ロシア、「宗教冒とく罪」法案提出

ロシア、「宗教冒とく罪」法案提出
2012年9月26日 TBS

 ロシアで今年2月、女性バンドのメンバーが教会でプーチン政権に抗議するパフォーマンスを行って有罪判決を受けましたが、ロシア政府は新たに、宗教への冒とく行為を罰するための法案を国年会に提出しました。

 この法案は、宗教への冒とく行為に対する罰則を設け、違反すれば最高で禁錮3年、罰金刑の場合、75万円以下が科せられるというものです。ロシアでは今年2月、女性ロックバンド「プッシー・ライオット」のメンバーが、教会でプーチン政権に反対するパフォーマンスを行って逮捕され、3人に禁錮2年の実刑判決が言い渡されています。

 インタファクス通信によりますと、ロシア大統領府の上層部の1人はこの法案提出について、「プッシー・ライオットの事件などに対する信者の感情を反映したものだ」と述べています。しかし、ロシア国内では、この法案は宗教への冒とく行為を罰する名目で反政府の動きを締めつけるものではないかという批判が出ています。



・この事件の背景には、プーチン支持を鮮明にしたロシア正教に対する批判があるのだろう。教会での反プーチンパフォーマンスに対して、宗教の名前を借りた締めつけという見方で欧米からの批判を受けている。

禁錮2年の実刑判決という極めて重いものだが、そのような憎悪を引き起こし秩序を乱したとは思えない。

真実を伝えたいという欲求は誰しもあろうし、特に芸術とは価値を否定することでの再創造を目指すものを常に内包している。彼女らがパフォーマンスをしたからといって、強力なプーチン政権が揺らぐはずもないのだが、一定の抑止効果は期待されうる。

聖物に対する侮辱という抽象的なものである以上は、宗教施設では政治的なことは一切ご法度であるという政治介入を強めることでロシア正教も手足を縛られることになるのではないだろうか。この法律に対するロシア正教の姿勢も問われることになる。

日本でもマスコミやテレビなど、自主規制というものがあり、特に政府が関与しなくても良いという皮肉な環境にある。例えば、大手宗教団体の問題点を扱った素材を放映することは絶対にないし、宗教と政治の牽引関係を追求することもできないのである。


ロシア下院で聖物侮辱罪に関する法案審議
2012年9月26日 The Voice of Russia

信者の感情の侮辱または聖物の冒涜に対する刑罰について規定した法律案が、ロシア国家院(下院)で審議にかけられる。「インターファクス」が社会的統一および宗教結社に関する委員会のヤロスラフ・ニーロフ委員長の言葉を引用しながら伝えた。

こうした犯罪に対する最も重い刑罰は3年間の自由剥奪である。また、30万ルーブル以下の罰金、あるいは200時間以下の懲役が科せられる可能性もある。

聖なる施設・器具を侮辱し、または聖なる施設を壊乱した場合には、より重い罰が科せられる可能性もある。ニーロフ委員長によれば、その場合の最高刑は50万ルーブル以下の罰金、または5年以下の自由剥奪となる。

法案は公共空間における冒涜的行為、宗教的または礼拝に関する文献、図像、紋章の毀損などの行政上の違法行為に関する法令集に入れられる。行政上の違法行為に対しては3万から5万ルーブルの罰金が科せられる。



《ウィキペディア》 
プッシー・ライオット (露: Пусси Райот、英: Pussy Riot) は、ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団。許可を取らずに、モスクワ地下鉄や赤の広場で即興演奏をすることを特徴としている。バンド名は"プッシーの叛乱"の意。


公式ブログ  http://pussy-riot.livejournal.com/

露「プッシー・ライオット」の未拘束メンバー2人、国外に逃れる
2012年08月27日 AFP

モスクワ(Moscow)の救世主ハリストス大聖堂(Christ the Saviour Cathedral)でウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の退陣を求める抗議行動を行ったとして警察が行方を追っているパンクバンド「プッシー・ライオット(Pussy Riot)」の女性メンバー2人が、逮捕を逃れるために国外に逃亡したことが分かった。同バンドが26日、明らかにした。

 同バンドはツイッター(Twitter)上で、「警察に追われているメンバー2人がロシア領土からの脱出に成功した!彼女たちは今、外国のフェミニストたちを集めて新たな行動を起こそうとしている」と発表した。2人の所在は明らかにしていない。

 プッシー・ライオットのメンバー5人は2月21日、明るい色の目出し帽をかぶって救世主ハリストス大聖堂に忍び込み、聖母マリア(Virgin Mary)に「プーチン大統領を追い払ってください」と訴える「パンクの祈り」を大音量で演奏した。

 5人のうち、逮捕・起訴されたマリア・アリョーヒナ(Maria Alyokhina)、ナジェージダ・トロコンニコワ(Nadezhda Tolokonnikova)とエカチェリーナ・サムツェビッチ(Yekaterina Samutsevich)の3被告には今月17日、「宗教的憎悪によって秩序を乱した罪」で禁錮2年の実刑判決が言い渡された。

20120927

 残る2人は身柄の拘束を逃れていたが、判決から3日後の20日、警察当局はこの2人の逮捕に向けた捜査を始めたと発表していた。

 大聖堂での抗議活動には、ビデオ撮影をした人物など5人以外のメンバーも参加していたが、その人数ははっきりしていない。【8月27日 AFP】



ロシア 政権批判の女性バンド再び有罪
2012年10月11日 NHK

ロシアで女性バンドがプーチン大統領を批判する歌を教会で歌ったことが罪に問われた事件の控訴審で、3人のうち2人に1審に続いて懲役2年、もう1人に執行猶予のついた有罪判決が言い渡されました。

この事件では、ことし2月、ロシア正教会の大聖堂の中でプーチン氏を批判する歌を歌った女性バンドのメンバー3人が、社会の秩序を乱した罪に問われ、1審で懲役2年を言い渡されて控訴していました。

10日、モスクワの裁判所で開かれた控訴審で、3人は改めて無罪を主張しましたが、このうち2人には1審に続いて懲役2年の判決が言い渡されました。もう1人については、現場にはいたもののパフォーマンスには参加しなかったとして、懲役2年に執行猶予がつけられ、即日釈放されました。

バンドの弁護団は、判決の3日前に放送されたテレビ番組で、プーチン大統領が1審の判決は正しいと述べたことを指摘し、「国家のトップであろうと司法に圧力をかけることは許されない」と述べ、政権の意向が判決に影響したと批判しました。

この事件については、人権団体やバンドの支持者などからも公正な裁判ではないとして、メンバーの釈放を求める声が挙がっており、弁護団は、今後、さらに上級の裁判所に上訴するほか、ヨーロッパ人権裁判所への提訴も検討しています。



反プーチン派の女性バンド2人も釈放…露で恩赦
2013年12月19日 読売新聞

 インターファクス通信によると、ロシア下院は18日、プーチン大統領が提案した恩赦法を可決した。恩赦は19日に実施される。

 恩赦は憲法施行20年を祝って行われ、約2万5000人が対象。ロシア正教会の聖堂でプーチン氏の大統領復帰に抗議する演奏をし、「暴徒罪」で禁錮2年の判決を受け服役中の女性バンド「プッシー・ライオット」のメンバー2人も釈放されることになった。

 欧米がバンドメンバー投獄を反対派への締め付けとみなしたことや、同性愛に関する情報を未成年に広めることを禁じる法律を制定したことがソチ五輪を前に批判を浴びているため、恩赦によって人権状況改善を示し、欧米の批判を和らげる狙いがあるとみられる。【モスクワ=緒方賢一】



プッシー・ライオット釈放へ=ロシア下院が恩赦法案可決
2013年12月18日 時事通信社

 ロシア下院は18日、プーチン大統領提出の恩赦法案を可決し、大聖堂で反政権ソングを歌って投獄された女性パンクバンド「プッシー・ライオット」メンバー2人が近く釈放される公算となった。

 恩赦は1993年の憲法制定20年に合わせたもので、受刑者や刑事被告人ら約2万人以上が対象。同性愛規制など人権問題で内外の批判が高まる中、2014年2月のソチ五輪前にプーチン政権のイメージ向上を図る狙いもあるとみられる。

 2人の刑期は14年3月までで、幼子を抱えるナジェジダ・トロコンニコワさんは病院で収監中。マリア・アリョーヒナさんは最近「(大統領提案の)恩赦を辞退したい」と発言し、反政権を貫いているとして支持者から喝采を浴びた。【モスクワ時事】

 
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澤木興道 語録18

人間という奴は、退屈せんようにのみ、つとめよる。(澤木興道)1-123

・うがった見方をすると、退屈しないように事件・事故を起こすよ。

「イエスに妻」初の文献か 4世紀のパピルス、米教授が解読

「イエスに妻」初の文献か 4世紀のパピルス、米教授が解読
2012年9月19日 中日新聞夕刊

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は十八日、イエス・キリストが自身の「妻」について言及したと記されている文献が見つかったと報じた。四世紀に書かれたとみられ、キリストに妻がいた可能性を示す初の文献という。カトリック教会は、キリストは独身だったとの立場を堅持しており大きな論争を呼びそうだ。

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 文献を解読したハーバード大の歴史学者カレン・キング教授は、妻がいたことの証明にはならないと強調する一方、発見には「わくわくする」と話している。匿名の文献所有者が昨年、教授に解読を依頼。教授はパピルスの専門家らの意見も聞き、偽造ではなく本物と判断した。発見は十八日にローマで開かれた国際学会で発表された。

 世界的なベストセラー小説で映画にもなった「ダ・ヴィンチ・コード」で、売春婦だったとされる「マグダラのマリア」との間にイエスが子どもをもうけたとするストーリーが展開され、ローマ法王庁(バチカン)側が猛反発したが、ニューヨーク・タイムズ紙は「マグダラのマリアがイエスの妻だったか、イエスに女性の弟子がいたかなどをめぐる論争が再燃する可能性がある」との見方を示した。【ニューヨーク=共同】



・NHKのニュースでも報道されていた。

 縦4センチ、横8センチの名刺大のパピルスに、黒いインクで「イエスは彼らに言った。『私の妻は…』」「彼女は私の弟子になることができるだろう」などと古代エジプト語(コプト語)で書かれていた。(日経新聞)とも共同通信は伝えている。

記事にあるように、この資料だけでは何も断定できずに、単に4世紀ごろのパピルスに書かれていたものがあったというだけのもの。

イエス・キリストについては、磔刑されたという聖書の記事だけでなく、さまざまな逸話・民間伝承がある。妻子があったとか、中には日本に渡った!?という奇抜な話も多い。

少なくとも世界のキリスト教徒にとっては大きな話題になるのは間違いないが、日本人にはピンと来ないかもしれない。

キリストにしても聖者にしても、その生涯は華々しく脚色されていると考えるのが普通の見方だろう。


“キリストに妻”古文書発見
2012年9月20日 NHK

イエス・キリストに妻がいた可能性をうかがわせる古文書が初めて見つかったとアメリカの研究者が学会で発表し、欧米のメディアが大きく伝えるなど関心が高まっています。

発表したのは、アメリカのハーバード大学大学院のカレン・キング教授で、18日、イタリアで開かれた学会で詳しく説明しました。それによりますと、この古文書は、縦4センチ横8センチほどの「パピルス」と呼ばれる、草の茎の繊維で作った一種の紙でエジプトの収集家が保管していました。

エジプトでかつて使われていた言語で「イエスは彼らに言った。私の妻は」と記されており、書かれたのはキリストが亡くなってから数百年あとの、4世紀とみられるということです。

キング教授は、キリストに妻がいた可能性をうかがわせる古文書だとしながらも、「キリストが結婚していたかどうかは、この古文書だけでは定かではない」とも話しています。

キリストの妻の存在は多くのキリスト教徒の間で否定されていて、2006年に公開された映画「ダ・ヴィンチ・コード」で、テーマの1つとして描かれた際には、多くの反発が出て世界的な論争を巻き起こしました。今回の発表について、欧米のメディアは「論争が再燃する可能性がある」と大きく伝えるなど、関心が高まっています。



キリストに妻? 言及の古文書を発見
2012年9月20日 ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト

 2000年前に生きたイエス・キリストは、結婚していたのだろうか。これまで何世紀にもわたって取りざたされながら、有力な証拠を欠いていたこの問題が、新たに注目を集めている。きっかけは、キリストの妻に言及した古いパピルス紙の断片の存在が明らかになったことだ。

 このパピルス紙片は、ハーバード大学の歴史学者カレン・キング(Karen King)氏が、その内容を明らかにした研究成果を発表したことで世界的ニュースとなった。名刺よりも小さなその紙片には、数行の手書きの文書が、キリスト教のシンボルを使用するコプト語で綴られていた。文書の最後の行には、イエスの発言の引用という形でこう書かれている。「そしてイエスは言った。私の妻は……」。

 文章は途中で切れており、パピルス紙片はより大きな文書の一部と考えられる。記述が途切れているため、その後にどんなことが書かれていたのか、そして、“妻”とは誰だったのかは謎だ。

 イエス・キリストに近しい伴侶がいたことをにおわせる文書はこれまでにも存在したが、キリストの没後数世紀以内に書かれた文書で、妻の存在を直接言及したものはこれまで見つかっていなかった。

◆紙片の暫定評価は“本物”

 このパピルス紙片の書かれた年代や真贋については依然調査中だ。しかし、初期キリスト教の歴史や文書に詳しい一部専門家による暫定評価は、これが本物であることを示している。現時点では、キリストの死後2~4世紀に書かれたものと推定される。

「2世紀に書かれたのがもし事実なら、キリストの結婚歴に関する主張は、キリストの死後1世紀以上経って、セクシュアリティや結婚、弟子の問題をめぐるキリスト教徒間の論争の中で、初めて出てきたことを示す直接的な証拠となる」。キング氏は、プリンストン大学の宗教学教授アンマリー・ライアンダイク(AnneMarie Luijendijk)氏と共同執筆した論文草稿の中で、このように述べている。

 ノースカロライナ大学チャペルヒル校の宗教学者で著述家のバート・アーマン(Bart Ehrman)氏は次のように話す。「もしこれが言われているとおりのものなら、史上初の発見だ。この種のものは確かにこれまで見つかっていなかった」。

 ただし、キリストの妻に言及した文書が見つかったからといって、それがキリストに妻がいた証拠にはならないとアーマン氏は指摘する。「この文書が示しているのは、2世紀にキリストの支持者が存在し、その人物がキリストには妻がいたと考えていた可能性があるということだ」。今回の発見は、キリストの生涯を説く主要福音書の執筆と改訂が進められていた時代の初期キリスト教の発達に光を当てるものとなるだろう。

◆紙片の発見は「大きな進歩」

 オタワ大学でコプト語とパピルス学を研究するイッツェ・ダイクストラ(Jitse Dijkstra)氏は、このパピルス紙片の発見を「大きな進歩」と評価する。

 パピルス紙片を発見したハーバード大学のキング氏が「New York Times」紙の取材に対して語ったところによると、この紙片は個人収集家から貸し出されたものであり、理由は不明だが、何らかの事情でこれまで数十年間その存在を伏せられていたのだという。

 このパピルス紙片の前にキリスト教研究者の心をとらえた重要文書といえば、「ユダの福音書」だ。この研究プロジェクトの詳細はナショナル ジオグラフィック誌で特集されている。

 ナショナル ジオグラフィック協会の支援で修復と保存作業が行われたこの長大な文書は、キリストの使徒イスカリオテのユダが、長らく研究者や宗教的指導者たちに考えられていたような裏切り者ではなく、裏切りとされる行為は、ユダがキリストの指示を受けてとったものだった可能性を示している。

 今回のキング氏によるパピルス紙片の研究成果は、ローマで開催中の国際コプト学会議において9月18日に発表された。  Daniel Stone for National Geographic News


人生いろいろ:悪徳、移動物干し竿売りに注意!

† この事例のように、物売りには注意した方がよいという典型例だ。その手口も同様であり、返品のできないようにアレこれとしすごんで買わせるというものだ。

‡ 領収書がニセモノであったり存在しない会社であったりする。この他にも鮮魚売りとか変形例がある。


見守り新鮮情報 第142号  平成24年8月28日
◇発行:独立行政法人国民生活センター◇

   思わぬ高額請求!移動販売の物干し竿購入トラブル

 「物干し竿2本で千円」と巡回していた移動販売車を呼び止めた。するといき
なり値段表を見せられ、3千円のところを指さして、「これしかないがよいか」
とアナウンスとは違う竿を勧められた。「ステンレス製で質も良い」というこ
とだったので4本注文したところ、代金を支払うときになって突然8万円請求さ
れた。値段表と違うと指摘したが「それは50センチ当たりの料金だ」と言われ
た。財布にあった5万円を渡してどうにか帰ってもらったが、業者は若い男性で、
家には自分一人だったため怖くてそれ以上抵抗できなかった。高額でおかしい。
返金してもらえるか。(60歳代 女性)

<ひとこと助言>
☆物干し竿の移動販売業者から高額な料金を請求されたという相談が寄せられ
 ています。
☆事例の他にも、「長さ調節のため竿を切った後に初めて請求額を言われ『も
 う切ってしまったから返品不可』と支払いを強要された」「物干し竿だけを
 希望しているのに物干し台まで買わされた」等のケースもあります。
☆クーリング・オフ等が可能な場合もありますが、領収証が発行されなかった
 り、発行されても記載された連絡先や住所が架空のものだったりで、その後
 の返金交渉等ができないケースが多く見られます。
☆移動販売業者から購入する際は、購入前にしっかり商品と金額を確認するこ
 とが大切です。金額等に納得がいかない場合はきっぱり断りましょう。
☆困ったときは、お住まいの自治体の消費生活センター等にご相談ください。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)


神の風景-人間と世間-100

「救いとは、あるがままに包んで問わないことです。人それぞれに問題が解かれて心に平安が与えられれば、ご利益であろうとなかろうと、うるさく詮議しないのが救いではないでしょうか」(藤木正三)2-120暖かさの中で

・信仰的な救いなど難しく考えることはないと思います。ちょっとした平安を感じられればそれでいいのです。救われて、どうなりたいとあなたは言うのでしょうか。超人・悟り・諦め…なんて不要。

三浦綾子全著作を電子化 10月から配信

三浦綾子全著作を電子化 10月から配信 
2012/9/18 中日新聞 夕刊

 『氷点』『塩狩峠』などで知られる作家・三浦綾子さん(一九二二~九九年)の小説・随筆など全著作(八十作・九十一点)を電子書籍化する「三浦綾子電子全集」の配信が始まる。小学館と三浦綾子記念文学館が共同で発表した。

20120919 18

 まず十月十二日に出世作『氷点(上下)』と最後の小説『銃口(上下)』を。続いて『塩狩峠』『積木の箱(上下)』『道ありき』など、毎月第二・四金曜に五点ずつを配信。同文学館が所蔵する作家の写真や創作秘話などの収録もあり、愛読者にはうれしい。価格は全作一点五百二十五円。専用電子書籍・パソコン・携帯電話のほか、スマートフォンやiPadなど、ほとんどの端末からダウンロードできる。

 十一日に北海道旭川市内で記者会見が開かれ、『塩狩峠』以後の全著作を口述筆記してきた夫の三浦光世さんが「絶版になっている綾子の約半数の作品を再び読んでもらえる機会を得てうれしい」と話した。また自殺者の増加や3・11などのいまの不安な世相をうけて、小学館の白井勝也副社長も「献身や原罪や自己犠牲というキリスト者の精神を背景にした三浦作品に再び注目が集まっている」と、電子全集刊行の理由を語った。

 今年は綾子生誕九十周年。会見に先立つ文学館訪問でも、震災被災地への「三浦綾子の本を送る活動」が紹介され、「税金に頼らず全国の多くの賛助会員と市民ボランティアの尽力で館を運営している。市民の文学館は市民の手で」との思いが伝えられた。病苦の中で「愛他」の信念を持ち執筆を続けた綾子の生き方だけでなく、死の後も読者や市民らが綾子の精神を受け継いでいることを確認できた。

 綾子と同じく創業九十周年を迎える小学館も「今後とも電子書籍に力を入れ、一九六〇~九〇年代の刊行書籍約千三百点を電子化する予定」という。「三浦綾子電子全集」の刊行そのものは快挙だが、現状ではまだ紙の書籍に愛着を持つ読者が多く、「売り上げも含め電子書籍の普及は手探り」のようだ。 (大日方公男)


・この発表には驚かされた。

電子書籍は、思った以上に伸びてはいないのだが、これからの展開を見据えてのことだろう。彼女の書籍は主婦の友社をメインにして、いろいろな出版社から発売されてきた。晩年は小学館とのつながりが大きかったようだ。

この企画だが、小学館の創設記念と合わせてのようで、堅実な三浦文学を電子書籍化することで今後を占いたいという思惑もあるのだろう。

記事にもあるが、絶版となっている本も多くなっているということでファンには新たな楽しみとなるのかもしれない。そして、この企画では特典として秘蔵写真などを付けるという。

彼女の文学でキリスト教や内面に興味を持った日本人は多い。新たな読者を獲得できるのか、そして現代に活かされるのか期待されるところだ。


三浦綾子記念文学館  http://www.hyouten.com/

『三浦綾子 電子全集』特設サイト(「小学館 ebooks」内) http://ebook.shogakukan.co.jp/miura-ayako/

三浦綾子:小学館が電子版『全集』、来月から配信 「悩む人々の羅針盤」
2012年09月19日 毎日新聞 東京夕刊

 敬虔(けいけん)なクリスチャンとしても知られる作家の三浦綾子(1922~99)。数々の病と闘いながら発表した作品群が、東日本大震災後の日本で改めて注目を集めている。小学館は全書籍を電子化することを決め、このほど三浦綾子記念文学館(北海道旭川市)と共同で、発表会見を開いた。

 『三浦綾子 電子全集』は小学館の創業90年と、三浦の生誕90年を記念して企画。絵本、画文集を除く全80作品91点を、10月12日から配信する。デビュー作『氷点』と最後の小説『銃口』(ともに上下巻、各500円)を皮切りに月2回、2013年6月まで配信の予定。創作を支えた夫光世さん(88)が語るエピソードや、同記念文学館所有の秘蔵写真なども各巻に収録する。

 特に94年に刊行された『銃口』は、文芸の分野では後発だった同社にとって、記念碑的作品という。

 会見で白井勝也副社長は「小学館文庫は創刊15周年になるが、『銃口』をその創刊ラインアップに入れることができた。この作品を頂けたことは、どれだけ文庫創刊の力になったか」と振り返った。

 「祈り」「命」「愛」などをテーマとする三浦作品には3・11以降、新たな光が当たっている。同記念文学館によると、絶版状態だった『石ころのうた』(角川文庫)など7作が今年、復刊された。増刷総数も、昨年1年間は約6万3500冊だったが、今年は現時点で約22万1800冊に。うち『氷点』は11年が計約1万1000冊、12年計約4万冊という。『続・氷点』(同)は11年の計約6000冊に対し、12年は計約3万冊。同館の松本道男専務理事は「震災で多くの人が困難と向き合い、また年間自殺者が3万人を超すなど生きにくい社会の中で、悩む人たちが羅針盤を求めているのではないか」と分析する。


すっぴん!薬草文化を広げたい 薬剤師・チベット医師 小川康

すっぴん!インタビュー【テーマ】薬草文化を広げたい
2012年9月20日 NHKラジオ第1放送

薬剤師・チベット医師 小川康

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1970年生まれ。薬学部を卒業した小川さんは「わくわくする人生をおくりたい」とチベット医学を学ぶことを決意。亡命チベット政権のあるインド北部の町でチベット語を学び、医学校に入学。7年をかけて日本人でただ一人の正式なチベット医の資格を得ました。帰国後は、チベットで学んだ薬草の知識を生かし“薬育”に取り組んでいます。



8世紀にできた医学書「四部医典」をもとに発展してきたチベット医学。薬草を用いた治療法が特出。日本では薬事法のために治療に用いることはできないということだ。

女性向け情報番組だけにパーソナリティに薬草を使ってお茶を入れていたり・・・軽い展開。

それにしても彼の声が心地よく、癒し系の何とも暖かい響きがする。

矢島保治郎(日本の探検家、チベットの軍事顧問)という方の話も出てきて面白かった。医学校入試の大変さは想像以上に厳しい。仏典暗誦のように、医学書を暗誦しなければいけないということだ。チベット文化圏以外では初の学生となった。

ワクワクすることをしたかったということで、彼がチベットの薬草に興味を持ったのは書籍の一節に出会ったことからだという。そしてチベットへ渡っていった。8万語を暗記した男と自分を評していた。

薬草を子どものころから教えるために、明後日、教育学の大学院を受験し教育への導入を考えるということだ。

今回、彼のことを知ったのは別の医学書を調べていたときに、彼のHPを見つけて「すっぴん というラジオ番組に出演します。9月20日の10時ころから1時間、生放送です。」と記されていたのを偶然見つけたことだった。こうした偶然を私はワクワクと感じる。自伝エッセイを以下のように出版していた。


チベット医学・薬草研修センター   http://tibetherb.blogspot.jp/

連載●小川康の「ヒマラヤの宝探し」 (KAZE風の旅行社)


小川 康(おがわ やすし)

薬剤師。富山県出身。1970年生まれ。東北大学薬学部卒。
高校職員、山村留学指導員、薬草茶製造会社、薬店、農場など職を転々とする。
1999年1月よりインド・ダラムサラにてチベット語・医学の勉強に取り組む。
2001年5月、チベット圏以外の外国人として初めてメンツィカン(チベット医学暦法学研究所)の入学試験に合格する。2007年11月学業修了。
2009年3月、1年間のインターンを修了し正式なチベット医・アムチとして認められる。帰国後、「越中富山の配置薬・アムチ薬房」を薬草が豊かな長野県小諸市に開設。チベット医学とともに日本古来の伝統医療の紹介、普及に務めている。

僕は日本でたったひとりのチベット医になった ヒマラヤの薬草が教えてくれたこと
小川 康

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単行本: 222ページ
出版社: 径書房 (2011/10/20)

●目次
プロローグ
第1章 夜明け前
 宝探し
 デリー軟禁事件
 チベット人の笑顔
 ダラムサラの街
 チベット語を学ぶ日々
 メンツィカン合格
 難波先生との出会い
 地域に根ざす世襲アムチ
  コラム1 チベット医学とメンツィカン
第2章 試験バンザイ!
 クラスメイト全員集合
 大学の一日
 定期試験で、いざ勝負
 憧れのヒマラヤ薬草実習
 親友ジグメの郷愁
 薬の職人シャンバおじさん
 初めての暗誦試験
 ダワ博士の亡命
  コラム2 メンツィカンの1日と1年(2002年時)
第3章 後輩との確執と休学
 異民族のなかでの苦悩
 輪廻転生を信じますか?
 恐怖の薬草鑑別試験
 月曜の午後は弁論大会
 究極の秘薬作り
 隠れ家
 休学事件
 やっぱり復学しました
  コラム3 大学1、2年生時の課題
第4章 充実の薬草実習
 薬草採取の裏技
 寮生活の心地よさ
 ヒマラヤの盗賊ごっこ
 聖水の奇跡
 チベット人の死生観
 ヒマラヤの秘密基地
 満月の夜の薬
 現代医療との交錯
  コラム4大学3、4年生時の課題
第5章 元同期生の卒業
 メンツィカンに響く音色
 ダラムサラの道草
 ジャングル・メンツィカン
 途方もなく続く祈り
 恋する医学生?
 元同期生との別れ
  コラム5 大学4、5年生時の課題
第6章 ギュースムへの挑戦
 幸せも苦しみも三つずつ
 ヒーローになりたい
 絶望と希望
 八万字の暗誦の果てに
 チベット医学の力
 疑いのなかで
  コラム6チベット医学の診断と薬
第7章 アムチになるとは
 研修医デビュー
 理不尽な社会
 診察室から見たチベット社会
 後輩たちの笑顔
 アムチの有給休暇
 学問の価値
 ダライラマ法王の急病
 素朴な町医者さん
 外国人でもいいですか
 アムチ誕生
 変わらない風景
あとがき
参考文献


澤木興道 語録17

人間という奴は、いつもフウフウ言うて、なんぞ幻影を追いかけまわしている。(澤木興道)1-124

・生活がいつまでたっても楽にならない~って、生きることは本来楽じゃないよ。

人生いろいろ:ブックオフの理念はどこへ

† ブックオフに行くことが多いが、最近は残念に思うことが多い。それは本の中身のチェックがされなくなったことだ。この会社のモットーは、きれいな状態で安価な中古本を提供するという姿勢であった。それが線引きされた本を堂々と売るようになっている。

‡ 以前は、買い取りの際にきちんと外装と中身をチェックして汚い本は外していたのだが、今では機械的にバーコードを読み取り流れ作業のようだ。CDの買い取りでは盤面のチェックさえしていなかった。本やCDは、彼らにはモノに過ぎないのだろう。むろん全ての店舗がそうであるかは分からないにしても当初の理念は崩れたようだ。

金ぴか霊柩車、減ってます 「ジミ葬」志向を反映

金ぴか霊柩車、減ってます 「ジミ葬」志向を反映
2012年9月2日 朝日新聞

 金箔(きんぱく)で華美な装飾をつけた「宮型」と呼ばれる霊柩(れいきゅう)車が減っている。派手な葬送が敬遠され、輸入車を改造した装飾のない「洋型」の希望が増えているからだ。費用が安い「バン型」も人気があり、葬送業者から「葬送の伝統が消えていく」との声があがる。

 「金ぴかの車はやめてください」。戦前から営業している横浜市南区の葬儀会社「伊藤」は、葬儀の施主からこんな要望を受けることが増えたという。

 約20年前は宮型が8割、洋型は2割だったが、最近は宮型は年数件。伊藤隆会長は「かつては宮型が仏式、洋型がキリスト教や無宗教と分かれていたが、最近は簡素な葬送を求める人が多い」と言う。



・ジミ葬という表現を初めて見た。

日本の葬送文化は、ここ数十年で大きく様変わりした。もともと冠婚葬祭は、人生の節目と考えるとともに社会に対するお披露目やステータスであった。

それが家族単位の縮小、地域社会の希薄化、個人主義の深化、経済力の格差で実施が困難となっている。

このブログでも書いてきたことだが、人間が子どもから大人へと成長するには、通過儀礼といわれるものを通して家族から社会へと認識を変える必要がある。それが滞れば、自分の利益のみを優先し集団を考えることや、広く祖先や未来の子どもたちへの連帯感もなくなってしまう。

冠婚葬祭のもう一つの面を積極的に評価し、伝えることは伝え守ることは守ることが自分自身のアイデンティティ確立には必要だろう。

神の風景-人間と世間-99

「慎重に考えて事を決める人もあれば、簡単に決める人もいます。どのように決めたところで大した違いはないのが人生ですから、そう問題にすることでもないでしょう」(藤木正三)2-119着実

・さらに続けて、問題を決断させられるという受身の姿勢を根底に据えたいと藤木師は語ります。与えられる問題は、どちらにしても対処しないといけません。ただ何とかなっていくのが世の常ですから心配し過ぎは止めたいもの。

<土曜訪問>加島祥造さん 現代人を言葉で励ます

<土曜訪問>加島祥造さん 現代人を言葉で励ます 
2012/7/21 中日新聞夕刊

 「普通の人なら、もうバテてるよ。僕はもうこれを二十年以上やってる。だからもってるんだ」

 東京都内でお目にかかった八十九歳の加島祥造(かじましょうぞう)さんは、そう言って膝を曲げ伸ばししてみせた。この日の朝、独り暮らしをしている長野県の伊那谷から東京へ、車で四時間かけてやって来たという。

 英米文学者として横浜国大や青山学院女子短大などで教壇に立った加島さんは二十年ほど前、七十歳を前に伊那谷に移り住んだ。一九九三年には、老子を英語から翻訳し、その後も伊那谷から、老子などをめぐる著作や、詩集や画集を発表してきた。

 そしてこの七月、加島さんは詩集『受(うけ)いれる』(小学館)を出した。五年前に四十万部を超えるベストセラーとなった『求めない』に続き、表題の言葉で始まる詩を収めている。

 受いれる

 すると/優しい気持ちに/還る

 受いれる-

 すると/運命の流れは変わるだろう/すこし深くなり/すこし静かになり/前とはすこし/ちがった方向へゆくだろう


 語りかけるようにやさしくつづられた言葉は、深みをもって響く。「頭で求めるのはやめて体の中にあるものの声を聞こう、というのが『求めない』のテーマだった。今度は、頭ではもういろんなものを受け入れすぎた。体で欲しているものの方を受け入れたらどうか、と言っているんだ」

 体で欲するものと、頭で求めるもの。加島さんはそれを「はじめの自分」と「次の自分」とも呼ぶ。そしてその両方のバランスをとることが、「やすらぎにつながる道」だという。

 「両方を自覚したら、その人はいいバランスになるんだよ。今、コンピューターに入力できる知識だけで生きようとするような若い者がいるけれど、頭に入れられる知識はたかがしれている。どんなに知識を増やしたって、喜びや人間に対する愛情、理解などはわからないんだ。二つの自分に気づきさえすれば、どんなふうにバランスのいいものにするかは、その人に任せる。あらゆる人の条件や判断は違うから」

 二つの自分とは、感情や感性に従い、ありのままでいる自分と、社会で理性的に行動する自分ともいえまいか。「そうね、『次の自分』は社会の中の自分といってもいい。それも重大で、僕は否定しないんだ。否定したら生きられない。でも、感性とか感情とか感覚とか、五感でもいいけど、そういうものをもっと大事にしたら、『はじめの自分』につながるだろうと」

 特に都会に生きる現代人は「感情などを置き去りにしているのでは」として、加島さんは続ける。「でもそれぞれ、心の中では探してるんじゃないかと思う。それは人間にとって大切な部分で、持たないままでは気の毒な気がする。そういう人に励ましの言葉を与えたくて、詩を書いたともいえるんだ」

 そんな詩には、温かさもにじむ。

 受いれる

 いまの自分/だめな自分/愚かな自分/恥ずかしい自分を受いれる/そしてかわいがってやる


 「自分で自分をけっ飛ばしたくなる時が、あるじゃない。家庭でも会社でも。でもそれを受け入れるとね、まあ今の自分でいいわって、自分を大切にできる部分が出てくるんだよ」

 人は、生まれると/光を/空気を/大地を/受いれた-

 詩の中には、無為自然への復帰を人間のあるべき姿だと説いた老子の思想も、息づいているように思える。

 その思想を実践するかのような加島さんに、自然の脅威を見せつけた東日本大震災はどう映ったのか。「自然には二つの面がある。一つはあらゆる生物を育て上げる優しい力。もうひとつは、大きな破壊力。人間もそうだ。都市文明の中で人間は火薬から原子力まで、破壊力をたくさん利用してきた。その利用を否定はしないけど、今の文明はそれをやりすぎている。科学を発展させるあまり、生命を萎縮させている」

 詩集を手掛けた編集者に、加島さんは「ハグ(抱擁)がお好き」と聞き、米国に滞在していたこともある英米文学者の片鱗(へんりん)を見る思いがした。でも日本ではちょっと気恥ずかしく、最後は握手で再会を誓い合った。 (岩岡千景)



・求めない ⇒受け入れる ⇒別れる!?

タオを説く加島さんの近著。記事にもあるが、人間としての枯れ方を伝授されそうだ。

頭の求めから、身体の求めに力点を移して、双方のバランスをはかる。極めてまっとうな話であり、それなりに合点するが、これが89歳の心境ということで、今まで分からなかったのとツッコミたくなる。

人間を深く知るには、結局、精神現象とは何だろうかということなり、脳の研究に落ち着いていく。上記のように頭の求めも身体の求めも、精神現象に過ぎない。

頭がなければ何も感じないし考えない、生命の維持さえできない。その頭を知るためには、臓器の一つとしての脳を知ることで旧脳と新脳のバランスの問題となる。そのバランスの崩れが、さまざまな問題を起こすことは当然のこと。

「求めない、受け入れる」と思考するのは、やはり脳の思考に過ぎない。対極として、考えるよりは身体を使った生活をする生き方がある。晴耕雨読とはよくいったものだ。

受け入れるとは、実は生命そのものの在り方であり、生命そのものに選択の余地はもともとない。気づいたら生まれており死んでいくのであり、生命がそれを受け入れるか否かの選択をしている訳ではない。

「受け入れる」と気づくことが人間には必要なのだが、人間が受け入れようが入れまいが、すでに生まれて以来、生かされて続けている。だから人間の気づきなんてちっぽけなものに過ぎない。そうした人間の思考から別れる(離れる)ことが、次のステージかもしれない。すると、もうそんなことどうでもいいよ!となる。

ごちゃごちゃ言わないで、目の前のことを丁寧に心を込めてすること、ただ、それだけ。終わり。


受いれる
加島 祥造 (著)

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単行本: 189ページ
出版社: 小学館 (2012/6/28)

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追記

詩人・加島祥造さん死去…老子の思想を実践
2016年01月06日 読売新聞

 詩人、英米文学者で、老子の思想を実践した独自の暮らしでも知られた加島祥造(かじま・しょうぞう)さんが昨年12月25日、老衰で死去した。

 92歳。告別式は近親者で済ませた。

 東京・神田生まれ。早大在学中に学徒動員を経験し、戦後、詩作グループ「荒地」に参加。米国留学を経て、フォークナーなど数多くの英米文学を翻訳した。

 60歳のころ、英訳を通じて老子の思想に触れ、その後、老子の現代語訳「タオ・ヒア・ナウ」を刊行した。長野・伊那谷に移り住み、老子の思想に基づいて詩作や執筆、墨彩画の制作などに励んだ。2007年の詩集「求めない」は、「求めない――すると、本当に必要なものが見えてくる」など印象的なフレーズでベストセラーとなった。


仏像盗んだ容疑の男「30件くらいやった」

仏像盗んだ容疑の男「30件くらいやった」
2012年8月30日 TBS

 群馬県吾妻町で、今年1月頃、84歳の男性が所有するお堂から仏像を盗んだとして、住所不定・無職の岡部英樹容疑者(47)が逮捕されました。

 取り調べに対し、岡部容疑者は「生活費と遊ぶ金ほしさに30件くらいやった」と容疑を認めているということです。

20120830

 岡部容疑者は盗んだ仏像を東京や埼玉の買い取り業者に売っていて、すでに仏像12点などが押収されました。警察は、余罪についてさらに裏づけ捜査を進めています。



・「農村地帯における仏像対象の窃盗事件」と事件名を掲げている。

きりっとした仏像はないにしても、農村地帯で所蔵されているような仏像だ。これが、どのくらいで取り引きされているのかは知らない。

この容疑者だが、住所不定・無職ということで、どんな生き方をしてきたのだろうか。彼にとっては、信仰の対象でもなく美術品や古物といったものにしか過ぎないのだろう。

施錠されていない場所から盗んだという安易な犯行であるのだろうと思う。

澤木興道 語録16

世界はいつでも大騒動しておって止むところを知らぬ。――「ヤレ凡夫じゃな」と言うよりほかはない。(澤木興道)1-124

・大騒動しているのか、そう見たいのか。政治のゴタゴタ、芸能界のゴシップを楽しむ我ら凡夫!

人生いろいろ:政府の福島原発・事故調査委員会の限界

† 畑村委員会の基本方針は、失敗学にならって団体・個人の責任追及はせず、あくまでも再発防止のための自己検証を標榜して最終報告書をまとめた。畑村先生は過去から、その姿勢に好感を持っていたのであるが、余りにも事故対象が大きく複雑であることが災いしている。

‡ 本来ならば格納容器の再現実験もしたかったらしいが叶わず、放射能が強いので現状がどうなっているのかも間接的なケージでの値から推測する域を出ていない。証拠を組み合わせることで新たなヒントを得る失敗学だから、証拠なきゆえに断定も避けることでインパクトがなかった。畑村先生は引き続き検証を求めるとしているが、このまま終わってしまうのだろう。

プレスリー愛用聖書、740万円 オークション落札額

プレスリー愛用聖書、740万円 オークション落札額
2012年9月9日 共同通信社

 エルビス・プレスリーが1977年に死去するまで愛用していた聖書が8日、英競売運営会社のオメガ・オークションズで競売に掛けられ、予想の2倍以上の5万9千ポンド(約740万円)で落札された。聖書は57年のクリスマスにおじから贈られたもので、革張りにプレスリーの名前が刻印されている。プレスリーによる多数の書き込みや下線があり、熱心なクリスチャンだったことがうかがえる貴重な資料。【ロンドン共同】

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・20年間愛用で見るとボロボロになっている。

書き込みや下線もあるということで本当に世界に一つしかない、しかもプライベートなものだ。こんなものまでオークションにかけるところが分からないが遺族の意向なのだろう。

振り返って、自分自身の聖書だが、お世辞にも使い込んでいるとは言い難い。個人的には聖書への書き込みが嫌いなのでキレイな状態である。現在使用しているのは日本聖書協会、初の横組み聖書を発売当時に購入して使っている。

使い込むと聖句を探す時に、手が覚えていて瞬時に開くことができた。人間には能力が備わっているもので誰しもそうだろう。

歌手・プレスリーに興味を持ったことはないが、自分を支える書物を一冊でも持っていたことは素晴らしいことだろう。


プレスリー愛用の聖書、740万円で落札
2012.9.9 産経ニュース

 「ロックの王様」と呼ばれた米国の歌手エルビス・プレスリーが1977年に死去するまで愛用していた聖書が8日、英競売運営会社のオメガ・オークションズで競売に掛けられ、予想の2倍以上の5万9千ポンド(約740万円)で落札された。

 聖書は57年のクリスマスにおじから贈られたもので、革張りにプレスリーの名前が刻印されている。約1600ページの中にはプレスリーによる多数の書き込みや下線があり、熱心なクリスチャンだったことがうかがえる貴重な資料。落札者は匿名の米国人男性。オメガ社は2万ポンド以上の値が付くとみていた。

 競売ではプレスリーの死後35年を記念し、アクセサリーなども出品された。中にはプレスリーがはいていたパンツといった珍品もあったが、こちらは入札額が最低落札価格(7千ポンド)に届かず、売買が成立しなかった。(共同)


神の風景-人間と世間-98

「政治や経済がどれほどきめ細かくなされても結局一人の人間に届かないのは、一人の人に届く死の論理がないからです」(藤木正三)2-118人間に届く

・人間の心に届くとは何であろう。それは、死に怯える人間に届く道理が必要と藤木師は語る。死というものは全く個人的なものである。その過程を生きるには各自が納得するしかない。人間を丸ごと包むもの、活かすものとは政治・経済といった外面的なものではなく、毎日の生き方の中に、明日をも知れぬ死を刻々生きる中にある。

人生いろいろ:役割

† 右に行くか左に行くかの判断を迫られる政治状況にある。消費税、脱原発、TPP・・・など国論が二分する問題がある。国民の意見が拮抗している時ほど判断が難しいことになる。また争点を絞って国民に問うても包括的な委託をするだけで個別の判断全てに賛同できることもない。

‡ かなり引き気味に考えると人間は役割を演じているに過ぎない。心底からそう思うというよりは、成行きであったり周囲の要望であったり本人の意志とは別のベクトルが働いている。万年野党は批判に特化していれば事なきを得て、机上の対案には有効性がない。一方、与党は国政と経済・外交を睨みつつ現状+αを目指す。そうした役割を演じる人たちは苦労が多いと感ずる。

NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」

NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」
2012年8月15日 NHK

敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか。当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。今回NHKは研究者の共同調査で、戦争末期の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、英国の公文書館などから発見した。それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に接近していたこと。また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきた。1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。番組では、戦後に収録されながら内容が公開されてこなかった当事者らの肉声証言なども検証し、重要な情報が誰から誰に伝えられ、誰には伝えられなかったのかを徹底分析。国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避しあっていた指導者の実態を浮かび上がらせる。国家的な岐路における重要な決定をめぐる課題について、識者討論なども交えて考えいく。

出演者 加藤陽子,岡本行夫,姜尚中
進行 竹野内豊



・74分構成

本当に敗戦が早まっていたら、現在問題となっている多くの問題が起きていなかったということになる。シベリア抑留、中国残留婦人・残留孤児問題、遺骨問題、特攻作戦、原爆投下、領土問題・・・等々。

歴史の通説ではヤルタ会談密約で決まったソ連参戦ということは終戦後まで知らなかったとされていた。今回新たに分かったことは、それを覆す極秘電文が英国公文書館から複数見つかったということだ。在欧の複数の武官が本国である日本に送った極秘電報を解読したものであり、陸軍や海軍には情報がもたらされていたことが確認された。

ただ、その情報は結果的に戦争最高指導会議で共有することなく、外務省や宮中、官邸との意思疎通を行っていなかった。

いくつかの段階で情報を共有する機会があったことは、今までのNHKの報道番組でも知らされてきた。情報そのものがなかったわけでなく、その扱いを十分にできなかったということだ。

最近では東日本大震災時、福島第一原発で明らかになった情報共有の乏しさ、リーダーのあり方などと同じような事態が改善されていないことを示唆する内容となっており、ゲスト出演していた方も指摘していた。

姜尚中教授が話をしていたように、彼らはすべて優秀な官僚であったということだ。官僚という職分である、自分の職務を超えない、そして何もしないことが結果として出世になるという日本の官僚制の弱点が見えてくる。

そして、彼らの側近らの証言によると、本音では敗戦になることは感じながらも、表向きは無難なことしか喋らないという精神構造は、日本人ならば分かるだろう。

付け加えたいことは、例えば現内閣には入閣した防衛大臣のように、大学教授として国際関係の論客がいるとして果たして彼の信条や研究が活かされるかということだ。

この番組に登場した方も、歴史学者、元外交官、政治学者であるが、もし仮に政府の一員として尽力してほしいと頼まれたらどうなるのだろうか。

政府の中枢機関に入り日々忙殺的な生活を送りながら判断をすることは非常に困難であり、勢い優秀な官僚らの手中に落ちてしまうことは必至なのだ。

それほどに危うい立場を維持しながら、外交と内政に目配りをしつつ民意を反映した政治を行うことは魅力的なことだが厳しいことでもある。

政策立案には、各政治家がブレーンや政策秘書を多く雇用しなくてはならないが、それができない以上は難しい。

この番組でも、リーダーシップを執れる政治家を熱望しているようだが、官僚制との距離感が難しい現行の政治制度では行き詰ってしまうことは明白だろう。

澤木興道 語録15

すべきことをするのが最上安楽であるに決まっている。(澤木興道)1-63

・自分の分を行うこと、浮気しないと楽だね。

ロシア総主教“相互理解に貢献”

ロシア総主教“相互理解に貢献”
2012年9月5日 NHK

来週から日本を訪問するロシア正教会のキリル総主教がNHKのインタビューに応じ、北方領土問題を抱える両国の関係について、宗教を通じた国民どうしの結びつきを強めていくことで相互理解に貢献したい、という考えを示しました。

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ロシア社会に強い影響力をもつロシア正教会のトップのキリル総主教は、19世紀に日本に正教を伝えたニコライ大主教が亡くなってことしで100年になるのにあわせ、今月14日から日本を訪れることになっています。

4日、モスクワ市内でNHKのインタビューに応じたキリル総主教は、「ロシアと日本は隣国であり、よい関係になることを信じている。今回の訪問を非常に重視している」と述べ、訪問に強い期待を示しました。

そのうえで北方領土問題を抱える両国関係について、政治や経済とは違ったアプローチが必要だとして、「宗教的な結びつきは国民どうしの関係で大きな可能性をもっている。真の和解は宗教が関わることで実現できる」と述べ、宗教を通じた国民どうしの結びつきを強めることで、相互理解に貢献したいという考えを示しました。

キリル総主教はまた去年3月の東日本大震災について、「日本の人たちが助け合い協力する姿を、ロシアの人たちは世界の模範だと考えている」と述べ、今回の訪問で仙台市も訪れ、震災の被害を受けた人たちのために祈りを捧げたい、としています。



・世界の宗教指導者で話題となるのは、ローマ法王とダライ・ラマくらいだろう。

ところでロシア正教のトップも、ソビエト崩壊後から精神的な支柱としての役割を担っている。信仰を禁止することはできなかったし社会主義などの経済思想とは相いれないものを含んでいるのが宗教である。

翻って日本においては、先の敗戦において過去の国家体制を否定され欧米流の価値観を導入されたことによる弊害も目立ってきている。特に経済成長のできない時代に、国民が安心できる統合のシンボルが必要とされている。

ころころと変わる首相たちに期待することもできないが、戦前の体制に戻ることもできない。東北大震災で目にしたことは、無私のココロで被災後の応援にあたった人たちの姿だ。助け合うことができるのが人間たるゆえんであり、確かに3.11直後から半年以上は国民に連帯感が生まれていた。

その連帯感の上に、この国がどのような役割を果たして世界に貢献していくのかが問われる。シャープやSONYの身売り問題が現実的になっており企業にのりかかった生き方はできなくなっている。平和国家の理想を掲げて武力に頼らない生き方を選択してきて、その真価が問われているのではないだろうか。

外国では、大統領と首相、国王と首相などいろいろな形態があるが、政治・経済と文化統合を分けることも一つの選択である。ロシア正教トップの来訪から考えることもできよう。

FNSドキュメンタリー大賞 生まれ来る子ども達のために

FNSドキュメンタリー大賞 生まれ来る子ども達のために
2012年8月19日深夜 東海テレビ

原発事故後、多くの住民が避難した福島県南相馬市で診察を続ける産婦人科医の高橋亨平医師。がんに侵され余命宣告を受けながら未来のために放射能と闘う日々を追った。

震災と原発事故で多くの住民が避難を余儀なくされた福島県南相馬市。原発から直線距離で23キロの場所にある原町中央産婦人科医院の高橋亨平医師(73)は震災後、妊婦はもちろん風邪をひいたり足腰の痛みを訴える患者まで毎日100人以上を診察している。目に見えない放射能の恐怖に多くの妊婦が南相馬市を離れて行く中、高橋医師は「子どもが生まれない町に未来はない」と妊婦の被ばく管理や地域の除染活動を先頭に立って進めている。高橋医師ががんを告知されたのは震災から2カ月が経ったころだ。直腸で見つかったがんはすでに複数の場所に転移していて余命半年を宣告された。がんに侵されながら放射能と闘う高橋医師の震災から1年を追ったドキュメンタリー。

ナレーション:神尾 佑(福島県出身俳優)
プロデューサー・構成:菊地昭洋
ディレクター:坂井有生
制作:福島テレビ
初放送:2012年5月30日深夜

坂井有生ディレクター コメント
「インフラが復旧して住民の帰還できる環境が整うことが本当の復興なのか。原発事故後の取材で日々考えさせられました。南相馬市は放射能の影響で、住めない地域や、立ち入りすら許されない地域など4つに分断されました。避難できず取り残された住民も多くいる中で、唯一、診察を続けた産婦人科医と出会い感銘を受けました。詳細な放射線量が不明な時期から住民のために孤軍奮闘を続けていたのです。その医師は高橋亨平医師。これまでに自治体人口の5分の一に当たる1万5千人を取り上げたベテラン医師です。末期のがんに侵されているにも関わらず、彼は医療のみならず子供や妊産婦のために除染にも立ち上がりました。その理由を問うと“子供が誕生しない場所には未来は無い”と言います。国会や政治家が一言でまとめてしまう“復旧・復興”。本当の復興とは何なのか、高橋医師の活動を通じ、そのことを考える一つのきっかけになれば幸いです」


・福島原発から直線距離で23キロにある高橋医師の病院。このドキュメンタリーは震災から1年を迎えた高橋医師を中心とする人間模様である。この土地は医師不足がもともと顕在化していた土地であった。放射線量を気にする妊婦たちは他所で出産することを選ぶ人もいる。

高橋医師は昭和13年台湾で生まれ、福島県立医大卒。42歳の時に病院を設立。震災後に南相馬除染研究所を作り効果的な除染について模索している。

番組前半は放射線測定をすること、除染作業の現状を確認し、鉛入りカーテンを設置した防線という試みも独自に行っている。後半は高橋医師のがん闘病の記録となっている。

番組では4月までの記録となっている。番組最後は、高橋医師の手で生まれた女性が里帰り出産をはたしたシーンで終わった。

以下の中日新聞記事は、後継者を求めるという思いが記事となっている。


原町中央産婦人科医院  http://www6.ocn.ne.jp/~syunran/

南相馬除染研究所  http://mdl.or.jp/


末期がん院長、後継求む 南相馬・原町区の医療託したい
2012年8月29日 中日新聞

「患者置いていけず」 震災後も診察 

 福島県南相馬市原町区の原町中央産婦人科医院の高橋亨平院長(73)が直腸がんを患いながら、診療活動を続けている。福島第1原発事故後も休診せず地域医療を支えた。がんは末期でいつまで診療を続けられるのか見通せず、診療を託す後継の医師を募っている。

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 医院は原発から25キロ圏内。事故で屋内待避区域や緊急時避難準備区域に一時指定され、地元の病院が次々と休診する中、高橋さんは診療を続けた。約3日間避難したが、「患者を置いて逃げられない。人生最大の使命」と医院に戻り、専門の産婦人科のほか、内科、外科の患者も診た。

 がんの発覚は昨年5月。肝臓や肺に転移し、手術できなかった。ことし7月からは放射線治療のため週5日、診察の合間を縫って福島県立医科大(福島市)に通う。

 原発事故後、南相馬市内で唯一、お産に対応できる医療機関として、80人以上の赤ちゃんの誕生に立ち会った。ことし4月からは市内の別の医療機関でも出産できるようになり、産婦人科の地域医療を1人で支えた負担から一定程度解放された。

 高橋さんは「原発事故があっても赤ちゃんは生まれた。とどまって診療を続けて良かった」と振り返る。病気でいずれ診療からは身を引かざるを得ず、一時は閉院を考えたが、患者やスタッフのことを思い、経営の継続を決意。後継医師を募って将来を託すことを決めた。

 現在、来院者の8割は内科などの患者で、募集医師の専門は問わない。「産婦人科としては成り立たず、診療科を変更しなければならないかもしれないが、地域の患者のために病院を続けたい。人間味のある医師に来てもらいたい」と話す。

 連絡先は同医院=電0244(24)3355=へ




20120715 生まれ来る子ども達のために 福島放送 投稿者

追記

南相馬医療に尽力がん闘病74歳 医師・高橋亨平さん死去
2013年1月24日 東京新聞 朝刊

 東京電力福島第一原発事故で被災した福島県南相馬市の産婦人科医で、自らがん闘病を公表した高橋亨平(たかはし・きょうへい)氏が二十二日、死去した。七十四歳。死因は明らかになっていない。

 第一原発の北約二十五キロにある原町中央産婦人科医院の院長。南相馬市は原発事故で広い範囲が避難区域に指定され、医療関係者も多くが避難した中、病院でただ一人の常勤医として勤務。「きょうへい先生」と慕われた。

 二〇一一年の原発事故発生後にがんが見つかり、一二年八月、病院のホームページに「私の体の現状と医師募集のお願い」と題し「いつまで生きられるか分からない。もし、後継者がいてくれればと願ってやみません。私の最後のお願い、どうかよろしくお願いいたします」とメッセージを寄せていた。

◆「子と妊婦大事にしないと未来ない」
 昨夏、原町中央産婦人科医院での取材を終えて乗り込んだタクシーで、地元の男性運転手は真っ先に「亨平先生はお元気でした?」と心配した。

 内科もあるので、家族が昔からお世話になってきたという。震災後、男性の一家は避難しそびれたが、情報も物資もなくほぼ孤立した地域には「亨平先生」がいた。男性は「本当にありがたかった。あんな先生はどこにもいない」と繰り返した。

 優しい笑顔で子どもや患者に慕われたが、命を軽んじる「お役所仕事」とは真っ向から戦った。震災当時、県や国の指示が混乱したときも、南相馬市医師会会長として「机上のルールを押しつけるな」と県に激しく抗議した。「患者の命を守るのは医師」と宣言。入院期間が制限されていたが、患者を病院から移動させるかどうかは、現場の医師の判断を優先することを県に約束させた。

 大腸がんが見つかってからも医療現場にとどまり続けた。妊婦や幼児のいる家の除染も手弁当で始め、子どもを守るために奮闘する亨平先生のもとに、人は集まった。

 東大医科学研究所の研究員で、同市立総合病院で診療にあたる坪倉正治医師(31)は「南相馬の精神的支柱だった」と悼む。「最近も『やっぱり痛いんだ』と苦しんでいたけれど、会うたびに地域復興のアイデアを話してくれた。探求心あふれる人柄は変わらなかった」

 地域住民一人一人の内部被ばく量を減らす診療に取り組む坪倉医師は「患者に向き合うことが大切だと学んだ」と惜しんだ。勤務医時代から数えて一万五千人の新生児を取り上げた亨平先生は最晩年、怒りを込めて繰り返した。「子どもと妊婦を大事にしない国に未来はない」 (中山洋子)



高橋亨平さん死去:被災地の医療支え 復興の願い託す /福島
2013年01月23日 毎日新聞 地方版福島

 南相馬市の「原町中央産婦人科医院」の院長、高橋亨平(きょうへい)さんが22日、肝機能障害でなくなった。74歳だった。11年5月に大腸がんが発覚し、余命半年と告げられながら、福島第1原発事故で医師不足となった市内で、内科などの診療を続けた。被災地の地域医療を支えた。

 昨年6月には、抗がん剤治療の副作用のため体力が落ち、2階の病室に上れなくなった。「先生の方が容体が悪そう」。診察を受ける地元患者に心配されることもあった。だが、高橋さんは「地域医療を支えるのが私に与えられた使命」と語り、昨年12月に入院するまで新しい生命を取り上げてきた。医院を継いでくれる医師を募集、後継者を見つけていた。

 診察の傍ら、市民と「南相馬除染研究所」を結成し、ボランティアで保育園の除染などを行っていた。復興を進め、子どもたちが伸び伸びと外遊びできる南相馬市にしたいとの願いを託し、旅立った。【三村泰揮】



高橋亨平さん死去 避難準備区域で産婦人科医を継続
2013/01/24 福島民報

 東京電力福島第一原発事故の緊急時避難準備区域だった南相馬市原町区で、病と闘いながら地域医療に尽力した医療法人誠愛会理事長で原町中央産婦人科医院長の高橋亨平(たかはし・きょうへい)さんは22日午後6時33分、肝臓疾患のため南相馬市の病院で死去した。74歳だった。
 高橋さんは富岡町出身。台湾で生まれ、戦後本県に引き揚げた。磐城高、福島医大卒。昭和46年から原町市立病院(現南相馬市立総合病院)に勤務し、55年に原町中央産婦人科医院を開業した。

 平成23年3月の原発事故を受け、市内で多くの医療機関が閉鎖する中とどまり、あらゆる病状の患者を受け入れた。5月に直腸がんが見つかり、余命半年と宣告されたが、抗がん剤の副作用に苦しみながらも地域の将来を思って診察を続けた。8月には市民や亀田総合病院(千葉県)の医師らと南相馬除染研究所を設立し、乳幼児宅の放射線量の調査や保育園などの除染作業などに取り組んだ。また、市にホールボディーカウンターの導入を積極的に働き掛けた。

 昨年12月17日まで診察を続け、育児のアドバイスをしてきた。生涯で取りあげた新生児は約1万5000人に上った。前南相馬市医師会長、一般社団法人南相馬除染研究所理事長。24年度の産科医療功労者厚生労働大臣表彰を受けた。
   ◇  ◇
 自宅は南相馬市原町区橋本町2丁目48ノ2。通夜、葬儀は親族のみの密葬で行う。高橋家と医療法人誠愛会の合同葬を執り行う。通夜は2月9日午後6時から、告別式は同10日正午からともに南相馬市原町区のはらまち斎苑愛月記で。喪主は長男晋一郎(しんいちろう)さん。



避難準備区域で産婦人科医療守る 高橋亨平さん死去
2013年01月24日 河北新報社

 福島県南相馬市の原町中央産婦人科医院院長の高橋亨平さんが22日、市内の医療機関で亡くなった。74歳だった。がんを患いながら、福島第1原発事故で一時、緊急時避難準備区域に指定された同市で診療を続けていた。

 医院は原発から25キロ圏にあり、区域指定を受けたが、高橋さんは看護師らと共にとどまり、市内で唯一出産ができる医療機関として診療を続けた。

 事故から約2カ月後の2011年5月に直腸がんが見つかったが、診療を中断しなかった。12年8月に末期症状であることをブログで公表し、後継医師を募った。同年10月にはブログで後継者が複数見つかったことを報告し、闘病生活を続けていた。



高橋亨平さん死去:告別式 「遺志を受け継ぐ」 南相馬の復興、医療関係者ら誓う /福島
2013年02月11日 毎日新聞 地方版福島

 震災と福島第1原発事故で医師不足に陥った南相馬市で、末期がんを抱えながら診療を続け先月22日に74歳で亡くなった原町中央産婦人科医院長、高橋亨平さんの告別式が10日、同市内でしめやかに営まれた。参列した医療関係者や患者らは、母子を守り復興に向かう高橋さんの「遺志を受け継ぐ」と誓った。

 高橋さんは震災後、赤ちゃんを取り上げる一方、南相馬除染研究所を設立。乳児用にガラスバッジ式線量計を無償で配り、放射線量の高い家庭に鉛入りのカーテンを提供した。

 式で喪主の長男、晋一郎さん(40)は「患者がいる限り診療を続け、最後まで走り続けた」と振り返った。高橋さんと共に約40年勤務した看護師の山田米美さん(74)は「先生のご遺志を守り、やさしく、ゆっくり、を心がけ、患者さんに接していきます」。研究所理事の箱崎亮三さん(53)は「南相馬市が日本に、そして世界に誇れるまちになるようがんばります」と、高橋さんをしのんだ。

 市内の主婦、尾賀江美さん(40)は、長男一颯(いっさ)君(1)を抱いて参列した。県外の避難先から南相馬に戻り、高橋さんの検査を受けた。「先生がいたから、安心して戻れました」。埼玉県から参列した主婦の奧野由紀さん(31)は、出産に不安を感じたが「先生から励まされ、勇気がわきました。息子と楽しく暮らしています」と、涙を浮かべた。

 原町中央産婦人科医院には今春、後任の内科医が富山県から着任予定。市内の小野田病院長、菊地安徳さん(53)は「医師としてだけではなく、南相馬の復興に向け力を尽くされた高橋先生の思いを、みんなで引き継いでいきたい」と話した。【三村泰揮、高橋秀郎】


神の風景-人間と世間-97

「知識ならばそれを豊かにし、体験ならばそれを深め、知識ならばそれを練るのが課題しょうが、信仰の課題は逆戻りしないことです。信仰には、前進という課題はありません」(藤木正三)2-117逆戻り

・衝撃的な断想である。信仰は、今迄心奪われていたものにもはや価値を置かないという、一つの訣別であると藤木師は語ります。その意味で、また襲ってくる誘惑を避け逆戻りをしないという防戦を助けるのが信仰の課題だといえましょう。前進して何者かに変わるといった信仰に対する誤解に惑わされないようにしたいものです。

キリストの絵が残念な姿に“修復”

キリストの絵が残念な姿に“修復”
2012年8月24日 nikkansports.com

 スペイン北東部ボルハで、教会にあるキリストの絵が地元の画家によって全く異なる姿に“修復”されてしまい、大きな話題となっている。AP通信が伝えた。

 この絵は1930年に描かれたフレスコ画で、いばらを頂くキリストの姿が描かれている。市の担当者によると、80歳の女性が絵の修復を思い立ったが、経緯を市に連絡して「事件」が発覚した。

 短文投稿サイト「ツイッター」ではサルのようだとやゆする声も上がっているという。(共同)

20120824
  修復前のキリストの絵(左)と、修復後の絵(AP=共同)



・なお、オリジナル原画の写真が残されているので、それをもとにして再度修復ということも可能だと思う。確かに絵心があるとも思えない。宗教画であるから、それなりの威厳もほしい。

なお、以下の記事では詳細が記されている。

追記
その後の急展開で、我こそ復元しようというサイトまで現れてしまった。

The Cecilia Prize – Pinterest

 http://pinterest.com/ceciliagimenez0/www-ceciliaprize-com/

追記
新しいニュースでは、「修復」を手掛けたのは教会員のセシリア・ヒメネスさんが著作権を主張し、さらなる改修に難色を示しているということだ。

また、この教会だが入場料を徴取するようになったということだ。原画を描いた画家の遺族は、むろん元通りに直してほしいと主張している。

一方で、この修復肖像画を模したTシャツ、マグカップ…等が勝手に業者によって使われて販売されているとのことである。

このように二度三度の展開を示しながら、単なる装飾品になってしまった宗教画が本来の目的を取り戻すことは難しいようだ。


スペイン19世紀の名画、「修復」のなれの果て 悲惨な結末
2012.08.24 CNN.co.jp

 スペインの教会の柱に描かれていた120年前のフレスコ画が、高齢の一般信者の手で「修復」されて原画とは似ても似つかない状態になっているのが見つかり、地元で騒ぎになっている。

「修復」が行われたのは、スペイン北東部ボルハの教会にある19世紀の画家エリアス・ガルシア・マルティネスの作品。いばらの冠をかぶったキリストの肖像が描かれていた。

ボルハの地域研究センター職員がこの作品を写真に収めようと教会を訪れて異変に気付き、「驚愕した」という。

「修復」を手掛けたのは教会員のセシリア・ヒメネスさん。地元メディアの取材に対し「頼まれたからやっただけ」と話している。作業は堂々とやっており、ほかの信者たちも見ていたが、誰も止めようとしなかったという。

変わり果てたその姿に、地元に住むガルシアの孫のテレサ・ガルシアさんは「作品が破壊されてしまった」とショックを受けている。

作品を元通りにできる手段があるかどうかは不明。地域研究センターは「この言語に絶する行為に解決策があるのかどうかは分からない。しかし再発防止のための対策が必要だ。意図はともかく、強く非難されるべき行為だ」と述べている。

今回の出来事について同センターのブログに寄せられたコメントの中には、英コメディアン、ローワン・アトキンソンが演じる「ミスター・ビーン」の1997年の映画版で、画家ホイスラーの母の肖像画が悲惨な目にあう一場面を思わすとの一文も見られた。(CNN)


続報 意外にも・・・

キリストの「修復画」 一躍大人気
2012年8月27日 TBS

 修復に失敗した「あの」キリストの画に人だかりが。いったい何が起きたのでしょうか。

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 「大好きだよ!」(見物人)
 「すばらしいわ。このまま永遠に残すべきよ」(見物人)

 人々が絶賛しているのは、こちら。スペイン北東部にある教会の壁に描かれたイエス・キリストの画です。19世紀の有名な画家によるものでしたが、近所に住む80代の女性が修復したところ、元の画とは似ても似つかないものになってしまいました。

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 ところが、この騒動が報じられると、画は一躍大人気に。スペイン中から観光客が殺到し、小さな町にお金を落としていくようになったのです。

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 「彼女に感謝しています。私たちの経済問題を解決してくれたんですから」(地元住民)

 画を修復せずに、このままの状態で残して欲しい、との嘆願書まで出ているということです。





La restauradora del Cristo de Borja

「世界最悪」の修復キリスト画が大人気、訪問者が急増
2012年08月26日 AFPBB NEWS

 「世界最悪の修復」でサルさながらに変貌してしまった102年前のキリストの肖像画を見ようと、スペイン北東部ボルハ(Borja)を訪れる人々が数百人規模に急増している。

 この肖像画はスペイン人画家エリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)が1910年に描いた「Ecce Homo(この人を見よ)」で、ボルハ市内の教会の柱に直接描かれている。傷みが目立ち始めたため、年齢が80代とされるセシリア・ヒメネス(Cecilia Gimenez)さんが善意で修復を試みたところ、オリジナルと似ても似つかないとして地元住民から苦情が殺到。静かな町だったボルハに、世界中のメディアの注目が一気に集まった。

 肖像画は本来、いばらの冠をかぶせられたイエス・キリストの姿を描いたものだったが、「修復」後は顔色の悪いサルのようで、目鼻立ちはバランスが悪く、頭を毛皮が覆っているように見えるありさま。一部メディアはこれを史上最悪の修復と伝えた。

 25日には教会の外に、興味津々の訪問者の行列ができた。公共テレビ放送のインタビューに応じたある女性は、「以前の絵も大変素晴らしかったけれど、わたしは本当にこれ(修復後の肖像画)が気に入っています」と語った。

 ボルハ市に原画を復元する計画を思いとどまるよう求めるオンライン嘆願書には、既に1万8000人もの署名が集まっている。【8月26日 AFP】



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スペイン発・これが「世界最悪の修復画」 キリストがサルに…リオも、ムンクも
2012年12月29日 産経ニュース

 人口5千人ほどのスペイン北東部の街ボルハで2012年夏、「大事件」が起きた。自称画家のおばあちゃんが教会のキリストの肖像画を修復したところ、憂い顔のキリストが毛皮を着たサルに変身してしまったのだ。この“不届きな事件”は世界中を駆け巡り、インターネットなどを通じ世界を巡り、「世界最悪の修復画」と評された。さらに、変わり果てたキリストの顔やパロディー動画があふれ、便乗商法まで登場。教会には観光客が殺到した。とびきりの笑い話になった事件の顛末(てんまつ)を追うと…。(大谷卓)

 ■強気なおばあちゃん

 「Ecce Home」(この人を見よ)

 AP通信などによると、そう題された原画は1930年、あまり有名ではなかった画家エリアス・ガルシア・マルティネスが教会の柱に描いた。縦65センチ、横45センチ。イバラの冠を被ったキリストが憂い顔で天を仰いでいた。ただ、湿気が原因で傷みが激しくなり、信者のセシリア・ヒメネスさんが修復に乗り出した。

 ヒメネスさんは80歳を超えたおばあちゃん。年金受給者だが、自称プロの画家だ。衣服だけという条件で作業に取りかかったところ、服装は毛皮になった。さらに顔の修復にも手を出し、イバラの冠はもじゃもじゃの毛に。天を仰ぐ憂い顔は、大きな目と半開きの口のサル顔になった。

 当然、教会側が慌てて止めた。だが、時既に遅し。そう、キリストは毛皮をまとったサルに変身した…。

 ただ、5歳から画を描き、個展も開いたことがあると主張するヒメネスさんは強気だった。

 「頼まれたからやっただけ。教会も知っていた」

 ■世界に広がる「サル顔」

 騒動はまだ続く。

 ボルハは首都マドリードから車で4時間あまりで、ワインの生産で少しだけ知られている程度の町だったが、世界最悪の修復ぶりを見ようと観光客が殺到した。教会側も1人1ユーロの観覧料を取り始めた。

 ネット上ではすさまじい勢いで広がった。修復画の保存を求める署名は2万を超え、ゴヤやムンクと比べられて「世界最悪の修復画」と命名された。「Ecce Home reloded」と名付けられた動画は90万近く再生された。

 サルの顔を当てはめたコラージュもあふれ、例えば、レオナルド・ダビンチの名作「最後の晩餐」の全員の顔が修復画のサルに。ムンクの「叫び」の顔、ブラジル・リオデジャネイロの巨大なキリスト像の顔が次々とサル顔になった。自転車の前かごにタオルを被ったサルが乗り、ヒメネスさんが運転する…。そう、映画「E.T.」の一場面のような写真も登場した。

 便乗商品は多く、修復画をデザインしたTシャツなどのグッズを勝手に販売するケースも。画はついにこう呼ばれるようになった。

 「Ecce Mono」(このサルを見よ)

 ■「解決の方法がわからない」

 まだまだ終わらない

 米タイム誌(電子版)によると、ヒメネスさん側は知的所有権を主張し始めた。確かに、教会の柱にひっそりと存在していた肖像画は、知名度なら原画以上の「国際的な絵画」となった。知的所有権が認められれば、障害者の息子を持つヒメネスさんは、得た金銭を、先天性筋ジストロフィーを持つ障害者を支援する団体への寄付を考えているのだという。

 教会を管轄するボルハ市は、原画と世界最悪の修復画の両方の保存を検討するため、芸術品の保存・修復を手がける会社に調査を依頼。その報告書によると、修復画を引きはがす方法で一部は可能かもしれないと指摘している。ただ、担当者は「好ましい方法ではないけど、今回は普通のケースではない」ともコメントした。

 AP通信によると、一連の騒動に関し、市長は「誰もが解決を欲しているが、その方法がわからない」と述べている。

 ■本物と偽物… 芸術とは?

 騒動を追うと、それぞれが真剣だから、なおさらおかしさが増す。

 20世紀の前衛芸術家、マルセル・デュシャンは名画「モナリザ」の複製品にひげを付け加えて、「L.H.O.O.Q」(エラショオキュ)というパロディー作品をつくった。フランス語に当てはめると「彼女の尻は熱い」となるそうだが、作品をみれは、モナリザは女性なのか、男性なのかなど、おかしさに加え、創造性もかき立てられる。

 世界最悪の修復画は芸術なのか、ただの失敗作なのか。大阪の街中には落書きのような画がたくさんある。それも何らかの手を加えれば、創造性をかき立てる「作品」になるのかもしれないが…。



宗教画「修復」町おこしに スペイン、画家も汚名返上
2013.8.14 産経ニュース

 スペイン北東部ボルハの教会で昨年、「修復」されたキリストの絵が「さるのようだ」とやゆされ、大きな話題となったことが、予想外の町おこしにつながった。修復を手掛けた地元の女性画家も自作の個展を開き、汚名返上を果たした。AP通信などが14日までに伝えた。

 1930年に描かれたフレスコ画を修復したのはセシリア・ヒメネスさん(81)。いばらを頂くキリストを全く異なる姿に描き直したことが“脚光”を浴びて以来、人口5千人のボルハに4万人以上が訪れ、地元の慈善団体は5万ユーロ(約650万円)を超す収入を得たという。

 町は修復画の関連グッズ販売も企画。ヒメネスさんと近く、収益を分け合う契約を結ぶ。

 ヒメネスさんは、修復画とは別の約20作を展示する個展をこのほど開催し、「今や皆、ハッピーのようね」と喜んだ。(共同)



フレスコ画修復の教会、神父が寄付金着服で逮捕
2013年12月04日 TBS

 あのフレスコ画の修復で有名になったスペインのボルハの教会で、今度は事件です。近所のお年寄りが修復したフレスコ画が失敗したことで観光客が増えたこの教会の神父が、寄付金など教会の基金を着服した疑いで逮捕されました。

 スペインの報道などによりますと、逮捕されたのはスペイン・ボルハにある教会の神父で、寄付金21万ユーロ(日本円で2900万円余り)の着服と性犯罪の疑いが持たれているということです。

 この神父の教会は去年8月、近くに住む80代の女性が100年前のフレスコ画を修復し、元のモノとは似ても似つかぬものにしたことで有名になり、観光客が1年で7万人も押し寄せました。

 騒動の後、教会では入場の際に1ユーロの寄付を求めるようしていましたが、地元警察は神父が着服した金がこの寄付金だったかどうかについては明らかにしていません。


地球ドラマチック あなたがどこにいても ~アフガン派遣兵士の妻たちは歌う~

地球ドラマチック あなたがどこにいても ~アフガン派遣兵士の妻たちは歌う~
2012年8月4日 ETV

多くの兵士をアフガニスタンに派遣しているイギリス南西部のチヴェナー基地。イギリスで合唱指導のカリスマとして人気を集める合唱団指揮者ギャレス・マローンは、あとに残された兵士の妻たちを励まし、彼女たちの声を世間に伝えるため、合唱団を立ち上げることにしました。

寂しさを募らせながらも、練習に励む団員たち。彼女たちの歌声は評判を呼び、ついには半年間の任務を終えて帰還する夫たちの祝賀パレードで歌うことに。

そして、最大の晴れ舞台は、ロイヤル・アルバート・ホールで開かれる戦没者追悼式典。エリザベス女王をはじめ、ロイヤル・ファミリーの前で歌声を披露することになります。妻たちの一世一代の大舞台に向けて、ギャレスの猛特訓が始まりました。

原題:THE CHOIR Military Wives イギリス/2011年
制作:Twenty Twenty Productions
語り:渡辺徹



・44分

2011年11月21日ロイヤル・アルバート・ホールでの演奏会で、全英では話題となりヒットなった曲がある。この番組は、それに向けた合唱指揮者と合唱団員である兵士の妻や恋人らの練習を綴ったものだ。

番組では、「Wherever You Are」の作曲から練習までの経緯を追っいく。合唱指揮者ギャレスは、最後に自分自身でも合唱団員でもなく音楽の力が成功した理由だと語った。

さて、こうした番組を見ると涙腺が緩んでしまうのだが、その背景にも注目をしてみたい。アフガンに対する多国籍軍の駐留任務、それを支えているのが家族である。

この曲は、兵士と妻・恋人たちの手紙をもとに作られているラブ・ソングで、遠く離れたところにいても気持ちがいつも同じであることを歌い上げている。

戦闘の是非については述べられていないが、夫や恋人のことを思う彼女たちの気持ち、またパパを思う子どもたちの気持ちは痛いほど分かる。国威発揚と簡単には割り切れないものを感じる。

こうした美しい曲と、悲惨な戦闘、殺す側と殺される側、アフガニスタンの人たち、ゲリラにも家族がいることだろう。人間はなぜ殺しあうのか・・・そこまで考えることはないしにしても、大義のない戦闘に参加しないといけないことは平和ボケしている日本人には理解しづらいだろう。



The Military Wives Choir - Wherever You Are
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