年がたってもグーグルで名前を検索すると当時の報道が表示されるのは、人格権の侵害にあたるとして、検索結果の削除を求める仮処分を申請していました。

これに対しさいたま地方裁判所は「罪が比較的軽く事件に社会的な意義がない」などとしたうえで、「3年たったあとも検索結果を表示し続ける公益性は低い」として、削除を命じる決定をしました。

グーグルは「表現の自由を侵害するおそれがあり決定は不服だ」として異議を申し立てる方針です。一方、男性の代理人の弁護士はNHKの取材に対し「依頼者の要望もあり私からはコメントできない」と答えています。


・このブログでも、過去に削除依頼の要請が来たことが複数回ある。プロバイダー経由で代理人を立てて法的措置をするぞ!という姿勢のこともある。

最近の傾向は、まず検索サービス会社に対して「忘れ去られる権利」も尊重し、軽微な犯罪で社会的な制裁を得ている場合は削除する方向にある。上記の場合も、その延長上に地裁レベルでの判断があったということで一つの流れである。

ブログにマスコミ配信記事を利用しているので、その配信元が期限切れで削除されたものは残しておく道理はないだろう。

犯罪に関与した人が、その裁判として有罪となり罪を償うことが済み、再起をしたいと思うことは当然であり、その際に過去の報道が足枷になることはあるだろう。ただ犯罪とは、そこまで考えて償う必要のあることなのだと思う。

一番問題となることは、軽微な犯罪であっても、性犯罪や薬物中毒など習慣性のある場合に、そうした人の存在を警察や地域が把握しておく動きもあるほどに再犯する可能性が高いこともある。

また、このブログでも詳しく取り上げた京阪神地区でのキリスト教会へ消化器投げ込み連続事件。法的には軽微な器物破損事件でもう罪の償いは済んだことだろうが、教会関係者に与えた恐怖感は計り知れないものがあってまとめた。

彼にとっては、実名が書かれている報道は再起には負担があろだろう。ただ、すでに実名は広く拡散しており一つ一つのブログや掲示板を消すことは不可能。だから検索サービス会社に、検索しても表示されなように要請したり処分申請を裁判所に求めることになるのだろう。

報道は事実を伝えること、原因を探ること、抑制を社会に求めることがある。軽微な犯罪で社会的な制裁ということを、誰がどう判断するのか難しい問題で、個別に判断されることになるのではないだろうか。

ところで宗教者と社会的に認知されている人が、殺人まで平気で行う時代に急速に悪化した社会状況になっている。つまり市井の人たちと何ら変わらくなり、このブログで特に宗教報道と分類する意味ももはやなくなった。

職業と職業倫理が乖離し、もはやその点で問題提起をしても仕方ないと感じるようになり無力感がある。宗教者が平気で児童虐待、性的虐待する時代、家族を殺し隣人をも殺す。

このブログのマスコミ報道に関しては、縮小・削除を進めていくことは既定路線であり、その範囲を具体的に考えていく必要に迫られている。


関連

ヤフー削除基準“便乗”業者にご用心
2015年4月20日 プレジデントオンライン  ※PRESIDENT 2015年5月4日号 掲載

個人名を検索して出てくる知られたくない過去や不利益な情報が、人事や採用に影響を及ぼしたり、第三者に書き込まれた誹謗中傷で精神的苦痛を受けるケースが増えている。近年はSNSの普及に伴って、デマや虚偽の情報が拡散するスピードや範囲も上がり、重大な人権侵害となっている。

こうした被害に遭ったとき、どう対処すればよいのか。ネットの情報を完全に消し去るには、書き込まれた匿名の掲示板やブログ、SNSを逐一当たる必要がある。無数のミラー(コピー)サイトに書き込みが散在するネットの世界で、そのすべてを消すことは事実上不可能に近い。しかし、検索してもネガティブ情報が表示されなければ、元の情報に行き着くことは難しいので、問題の大半は解決する。

3月30日にヤフーが公表した「検索情報の削除に応じる際のガイドライン」は、そうした解決法の一つの形だろう。削除するか否か、要望にどう応えるかの基準を公表したもので、時代の要請にマッチした取り組みといえる。

ただ現場で削除に当たる法律家からは「ヤフーで対処しても、グーグルで検索すると出てくるのでは解決に至らない可能性が高い」(清水陽平弁護士)という声も。現在、国内の検索サイト市場はヤフーとグーグルでシェア9割。勢力は五分五分だが、世界市場ではグーグルの一人勝ちだ。しかもヤフーは2010年からグーグルの検索エンジンを採用している。「グーグルが表示しない措置を取ればそれがヤフーに反映されるから、グーグルに対処を依頼すればよい」(前出・清水氏)という。その依頼は、“削除ポリシー”一語の検索でトップに表示される「削除ポリシー」のページから行える。ただし、名誉毀損など多少の法的知識が必要だ。

問題はこうした報道に便乗し、「削除請け負います」などと宣伝し、困った会社や人に高額な月額料金を請求したり、できないことをできると称する業者の存在だ。すでに法的な対処や適切な手続きを踏めば、解決に繋がる時代になっている。今後、こうした悪質な業者の排除が急務だ。

(ソーシャルメディアリスク研究所代表 田淵義朗)


故三浦綾子さん夫妻の遺産、寄贈 資料、著作権を財団に

故三浦綾子さん夫妻の遺産、寄贈 資料、著作権を財団に
2015年6月10日 中日新聞

 作家の故三浦綾子さん(1922~99年)の夫で昨年10月に90歳で死去した光世さんの遺言に基づき、預金や著作権など夫妻の遺産が三浦綾子記念文化財団(北海道旭川市)に寄贈されたことが10日、分かった。財団は今後、寄贈された遺産の活用方法を検討する。

 夫妻に子どもはおらず、光世さんが生前に遺言公正証書を作成していた。寄贈されたのは、綾子さんと光世さんが著した文学作品など105点の著作権や光世さんの日記を含む資料約4万5千点、預金約4500万円、自宅の土地・建物。

 財団の松本道男専務理事は「貴重な資料を三浦文学の全体像を伝えるために有効に活用したい」と話した。


・著作権の寄贈ができるんだね。それにしても預貯金は思ったよりも少ない。

日本のキリスト教文学だが現在はどのようなのだろうか。三浦綾子さんの貢献は大きかった。

文学界は詳しくないが、人間の内面に迫るもの、自分を反省できるものが彼女の書くものにはあったと思う。

仏教界では瀬戸内寂聴さんが現役でバリバリやっている。

クローズアップ現代 No.3651
「愛し 書き 祈る ~瀬戸内寂聴 93歳の青春~」
2015年5月14日 NHK


上記の番組を見ていたが、1年の闘病後の復帰をアピールして、取り巻きたちも大喜びの様子だった。

寂聴さんの書いたものは全く読んだことがないが、しゃべることを聞いていると、やはり尼僧という印象はまったく感じない。法衣を着ている芸能人という感じだ。これは印象なので違うかもしれない。 

●今回病気で伏せっているとき、お墓に何を刻むか決めたそうだが?(国谷裕子)

 “愛した”“書いた”“祈った”(瀬戸内寂聴)


番組の最後で墓標に書く言葉を聞いた時に、このように語った。格好良すぎるだろう~と素直に感じる。時流に乗ることができるのが彼女の特徴だろう。

一方で、三浦夫妻は実直で朴訥とした言動を最後まで貫いた。それが素晴らしいと思う。

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