深夜便 落語100選~名人芸を味わう 「火焔太鼓」五代目 古今亭志ん生

NHKラジオ深夜便 迎康子アンカー
2015年5月1日 午前1:05~午前2:00 NHK第一、FM同時放送

▽深夜便 落語100選~名人芸を味わう          
  「火焔太鼓」五代目 古今亭志ん生
  NHKラジオ第一放送音源 昭和34.5.18放送

 【ゲスト】女優…池波志乃
 【解説】法政大学総長…田中優子
 【きき手】遠藤ふき子


・今年度から、通常の落語100選に加えて、「名人芸を味わう」と称して、過去の名人を紹介するシリーズを始めた。

落語100選では、現役の中堅どころの落語家を用いている。ただ、やはり名人の芸とは大きな落差を感じつつ、これだけ多くの落語家が生きていくためには名前を憶えてもらう意味で、このような機会をNHKも与えているのだろう。

「名人芸を味わう」のこれからのラインナップは不明であるが、昭和の有名どころでNHKに録音が残っているものを放送することになるのだろう。

古今亭志ん生の孫である、女優・池波志乃が師匠の生活を語った。志ん生の隣家に住み、孫であった彼女は、3歳くらいまで志ん生と妻との3人で朝ごはんを一緒に食べていた。師匠は納豆が大好物で始終食べていた。あとはマグロの刺身で一つ覚えだった。実は漬物が嫌いであった。

池波志乃が小学校一年生の時に、師匠が倒れて半身が不自由になったが、銭湯が好きで弟子たちに背負われて通っていた。また借金取りから逃げるために夜逃げし改名を繰り返すのが普通だった。稽古については、円楽さんや談志さんが来ていたが倒れてからでも将棋を指していた。

彼女から見て、普通のおじいちゃんだったが普段も変な人だった、言うこともよく変わり何が本当なのか分からないという。この演目の女房の掛け合い(口調)は、志ん生の妻(りん)そのままだったそうだ。師匠は、実生活でも骨董品屋に通っていたようで、この話とのつながりがある。

また江戸文化研究者・田中優子は、落語好きではないようだが、江戸文化の習俗の考証などで力を発揮することになろう。落語に精通していない分だけ、新鮮な切り口で解説を加えて頂けるように感じる。

今後、名人クラスを語れるようなゲストが呼べるかが興味あるところだ。今回は芸能界で活躍する女優であったので出演はスムーズだったろうが、せっかくならば人となりを語れる、それも弟子のような存在の方でないほうがいい。仲間でほめ合っているのは気持ち悪い。


なお調べていて分かったことだが、この録音番組だが、次の会社が制作してディレクター担当業務をしている。NHKの子会社ではないようだが、前社の時代からNHKや子会社の制作下請け、制作スタッフ派遣をしている。

株式会社 スーパー・ブレーンNEX  http://sbnex.co.jp

「日本の話芸」「ラジオ深夜便 落語100選」「浪曲十八番」など多くの演芸番組を制作しています。演芸界へのネットワークも強く、番組からイベントまで制作。ディレクター担当。

NHKは分社化し利益を分け与えあっている巨大メディアであり、そのすそ野は広い。NHKで面白い番組は、このような子会社、いやそのまた下の下請け会社の苦労で出来上がっていると考えて良いのだろう。


以下の動画は、別テイクの音源によるもの


古今亭志ん生 「火焔太鼓」

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NHK-FM 今日は一日“戦後歌謡”三昧

今日は一日“戦後歌謡”三昧
2015年4月29日 NHK-FM ~放送センターCR501スタジオからナマ放送~
午後0:15 - 6:50(395分)
午後7:20 - 10:45(205分)

▽私たちの心に寄り添う名曲の数々を10時間
▽立川志らくと市馬・夢の紅白対決
▽中村メイコ“私とラジオと歌謡曲”
▽永六輔“中村八大といずみたく”
▽弘兼憲史・北原照久“ムード歌謡オヤジ対決”

司会 : 柳亭市馬 ・ 加賀美幸子
立川志らく ・ 中村メイコ ・ 永六輔 ・ 弘兼憲史 ・ 北原照久


・恒例のNHK-FM○○三昧シリーズで、毎年「昭和の日」に放送される「戦後歌謡三昧」。

中村メイコさんの話で、『田舎のバス』の制作経緯として、中村が名古屋で一か月公演をした時に、そこはデパート中にある劇場で、客と一緒にエレベーターを利用した。その際にエレベーターガールが、知人が入ってきたときに、急に名古屋弁になって親しく話しをしていたという逸話を三木鶏郎に話したことがきっかけに作られたという。その豹変ぶりを面白くて作られたのが『田舎のバス』ということなのだ。

この曲で中村さんは秘話として、録音では谷啓がトロンボーンを演奏し、植木等が牛の声を真似ているという。優秀なトロンボーン奏者であった谷啓だが、確かに音楽的にもきちんと効果音として入れている。なお以下の動画は曲の長さが違うのだが、録音も微妙に違っており新旧録音されている!?のかもしれない。贅沢な時代だっと中村さんは振り返った。

調べたところ、「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」というバンドのメンバーをしていた時代の方々が録音に参加しているということだ。この点については《ウィキペディア》の脚注に、向井爽也『喜劇が好きなあなたヘ』p.188にも触れられていると書かれている。

昭和人として、昭和の全てを分かっている訳ではないが、昭和を回顧すると懐かしさというよりは、戦後の混乱から復帰しつつある時代、ラジオ・映画全盛期の頃、テレビ放送初期の頃は自由に冒険できる時代であったということだ。

また家族皆で楽しめる娯楽があった時代、忙しいけれど経済成長もあって夢があった時代なのかもしれない。つくづく感じるのだが、便利になり、お金で何でもできる時代になり自由を謳歌できそうだが、かえって不自由になり可能性が減っていくように思う。いつも時間に追われて何かをしているのだが、満足感がなく充実感もない。


今回、永六輔さんのクレジットがあったので期待して聞く。ところが永六輔さんの部分は、録音でしかも過去に放送された『真冬の夜の偉人たち』(2014年1月6日)の再構成だった。約97分。

この番組については、私のブログでも感想を書いていた。 http://iamthat.blog7.fc2.com/blog-entry-2324.html

なお、今年の新春に第2弾が放送されている。これも印象的な内容であった。

『真冬の夜の偉人たち』「永六輔といずみたく」永六輔
進行:加賀美幸子
2015年1月6日 前0:00~2:00

第5夜は永六輔さんが作曲家のいずみたくさんを語ります。
ちょうど一年前の『偉人たち』でとりあげた中村八大さんとの六八コンビと同様に、永六輔&いずみたくの2人もまた、「見上げてごらん夜の星を」をはじめとする、昭和歌謡史に残る歌をたくさん生み出した名コンビ。番組では、いずみたくさんの人物像を掘り下げながら、名曲の誕生秘話、詞と曲の関係について、そして、いずみたくと中村八大“天才2人” の個性の違いについてなどなど…今回も貴重なお話をたくさんうかがいます。




【田舎のバスは おんぼろ車】


田舎のバス ⇒(短縮バージョン)

人生いろいろ:寺社に液体被害、拡大

† 寺社に油のようなものを撒き散らす被害が頻発している。同一人物の仕業と防犯カメラ映像で分かっているが、模倣犯として同じような犯行をする人も他にいるようだ。また各地で神社の石像が破壊されているとの報道も加わっている。今までブログに掲載しなかったのも今後とも類似犯罪が多発すると予感されるためで、まとめるには時期尚早かと。刑罰も、器物損壊や文化財保護法違反といった軽微なものにすぎません。

‡ 今までこのような被害は、例えば塀に傷をつけたり石像を倒したりすることはありました。ただ油などで傷つけることは聞いたことがありません。油が染みこむと除去することは難しいそうで、見た目も悪いし保存にも影響が出るかもしれません。関係者らは一様に、止めてほしいと懇願するようです。イスラム国の仏像破壊等、国民共通の文化財を勝手な理屈で破損することは許されることではありません。ほんの一部の不心得者の仕業とはいえ、日本人が大事なものを大切にしないようになった結果とも言えるかもしれません。粗暴な事件が報道される昨今ですが、短絡的な思考・行動で鬱積したストレスを晴らす風潮が拡がることが懸念されます。


追記 まさかの展開になるのか・・・

寺社に油事件、宗教団体幹部に逮捕状 「お清め」と証言
2015年6月1日 朝日新聞

 奈良や京都、千葉の寺社などに油のような液体がまかれた事件に絡み、米国在住で東京都内に拠点があるキリスト教系の宗教団体幹部(52)が各地で油をまいたことを認める発言をしていたことが関係者への取材でわかった。千葉県警は、この幹部が県内で油をかけた疑いが強まったとして、建造物損壊容疑で逮捕状を取った。奈良県警と京都府警も幹部が一連の事件に関与したとみて慎重に調べる方針。

 捜査関係者によると、この男性幹部は3月下旬、千葉県香取市の香取神宮の建造物に液体をかけた疑いが持たれている。防犯カメラに液体を投げつける姿が映っていたという。

 関係者によると、この男性幹部は東京都出身で2013年に教団を設立。遅くとも同年夏ごろから中国地方の城や神社、九州地方の神社で「お清め」と称して油をまいたことを信者向けの集会で証言。「日本の寺社を油で清め、日本人の心を古い慣習から解放する」などと語ったという。この教団には東京と大阪を中心に100人以上の信者がいるとされる。



【油まき】「呪われた日本を油で清めた」「震災は神の意志」逮捕状の男、集会で主張
2015.6.1 産経ニュース

 各地の寺社に油のような液体がまかれるなどした事件は、米国に住む日本国籍の医師の男の逮捕状を千葉県警が取ったことで急転した。男は医師業の傍らキリスト教系を標榜する布教活動にも従事し、各地で集会を開催。ネット上で公開されている集会の動画では「東日本大震災は“日本の君(きみ)”の首の骨を折るための神の意思」「呪われている寺社などを油を注いで清めた」などと話していた。

 複数の動画で男が語っているところによると、東京出身で、17歳の時に韓国系牧師が創立した都内の教会でキリスト教に出合い、神の命令に従い渡米して医学を研究。産婦人科医として米国で働きつつ、布教活動にも従事してきたという。

 平成25年7月に東京で開いたとする集会の動画では、東日本大震災で倒壊した鹿島神宮(茨城県)の鳥居の写真を示し「震災は“日本の君”の首を折るために神が起こした」などと主張。震災を機に日本で「呪われた場所を清める」活動を開始するよう神に命じられたとした。100カ所以上の神社や城郭、ほこらなどを訪れ、「油を注いで清めた」と説明。この活動は「誰も連れて行かないように神に命じられた」とし、1人でレンタカーなどを使って行っていたと話した。

 「清める活動が終了し、“日本の君”を追い出すことに成功した」などとして25年、布教などのために団体を設立。各地で集会を開き、社会で働きつつ神に奉仕する重要性を説いていた。

 この男が創立した団体は東京都内の高層ビル内に事務所を設置。同団体関係者の女性は産経新聞の取材に「逮捕状が出たと報道されているが、氏名が報じられたわけではなくコメントはできない」と回答。その上で、「われわれはキリスト教徒が中心となった集まりだが、宗教団体ではなく、会費もない」と説明した。


 キリスト教を研究する東京大の鶴岡賀雄(よしお)教授の話
 「キリスト教の過去から現在を見渡しても、油でお清めをするという考え方は聞いたことがない。水は聖なるものと捉えて洗礼で使うなどするし、油も儀式で使うことはある。ただ、他の宗教を正すためや、敵対者を攻撃するため、油をまくことは普通は考えられない。何か異様な感じがする。一般論からすると、こうした異様な行動を取る場合、キリスト教か別の宗教かに関係なく『神がかり』的な状態の人が多い。分派した団体は、学者としても細かな把握が難しい」

 新潟青陵大学大学院の碓井真史教授(社会心理学)の話
 「元々は頭が良く、正義感にあふれた真面目な人物なのではないか。そうした人が世の中などに不満を感じながら行き詰まった時に、奇妙な教義に染まることがある。自分の中にある不満や欲望を、神の名前を借りて行うという場合もある。オウムなど過去のカルト事件でも、教養が高く真面目な人が危険な考え方に染まった。そこに行動力や財力が伴って、こういうことをしたのだろう。『油をお清めのため』にという考え方はあまり聞いたことがない」


NHKこころの時代 シリーズ 禅僧ティク・ナット・ハン

こころの時代 シリーズ 禅僧ティク・ナット・ハン

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第一回「怒りの炎を抱きしめる」
2015年4月5日 ETV

世界的影響力のある禅僧ティク・ナット・ハンの教えに耳を澄ます2回シリーズ。第1回は、紛争や対立、差別などの「怒り」をどう変容させたらいいのか、人生からひもとく。

真髄は、ブッダの教えに基づく「マインドフルネス(今ここに存在する自分に気づく)」。さらに、自と他の区別をなくすことで、怒りを静め、社会を変えることができると説く。その原点は、ベトナム戦争にある。教えを受けた高僧の焼身や弟子の殺害に苦悩し、暴力で対抗することなく慈悲の境地に至る。そして、キング牧師と共鳴、国際社会を変革していく。88年の波乱に富んだ人生をたどりながら、その教えに迫る。

第二回「ひとりひとりがブッダとなる」
2015年4月12日 ETV

世界的影響力のあるベトナム人禅僧ティク・ナット・ハン、2回シリーズ。第2回は、自分を見失わずに生きる。ひとりひとりがブッダとなり目覚めていくことの大切さを語る。

教えの真髄は、ブッダの教えに基づく「マインドフルネス(今ここに存在する自分に気づく)」。競争社会の中で、見失いがちな幸せや命への感謝。そこで、立ち止まり、苦しみをも含めて、自分を受け入れることの大切さを説く。そして、大切な人を失った現実をどう受け入れたらいいか、語る。「no birth,no death(すべての命は死ぬことなく、姿を変えて生き続ける)」。生死を超えた慈しみの世界を見つめる。

【出演】ベトナム人禅僧…ティク・ナット・ハン
【語り】山根基世

【出演】第二回、日本人のみ列記
 翻訳家、精神保健福祉士…島田啓介、ティク・ナット・ハン『ブッダの幸せの瞑想【第二版】』(共訳)出版社: サンガ
 批評家…若松英輔
 僧侶(光照寺副住職)、社会慈業委員会ひとさじの会事務局長…吉水岳彦


・禅僧 ティク・ナット・ハン(釈一行)
 88歳 ベトナム出身、16歳で出家、後にフランス亡命 
 「歩く瞑想」、「プラムヴィレッジ」(Plum Village、フランス南西部の拠点)1982年~

この禅僧は良く知られている存在で著作も多数、翻訳もあり私も所蔵している。今回、NHKが2回シリーズで特集したが、とても珍しいことだ。ティク・ナット・ハン師は、2014年11月に脳出血で倒れて現在療養中という。このNHK番組のためのメッセージはなく、療養中の現在の姿は撮影されていない。どのような経緯で取り上げられたのか興味は起こる。

第一回は資料映像を構成し、その教えの源を示し、第二回は師のもとに集う人たちのインタビューを含めてさらに教えを示した。インタビューに応える人は、語っているところを短く適所に入れて構成されている。また資料映像は、この共同体での法話や各地でのリトリート(瞑想合宿)で収録されたものだろう。その日本語訳は、かなり言葉を補ったもので恣意的に抜き出したものだ。

内容を詳述することはできないが感じたことを列記し、師の業績を考えてみたいと思う。

師の考え方は、他の瞑想を大事にされる方とほぼ同じであり、やり方として「歩く瞑想」などがあるが、それは日本の禅なども取り入れておりブッダの修行の一環として捉えることができる。「マインドフルネス」(今ここに存在する自分に気づく)という、瞬間瞬間を生き切ることが、幸せや自由の鍵となることを教え、実践を求めている。

その発想は、私の考察・研究対象たるアントニー・デ・メロ師のそれに類似し、人間を縛る怒り・暴力・恐怖の源泉を見つめること=「自己を見つめる気づき」が、その解放に役立つということだ。

パソコン・携帯用アプリなどで、瞑想を誘発するものがあり、私も入れているのだが、それには鐘の音が一定間隔で入るものもある。番組では、「マインドフルネス・ベル」(”気づき”の鐘)と日本人の出演者が語っていた。鐘の音とともに、行っている行為中に、いま・ここに存在することを確認することを繰り返すことで、気づきを日常生活にまで広く感じるという配慮だろう。これはありがたり用い方で、単に時間を知らせるだけの鐘の音とは違った意味を持つ。ボーンっと鳴った時に、今していることを一瞬緩めて、いま、何をしどのように感じているのかを確認する、それが「Here and Now」を感じることになる。

気づくことで意識の変容が起こる、実はデ・メロ師も多くのページを割いて、このことを書き残している。気づくだけで大丈夫なのか、大事なことは行動ではないかという意見もあるだろう。気づくとは、自分がどのような人間であり、どのように教育され、どのように反応し、何を好み・嫌い、どのような状況が得手・苦手であり、どんな思いを抱いているのか・・・それを、すべて批判なくありのままに見るだけ、それだけなのです。それを批判したり反省したり、思い直したりする必要もなく、ただ見つめるだけで、すっと自分を客観視できるのです。ただ、それだけで大きな転機を迎えることになります。

ティク・ナット・ハン師も、それを師なりの表現や詩を通して語っているだけです。ただ、それ以降のあり方は、指導者によって変わることでしょう。ティク・ナット・ハン師も、サンガ(共同体)の重要性を説き、自らも拠点として活動をしています。

この2回の放送で、世界各地から教えを受けたいという老若男女が集っています。私は、それを見るとマザー・テレサの神の愛の宣教者会、テゼ共同体、ラルシュ共同体などなど、祈りと生活と音楽と瞑想の集団を思います。このような真面目に悩む人たちがおり、インドや欧米に出かけて行き教えを乞うという状況は今も昔も変わらないものだと感じます。問題は、師から本当に学ぶことができるか、師から離れることができるか、自ら生き方に反映させることができるかでしょう。それができないと、結局は師の存在が捉われになり、師のもっとも恐れることになるのです。

そして最大の課題は、「ひとりひとりがブッダとなる」であり、私もこのブログで、「ひとりひとりがイエス・キリストとなる」必要性を記してきましたが、同様なことなのです。これが理解でき、自らが大いなるそのものであると分かった時に、師も弟子もなく、生死の区別もなく、物質と非物質の垣根すらどうでもいいこととなるはずです。

残念ながら、このような共同体の活動が世界各地で無数にあるものの、現実社会を牛耳っている政治・経済活動に大きな影響を与えることができていないことです。ただ敢えて言えば、イエス・キリストもブッダも、究極的には社会変革を目指したわけでなく、あくまでも内心あり方を変えること、それも人間本来の価値を見つめることが、どんな政治・経済体制であってもまっとうに生きるコツであることを伝えていると感じます。

誰もが深い瞑想を体験し己を律することができないのが事実であり、多くの人たちは社会現象に右往左往し、社会や隣人を恨んで生きていくしかないのです。ただ、ほんの一部の人たちには、瞑想的な思考を得て、人間の真実を知ることで、怒り・暴力・恐怖のもとを知ることができるのみです。万人に開かれている教えであっても、なかなか把握できないという問題は残ったままです。

また瞑想ビジネスと言えるものがあり、分かったようなことを書いて、悩み相談やグッズ販売などで騙す人たちも多く存在します。インターネットで「瞑想」と検索すると、怪しげなものが多数出てくるはずです。いろいろと比較しながら見れば、どのような謳い文句で何をさせようとするのかが分かると思います。この分別ができないならば、そもそも手出しすることは止めた方がいいと思います。それほど精神世界は危険な場所でもあります。瞑想を説く書籍は多くありますが、超人的な体験を記したものは避けた方がいいでしょう。

ただ、あなたの周りにも、ティク・ナット・ハン師に値する導師が必ずいます。それを見極めて教えを受けて、自ら生きながら考えるしかありません。その道は簡単ではありませんが、求めれば必ず開けていくものと私は確信しています。

ティク・ナット・ハン師を通してでも、また別の導師でも、宗教的な古典からでも、深く学ぶことは可能なのです。それをする気持ちを持ち、探求心を持って、自分自身を見つめる方法を探ることです。その行きつくところは結局は同じ結論となると思います。こうした導師との出会いがありますように、と祈らずにはいられません。(了)


参考
ティク・ナット・ハン師の著作をいくつか出版しているサンガ(出版社)に、今回、第二回に出演された方の出版本があり、リンクとして次のページがありました。

ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え
ティク・ナット・ハン2015 来日招聘委員会  http://tnhjapan.org/

現在、病気療養中のティク・ナット・ハン師に代わって、全世界のセンターで指導をされている師の高弟たち(33名の僧侶団)が来日予定。4月下旬から5月上旬にかけての来日ツアーのイベント詳細は上記から。

つまり番組放送は、このイベントに向けての何らかの意味がありそうだ。それで氷解できそうだ。無料のネット中継もあり・・・

マインドフルネス・アワー
 どこかで誰かとマインドフルネス。

日時:2015年5月10日(日)

16:00 ネット中継放映開始
 「ティク・ナット・ハン&プラムヴィレッジ僧侶団来日ツアー2015」振り返り映像等放映。
16:20 ネットライブ中継(at聖路加国際病院)
 「マインドフルネス・アワー」放映開始
 プラムヴィレッジの僧侶から、皆様へのメッセージと、マインドフルネス瞑想指導をしていただきます。
16:30 ネット中継終了

Ustream録画 ⇒ http://www.ustream.tv/recorded/62098242


4/29講演会時のチャンティング映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=1HXV3DOVtvU&feature=share
〜thich nhat hanh movie〜 ティク・ナット・ハン師のお弟子さん達によるチャンティング 〜生演奏〜

ティク・ナット・ハン&プラムヴィレッジ僧侶団来日ツアー2015」振り返り映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=hecw3976LlU
4月10日用映像



追記
非常に稀だが、放送されたばかりの同番組が総合テレビ・深夜帯でアンコール放送となる。

しかも高弟らの日本ツアーの最終盤にあたる時期であり、作為的なものだろう。

2夜連続!Eテレ「こころの時代」アンコール

こころの時代・選 禅僧ティク・ナット・ハン 第一回「怒りの炎を抱きしめる」
[総合]2015年5月7日(木) 午前2:45~午前3:45(60分)

こころの時代・選 禅僧ティク・ナット・ハン 第二回「ひとりひとりがブッダとなる」
[総合]2015年5月8日(金) 午前2:20~午前3:20(60分)


人生いろいろ:断ったのに豪華本が勝手に送られてきた・・・

† 以下の事例は36000円の本が勝手に送られてきて困ったという相談。それが菊の御紋・皇室に何らか触れるかもしないと恐れて買ってしまう可能性も高い。むろん皇室が自ら出版しているわけでなく、皇室関連の記事をスクラップした程度の内容に違いない。ブックオフなどに行くと、数万円という定価のついた未流通本がいくつも並んでいるが記念誌や戦記、紳士録などが多い。外函だけ豪華で中身がスカスカという共通点がある。

‡ 私は一定の敬意を持って皇室の活動は見つめている。ただ、いわゆる女性週刊誌など皇室の話題で一儲けしようという媒体もある。皇太子妃のご成婚に関して興味を抱いていたので某女性雑誌別冊を中古で購入したが、これは今でもなかなか捨てにくいものだ。個人的に皇室と何ら関係すらない立場だが、皇室も利用されるのは不本意ではないだろうか。


見守り新鮮情報 第220号    平成27年4月17日
◇発行:独立行政法人国民生活センター◇

  断ったのに高額な「皇室」の本が送られてきた

数日前、高齢の母が「昭和50年代の天皇家のことが分かる楽しい本があるので
買いませんか。値段は3万6千円です」と電話で勧誘された。母は「新聞や本も
読めず興味ありません」と断ったが、宅配便で皇室に関する書籍が送付され、
受け取ってしまった。(当事者:80歳代 女性)

<ひとこと助言>
☆注文や承諾をしていない商品が届いても、受け取る義務も支払う義務もあり
 ません。宅配業者に「受け取りません」と伝え、受け取り拒否をしましょう。
 受け取り拒否をしても宅配業者に迷惑はかかりません。
☆「確認が取れない荷物は受け取らない」というルールを、家族で作っておく
 のも一つの方法です。
☆困ったときは、お住まいの自治体の消費生活センター等にご相談ください。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)


なぜ女はスピリチュアル・占いにはまるのか

なぜ女はスピリチュアル・占いにはまるのか
2015年4月16日 プレジデントオンライン  PRESIDENT 2013年9月2日号 掲載

■理性を麻痺させる脳のメカニズム

こんな出来事があった。振り込め詐欺に騙されている母親が銀行員や警察が制止したにもかかわらず「私は親だから間違いなく本人だとわかる」と言いながら銀行で大金を振り込んでしまったのだ。ここに人が騙されるメカニズムをみることができる。

人間は極度の不安や恐怖を感じると、脳が扁桃体優位の状態になる。つまり扁桃体がアドレナリン放出の信号を出し、ストレスを回避する行動を促すのだ。その結果「理性」を司る前頭前野の働きが弱くなり、冷静な判断ができなくなる。詐欺師は経験的にこの現象を知っており、それを巧みに利用して人を騙すことができるのだ。

また女性が男性より騙されやすいというのも紛れもない事実である。先の振り込め詐欺の事例もそうだが、騙されるのはほとんどが女性である。そして「占い」にはまりやすいのも女性である。

この理由は実にシンプルである。それは、騙される経験が少ない、ということだ。これは脳科学的な要因という以前に、文化的な要因が大きいといえる。女性のほとんどが男性よりも社会に出ることが少なく、男性よりも騙される経験が圧倒的に少ない。したがって、騙しの技術を持つ悪人にとって女性はいとも簡単に騙すことができる相手なのだ。

たとえば「占い」について言えば、よく当たる占い師でも、「当たる確率は25%だ」という。こんな確率では株でも大損してしまう。なのに、多くの女性は「当たる占い師」だと信じてしまう。なぜ信じるのか。それは、コールド・リーディング(信じさせる技術)などを使い、“当たったかのように思わせ”られているからだ。

冷静に考えれば「当たる占い師」など存在しないことはわかる。本当に当たるなら、株をやって大儲けしているはずである。儲かっていれば1時間1万円程度の「占い」の商売をしているはずがない。よく考えればわかるはずなのに、騙された経験値の低い女性は占い師の言いなりになってしまう。だから占いの商売は成り立っているといえる。

私自身のケースを取り上げたい。私はかつて、三菱地所の財務担当をしており、ロックフェラーセンター買収にも携わった。一般的にみれば百戦錬磨の経験を積んでいるようにみえるだろう。しかし、三菱地所を辞め、会社を創業した後、多くの詐欺に遭い、果ては会社を乗っ取られてしまった。自分の会社を取り戻すのに4年もかかったのだ。三菱地所時代は総務や弁護士に守られていたことを痛いほど思い知らされた。もちろん今ではもう騙されることはないが、社会経験を積んでいると思っているビジネスマンも要注意なのだ。

以前、大手企業の社長の家族から相談を受けたことがある。社長が変な占い師にはまってしまい、冷静な判断ができなくなっている、というのだ。上場企業の社長といっても実力で這い上がってきたわけではない。長年在籍して、たまたま社長の椅子が回ってきた「偶然」の賜物である。しかし、それを認めようとせず超自然的な「運」を信じようとし、それにつけこんだ占い師にまんまと騙されていた。大企業のトップでさえも、その上をいく詐欺師にはコロッと騙されてしまうものだ。

ではどうやって騙す者から身を守ればいいのか。それは「ほどほどの欲」=「中庸」である。欲を強く出しすぎると前頭前野の働きが弱くなり冷静な判断ができなくなるからだ。いかなるときも「ほどほどの欲」に抑えることで、冷静さを保つことができ、騙す悪人から防衛することができる。これは不透明な時代を生き抜くビジネスマンにとって必須の考え方である。

認知科学者 苫米地英人(とまべち・ひでと)
1959年、東京生まれ。上智大学卒業後、三菱地所入社。カーネギーメロン大学で博士号取得後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長などを歴任。


・女性が騙される理由として、単純に女性が社会に出る機会が少なく騙される経験不足という。あまりに単純化されているので、それだけではないだろうと感じる。

例えば、男性であってもパソコンなどのブラックボックスがあるものは専門家以外は分からない。だからインターネットでトラブルに巻き込まれる。知らない世界は誰もが同じ環境にあるといえる。

騙されることは誰もが避けて通れないことだが、それに気づくような冷静さを持つような報道や教育が必要だろう。日本人は平和ボケとか戦後象徴されるが、争乱で難民化し全てを失った上で命まで亡くすという世界各地の情勢からも、平和であっても危機的な事態を想定したあり方を必要とする。

なお、地下鉄サリン事件から20年、そして逃亡犯の公判があり宗教教団の稀なる犯罪に一つの区切りがつこうとしている。

以下の記事では、洗脳状態が簡単に抜け切れないことを、救出に携わった脳科学者が語っている。この脳学者は一方で、脳活用を宣伝する商業活動を活発に展開しており、何か辻褄が合わないようにずっと感じている。つまり彼は脳のプログラミングにおいて、どちらの立場にもいかように振る舞えるという存在なのだ。

洗脳とは特別なことではなく、広く言えば、子どもの時から大人から教え込まれるすべての常識というものも人間を縛っている。日本では戦争で負けたことで、欧米の価値観を注入される際に大きな葛藤を国民に与えたことが契機として、こうしたことが表面化したに過ぎない。

それほど人間を縛るものの正体に気づくことが、本来の宗教の役割なのだが、今は宗教こそが人を縛る元凶の一つとなってしまっている。

信じていた思想から脱却することが難しいのは当然である。ただ、私自身経験として、自分が信じたのか、それとも信じ込むように操作されていたのかが大きな課題として残った。自分が信じたと思っていたことだったが、それは巧みに計略されたもので、人間だれしも同じような閉塞的な環境下で繰り返し教育されると信じてしまうものなのだ。戦時中はまさにそうだった。だからこそ恐ろしい。

オウム真理教事件という一つの象徴なのである。それは他の全ての社会制度・思想にまで拡大し、本当に信じることとは一体何だろうかと疑問を感じざるを得ない。だからオウム真理教事件を特異な人たちによる狂信的な事件と考えるのは大きく的を外すことになる。

ステレオタイプ的に、男女、年齢差、地域差から判断することは止めて、一人の人間がどのような過程で何をつかみ信じて生きてきたのかを冷静に分析し判断することが大事であろう。社会経験がなくとも何かおかしいと感じることは少し訓練を積めば誰もができることだ。


脱洗脳カウンセラー「オウム教祖を法廷で罵っても悪の教義は今も信じている信者」
2015年3月20日 dot.  ※週刊朝日 2015年3月27日号

 尊師の「ポア(殺せ)」という指示で凶悪なテロをためらいもなく実行した実行犯たち。事件直後から、オウム信者の脱洗脳を手掛けてきた脳機能学者・苫米地英人氏がその動機を語る。

「サリン事件は、オウムにとって“ヴァジラヤーナ”という教義に基づき、教えを実践したまでのこと。麻原は最終解脱者で、他人の魂を解脱させて転生することができ、人々はカルマ(悪業)を積んでいるから、苦しめば苦しむほど、より良い転生ができる。つまり、サリンをまいて苦しめて殺すことが、人のためという危険な教義だったのです」

 苫米地氏は、重罪を免れ、社会復帰した一部の幹部らは今も確信犯とみている。

「元幹部らオウム信者の多くは麻原を否定しても、ヴァジラヤーナを全く否定していない。やはり、オウムに対し、破壊活動防止法で組織を壊滅させるべきだったと思います」(苫米地氏)

 実行犯・高橋克也被告の裁判で、林泰男死刑囚や林郁夫受刑者はかつての尊師を罵った。 「本当に洗脳が解けているかは極めて怪しい。薬物を使った洗脳は簡単に解けるものではない。ずっと刑務所にいて自然に解けたなんてあり得ません」(同)

 苫米地氏は、十数人の元信者の脱洗脳に成功したが、当時の苦労をこう話す。

「隔離して専門的な技術を使って脱洗脳を行い、やっと解けたのです。その中の一人の正悟師のMは、現在刑期を全うし、OLとして社会復帰をしています」

 麻原死刑囚が収監されている東京拘置所(葛飾区)の周辺は、「麻原のエネルギーが強い」という理由から、信者の間では“聖地”とされている。ぶつぶつと何かを唱えながら巡礼する信者が近所の人の間で、たびたび見かけられている。

「麻原の死刑が執行されても神になるだけ。オウムの闇は今も解明されていないことが多いのです」(同)

 だが、未解決事件を掘り起こしてほしくない人がいるようだと、苫米地氏は指摘する。 「國松(孝次元警察庁)長官狙撃事件も、K(元巡査長)が証言をしても、証拠が次々と消されて隠滅されてしまった。サティアンがあった旧上九一色村に、核廃棄物がいまだに埋められているという話も、当局は調査しようとさえしなかった。高橋被告の審判が終わり次第、麻原から順番に死刑が執行されて、問題がなかったことのように、闇に葬られようとしています」(同)

(本誌取材班=上田耕司、牧野めぐみ、原山擁平、福田雄一/今西憲之)



ローマ法王:原発は「バベルの塔」 現代文明のひずみ指摘

ローマ法王:原発は「バベルの塔」 現代文明のひずみ指摘
2015年03月22日 毎日新聞

 フランシスコ・ローマ法王は20日、バチカン(ローマ法王庁)を公式訪問した日本の司教団と会見。東日本大震災の福島第1原発事故に関連し、人間のおごりと現代文明のひずみの一例として原発の開発に警鐘を鳴らした。法王が原発の安全性に言及するのは異例。

 バチカンは会見の詳細を発表していないが、日本司教団によると、法王は「人間は神の定めた自然のおきてに逆らってはいけない」と指摘。原発を旧約聖書の「バベルの塔」になぞらえ「天に届く塔を造ろうとして、自らの破滅を招こうとしている」と表現し、「人間が主人公になって自然を破壊した結果の一つ」と述べたという。法王は「原発廃止」や「脱原発」には言及していないが、現代文明の抱える課題として懸念を表明した形だ。

 また、法王は広島、長崎への原爆投下と第二次世界大戦終結から70年を迎えることに触れ、核兵器製造を「人類の悪行」と非難したという。日本司教団は法王が日本に向けた平和のメッセージを発表するよう依頼した。

 法王は禁教下に信仰を死守した潜伏キリシタンを「指針」とたたえた。キリシタン大名の高山右近(1552?1615)がカトリックで「聖人」に次ぐ「福者」に認定される見通しで、法王は来年、日本で予定される列福式に「可能なら行きたい」と述べたという。【ローマ福島良典】


・この報道であるが公式なものではなく、内容が内容だけに慎重な扱いとなるだろう。

「(被災地からの手紙を伝えたいという思いを知った)独プロテスタント教会から、日本のカトリック正義と平和協議会へつなぎ、ローマ法王へ飯館村の人の手紙を届けた。」という確実な情報もあり、被災地の声を直接、法王に伝えたものと思われる。

内容的には、誰もが同意するものであり、人間の驕りが科学・技術の暴走を制御できなくなっていることに懸念を示したものだ。もはや宗教者が、進歩が速い科学分野の知識を理解し説明することすらできない状態にあり、判断も難しいことだろう。

ただ結果として、生活基盤を破壊し多年にもわたる健康被害をもたらすことに危惧を感じるのは当然だろう。いち早く原発廃止を決めたドイツのような大人の判断ができるか否かだろう。

それにしても、こうした内容を伝える報道は他になく非常にデリケートな問題なのだろうと感じる。


日本カトリック 正義と平和協議会  http://www.jccjp.org/jccjp/home.html

宗教人口、イスラムが最大勢力に 今世紀末、米調査機関が予測

宗教人口、イスラムが最大勢力に 今世紀末、米調査機関が予測
2015/04/04 共同通信社

 世界の宗教別人口は現在キリスト教徒が最大勢力だが、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年になるとイスラム教徒が最大勢力になるとの予測を米調査機関ピュー・リサーチ・センターが3日までにまとめた。両者の勢力が伯仲するのは人類史上初めてだとしている。

 同センターは世界人口をキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教、伝統宗教、その他宗教、無信仰の八つに分類。地域別などに人口動態を調査し、10年から50年まで40年間の変動予測を作成した。【ニューヨーク共同】


・イスラム教の増加は今後とも堅調のようだ。過激主義による行動が非難されているが、イスラムそれとは違うという認識は誰にもあるようだ。

兄弟宗教としてユダヤ・キリスト・イスラムが、違いを強調するあまりに融和できないのは不幸なことだ。今後とも人口増が期待されるアジアでの覇権争いが続くのだろう。

世界的にも経済格差が進展し、貧者に対しての共感のあり方が教勢拡大のポイントなるだろう。それが経済システムを変える動機にもなればいいのだが、人間から暴力・金を取り去ることは難しい。

イースターを迎えた。教会礼拝等は、今ではネット配信が盛んになり全世界・全国の礼拝が見られる。そこで、つくづく違いと共通性を感じながら視聴する。

歴史的には、もともと礼拝の重点は説教ではなかったろう。典礼のように決まりきった形式を古典様式で行い、参加者は意味も分からずに過ごした。その反転として宗教改革となり、より聴衆に身近なあり方を考えて説教の比重も大きくなる。

感じるのは、語られる説教内容があまりに現実離れしており、心に響かなくなってしまっていることだ。現実的な問題に対応できるような聖書の答えがあろうはずもなく、要は個々人の判断に委ねられる。

その判断基準が多くある現代では、絶対的な答えも存在しない。だから宗教的な答えがあっても、それが十分な解答を与えることはできない。

日本の教会の風景を垣間見ると、高齢者ばかりの伝統ある教会と、若者ばかりの新しい教会になる。前者は勢いはないし派手さもない。後者は勢いだけで根がないので入れ替わりが激しい。

教会とは何なのだろうか。祈りの重要性が叫ばれて、全世界で平和・寛容を求める祈りがささげられているには違いない。ただ、それがどう作用し実現されていくのか。そもそも人間の祈りは、神の祈りとは違うのではないかという思いがする。

この点で、デ・メロ神父の著作、藤木正三牧師の考察から学ぶことは多かった。

宗教を考える上で、その勢力がどうこうという問題は意味をなさないだろう。与えられた縁のなかで、宗教的な生き方を達成することのみに意味があろう。

落語「地獄八景亡者戯」(桂米朝、桂枝雀)

† 1時間を超える演目だが、時代のアドリブを入れることで演者の個性が大きく反映される。笑いを評価することは避けるが、米朝師匠は風格のある芸、枝雀師匠は観客との一体化を目指した芸ということができよう。米朝師匠は自らも近日来演と登場させて笑いを誘っている。話にメリハリがあり口舌が素晴らしい。枝雀師匠は、恐らく米朝師匠のものを意識して好対照となるように練られている。同じ演目でありながら静と動といような感じである。枝雀師匠の表現力は当代一だろう。

‡ 落語の源流は仏教の説教であり日本人には馴染みの風景が展開する。三途の川や閻魔の裁きなどのプロットは外せないが、その前後の風景をアレンジすることでアドリブができる。こうした亡くなった後の風景に親和性を感じる年齢になってきた上で、死ぬことに対する思いも最近違った意味を持つようになった。それは死後の世界があるとかないとか、輪廻転生するか否かといった二元論でなく、生きていることも死ぬことも同じ延長線上にあるという思いである。何よりも心強いのは亡者の方が多くて安心感があることだ。あの人もこの人も、すでにあちらにいる。こっちよりもあっちの方が馴染むのだ。地獄の風景は、生きる戒めとして語られたものだが、この演目では地獄の沙汰も金次第という現代の皮肉も語ることが落語でしかできないことなのだ。笑わせた上で、死後のことを考えさせることが人生を考えることになるのだろう。



桂米朝 「地獄八景亡者戯」



桂枝雀 Shijaku Katsura 地獄八景亡者戯 1/2 落語 Rakugo


桂枝雀 Shijaku Katsura 地獄八景亡者戯 2/2 落語 Rakugo


参考

米朝さん登場の「地獄八景」熱演 米団治さん、父ゆかりの演目
2015/03/20 北海道新聞

 上方落語家で人間国宝の桂米朝さんの死去から一夜明けた20日、長男桂米団治さん(56)は大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演、噺の中に米朝さんを登場させるなど熱のこもった高座をやり遂げ、観客を沸かせた。

 約50人のファンらが詰め掛けた寄席に、米団治さんは黒紋付き姿で現れ、噺のまくらで、米朝さんが亡くなった経緯を説明、「本当に大往生。さすが人間国宝」と笑わせた。その後「やっぱりこれかなと思って」と、古い噺を米朝さんが再構成した代表演目「地獄八景亡者戯」の前半を演じた。



追記  2016/1/25
米朝さん「地獄八景」これが原点 半世紀前の音声を発見 (朝日新聞)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ170C5VJ16PTFC01V.html?rm=563

人生いろいろ:早すぎる死

† 早すぎる死というものがある。もし彼・彼女が生きていたら歴史が変わったということだ。私の忘れられない出来事に女優・太地喜和子の事故死と落語家・桂枝雀 (2代目)の自殺がある。どちらもテレビでしか知らないけれど圧倒的な存在感があった。どちらも師匠から将来の活躍を嘱望され新劇界・落語会を背負って立てる人材であった。ただ早世だからこそ人々の記憶にもさらに強く残るだろう。幸いに多くの映像資料が残されているのでありがたい。

‡ 枝雀師匠については、彼のサイン入り著作(文庫と新書サイズ)がある。筆跡から本人のものである。これらは古本で入手したのだ、こうした本一冊一冊にも購入者のためにサインした風景を想像してしまう。巷でも入手できるのだから相当にサインをしたのだろう。この緻密さ・親切さが彼の芸道を高めただろうし自死への階段を上らせたという皮肉にもなる。落語家・桂枝雀の師匠の人間国宝・桂米朝もつい最近亡くなった。こちらは大往生であった。何事でもそうだが、師匠と弟子という関係、道を継ぐということの難しさを感じる。そして、やっと後継者が現れたと思った時にそれが絶たれることこそ辛いことはないだろう。桂米朝師匠の葬儀あいさつで、弟子たちも今後もビデオで勉強させてもらうという弔辞があったが、それでは伝承は無理なのだ。相対することでしか果たされないからこそ一期一会は貴重なことなのだ。

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