人生いろいろ:ネット通販トラブル

† 便利さと裏腹にトラブルはあるのだろう。店頭で見るわけでないので注文と違うことは当然とも思える。

‡ それで契約ということになってしまうと、知らなかったでは済まされないから注意が必要だろう。


子どもサポート情報 第50号  平成24年4月16日
◇発行:独立行政法人国民生活センター◇

   便利なネット通販…でも、こんなトラブルが!

◆事例1
携帯電話のネットショップでコートとブーツを購入した。届いたものを身に着
けてみると、通常より小さめに作られているようでサイズが合わなかった。ク
ーリング・オフできるか。(17歳 女性)
◆事例2
携帯電話で健康食品の無料サンプルを注文したところ、数日後に届いた。その
約2週間後、注文もしていないのに1カ月分の健康食品が届いて驚いた。後にな
って確認したら、サンプル到着後10日以内に申し出をしないと自動的に定期購
入となってしまうことが分かった。(17歳 女性)

<ひとことアドバイス>
☆インターネット通販は、パソコンの他に携帯電話などからも簡単に利用でき、
 中高生などにも利用されています。
☆しかし、購入前に実物を見たり手にとったりできないため、イメージと違う、
 サイズが合わないなどのトラブルになることがあります。また、注文時の注
 意書きをよく読まずに注文し、「返品・交換ができなかった」「お試しのつ
 もりで注文したのに定期購入になっていた」といったトラブルもありました。
☆通信販売にはクーリング・オフ制度がありません。返品は各々で決められた
 返品ルールに従った上で可能ですが、返品不可の表示がある場合は基本的に
 返品できないため注意が必要です。
☆面倒でも契約の詳細な内容や返品のルールについてよく確認してから申し込
 むようにしましょう。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)


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神の風景-人間と世間-92

「論理的に筋が通った説明で納得してゆく面もありますが、事実に圧倒されて有無を言わさずに納得させられてゆく面を深く持っているのが、人生というものでありましょう」(藤木正三)2-112弱さ、恐れ、不安

・納得させられることの多い毎日です。事実とは辛い側面があります。

新・話の泉スペシャル - 海の日特集 -

新・話の泉スペシャル - 海の日特集 -
2012年7月16日  NHKラジオ第一

桂文枝 毒蝮三太夫 山藤章二 嵐山光三郎 松尾貴史
【司会】渡邊あゆみ
~NHKふれあいホールで収録~収録・平成24年7月9日

・45分構成

さて、放送当日は6代目桂文枝襲名披露当日で、桂三枝から名前が変わった。69歳の誕生日ということで新しい門出の番組ともなった。

このラジオ番組だが、故・立川談志師匠を中心として、「話の泉」というかってのNHKラジオ番組のリメイク版として放送されていた。談志師匠の体調不良で一時的に存続が危ぶまれ、また亡くなったことでどうなるかと思っていたら、桂三枝を新たにレギュラーに据えての存続となった。

現在では定期的な放送がないために、祝日の放送記念特番として企画されているようだ。一般公開の番組で編集されて後日放送となる。

この日の放送も、けっこう楽しいやり取りで、それぞれに癖のある出演者だけに経験と博識から気づかされることも多い。

立川談志師匠は、イリュージョンということをしばし語っていた。その深い含蓄は、なかなか理解しがたく、彼の美観は屈折しているとも感じた。玄人ごのみの感じがして、なかなか尻込みするような思いも感じたことが私にはある。

この番組が、きちんとしていたのはやはり談志師匠の影響が色濃かったからだろう。落語に対しても美学を持ってただけに厳しさすらあった。

個人的には、毒蝮三太夫さんのことが気になっている。少し前にNHKの高齢者番組の司会で再ブレイクしたことも嬉しい。けっこう言葉は汚いけど憎まれない人だけに徳だ。

こうした大人が鑑賞に耐える番組が本当になくなってしまった。特にテレビは悲惨な状態になっている。三流芸人が楽屋トークを繰り返し、笑とも中傷とも分からないネタを披露するのみ。そこには伝統文化もなく伝えるほどの芸もない。一発の瞬間ネタでずっと演芸ができるはずもなく、結局は消えていってしまう。

確かに一家でラジオを囲んだり、テレビを囲んだりすることはなくなった。嗜好は多様化し専門化する。ただ家族で一緒にミカンでも食べながらワイワイと過ごす時間は、どんな時代になっても必要なのではないだろうか。

このラジオ番組に出演するする方は、松尾貴史さんを除くと高齢者ばかりだ。だから番組演出でも、出題する問題や時代背景について説明しながら番組作りをしないといけない状態となっている。そこまで若者世代を意識する必要もないと思うのだが。

特集番組として成立するとしても、こうした内容ある番組を作らないと視聴者から飽きられてしまう。事実、NHKラジオ第一は、日曜日の夕方からの番組を若者向けに再編してしまった。午前零時をまわるまで、高齢リスナーはスイッチはつけないだろう。

看護師の法則33

ウソは失敗をカバーできない

・結果を正直に話せる人は信用がおけるし、失敗があっても早くカバーができる。ウソは最悪である。

澤木興道 語録9

サトリというものは天地にみちみちているものである。空気のようなもので、われわれ日々呼吸している。これからサトルものではない。(澤木興道)1-107

・呼吸のように自然になっていることが大事なこと。知らないうちにあり、知らないうちに意識しなくなるものがホンモノ。

医師になった僧侶 「人生完成させる」手助けに

医師になった僧侶 「人生完成させる」手助けに 
2009年4月25日 朝日新聞

 医師は人の体を診る。僧侶は「いのち」を見つめる。その両方ができれば、病む人の苦悩を丸ごと受け止められるのではないか。ならば、と禅僧の対本宗訓(つしもと・そうくん)さん(54)は医師になった。みずからを「僧医」と呼ぶ。その目には何が見えてきたのだろう。

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 東京・浅草近くの小さな内科クリニック。つるつるに剃(そ)った頭に白衣姿の対本さんが、超音波診断装置を指さす。「この操作が意外と難しくて……」

 医師国家試験に合格、2年間の初期臨床研修をこのほど終えた。クリニックには4月から週3日のペースで勤め始めたばかりだ。「技術はなおトレーニング中ですが、臨床ではもう独り立ち。下町のホームドクターとして、どんな病気でも拝見しなければなりません」

 かつては臨済宗の一派の管長だった。広島県にある本山は600年の歴史を誇り、38歳での最高位就任は異例だった。

 一方、胸の内では「いのちとは何か」という問いが膨らんでいた。きっかけは、父親が長い闘病生活の末に亡くなったことだ。管長になる3年前である。

 「人にはこころだけでなく、肉体という側面があります。老・病・死をめぐる苦は体と切り離しては考えられませんが、僧侶には医学の知識がない。医療現場に飛び込み、人間という存在を考えねばと思ったのです」

管長しつつ勉強
 管長の重責をこなしつつ、医学部を受験しようと決めた。禅の道場は朝4時起床。睡眠を1、2時間に削り、勉強する日がたびたびあった。

 2000年の春、帝京大学医学部に合格した。平日は東京、土日は広島という生活だ。トップみずからの行動に「伝統に安住せず、現代にどんな役割を果たせるかを一人ひとりが問い直そう」とのメッセージをこめた。しかし共感は広がらず、その秋に辞任した。

 医学部に入り、人体を冷徹に見ることを迫られた。2年生での解剖実習では、「メスを入れるのは抵抗感がありました。申し訳ありません、という気持ちです」。献体された遺体を切ったときの感触はいまも残る。

 初めて看取(みと)りを任されたのは、卒業後の臨床研修に入って3カ月目。50代半ばの男性が最期を迎えようとしていた。見守る家族はおろおろするばかり。そのとき患者が、懸命に呼吸補助装置を調整する対本さんの手をつかみ、酸素マスクの下から息たえだえに、こう言った。

 「私はなぜ、こんな思いをしなければいけないんですか」

 医療を超えた問いである。「その瞬間、頭の中で何千冊もの仏教の本のページがパラパラッとめくられた気がします。気の利いたことばは何も出てきません。現場にあるのは個別の苦悩。対応するのがいかに難しいか、痛いほど実感しました」

 そんな「逃げようのない場」では、自分を空(くう)にしなければと気づいた。「ただし軸足は定まっていて、柔軟に相手に合わせる。それには、よほどの力をつけないと」

 医師が扱う「生命」と僧侶が説く「いのち」。そのつながりを考えるうえで、忘れられない場面がある。

 まだ医学生のときのことだ。脳腫瘍(しゅよう)の手術を受けたものの、回復の見込みのない患者を受け持った。話は通じない。ただ、目で語りかけているかのようだ。その姿をじっと見つめた。

 「そうしますとね、病気という薄皮1枚の奥で、何ら欠けたところのないものが生き生きと息づいているように感じたんです。それを『いのち』とも『たましい』とも呼んでいい。病むことも傷つくこともない……。すべてをそのままで、よし、としているような神々しさを感じ取りましたね」

両方からさぐる
 そうした経験を経て、いま、何かをとらえかけている気がしているという。「感触で言えば」と、左手を伸ばしながら語る。「体を診ることによって何かをつかもうとする」。今度は右手を出す。「僧侶として、こちらからさぐろうとする」

 見えない球のようなものを両手でつかむしぐさをする。「両方からまさぐって、何かにちょっと触れているのかな、という感じでしょうか。何とも名付けようのない、この奥のところを究めたいのです」

 医師としてはもちろん、肉体の苦しさを少しでも軽くしてあげたい。しかし、こうも考える。「病や老い、死は人生の大切な契機。それに向き合うことで何かに目覚め、成長していく。そうした経験をするために、人はあえて肉体をまとってこの世に生まれてくるのではないでしょうか」

 近く緩和ケアチームのある総合病院にも勤める。がん末期の人に接し、「人生を完成させるお手伝い」をしたい。僧医としての力がいよいよ試される。(磯村健太郎)



・医師⇒僧侶・牧師資格を得るというパターンはかなり多くある。一方で、僧侶・牧師⇒医師ということは聞かない。理由は、日本では医師になるためには相当の勉強量を青年期に行う必要があり、人生の問題は後回しになってしまうからだ。

本来であれば、社会人となってから医師をめざす欧米のメディカル・スクールのような養成がホンモノであろうと思う。しかし、日本では閉鎖的な医師社会では歓迎されずにきている。

医師の視点と宗教家の視点は、次元が違うのだと思う。それを混同することは危険かもしれない。私は個人的には、「僧」医・「クリスチャン」ドクターと看板を掲げる医師を好まない。それは患者が信仰を持っている医師ならば特別な配慮をするだろうと言うような変な期待を抱くからだ。そんなことがあるはずもない。

宗教を信じない人が多い現代で、生死の葛藤の瞬間をどのように信仰者として感じ接していくのか、その答えは学んだ宗教教理の中にはないだろう。

神田橋 語録18

難しいケースが来るから腕が上がっていくのよ。(神田橋 條治)努力

・困難なことは誰でも避けたい。ただ易しいことばかりしていると腕が勘が鈍ってくる。自ら進んで困難ケースに当たることはないが、縁があったものには真摯に向きあることが誠実というものであり、その努力が日々自分を向上させる。

「聖誕教会」世界遺産に パレスチナ歓迎「国際社会が支持」

「聖誕教会」世界遺産に パレスチナ歓迎「国際社会が支持」
2012年7月1日 産経ニュース

 キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸ベツレヘムの「聖誕教会」とその巡礼路が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会により世界遺産への登録が決められたことに対し、登録を推薦していたパレスチナ自治政府は6月29日、歓迎の声明を出した。

 声明でパレスチナ自治政府のファイヤード首相は、今回の決定によりパレスチナの主権が国際社会に支持されたとし、「パレスチナの大義への希望と自信を与えるものだ」と登録決定を高く評価した。

 パレスチナは昨年10月、ユネスコへの正式加盟が承認された。聖誕教会が「(1967年の第3次中東戦争以降から続く)イスラエルの占領政策で危機的な状況にある」と、保護の必要性を訴えていた。世界遺産委員会の会合では、早急な保全が必要な危機遺産への登録や、修繕などのための資金提供も決まった。

 世界遺産の推薦は原則、国単位で行われることから、今回の決定は教会周辺の土地をパレスチナの「領土」と認める意味合いも持つ。昨年9月に国連加盟を申請するなど、国際機関での国家承認を求めるパレスチナにとっては追い風だ。

 だが、和平交渉の当事者であるイスラエルのネタニヤフ首相はパレスチナ側のこうした動きを「一方的だ」と非難、今回の世界遺産登録についても「文化ではなく政治的な動機によるものだ」と批判した。【カイロ=大内清】



・詳しく調べたことがないが、世界遺産はいっぱいありそうだ。

こうしたことと、政治的な問題がリンクすることが悲しき現実。パレスチナの故アラファト議長に毒殺疑惑が湧き起っており関係正常化はさらに混迷へ。


故アラファトPLO議長の毒殺疑惑、国際捜査を要請へ
2012年07月05日 AFP

 2004年に死去したパレスチナ解放機構(PLO)の故ヤセル・アラファト(Yasser Arafat)議長(当時)の死因が放射性物質による毒殺だった可能性が浮上したことを受け、パレスチナ自治政府は4日、国際捜査機関の設置を呼びかけた。

 中東衛星テレビのアルジャジーラ(Al-Jazeera)は3日、9か月に及んだ調査の結果として、アラファト氏の生体試料から毒殺に用いられることもある放射性物質ポロニウムが検出されたと報じた。これを受けてPLO幹部のサエブ・アリカット(Saeb Erakat)氏は、レバノンのラフィク・ハリリ(Rafiq Hariri)元首相暗殺事件で設置された国際特別法廷を参考に、アラファト氏の「毒殺」について国際捜査機関の設置を求めていくとAFPの取材に語った。

 故アラファト氏の妻、スーハ(Suha Arafat)夫人も3日、AFPに対し、アラファト氏の生体試料検査を行ったスイス研究機関に同氏の遺体の検視を要請し、暗殺の真相を早急に究明したいと述べている。

 パレスチナ自治政府の調査を率いるタフィク・ティラウィ(Tawfiq Tirawi)氏は、検視のための遺体サンプルを摂取するため、遺族の許可を得た上でヨルダン川西岸(West Bank)のラマラ(Ramallah)にあるアラファト氏の墓を掘り起こすことを自治政府が認める方針だと述べた。


神の風景-人間と世間-91

「信仰についての抜き難い誤解は、それを非常時のことと捉えていることです。しかし、信仰は本来常時のことです」(藤木正三)2-111常時への着地

・非常時とは病気・失意・困難・就職・結婚・葬式…の時に信仰の出番があると考えていること。たとえ不満があってもこの私をきっちりと引き受けさせ、日々の要求を果たさせるのが信仰であると藤木師は語ります。信仰が誤解されている理由がこれだと思います。それから、ご利益信仰・神頼みという非常時を切り抜ける私欲から信仰を捉えます。しかし信仰は非常時を含めた毎日の生きることに対する人生態度だといえましょう。

茨木のり子「時代おくれ」

時代おくれ」茨木のり子『倚りかからず』(1999、筑摩書房)


  車がない

  ワープロがない

  ビデオデッキがない

  ファックスがない

パソコン インターネット 見たこともない

けれど格別支障もない


  そんなに情報集めてどうするの

  そんなに急いで何をするの

  頭はからっぽのまま


すぐに古びるがらくたは

我が山門に入るを許さず

   (山門だって 木戸しかないのに)

はたから見れば嘲笑の時代おくれ

けれど進んで選びとった時代おくれ

        もっともっと遅れたい


  電話ひとつだって

  おそるべき文明の利器で

  ありがたがっているうちに

  盗聴も自由とか

  便利なものはたいてい不快な副作用をともなう

  川のまんなかに小船を浮かべ

  江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも


  旧式の黒いダイアルを

  ゆっくり廻していると

  相手は出ない

  むなしく呼び出し音の鳴るあいだ

  ふっと

  行ったこともない

  シッキムやブータンの子らの

  襟足の匂いが風に乗って漂ってくる

  どてらのような民族衣装

  陽なたくさい枯草の匂い


  何が起ろうと生き残れるのはあなたたち

  まっとうとも思わずに

  まっとうに生きているひとびとよ




・便利なものがなければ生活ができないこともない。

電気がなければ、好きな音楽CDも、ラジオも聴けない。

原発が止まり、節電の夏を過ごし、現代が電気で動いていることを知る。

私たちが失ったのは、人間の五感を動員する生き方であり、クライシスを生き延びるのは、文明人と言われる人たちではないだろう。

そうした古の智慧を捨て去り、日々蓄積されるゴミのような情報に踊らされる。

スマートフォンの普及を見ていると、それで豊かになったのかという疑問である。

悠久の時間を感じ、星空を眺めて、過去から未来を想いいる。

そんな時間の豊かさを知らないことは、豊かでないということだろう。

人生いろいろ:雑誌付録

† ちょっと前からだが、女性誌に豪華な付録がつくようになった。それを目当てにし発行部数は急増した。むろん他社も同様になったのでブームは沈静化しているものの、豪華付録は相変わらず続いている。出版不況が続いている中では朗報とも言える。

‡ ところが男性グラビア誌などでは、インターネットの影響で付録DVDをつけても販売不振が続いている。半ば無料で全世界の映像アクセルできる環境ができDVDの価値が半減したということ。大手グラビア誌も昨年夏に休刊となり事実上の撤退ということ。男女間で明暗が分かれた格好となった。

澤木興道 語録8

タダ座禅。タダ念仏。――この「ただ」ということが、凡夫にはツマラナク思える。凡夫はいつでもなんぞリクツがほしいんじゃ。(澤木興道)1-106

・悟ると何か人生が変化して見えるようになる・・・なんている思いが誤解を招く。何も変化しないが、処する自分が変わっているだけだ。

死海文書の謎に新説が浮上

死海文書の謎に新説が浮上
2010年7月28日 ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト

 古代エルサレムの地下トンネルで発掘された謎のカップの暗号が解読された。そのほかの考古学的研究調査と共に、「死海文書を書いたのは誰か」という聖書時代最大の謎の1つを解明する手掛かりになりそうだ。

 新しい手掛かりから、死海文書の作成には複数の共同体が関わり、ユダヤ戦争の戦火を避けて隠されたという説が浮上した。さらに、エルサレム神殿から持ち出された可能性もあるという。

 死海文書はいまから60年以上前に、要塞都市クムラン付近の海岸の洞窟群で発見された。紀元前2世紀から紀元1世紀にかけてクムランで精力的に活動していたとされるユダヤ教の1グループ「エッセネ派」が、死海文書をすべて書いたというのがこれまでの一般的な見方だ。

 ところが新しい研究では、死海文書の多くはユダヤ教の複数のグループによってクムラン以外の場所で書かれたと示唆された。その一部は、紀元70年頃にエルサレムをめぐってユダヤとローマ帝国の間で起こった攻防戦から逃れた集団だという。この戦いでは伝説に残るエルサレム神殿も破壊されている。

 1947年、ベドウィン族の羊飼いによって発見された死海文書は1951年から発掘調査が行われた。フランスの考古学者でカトリック教会の神父でもあるロラン・ドゥ・ヴォー率いる国際チームは、1953年から文書の研究を開始した。文書のほとんどはヘブライ語で書かれている。

 死海文書が見つかった11の洞窟がクムランに近いことから、当時クムランで活動していたエッセネ派が作成者だとドゥ・ヴォーは結論づけた。文書の内容も、ドゥ・ヴォーの説を裏付けているようにみえる。書かれた共同生活の規則の一部がエッセネ派の風習と一致しているのだ。

「死海文書には共同体の正餐からみそぎの手順まで書かれている。クムランに関する考古学的見解とも一致していた」と説明するのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の考古学者ロバート・カーギル氏。アメリカで7月27日に放映された米ナショナルジオグラフィック チャンネルのドキュメンタリー番組「Writing the Dead Sea Scrolls(死海文書を書いたのは誰か)」の出演者だ。

 2009年、エルサレムのシオン山で約2000年前のカップが発掘された。カップの表面には、死海文書の一部で使われている暗号と似た文字列が刻み込まれている。最近解読された文字列の内容から、エルサレム出身の宗教指導者が文書の一部を書いたと推測する専門家も現れた。「聖職者たちは文書を暗号化し、世俗の有力者の目を遠ざけていた可能性がある」とUCLAのカーギル氏は話す。

 新たに浮上した説では、エッセネ派はもともとエルサレム神殿の聖職者だったが、不正な手段で大祭司の地位に就いた王に反抗し、紀元前2世紀に自らを追放の刑に処してクムランへ逃亡したとしている。その後、自分たちの教えを書いた文書が死海文書の一部になったという。

 聖職者は逃亡先のクムランで彼らの古い習慣の一部を実践したのかもしれない。暗号で文書を残したのはその現れと解釈できる。また、文書のすべてがクムランで書かれたのではなく、エルサレム神殿由来の一部は保護目的で神殿から持ち出された可能性があるという。「死海文書の作成者が聖職者だとすれば、既成の解釈は大きく変わるだろう」と、カーギル氏は番組内でコメントしている。

 カーギル氏を含め多くの考古学者が、エッセネ派は死海文書の一部を書いたが、すべてではなかったと考えている。その考古学的根拠のひとつが、2007年にイスラエルの考古学者ロニー・レイヒ(Ronnie Reich)氏の研究チームがエルサレムの地下で発見した古代の排水トンネルだ。

 西暦70年頃にローマ帝国が攻め込んだ際に、ユダヤ人が避難のために使った通路とみられ、ユダヤ教の重要文書もこのとき一緒に持ち出された可能性があるという。また、トンネルの出口があるキドロンの谷は死海、つまりクムランに近く、新説を裏付ける要素となっている。

 だが、死海文書がクムラン以外の場所から持ち込まれたという今回の説には反対意見も多い。例えば、ニューヨーク大学でヘブライとユダヤを研究するローレンス・シフマン氏は、「文書のほとんどが一貫したテーマで筋道が立っているため、別々の場所から洞窟に持ち込まれたとは考えにくい。もしそうだとすれば、エッセネ派とは異なるグループのイデオロギーが書かれた文書が見つかるはずだ。この説が事実である可能性は非常に低いだろう」と指摘する。

 カーギル氏は、「書いたのが誰であれ、死海文書はユダヤ人にとって“聖なる書物”であり失われないよう大事に保管されたが、いつの間にか砂漠に埋もれたままになってしまった。エッセネ派かどうかに関わらず、紀元1世紀のユダヤ教の多様さを示す貴重な文書であることに間違いはない」と話している。

Ker Than for National Geographic News



・歴史にも強いドキュメンタリーを作るナショナルジオグラフィック。日本では有料チャンネルで見られるようだが、ニコニコ動画でも一部番組を無料で見られることもある。

死海文書に関しての番組で、従来の仮説を疑う内容ということだ。それでなければ番組を作る意味もないだろう。

特に考古学の研究は、新たな事実を展開する上で欠かせない材料を提供してくれる。

20120701 1

NHKスペシャルの大英博物館の特集で従来、”白い”文明と思われていた古代ギリシャ文明だが、彩色を施した華麗な文明であることを紹介した。これなども考古学等の成果であろう。

神田橋 語録17

忙しくても意義あることを探す。そうでないと疲れる。(神田橋 條治)治療者へ

・ルーチンワークとなると、ただただ処理することに追われることになる。そうした機械のような生き方に人間は耐えられないものだ。同じことでも実は同じでないことに気づくこと。それに意義を見出すことが、一服の清涼剤となるだろう。

人生いろいろ:送り付け商法 健康食品

† 相談者は高齢女性が多いのだろう。

‡ 健康食品のことが話題になっている昨今だが、それほど効果があるとも思えない。基本的には普段の食生活をきちんとするだけだろう。同じ栄養素をいくらとっても吸収されなければ仕方なく。吸収するには本来、身体が活発でなければどうしようもない。


見守り新鮮情報 第138号 平成24年6月26日
◇発行:独立行政法人国民生活センター◇

  注文していないのに健康食品が送られてきた!

<事例1>
夫が生前に契約したことがあるという業者が、電話で「通常価格より安くする
から」と健康食品を勧めてきた。すでに常用している健康食品があるからと断
ったのに、後日商品が送られてきた。(80歳代 女性)
<事例2>
「注文のあった健康食品を代金引換で送る」と電話があった。「注文した覚え
はない」と伝えると、「確かに注文している。代金は2万円。支払わないと訴え
る」と脅された。経済的にゆとりがないので、そんなに高い健康食品を注文す
るはずがないのに翌日業者が言ったとおり商品が届いてしまった。(70歳代 
女性)

<ひとこと助言>
☆健康食品の電話勧誘販売で、「断ったにもかかわらず商品が送られてきた」
 「買うとは言っていないのに商品が届いてしまった」などという相談が寄せ
 られています。
☆消費者が承諾していないにもかかわらず一方的に商品を送り付けられた場合、
 代金支払いの義務はなく、受け取る必要もありません。
☆勧誘されても必要なければはっきりと断りましょう。業者名や連絡先を確認
 しておくことも大切です。
☆商品が届いてしまっても、安易に受け取らないようにしましょう。
☆困ったときは、速やかにお住まいの自治体の消費生活センター等にご相談く
 ださい。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)


神の風景-人間と世間-90

「道徳を犯すと悪い人になりますが、律法を犯すと誇る人になるのです」(藤木正三)2-110被のルール

・「律法」は生かされているという受身の構えで生きる道筋、「被のルール」なのだと藤木師は語ります。律法とは、キリスト教では神がユダヤ民族に与えた掟であり特別なものです。それは非常に単純な教えから始まり時代を経るに従い煩雑さをましていきました。そこで分かったことは、人間は十戒の一つすらも守ることができない存在であるということです。しかし人間は、それでも生かされているという不思議さに生きているのです。律法を犯すことは、人間の中には救いはないが、そんな律法により自分がどのようなものであるかを確認できる点に意味があるのです。

茨木のり子「倚りかからず 」

倚りかからず 」茨木のり子『倚りかからず』(1999、筑摩書房)


もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて

心底学んだのはそれくらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ




・ながく生きて、いったい何が自分自身の奥底に残るのだろうか・・・

学問や思想が自分を守ってくれるとはもう思わない。

権威や宗教には、さんざんな思いを味わった。

倚りかかることは悪いことではないが、倚りかかるものが脆弱すぎることを学んでしまった。

信じることは、己が身体の欲求と、自分の信念などはどうでもいいことだろう。

不都合だと思っていることは、実は自分の作り上げた壁に過ぎない。

私の自己反省21

「いわゆる自我には小我と大我があることを知らずに、自分は、自我というものを、他人との比較相対の上に立っての、相対的自我としてしか理解していなかったのではないか。大我とは、他人との比較相対をはなれたときに働いている普遍的な自我であるが、それが今日までに、体験的にわからなかったのではないか」(水谷啓二)

・いわゆる神経質な人間は、自分の欲望に鈍感なところがある。自分の本当の欲求を知り、それが実現可能かどうかを判断する材料として、自分と他人の区別ができる方がいい。その欲求も、自己保存本能に根差したものなのだろうか、それとも、社会性を拡張し自分の存在と社会の融和を目指すものなのだろうか。

澤木興道 語録7

迷いと悟りと、どれだけ違うか。じつは同じものを迷っており、同じものを悟っておるのである。(澤木興道)1-104

・区別するのは人間のはからい。現象の奥にあるものは実は同じだったりする。

苫米地英人博士が明かす 「寄付を悪用する慈善団体」

苫米地英人博士が明かす 「寄付を悪用する慈善団体」
2011年07月26日 livedoor

「もし寄付するのが楽しかったら、あなたは洗脳されて騙されている可能性がある」

と話すのは、過去にはオウム真理教の信者を脱洗脳し、現在では書く本のほとんどがベストセラーとなる脳機能学者・計算言語学者の苫米地英人博士だ。「東日本大震災」を機に、日本でも寄付への関心が強まり、街角からコンビニまで、いたるところで様々な人が募金活動を行っている。一方、寄付を悪用する団体があるという噂もあるが、果たしてそれは本当なのか、苫米地博士に伺った。

――寄付を楽しむことは間違っているのでしょうか?

間違っているかどうかいう以前に、寄付を楽しい行為に見せて稼ごうとする集団がいて、そういう人たちに騙されてはいけない、ということだね。

日本で著名な慈善団体でさえ、会計報告を見れば実際に利用されているお金が非常に少ない団体があって、寄付金の多くは職員の給料や設備に使われている。つまり彼らはビジネスをしているだけなの。

世界中のNPO・NGOが寄付金で儲けていて、海外に本部がある世界的なNGOにビジネス志向が多い。そういったNGOの本部は一等地のオフィスにワンフロア借りて、ハーマンミラーの家具を置いている。だとすれば寄付がどこに使われているかわかるよね(笑)。

先進国では寄付をすると免税になる国が多いから、成金NPOが沢山あって問題になっている。酷い団体なんて一機40億円のプライベートジェットを3機買っている。避難民を運んでいるわけじゃなくて、重役の移動に使っているだけだからね。

――そういった団体は全員がビジネスだとわかってやっているのですか?

わかってない。騙されているから。自分たちは良いことをしていると思って、重役の私腹をせっせと肥やしている。これって実は、カルト教団と同じ構造なんだよね。

最近実際に私の知り合いで騙された人がいて、とある県の老人介護のNPOでボランティアをやっていたんだ。彼は本当にあくせく地元の老人をお風呂に入れて働いている。それ自体は良いことだよね?

でも彼はボランティアでやっているから、もちろん無償なんだよ。でもそのNPOは国から補助金をもらっていて、その金は幹部のポケットに入っている。ということは現場の人は奴隷としか見られてないんだよ。

こういった儲かる構造に目をつけた人たちが今せっせと慈善団体をつくっている(笑)。
無償でNPOの現場で働いている人達は、渋谷の駅で花とか壷売っている人と同じ状態だよ。壷は原価の10倍や20倍で売っているわけだけど、本人たちに入ってくる金はないからね。

――そういった悪意ある団体ばかりではないですよね?

もちろん、元から良い団体もいて、そういった人たちはちゃんと収支を公開しているから確認したほうがいい。公開していなければ怪しいし、公開していても、堂々と寄付に使っていない団体もあるから注意したほうがいい。

あと、会計報告で「いくら寄付しました」といっていても、「どこに」寄付したかが曖昧な場合も気をつけたほうがいいね。寄付先が書いてあったとしても、寄付先もグルの場合があるからちゃんと調べたほうがいい。

あと、自分の働きだと一般的にどれくらいの給与になるかを考えた方がいいよ。無償といっても、その労働の給与分、団体は得をしているわけだから。それを差し引いても団体が私欲に走っていないか確認したほうがいいと思うよ。

――なぜ慈善団体にこういった悪意ある団体が増えるのでしょうか?

だって、社会的に良いとされる事の方が当然騙しやすいからだよ。カルト教団も、悪の教団と銘打っている所なんてないよね。みんな「より良き社会を作ろう」ってことで騙されているんだよね。

だから悪意ある慈善団体は、感動の架空のストーリー作って、社会に良いことって思い込ませているだけなんだよね。

たとえば貧困者向けの融資制度であるマイクロバンキングも、とある団体では、お金を借りたい人は、残り4人の同志を連れてきなさいって言うんだよ。その4人のうちの誰かに代表で貸し付けるから、あとは4人で分担して、頑張って返しなさいよって言う。かっこいい言い方だよね。でもよく考えてみると、一人借りるのに4人全員が連帯保証を負うんだぜ。それはアコギでしょう。

「貧困者でも融資します」という社会的に良く聞こえる話が、自分の友達まで巻き込んで借金漬けにしちゃう事態にもなりかねない。こういった事にならないために、社会的に良く聞こえる話ほど注意した方がいいんだよ。あと、収支のなかで寄付金の大半を広告費に使っている団体は悪質だよね。感動のストーリーで騙そうとしているだけだから。

――では、どういった寄付なら価値がありますか?

自分のお金を他人のために役立てたい人は、寄付する以前に、税金を納めるべきだよね。

税は国家のために使われているのが大前提なんだから。税金を納めない代わりに、ある団体にお金を入れるってことは、その団体の方が日本国よりも金をうまく使えると信じているんだよね?

だったら日本も無駄遣いしているけど、そのNPO、NGOがそれ以上無駄遣いしていないかを確認した方がいい。しかし残念ながら無駄遣いというより儲けに走っている団体も多い。

税金納めた後でどこかに寄付をしたいなら、地元の国立大学に寄付するのがオススメだね。一部の公益活動に関する寄付については、贈与税を取らないからね。せっかく寄付するなら、贈与税取られないで、あげた分全額相手に行くほうが良いよね。

私自身、自分が応援したい研究をしている大学へはピンポイントで寄付している。つまりどこかの団体に委託せずに、自分が寄付したい所へピンポイントで寄付するのも良いと思うよ。

――チャリティイベントについてはどう思われますか?

会計が明快でないイベントが多いよね。寄付金からイベントにかかった経費を引いて、利益分だけ寄付するのっておかしいよね?もし集まった寄付金の多くが、登壇した芸能人やミュージシャンの出演費や経費に消えているのなら、主催者と出演者はチャリティイベントで稼いでいるだけだよね。

例えば私が今月開催したチャリティイベントでは、東日本大震災に対する任意額の義援金を各県の寄付口座に振り込んで、「振り込み控え」を会場にもって来るだけで参加できるようにした。

つまり、私の所を寄付金が経由しないので、儲けようがないし、イベントの運営費は私が自腹で払っている。会計が明快でしょ?

――そういった明快な寄付方法は、なぜあまり見かけないのでしょうか?

だから、会計が怪しい所が多いからだよ(笑)。
あと、寄付団体を通じて募金すると手数料が引かれちゃう場合があるのと、実際に寄付金が現地に届くまで時間がかかってしまう場合がある。

あと、私は震災後に仙台に住民票を移しているんだけど、これも前言ったように、税金を払うほうが下手な寄付より効率がいいからなんだよね。もっと言えば、アメリカでは各州の法律が異なるように、日本でも各県で法律が異なる「連邦制」にして、被災地を「経済特区」として銀行などが投資しやすくするなど、規制を場所によって変えればいいと思う。

ヨーロッパもユーロ経済圏で連合しているから、ある意味自分の好きな制度の国に住める。実は日本くらいなんだよね、先進国のなかで、自分で好きな制度の所に住めないのは。

――寄付する際の心構えなどはあるのでしょうか?

寄付するときは、自分が嬉しいから寄付しているんじゃないかってことを確認したほうがいい。例えば俺だって、絶対このギターが欲しいって時に、大学の若手の後輩たちが育つなら仕方ないかと思って、ギターを泣く泣く諦めて寄付しているくらいだもの。寄付が楽しいなら、騙されている可能性がある。

寄付って本来は苦しい事だよ。それが嬉しい、楽しいのなら疑ってみた方がいいね。



・大筋で、まともな主張である。税金の方が社会に還元されることや、直接寄付するという方法は、間におかしな団体を介入させないだけに効果があるだろう。

私も多少は知っているが、まともにやっている団体でも組織の維持費・人件費等で4割程度が失われていた。つまり、ビジネス的に行えばもっと中間搾取されてしまい、中には全く支援先にいかないということもある。

会計報告を公開していても、それが本当に正しいのかは結局、信頼の問題となってしまうのだ。それは町内会で強制的に徴取されている社会福祉協議会・会費や日本赤十字社・社員会費も同じことだ。社協や日赤の会計報告を見た人が果たしてどれだけいるだろうか。

そして一番困った輩は、偽造した団体で偽の目的で身分を偽って寄付や物売りをする宗教団体だろう。彼らは国際親善や社会福祉と名乗っているが、寄付金は上部宗教組織の資金になってしまう。

気をつけたいのは、寄付金を集める人たちも騙されており、善意に使われると信じている場合だろう。目に見える相手に直に援助することが最善のようだ。

神田橋 語録16

本を読んでも理屈は言えるようになるが、分からん人になる。(神田橋 條治)臨床

・臨床家に求められる資質とは何だろうか。上記にある分からん人とは、目の前にいる相談者を理解できない状態をいうのであろう。同じようなことは類型化されたものと、目の前にいる相談者は違ったものだといことだ。例えば診断基準で、いくつかの項目が該当するならば病名は確定されても、目の前にいる患者は教科書にあるような典型例ではないということだ。厳しくいうと、相手を自分の理屈に合わせて診てしまう危険すらに気づかない臨床家いかに多いことか。

性的被害賠償、1500億円超に=カトリック聖職者の虐待問題

性的被害賠償、1500億円超に=カトリック聖職者の虐待問題
2012/02/09 時事通信社

 バチカンからの報道によると、カトリック教会の神父らによる相次ぐ性的虐待問題で、教会側が被害者らに支払った賠償額はこれまでに総額約20億ドル(約1540億円)に上るとみられることが8日、専門家の調査で明らかになった。公にならず和解に至ったケースも多く、正確な額は不明という。

 調査したのは米カトリック教会の関係者2人。各国のカトリック聖職者らが参加し、バチカンで6日から9日まで開かれている会合で報告、聖職者らへの信頼が失われた代償は金銭的損失よりも大きいと強調した。【ジュネーブ時事】



・未だに続くカトリック教会での性的虐待問題。大きなうねりは超えたにしても、カトリックの品位を落とし教会離れを自ら加速してしまった。

神の風景-人間と世間-89

「正しいと思えば自分の考えを主張するのは当然ですが、冷静に、筋を通して考えている積りでも、なお自己流の論理を通していることを忘れないようにしましょう」(藤木正三)2-107くせ

・それは、「くせ」と呼べると藤木師は語ります。正しいとは、本当に危ういものです。自己に都合の良いことしか見えないのが人間です。また、未来永劫正しいといえるものはありません。そうした正しさで戦争をしたり相手を裁いていたらどうなるのでしょうか。

「秘密結社」フリーメイソンがベール脱ぐ 情報発信し、フェイスブックで会員集め

「秘密結社」フリーメイソンがベール脱ぐ 情報発信し、フェイスブックで会員集め
2011年10月17日 J-CASTニュース

世界最古の友愛団体「フリーメイソン」が、インターネットを駆使して会員獲得に乗り出しているようだ。

「秘密結社」「神秘主義」で語られることの多いこの団体が、最近ではSNSの「フェイスブック」まで活用。団体の姿や魅力を、一般の若者へアピールする。

ワシントンやベンジャミン・フランクリンも会員だった
英国を起源にして世界中に広がるフリーメイソンだが、具体像はあまり知られていない。団体が掲げる道徳的な教えの下、会員は理想の姿を目指して互いに親睦を深めながら活動する、とされている。「教え」といっても特別な内容ではない。宗教団体とは一線を画し、単純な互助会や慈善集団とも異なる。会員を統括する「ロッジ」という組織が各国に存在し、各ロッジが独自に会員を管理、運営している。総本部や、「教祖」のような立場のリーダーもいないようだ。

具体的な活動に関する情報が少なく、何ともつかみどころがない。そのため、社会や政治の舞台で「陰謀論」の主役としてその名が登場することもある。だが、フリーメイソンは会員同士で宗教的、政治的な目的をもった活動をしないと公言している。

時には「秘密結社」と表現されるフリーメイソンが、そのベールを脱ぎ始めたと伝えたのは、2011年10月11日付の米ウォールストリートジャーナル(WSJ)紙(電子版)だ。その理由は会員の減少としている。「消滅するか公開するか」の選択に迫られたフリーメイソンは、自ら情報を発信して神秘的な存在からの脱却を目指す道を進んでいるという。

最も顕著なのが、ネットの活用だ。複数のフリーメイソン組織が独自にウェブサイトを開設しているほか、フェイスブック上にも「フリーメイソン」という英語のページがある。運営者は米国の組織の1つとみられ、設立年や沿革といった基本情報や、米国初代大統領のジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリンも会員だったと書いている。会員数は世界で500万人、そのうち米国は200万人弱で、英国が約48万人となっている。

ページの運営側による書き込み内容は多様だ。フリーメイソンの教義を端的に説明したり、イスラム教の断食月にはイスラム圏の会員を励ましたりしている。

 最近では「スティーブ・ジョブス氏のご冥福をお祈りします」と、2011年10月5日に亡くなった米アップル創業者を悼む投稿もあった。

日本のフリーメイソン組織が開設するサイトも
WSJは記事中、1人の米国人会員を取り上げている。この男性はブログやフェイスブック、写真投稿サイト「フリッカー」を始め、自身が所属するフリーメイソン組織のウェブサイトにビデオエッセイを載せたいと語る。さらに「どんな団体に入会するのか、みなさんは知る必要があります」と続け、情報公開に積極的な姿勢を見せた。記事では、男性が「名誉ウェブマスターになるかもしれない」としている。

だが、ネットをはじめとした各種メディアをつかった勧誘作戦も、簡単ではないようだ。米国のあるフリーメイソン組織では、宣伝攻勢で数百人の会員獲得に成功、入会の「儀式」参加にまではこぎつけたが、多くは1度きりの参加で組織を去ってしまったという。それでも、年間の退会者数は減少傾向にあり、組織の衰退に歯止めをかけるうえで一定の貢献にはなっているようだ。

ウェブサイトの中には、日本のフリーメイソン組織が開設しているものもある。団体のプロフィルでは、「秘密結社ではない」とハッキリ書かれていた。また入会希望者の手引きとして、「他人への勧誘行為を禁じている」と明示し、誤解されがちな内容を正している。連絡先や事務所の住所も公開されているが、具体的な活動リポートやイベントについては、情報が更新されていなかった。



・こうしたソーシャルメディアを利用する価値を考え直す組織も多い。

実は、閉鎖的な組織は情報もクローズにするところが多く、それは、組織員に組織を批判するような情報を見せないためだろうと思われる。どんな組織でも賛同者がいれば、脱会や批判者は必ず存在するからだ。

しかし、これだけ情報インフラが整備され、ツイッターやFBのように個人が情報発信の役割を持ってしまった以上は、単に都合の悪い情報だけを制限するわけにはいけない環境が整ってしまったわけだ。

そのために組織に都合の良い情報は宣伝に利用し、結果としてオープンな組織をイメージさせたいという狙いがあるのだと言える。

記事にあるフリーメイソンだが、結局、闇の組織と言うものがあれば名指しされるような存在ではないはずだろう。

人生いろいろ:健康雑誌いろいろ

† 久しぶりに健康雑誌を購入した。日刊新聞に広告が載っていて知っている人の名前があったからである。この出版社は、いろいろな雑誌を売っており様々な健康法を推奨しつつ、関連商品や掲載広告で成り立っているものだ。今までも、様々な健康法を繰り返して宣伝している。

‡ 私自身は、健康不安はないのだが、持病を持っている人には必要な情報とは何かの見極めが難しいこと。加えて専門家と称する人たちも意見がいろいろある。とりわけ営利目的な専門家も多く、客観的な情報を得ることは難しい。

澤木興道 語録6

「サトッタ」という名のつく迷いは、どうにも度し難い。(澤木興道)1-103

・悟ったと大言する人は後を絶たない。そうした輩が、人々を誤導する。

ナンニ・モレッティ監督最新作「ローマ法王の休日」日本公開

カトリック信者も騒然!?の話題作 イタリアの巨匠ナンニ・モレッティ監督最新作「ローマ法王の休日」日本公開決定
2012年7月3日 ハリウッドチャンネル

「息子の部屋」(01)で第54回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞してから10年、イタリアの巨匠ナンニ・モレッティ監督が満を持して贈る最新作「ローマ法王の休日」が、7月21日(土)より公開されることが決定した。

自ら脚本、演出、さらには出演までもこなし、その創作スタイルと、現代が抱える問題を人間的な視点でユーモラスかつシニカルに描く作家性によって、“イタリアのウディ・アレン”とも呼ばれるモレッティ監督の新境地。

本年度カンヌ国際映画祭では審査委員長を務めたモレッティ監督が見たヴァチカンとはどんなものなのか。主演に「昼顔」(67)、「美しき諍い女」(91)をはじめ150本以上の作品に出演しているフランス映画界の重鎮ミシェル・ピッコリを迎えて描く物語の迫力と深さ、美しい映像、そしてイタリアの華麗にして繊細な文化が詰まっている。

世界中で11億人以上にのぼるカトリック教徒の最高指導者たる“法王”を主人公に据え、しかも就任演説を前に逃走するという大胆な構想に至った過程について、モレッティ監督はこう語る。

「“新しく任命されたローマ法王が、彼の登場を期待して待つ信者たちの前になかなか姿を現すことができない”というシーンを思いついたことから企画が絞られ、話を膨らませていった。確かにかなり挑戦的な題材に見えると思うが、決して宗教批判をするつもりで作ったわけではないんだ。描きたかったのはあくまでも、着想シーンから膨らませた私なりの“法王”という役職についた人物の物語であり、ヴァチカンであり、コンクラーヴェだった」。

挑戦的な題材に、本国での公開時、一部のカトリック信者より批判の声も上がったという「ローマ法王の休日」。法王を悩める一人の人間として描き、カンヌ映画祭を沸かせた話題作が遂に登場する。

「ローマ法王の休日」は、7月21日(土)TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国順次公開



「ローマ法王の休日」公式サイト  http://romahouou.gaga.ne.jp/

ストーリー
ローマ法王が逝去し、コンクラーヴェが開催される。そして、枢機卿達は、どうか私が選ばれませんようにと祈っていた。そんな中、メルヴィルという有力視されていなかった枢機卿が新法王に選ばれるが、彼はプレッシャーに耐え切れずその場を逃げ出してしまう。
ローマ法王をテーマにした異色のコメディ・ドラマ。ローマ法王逝去後、コンクラーヴェで選ばれた新法王がプレッシャーのあまり、ローマの街へ逃げ出し、信仰や法王の存在意義を見つめなおす姿をユーモラスに描く。『息子の部屋』で高い評価を受けたナンニ・モレッティ監督が、脚本・出演までをこなし、独特の演出でおくる意欲作だ。

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『Habemus Papam』
監督・キャスト
監督・脚本・製作・出演 : ナンニ・モレッティ
製作 : ドメニコ・プロカッチ
脚本 : フランチェスコ・ピッコロ/フェデリカ・ポントレモーリ
撮影 : アレッサンドロ・ペシ
美術 : パオラ・ビザーリ
音楽 : フランコ・ピエルサンティ
出演 : ミシェル・ピッコリ/イエルジー・スチュエル/レナート・スカルパ/マルゲリータ・ブイ
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上映時間:105分
製作年:2011年



・公式サイトによると撮影はホンモノのヴァチカン施設は利用できないのでローマ等で行っているということだ。公開当時は批判もあったが、それはカトリックの教えが見られないというもので、教会を批判した作品とは受け取られていないようだ。

内容は、上記のストーリーに触れられている通りであり、コメディなので批判があることもないだろう。ローマの休日をもじったように、その地位に安住できない一人の人間のとしての法王像を描いているのかもしれない。

何十億の信者のトップという重圧に耐えることは想像できぬゆえに、こうしてエスケープしたいという気持ちは分かる。さて日本公開ではどう受け取られるのだろうか。結末は意外になっているということだ。

神田橋 語録15

顔の色艶、声の切れを客観的指標として注目せよ。気分は自己暗示で動くが、こういうものは暗示では動かない。常に生理的指標は演技可能な指標にまさる。(神田橋 條治)音色

・よく言われるのは、相談の内容自体ではなく相談者をよく観察するということ。上記のことばにあるように、相談者の表情や声色から理解していく方がよい。問題解決を図るのは本人しかできないが、相談者がどのような心理状態であるのかを知り支えることは可能なことだ。辛そうですね・・・と相づちを打つだけでの、悲痛な心持を理解してもらえたと感ずるのだ。

人生いろいろ:スマートフォンでも・・・悪質サイト閲覧被害

† 同様の事例はパソコンではよくあること。クリックしたら加入となったりと興味本位がアダとなる。特に海外のサイトになると言葉の理解もできぬままに右往左往ということになる。

‡ この事例は、子どもたちへの警告だ。常識ある大人たちは劣悪なネット環境から子どもを守ろうという意志があるものの善意の大人ばかりではない。子どもたちがスマホをどのように活用しているのか注意を払うことも親の責務だろう。特に使用料金などは高額な請求がないか細かくチェック。


子どもサポート情報 第52号 平成24年6月18日
◇発行:独立行政法人国民生活センター◇

   スマホでアダルトサイト利用料金を請求された!

◆事例
中学校入学を機に息子にスマートフォンを買い与えた。息子は友達から勧めら
れ、興味本位でアダルトサイトを検索した。見たい動画を選んだところ「18歳
以上ですか」と聞かれ、「はい」のボタンを押すと、突然登録完了となり約10
万円を請求する画面が出た。焦った息子は画面の下にあった「退会はこちら」
を選択し、退会希望のメールを送った。すぐに業者から「電話するように」と
いうメールが届いたので連絡したところ「金を払え。学校に連絡して親にも伝
えるぞ」と脅されたという。息子は小遣いで払おうとしたが、怖くなって親で
ある自分に相談してきた。(当事者:12歳 男性)

<ひとことアドバイス>
☆子どもの間でも急速に普及しているスマートフォン(以下、スマホ)ですが、
 このスマホでもアダルトサイトで突然登録となり料金請求画面が出たという
 相談が寄せられています。
☆事例の他にも「動画再生アプリをダウンロードしたら個人情報を抜き取られ、
 電話やメールで執ように請求された」「料金請求画面が消えない」等のトラ
 ブルが起きています。
☆業者に連絡したりお金を支払ったりせずに、すぐにお住まいの自治体の消費
 生活センター等に相談しましょう。また、このようなトラブルを防ぐために
 は、保護者がまずスマホの機能や特徴を把握し、使い方について子どもとよ
 く話し合っておくことが第一です。
☆スマホを安全に使用するために、スマホ用のフィルタリングサービスの利用
 やウイルス対策ソフトを入れるなどのセキュリティー対策も講じておきまし
 ょう。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)


神の風景-人間と世間-88

「素直な人とそうでない人。とにかくこれ程決定的に人間を区別するものはないでしょう。なぜなら、人は素直さにおいてだけ真理に貫かれるのですから」(藤木正三)2-106素直(2)

・素直であることが大切だと藤木師は語ります。誠実もそうでしょうね。優しさはどうかな。人を区別するのは表面的には難しい。その人がどう生きているかでしょうね。
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