洗脳体験をナラティヴに6

「わたしの目の前にいるこの、否定的感情を起こさせる人は、わたしが愚かにも思い込んでいたような頑固な悪意に満ちた人ではない。この真実を知ろう。そうすれば、自分の否定的感情が優しさとあわれみ変わるのを見るだろう」(アントニー・デ・メロ)3-45

† デ・メロ師の著作で最も頭に衝撃を与えた気づきがこれである。この事実を長年認めたくなかった自分自身がそこにいた。私は性格が真面目な分だけ、それを利用して楽しようという他人につけ込まれることも過去にあった。そして、その人を憎んだ。こうした人に何らかの罰が下ることを望んだ。しかし、それは私の思い違いであることを悟った。

‡ とある宗教教団に属していた頃、組織に属する人は救われ、それ以外は滅びるという黒白ある見方を強要された。つまり、この教えを知らないし聞かない奴が悪いのだから滅びても構わないという、考えると独善的な考え方である。人間がまったく善だとか悪に区分されることがあるはずもない。
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2012年人類滅亡説 トーンダウンは「震災の影響」と専門家

2012年人類滅亡説 トーンダウンは「震災の影響」と専門家
2011.11.20 NEWSポストセブン

 マヤ文明のマヤ暦が2012年12月に終わっていることから浮上した2012年人類滅亡説。数年前には関連本が出版されたり、ハリウッド映画も公開されたりと、ブームになったが、いまではあまり話題にならなくなってしまった。最近では、“その日”が2011年10月28日ではないかという説も出ていたが、ツイッターなどでは否定的な声ばかり目立った。いったいどうして、以前ほど騒がれなくなってしまったのか? 心理学者で駒沢女子大学人文学部教授の富田隆氏に聞いた。

 まずブームになった理由ですが、こういった話を広める動機というのはいくつかあるんです。毎日同じような生活を送っている人にとって“何月何日、人類最後の日になる”という話は、それによって限られた貴重な時間を生きていることに気づかされます。非日常を演出するテーマが現れたことで、一期一会といいますか、限られた時間を一生懸命生きなきゃいけないみたいな、ある種の高揚感を得て、その非日常を楽しみたいという気持ちが生まれる。そういう動機で話しを広める人がいるわけです。

 もっともらしい話ですよね。マヤの暦がこの日で終わっているぞと、マヤ文明は天体観測もやっていて、マヤの暦というのは現代人も驚くほど精巧にできているから、なにか理由があるんじゃないかと。話としては非常に興味深いですよね。世の終わりが来るかもしれないというのは誰にとっても重大なことですから、そういった話を自分が詳しく知っているとすれば、それを話すことだけで盛り上がりますから、話し手としては気持ちがいいわけです。優越感に浸れることが、ひとつの動機になるのです。

 しかし、数年前に比べるといまは、この話を知ってる人が多いので、聞いた人がそれほど関心を示さない。それ以上、話が盛り上がらないのです。これが、いま人類滅亡説が盛り上がらない理由のひとつです。

 もうひとつの背景として、東日本大震災の影響が考えられます。余震の恐怖や、放射能の脅威があるなど、目の前に現実的な危機がある。そんなときに、非日常を演出する必要がないわけです。いま、われわれは誰もが非日常の中で生きていますよね。とくに被災地のかたや、原発や被災地に関係する仕事をしているかたなど、身近に震災を感じている人にとっては、まだ非日常は続いています。そういうときに、非日常的なこういった話をしても、盛り上がりようがない。もうたくさんだという感情に誰もがなってしまうんです。

 ほかに考えられるのが、その日が近づいてくると、やっぱりどこかで、本当かもしれないと思う気持ちと、そうあってくれては困るという気持ちが“ケンカ”をし始めるということもあるでしょう。世紀末に世が終わるという話は、19世紀から20世紀になるときにもありましたし、20世紀から21世紀に変わるときにもありました。ノストラダムスの大予言なんてまさにそう。ところが、実際にそのときに近づくと、人間というのは、新しい世紀を迎えることによる、希望の話、前向きな話も始めるわけです。

 ですから、こういった話は、少し余裕をもって楽しむぐらいで臨むのがいいんじゃないでしょうか。われわれはときどき、一期一会の、限りある時間を生きているということを思い出す必要があります。限られている時間の中で、自分は何をしたいのか、どう生きるのか、ということは誰もがつねに問われていることだと思います。



・さて、心理学的にはこのように解釈することもできるということだ。安定した世の中で生活していくと、だんだんと感動もなくなってくることになり、終末を意識することが現在の生を充実させる契機になるといことはそうだろう。

インターネットの世界でも、本屋さんの精神世界コーナーに行っても、こうした類の本がいっぱいである。新しい世紀になるということで、意識に目覚めなさい!という主張である。中には予言して期限を設定する過激な人たちもいるのだが、だいたいは少し先2~3年先に大きな変化が現れるということを繰り返して主張し本を書いている。例えば、今なら2013年くらいの話題を書けば売れるということだろう。

上記のように、3.11ではないけれど日常が混乱状態では、こうした予言どころではないので収束するということだ。世界の大破滅というカタルシスが起こるのかどうかは分からない。少なくとも地球そのものがなくなってしまわない限り生物は生き続けると思う。

それは、光も届かない深海で生物が発見されているという事実からも、どんな過酷な状況においても生命はあるのだと思う。そこから、また進化が始まれば新たな生物が誕生し文明を築くかもしれない。

神の風景-人間と世間-57

「宗教は人間の存在そのものに関わるものとして、そう新しいものが時代と共に出てくる性質のものではなく、本質的にはもはや出尽していると考えるべきだからです」(藤木正三)2-73出尽くしている宗教

・それにしても、たれプーさん♪が藤木師から学ぶことは、古の宗教の意味を広く尋ねるとともに、現代という時代に必要な切り口があるのではないかと考えるからだ。確かに紀元前後に起きた精神復興運動は内面を見つめる議論を現代以上に深めた。加えて20世紀の産業・技術革命は人間に新たな可能性を与えるとともに難しい疑問を投げかけてしまった。出産前診断で遺伝子診断して障害が発見されたときに産むべきか否か。末期治療で延命するか否か…等さまざまな社会構成を揺るがす事態が生まれている。本質的には出尽しいるいるのだが、極めて現代的な問題に対する人生態度は何かを語ることは難しい。藤木師が寄りどころとしているのは、被造物としての弁えということだろう。

魂の言葉30

人生は冒険なんです!! (ジョゼフ・キャンベル)

・このように表現することが人間を生き生きとさせることにつながる。いつの間にか日本では、冒険的な要素がなくなり決まりきった人生コースがあるような錯覚に陥っているようだ。そのためには早期教育という受験指向の機械的な人生を送ることが推奨されているようだ。

しかし、人生は冒険だということは裏を返せば一瞬一瞬が新しいものであり、未知の可能性を秘めた神秘であるという自覚に他ならないだろう。

人生いろいろ:大手通販仕様商品、ホントは良いの悪いの!?

† 社長が派手な大手通販を利用してデスクトップパソコンを購入した。夏モデルの型落ちであったが、この会社の通販仕様なので安い理由はあると思っていた。それでPCメーカーで販売している正規品との比較をしてみてテレビチューナーが限定モデルあることで、あとはスペック上の違いがなかった。それで価格差もあり購入した。

‡ ところが、ある記事にインテルのプロセッサーが最近になって第2世代に変わっており高速での処理ができると分かった。このPCメーカーの正規品夏モデルでは、このプロセッサ―を利用していた。ところが、購入した夏モデル通販仕様では第1世代のものを使用していたことが判明した。つまり、安い理由は大きくはこれにあったということだ。はじめての大手通販だったが、やはり安いには理由があった。まあ、このように正規品と比較する客も少ないだろうが、通販仕様は必ずしも良いモノとは限らない。甘い声で安さを強調する会社であるが、それなりだね!

仏教から見た、恋愛の『縁』のお話

仏教から見た、恋愛の『縁』のお話
2011年9月22日 LAURIER(ローリエ)

『縁』という言葉は、恋愛のなかでよく使う言葉。例えば、好きな人と結ばれなかったとき、「彼とは縁がなかったと思おう」なんて言い聞かせたり、自然な流れで結ばれた相手がいれば、「何かのご縁があったのかも」と思ってみたり。『縁』という言葉は、千年単位で受け継がれてきた仏教の言葉。悩みを生み出すのが恋愛というものですが、この「縁」の考え方を少しだけ心に取り入れてみると、少し気持ちを楽にしてくれる場面もあるかも。今回はそんな、『縁』という言葉について掘り下げてみました。

■「因」があり、「縁」があって、「果」となる

仏教では、すべてのことはある「原因(因)」に「環境(縁)」がはたらき、そして「結果(果)」ができる。それがまた「原因(因)」になって、それに「環境(縁)」が働き、「結果(果)」ができる……という考え方をします。分かりやすく「お米」で例えてみます。私たちが食べるお米が実るには、まず最初に稲モミという、お米の遺伝子が含まれた物体が必要になります。この稲モミが「原因(因)」になります。さらに、これに太陽、水、自然状況、害虫など様々な環境(縁)がきちんと働けば、最終的にお米が実るという「結果(果)」が訪れます。そして、そのお米の粒がまた「原因(因)」になり……と続いていくのです。

さらに、仏教では、この3つの要素(「原因(因)」、「環境(縁)」、「結果(果)」)は、互いに作用しあっている、と説かれています。「良い事をすれば、良い結果がくる(善因善果)」そして、「悪い事をすれば、悪い結果がくる」と教えているのです。

■過去の結果が、「今」に表れる=『時節因縁』

さらに、上記の3つの要素は関係しあっていますが、何か「因」や「縁」があったとしても、すぐには「果」として表れないこともある、としています。世の中には、悪い事をしても、捕まらずに平然と生活している人もいますね。しかし、それは「今」、結果が出ていないだけのことで、後々必ず、悪い結果を呼ぶ、としています。このことは、『時節因縁』といい、もし、今、何か悪い事が起きているのだとすれば、それは「過去の行い」の結果でそうなった、と考えるのです。代表的な説法には以下のようなものもあります。

「水滴が大きな器にたまり、器がいっぱいになれば水が溢れてしまうように、小さな悪事を積み重ねると、そのようにして、いつか大きく悪い結果が出る(『法句経』/釈迦の言葉)」」
「悪い事をしても、別に困った事は起こらないから大丈夫だとか、良い事をしても良い運が来なくてむなしいとか、それは間違いだ。時期が来れば必ず、悪い事をした人の運は悪くなり、良い事をした人の運は良くなるのだ(道元禅師/曹洞宗の開祖)」

■恋や出会いは、過去の『縁』次第!?

さて、上記を踏まえた上で、恋愛でいう「縁」はどうなのでしょうか。まず、仏教では上記を踏まえた上で、恋愛でいう「縁」はどうなのでしょうか。まず、仏教ではどんな人間関係も軽視しませんが、特に男女や親子の関係は、『無限の縁』の上に成り立っているため、大切にしなさい、と教えます。私たちが日々、何百人もと出会うなかで、特別に男女の縁で結ばれる人=過去に何らかの非常に強い関係を持っていた人だ、としているのです。

つまり、結婚など、自分の意思でしているように見えても、仏教的に言えば、「過去の因縁の力が強かったので、結ばれた」ということになるのです。しかも、この『縁』というのは、無くなることもあるとされています。銀行口座の貯金と借金のように、「過去の二人の間にあった縁という貯金」を使い切れば、二人の縁はなくなり、切れてしまう。そうなれば二人の関係は終わる(別れる)……という風に考えるのです。つまり、仏教的に言えば、恋や出会い、結婚というものは、「過去の人生の総括」のようなもの。その『縁』が続く限り、関係も続く……ということになります。

確かにこう考えてくると、辛く別れた相手でも、「過去からの『縁』が無くなってしまったんだな」と考えると、自分にはどうしようもない出来事なのかも、と思えてもきますね。恋人ができず焦ってしまうときも、「過去に誰かとの縁があるのであれば、この世のどこかに結ばれる人もいるかもしれないな」、などと心を落ち着けることもできます。仏教徒ではなくても、長年、人々の心を導いてきただけあって、すんなりと頷ける部分もあるな、と著者は感じましたが、皆さんはいかがですか? もし恋愛の出会いや別れについて悩み、答えの出ないときは、こんな『縁』の考え方、ちょっと取り入れてみるのも良いかもしれません。(ゆひら)



・因果は巡るということでしょうか。私個人は、例えば過去の因縁というものを過大に考えることはありません。過去は変えることはできないからです。また、来世も考えることはありません。しかし、一つのつながりの中で生きていることは確かなことでしょう。

よく前世を記憶しているという人がおり、そうした現象の真意は理解できないこともあります。それは、前世の因縁を商売する人たちにいささか腹が立っているということもあります。証明できないこととで他人を不安に陥れ金品を詐取する人たちが多いからです。

縁がなかったということはしばしば口にすることがあります。人間関係は不思議なものであり切っても切れないものと言えます。現在では、地球の裏側にいる人にもリアルタイムで交信できる時代になりました。ただ、そうした物理的な障壁ではなくとも、過去に一瞬出会った人にも影響を受けていることはあるのです。

どのように人間同士が結びついているのかは解明されていませんが、何らかの結びつきがあるものだと確信しています。縁がないということは、そういう縁があったということだと考えます。長く付きあうことはないにしても、人生のある一点に置いて交錯していく。そんな結びつきは記憶に留まっていないにしても、たくさんあることでしょう。

藤木正三師のことばにありますように、自分たちの力だけで結婚できたと思っている夫婦がいたならば、やはり未熟な考えであると思います。恋愛結婚にしろ、見合いにしろ全く異なった生活環境で育ったものが一つの家庭を作るという作業には多くの人たちの力が背後にあります。自分たちの愛の結びつきだけでは、どうにもならないものです。

また、有史以来の人類は家族間の婚姻という形態がずっと続いており、個人間の恋愛結婚は中世のヨーロッパから始まったものに過ぎません。結婚という制度を通して社会を維持し次世代に望みをつなぐということは、これかも続くことでしょうが、それ以上のものが結婚にはあるんだと思います。

自信を持っていこう

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自信を持っていこう

洗脳体験をナラティヴに5

「自分の本や公式をわきに退けよう。思い切って、それがだれであろうと自分の先生を捨て去り、物事を自分で見よう。思い切って、恐れも公式もなしに周囲のすべてを見つめる。そうすれば、ほどなく見えてくるのだ」(アントニー・デ・メロ)3-93

† デ・メロ師のもっとも強いメッセージである。そして、自分の師事する人をも乗り越える必要を語る。例えそれが、イエスであろうとブッダであろうと。自分の目で見ること、それも判断を挟まずにしっかりと見ること。デ・メロ師は、これだけだと語っている。自分自身の思い込みや知識が、ものごとの存在を見えなくしてしまっている。

‡ 洗脳体験とは、Aという見方をBという見方に完全に変えてしまって訂正不能になることだろう。とある宗教教団に入信するプロセスは、その教えに殉じる人間を作り出すことであった。巧みに経典の教えの都合のよい部分だけを組み合わせて、これが真実だと繰り返し教え込まれた。そこには疑問を挟むことは許されなかった。しかし、疑問を最後まで感じていた故に、自分の非力に苦しむといった、さらなる圧力に苦しんでいた。

ディープピープル/DEEP PEOPLE ヒーロー声優

ディープピープル/DEEP PEOPLE ヒーロー声優
2011年8月22日 NHK総合

星飛雄馬(巨人の星)、ジャック・バウアー(24-TWENTY FOUR-)、孫悟空(ドラゴンボール)・・・誰もが一度は聞いたことがあるヒーローのあの声はどうやって作り出されるのか。映像にセリフをピタリと合わせる技術や、顔出しの普通の俳優とは違い声だけでどうやって感情を表現するのか、また演じる自分とは年齢・容姿・性別まで違うヒーローにどうやってなりきるのか。演技論から主役として出演者をまとめるリーダー論まで、映像の裏側の声優の世界を語り尽くす。

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「声優とは役者+技術者である」野沢雅子
「リアリティを出すために徹底的に情報を集める」小山力也
「主役の役に対する意気込みで周囲も変わる」古谷 徹

普通の俳優と違い声だけで状況や感情などあらゆるものを表現しなくてはいけない声優。 トークはまずヒーローの力強い声をどうやって作るかというテーマから始まった。声帯をしめることを意識するという野沢。逆境の中で緊張状態の中にいることが多いジャック・バウアーの声は腹筋を意識して出すと語る小山。さらに小山は息がマイクにかかりノイズが出るのを防ぐため収録の時自らマイクの高さを調整していたことを明かした。一方古谷は滑舌にこだわる。満足いくサ行の音を出すために下の歯を4本抜き差し歯にかえたという。ベテラン野沢は、映像の人物と音を合わせるという制約の中で声優の腕の見せ所は、人物がバックショットの時だという。声優自身のタイミングでアドリブを入れたり間合いをとったりできるからだ。

年齢や容姿、時には性別さえこえて役を演じる声優。3人はどうやってヒーローになりきっているのか。古谷は台本に集めうるかぎりの情報や主人公の心情などを書き込むという。さらに主人公と似た服装や髪型に収録に臨み、心身ともにヒーローになる。野沢はかつて「あらいぐまラスカル」のラスカルを演じた時、動物園に何日も通いあらいぐまの鳴き声を会得したエピソードを披露。小山は海外ドラマ「ER」で緊迫した救急医療の現場で働く医師のアフレコをするにあたり、会話の中で飛び交う薬品の種類や効能を図書館に行って調べていたという。薬の緊急度や緊迫性を理解し、それをセリフに反映させるためだ。映像の裏に隠れた声優たちの知られざる努力が語られる。

3人が演じるヒーローは多くの場合、物語の主役である。技術論からさらに深まり、トークは主役としての現場をどうまとめていくかリーダー論にまで及んだ。アニメ草創期から活躍する野沢はテストの時も本番と同じ音量で役に臨む。テストでセーブすると相手役が新人だった場合、本番で急に音量が大きくなると対応できず戸惑うのを防ぐためだ。小山はまちがった時ははっきり大きな声で謝ることを先輩から学んだという。そして古谷は主役は座長であり、全体を把握している必要があると語る。「聖闘士星矢」で主人公ペガサス星矢を演じた時は、自分の出番がない日もスタジオに現れ共演者とともにブースに入ったという。ヒーローにかける哲学を熱く語った。



・日本のアニメ文化が世界的にも誇ることのできるものであるならば、アニメに生命を吹き込むには音楽と声優の存在があげられるだろう。

日本の声優とは、もともと洋画の吹き替えが主流であったものがテレビ時代となりアニメが全盛となるに従って関心を持たれることになった。声優を目ざす若者は多く、成功すれば歌手になったりテレビや映画にも進出できるなど夢の大きな仕事になってきた。その分だけ、競争は激しくなっている分、声優の質も上がってきていることは間違いないだろう。

この番組HPを読めば内容がほとんど分かってしまう。野沢さんも古谷さんも大ベテランであるが、現役としての言葉を持っていることと、どの道でも苦労があることが分かる。むろん、演出家によって大枠は決まるのだろうが、演者が自分の頭で役作りを考えないと仕方ないことがよく分かった。そのためには下調べや台本への書き込み、練習などを地道にこなしているということだろう。

アニメ創成期に活躍した声優たちの訃報も入ってくるようになり、時代も変わりつつある。残念ながらアニメ文化を支えている人たちの待遇は良くない。使い捨てのような状態が恒常化しており、高水準のアニメを続けることにはスタジオジブリのような戦略と指導者がいないと無理なのだ。

そうした苦労話はまったくなかったのだが、彼らを目ざして新たな才能が生まれることは嬉しいし、アニメ文化は日本の誇るべき産業として維持できる分野であることには違いない。

なお、小山さんのようなアニメではない海外ドラマ・映画の吹き替え俳優らも逸材が多いので取り上げてもらいたい。翻訳は、翻訳家という存在の問題もあり面白い題材となる。

関根勤とNHK女性アナのナビゲーターは必要ないというのが、いつもの感想だ。NHKプロフェショナルも、ナビゲーターがいない回がすっきりとしている。

神の風景-人間と世間-56

「物わかりがよいとは、相手の意見がわかるというよりは、むしろそういう意見を言わざるをえない相手の立場を理解するということですから、その意味で、それは知識の問題ではなく、人情に関する問題でしょう」(藤木正三)2-72物わかりのよさ

・そのような物わかりのよさとは、年季のもたらす自ずからなるわかりよさであると藤木師は語ります。相手を理解するということは、自分に問いを投げかけられたものでしょう。その答えが自らの分かり良さを表現することに繋がります。

ニコ生 「ショックドクトリン=惨事便乗型資本主義」とは何か?

『デモクラシー・ナウ!』ナオミ・クラインの「ショックドク?トリン」
現代の最も危険な思想……!?「ショックドクトリン=惨事便乗型資本主義」とは何か?
2011/11/08 ニコ生

今月の特集は、ナオミ・クラインの「ショックドクトリン」です。1973年のピノチェト将軍によるチリのクーデター、天安門事件、ソ連崩壊、米国同時多発テロ事件、イラク戦争に、ハリケーン・カトリーナ……。これらの事件を従来にない視点から語りなおした話題の書籍、『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』。(原題: The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism)

――――「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」。
ノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマンによるこの主張を、大惨事につけ込む過激で危険な市場原理主義改革であると、ナオミ・クラインは訴えています。

民主主義の名の下、どのようにしてイラクの国営企業が民営化され、アメリカではハリケーン被害がどのように新自由主義を先鋭化させてきたのか?リーマン・ショックやEUの金融危機で、世界はどうなるのか?

番組では、ナオミ・クライン本人が「ショックドクトリン」について語る特集映像の後、スタジオにゲストを招いてのトークをお送りいたします。今回のゲストは、経済学者の中山智香子氏。これまで「ショックドクトリン」がどのように応用されてきたのか、また、原発や震災の影響など、日本でのお話についても伺います。

【スタジオ出演】
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中山智香子(東京外国語大学総合国際学研究院 教授)
中野真紀子(デモクラシー・ナウ!ジャパン代表)

[映像]
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ナオミ・クライン(ジャーナリスト)

エイミー・グッドマン(ジャーナリスト、デモクラシー・ナウ!司会&総責任者)
ナオミ・クライン(ジャーナリスト)ほか

【出演者プロフィール】
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中山 智香子(なかやま・ちかこ)
東京外国語大学総合国際学研究院教授。専門は経済思想史。著書は 『経済戦争の理論: 大戦間期ウィーンとゲーム理論』(勁草書房2010年)、 『アルジャジーラとメディアの壁』(岩波書店2006年 石田英敬・西谷修・港千尋と共著)など。



・「ショックドクトリン=惨事便乗型資本主義」というキーワードを初めて聞いた。ナオミ・クラインの書籍は岩波書店から2011/9/9発売。なお、原著は2008/6/24発売である。

映像で、ナオミ・クラインの話を聞いていたが、饒舌でスラスラと調べたことが出てくる。この日本語訳も上下巻656ページ及ぶ大著。翻訳も上手だそうだ。

「大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革(The Rise of Disaster Capitalism)」という意味。

その説明から、新自由主義経済学者フリードマンと、シカゴ学派の経済主義思想が、どのように米国政界に影響を与え、米国外交を経てチリやイラクなど実証を見ることができる。この思想を紐解くことで世界の情勢を解明する一筋の説明を与える。

「ショック」とは、戦争や自然災害、政変や経済危機など人間が判断能力を喪失した状況に新たな市場経済主義思想を注ぎ込むことである。そのために制度介入としてはチリなどの独裁国家の経済市場に理論的支持を与えたり、人間心理としては、CIAによる実験として研究されたことが、その後に拷問や洗脳に利用されたことを歴史的に追究した。

経済思想とは、自由か統制かいう命題だろう。自由を推し進める立場にある人たちは、市場に任せば上手く行き国家の役割は必要最小限にするということになる。そのために、ショックに便乗し体制を変革させる必要を説き、そのための方法論を探っていったということだろう。

番組では、発売記念として米国で放送されたものを、日本版書籍の発売もあって取り上げたものだ。ただ、3.11や世界的な債務問題や貧困問題が烈火のごとく進行している現在とリンクさせて考えさせられるものだ。つまり、ショックにあたる事象が、我々をどのような政治・経済体制へと誘うのかという問題になる。

シカゴ学派、当時は主流であったケインズ学派の陰に隠れていたが、その理論に従って新たな経済主義を実証するなかで、ショックを作り出すことが理論を推し進めることを確認したということだ。

さて、このような内容の濃い番組は、なかなかNHKでも報道されない。思想とは、人間を助けもするがおかしくもする。思想に殉じる人たちは過去も現在もいくらでもいる。お金が、実態的な商品や生活を離れて、金融商品として一人歩きしている現在、ますます矛盾が広がっている。ただ、生活が現実である以上は、こうした砂上の楼閣を崩していくだろうことも想像はできる。

以前、作家・ミヒャエル・エンデが、経済の問題を考えるヒントは、「利子」というものを考えることだとしていた。そんなことを思いつつ、世界を席巻する市場主義経済万能が矛盾を大きくしている現状を憂う。

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■ 上巻目次

序 章 ブランク・イズ・ビューティフル
――30年にわたる消去作業と世界の改変

第一部 ふたりのショック博士――研究と開発
第1章 ショック博士の拷問実験室 
――ユーイン・キャメロン,CIA,そして人間の心を消去し,作り変えるための狂気じみた探究
第2章 もう一人のショック博士
――ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究

第二部 最初の実験――産みの苦しみ
第3章 ショック状態に投げ込まれた国々
――流血の反革命
第4章 徹底的な浄化
――効果を上げる国家テロ
第5章 「まったく無関係」
――罪を逃れたイデオローグたち

第三部 民主主義を生き延びる――法律で作られた爆弾
第6章 戦争に救われた鉄の女
――サッチャリズムに役立った敵たち
第7章 新しいショック博士
――独裁政権に取って代わった経済戦争
第8章 危機こそ絶好のチャンス
――パッケージ化されるショック療法

第四部 ロスト・イン・トランジション――移行期の混乱に乗じて
第9章 「歴史は終わった」のか?
――ポーランドの危機,中国の虐殺
第10章 鎖につながれた民主主義の誕生
――南アフリカの束縛された自由
第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火
――「ピノチェト・オプション」を選択したロシア

原 注

■ 下巻目次

第12章 資本主義への猛進
――ロシア問題と粗暴なる市場の幕開け
第13章 拱手傍観
――アジア略奪と「第二のベルリンの壁崩壊」

第五部 ショックの時代――惨事便乗型資本主義複合体の台頭
第14章 米国内版ショック療法
――バブル景気に沸くセキュリティー産業
第15章 コーポラティズム国家
――一体化する官と民

第六部 暴力への回帰――イラクへのショック攻撃
第16章 イラク抹消
――中東の“モデル国家”建設を目論んで
第17章 因果応報
――資本主義が引き起こしたイラクの惨状
第18章 吹き飛んだ楽観論
――焦土作戦への変貌

第七部 増殖するグリーンゾーン――バッファーゾーンと防御壁
第19章 一掃された海辺
――アジアを襲った「第二の津波」
第20章 災害アパルトヘイト
――グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会
第21章 二の次にされる和平
――警告としてのイスラエル
終 章 ショックからの覚醒
――民衆の手による復興へ

訳者あとがき
原 注/索 引


惨事に便乗する資本主義「ショック・ドクトリン」 日本のTPP議論も一例か
2011.11.11 NEWSポストセブン

 カナダ人の作家、活動家にしてジャーナリストのナオミ・クライン氏の著書『ショック・ドクトリン』の邦訳書が今年9月に出版され話題を呼んでいる。「ショック・ドクトリン」とは、大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革のこと。「惨事便乗型資本主義」とも言われる。2011年11月8日のニコニコ生放送では、ナオミ氏の出演した「デモクラシー・ナウ!」の日本語字幕付き番組が公開された。

 ショック・ドクトリンの源は、「危機のみが真の変化をもたらす」と唱えたノーベル賞経済学者のミルトン・フリードマンだ。彼は1970年頃のアメリカで主流だった、政府が需要を作る必要があるとするケインズ主義的な経済介入政策に反対し、「大企業の自由」を掲げて規制撤廃や民営化などの自由放任政策を推進した。このようなフリードマンの徹底的な市場至上主義の主張について、ナオミ氏は「危険な思想」であると批判。

 2005年8月末にアメリカがハリケーン・カトリーナに襲われた際、ニューオーリンズにおいて、本来なら被災者救済に当てられるべき資金が公教育制度の解体と民間への移行に転用されたことを挙げ、「ショック・ドクトリンの典型例」であると語った。ナオミ氏は、「市場至上主義を推進する最適の時は大きなショックの直後です。経済の破綻でも、天災でも、テロでも、戦争でもいい。人々が混乱して自分を見失った一瞬の隙をついて、極端な国家改造を一気に全部やるのです」と警鐘を鳴らした。

■日本のTPP加盟は「ショック・ドクトリン」か
 スタジオでゲスト出演した経済学者で東京外語大学教授の中山智香子氏は、2004年12月のスマトラ沖地震によるスリランカの津波被害の際に起きたことを、ショック・ドクトリンの事例の一つとして紹介。もともとは立ち退きに抵抗していた住民が居た沿岸地域が津波によって壊滅した機会に乗じて、「復興」の名のもとに、大規模事業者がリゾート開発などに着手したという。

 中山氏は、現在日本でさかんに議論がなされているTPP(環太平洋連携協定)についても、仮に現段階で同協定を締結することになれば、力の弱い事業者はダメージを受けると指摘。「津波や原発事故もあって完全にショック状態にあるところで、ある限られた地域の中とはいえ、自由な資本主義にさらされることになる。そういう意味では(TPP反対派の)中野剛志さん(京都大学大学院准教授)たちがTPPを『ショック・ドクトリン』と言っているのは基本的にはそうだなと思う」と、野田佳彦首相がTPP交渉参加を推し進めようとしている中、震災後の日本にとってTPP加盟は「ショック・ドクトリン」の例に当てはまるとした。(丸山紀一朗)


私の自己反省15

「あるいはまた、それとは反対に、自分に人間らしく生きようとする向上心が働いていることを無視して、単に食欲・物欲・性欲などの・動物的欲望の満足だけに生きるのが、正しい生き方であるかのように・思い込んではいなかったか」(水谷啓二)

・森田セラピーにおける基本的考えに「人間は常に向上心持って生きようとする」とするものがある。この考え方については全面的に肯定できないという意見もあるだろう。向上心のない人たちはいるからだ。日本人の明治・大正時期における時代の考え方もあるだろう。ただ、こうした肯定的な人生観を持つことも必要なことではないだろうかと考える。

前向きに考えよう

20111017 03856
前向きに考えよう

人生いろいろ:パソコン新調、デスクトップを試す

† デスクトップパソコンを購入した。Windows8の発売がまだ一年後らしい。フルHDなので鮮明な映像も楽しめそうだ。現在使用しているノートパソコンだが、たまに不調に陥る。とりあえず新しいパソコンはテレビを楽しみつつ、データの移動を行っていきたいと思う。

‡ 今後のネット環境のトレンディは、クラウドを利用し位置情報を埋め込んだサービスであるらしい。そのためには、携帯端末を利用して常に位置情報を示す必要がある。高度情報社会の行く末はもはや達成しつつある。あなたが、どこにいてどのような消費活動をしているのかが分かってしまうことをどう考えるかだろう。

洗脳体験をナラティヴに4

「ばらは、人にはない賜物を持っている。自分の姿に百パーセント満足しているのだ。ゆえに自分以外の何ものかになろうという衝動に駆られることもない」(アントニー・デ・メロ)3-79

† 人間は自分自身に不満をいだくようにプログラムされているとデ・メロ師は語っている。常に、自分以外の何かに変わりたい。外見も中身もそうだ。Aさんのような美貌、Bさんのような朗らかさ、Cさんのような賢さ・・・。それに比して、薔薇を上げて他との比較を止め静かに自分の存在そのものに満足する在り方もある。

‡ とある宗教教団に属していた時にも、問題とされたことは伝道した時間であり教団に対する従順たる姿勢であった。それは、上記のような視点を提供されることはなかった。もっと伝道しなさい、もっと教団のために仕えなさいという心理的な圧迫を始終感じていた。あなたのままでいいよと言われることはなかった。

柴又帝釈天 さい銭箱盗まれる

柴又帝釈天 さい銭箱盗まれる
2011年11月08日 NHK

映画「男はつらいよ」の舞台として知られる、東京・葛飾区の柴又帝釈天で、境内に置いてあったさい銭箱が盗まれていたことが分かり、警視庁は窃盗事件として捜査しています。

警視庁によりますと、今月2日、柴又の帝釈天の警備員から「境内の浄行菩薩前に設置してあったさい銭箱が盗まれた」と110番通報がありました。警視庁が調べたところ、さい銭箱が最後に確認されたのは前日の1日午後8時で、無くなっているのに気づいた2日午前5時までの間に盗まれたとみられるということです。

さい銭箱は木製で、縦50センチ横80センチ、高さが50センチほどで、鎖などは付いておらず、固定されていなかったということです。また、中に入っていた金額は不明だということです。警視庁は何者かが境内に忍び込んで盗み出した窃盗事件として捜査しています。柴又帝釈天は、映画「男はつらいよ」の舞台となった寺で、毎年、初詣などで多くの観光客が訪れます。

近くの土産物店によりますと、さい銭箱が盗まれているのが見つかった前日の今月1日には、60日に一度開かれる「庚申」という縁日が行われ、多くの観光客でにぎわっていたということです。柴又帝釈天の近くの土産物店の31歳の女性店員は「今月2日の朝にお寺に行ったら、さい銭箱がなかったので盗まれたんだと分かりました。縁日の次の日を狙ったんだと思いますが、残念です。寅さんも悲しんで、『ゆるせねぇやつがいる』と思っていると思います」と話していました。大阪から来た観光客の20歳の女性は「お寺でさい銭箱を盗むなんて罰当たりですね」と話していました。東京・江戸川区から来た72歳の女性は「寅さんも自分の街で事件が起きて嫌だと思います」と話していました。



・賽銭ドロは珍しいことではない。ただ、寅さんの足元なので話題になった。それにしても、賽銭箱にいくら入っているのか概算もなし、チェーンでの盗難防止、また、防犯ビデオなどもなかった様子。下町には泥棒はいないのだろうか。防犯上の甘さがあったということだ。

なお、賽銭箱だが、実物を見たことないので写真を探しても特定できない。大きさから想像するしかない。

神の風景-人間と世間-55

「人生において重大なことは全て納得ゆかない姿で現われてきます。納得できることなど、あまり大したことでないと考えるべきです」(藤木正三)2-71納得

・納得できないと動けないということもあります。でも、そんなことを言っていては生活ができなくなります。納得とは自分の満足なのでしょう。

魂の言葉29

きみのなかには、たくさんの戦士がいる。
大事なのは、それを誇りに思えるかどうかだ。(ロバート・ブライ)

・冒険をしない、できない人たちが増えている。仮想現実の中で冒険を楽しんで代償しているわけだが・・・。

人生いろいろ:海外の宝くじは日本国内で買うだけでも違法!

† そういえば、過去に似たようなエアメールを受け取ったことがあった。かなり以前だった。むろん詐欺だと分かってはいたが・・・。ご注意ください!

‡ 気になったのは「海外の宝くじは日本国内で買うだけでも違法」という紹介文。刑法187条:賭博及び富くじに関する罪に該当するらしい。海外で購入して海外で賞金を受け取るのであれば合法。


見守り新鮮情報 第123号  平成23年11月8日
発行:独立行政法人国民生活センター

      海外から届く「当選金獲得!」には手を出さない!

 海外から「宝くじの当選金を受け取る権利がある」というような主旨の手紙
が届いたので、当選金をもらうために必要だという5000円分の定額小為替を返
信用封筒に入れて送った。すると、いろいろな国から同様の手紙が大量に届く
ようになった。どれも1週間以内に返送しないと権利を失うなどと書いてある
ので期日内に送金してきたが、まがい物のネックレスや腕時計は届くものの当
選金は一度も振り込まれたことがない。今まで総額500万円以上は送金したと
思う。最近は生活費が足りなくなり、別居の息子に相談したら、だまされてい
ると言われた。(80歳代 男性)

<ひとこと助言>
☆「1億円を受け取る権利が発生!という封書が来た」「身に覚えのない当選
 通知が届いた」など、いわゆる「海外宝くじ」に関する相談が、再び増加傾
 向にあります。
☆このような手紙は、主にオーストラリアやドイツ、香港、カナダなどからエ
 アメール等で送られてきますが、最近は中国も目立ちます。
☆事例のように「いつか必ず当たる」と強く信じ込み、当選金を受け取るため
 の手数料などを送り続け、被害に気づいた時には多額の費用をつぎ込んでし
 まっているケースが見られます。
☆海外の宝くじは日本国内で買うだけでも違法です。絶対に手を出さないよう
 にしましょう。
☆心配なときは、お住まいの自治体の消費生活センター等にご相談ください。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)は国民生活センターホームページ


アッシジの聖フランチェスコの絵に悪魔の横顔、修復家らが発見

アッシジの聖フランチェスコの絵に悪魔の横顔、修復家らが発見
2011年11月8日 ロイター

 イタリア中部アッシジにある聖フランチェスコ大聖堂は5日、画家ジョットによる13世紀の有名なフレスコ画の1つに悪魔がひそかに描かれていたことを、美術修復家らが発見したと発表した。

 悪魔は、聖フランチェスコの生と死を題材にしたフレスコ画第20場面の雲の中に描かれており、美術史家のキアーラ・フルゴーニ氏が発見。死を描いた場面の雲の中に、わし鼻で角を持ち、意味ありげにほほ笑む悪魔の横顔が見て取れるという。

 教会の美術修復を管理するセルジオ・フセッティ氏は、ジョットが絵の主要部分に悪魔のイメージを入れるのは避けたいと考え、「ちょっとした楽しみで」雲の中に描いたのかもしれないと語った。[ローマ 5日 ロイター]

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 11月5日、イタリア中部アッシジの聖フランチェスコ大聖堂にある画家ジョットの有名なフレスコ画に、悪魔がひそかに描かれていたことが明らかに。悪魔は写真中央部分に描かれている。(2011年 ロイター)



・わずかにそれらしい図柄が見られる。悪魔がいるという構成は絵画にはあるが、大聖堂にはふさわしくないのだろうか。宗教美術は詳しくないが興味が湧く。


聖フランチェスコ大聖堂  http://pliocena.com/ticket/franc/basilica.html

ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone (1267-1337)

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ジョット Giotto 「小鳥への説教」

 「小鳥への説教」は28場面ある「聖フランチェスコ伝」の一場面です。入り口から入ってすぐ、左背後に描かれています。上堂はイタリアンゴシック様式です。堂内はステンド・グラス越しの光が明るくしています。高い天井と両壁に描かれた「聖フランチェスコの生涯」28枚。そして、天井に向かっては旧約聖書と新約聖書の「キリスト伝」が描かれています。


【追記】
なお、追跡取材して原画に関する記事を見つけたので、また拡大した図形を見れば悪魔がより鮮明に見えますよ!

20111108 184618
『天国への帰還』

20111108 184455

Assisi, scoperto dopo ottocento anni
volto di un demone nell'affresco di Giotto

NHKラジオ 私が愛した怪獣~語ろう選ぼう いとしさNo.1!~

私が愛した怪獣~語ろう選ぼう いとしさNo.1!~

2011年11月3日 NHKラジオ第1
放送時間:午後4:05~午後5:55

デーモン閣下 みうらじゅん 瀬口かな
【声】谷山雄二朗
【語り】石坂浩二
山本志保アナウンサー



・番組の後半からしか視聴していないが、この企画はNHKがネットラジオに参加したことの番宣の意味が大きい。内容的には、事前に選んだ10体の怪獣から、愛しいものをネットで投票しランキングするというもの。

番組構成で一番目立ったことは、石坂浩二氏のナレーションだろう。ご承知の通り、彼がテレビにはじめて出たのがウルトラQのナレーションであった。このシリーズの俳優たちが鬼門に入りつつある現在、石坂だけは現役の役者として存在感がある。

さて、番組だがウケ狙いだろうが硬派な企画ではなく、怪獣に対する思いでや秘話を混ぜた薄いものだった。特に目新しい話題もなく、それは、このシリーズを知らない若者世代に配慮した格好なのだが深まらない。

この世代の人ならば、かなりの思い入れで怪獣ものやアニメを語ることはできる。最後に、みうらじゅんが仏像と怪獣だけは最後まで愛すると語っていたが、これは番組を意識しての発言であり仏像に美を見出していることは間違いないだろう。

NHKはテレビだけではなく、ラジオでも視聴者におもねる姿勢を続けており民放同様にレベルの低い番組作りになってしまった。これは、恐らく放送を作る番組製作者らのレベルの低下に由来するものと思われる。どんな番組でもアナウンサーだけでなく、タレントが登場するのは解せない。

もう一つ危惧することは、価値観が多様になっていく現代に、同じ世代を語るべき材料がなくなっていくことだろう。時代を語るものがなくなることは、番組作りも特定の相手にしか作ることができないというジレンマに陥る。これからは、プロ品質のアマチュア参加型番組が増えると期待されるのだが・・・。

洗脳体験をナラティヴに3

「初めて出会ったときのように、善悪の判断をせず、相手に対する過去との認識と経験に影響されずに一人ひとりをみつめよう」(アントニー・デ・メロ)3-133

† 「善悪の判断」とはアダムとエバの原罪物語にもあるように、人間が知恵という道具持つことで神から離れたということを指す。端的に言うと、知恵とは自分自身の判断を何よりも優先するということだろう。大切なことは、人間は経験することを蓄積し一つの信念を持ってしまうと、それ以上の新たな事態に対しても判断をしなくなるということだ。

‡ 宗教教団に属していた時に、叩きこまれたことは「神を信じる人と信じない人がいる。信じない人は自己中心で社会の混乱はそれらの人たちがこの世の中を構成しているからだ」と教えられた。このようないびつな考えを繰り返し教えられると、自分たちこそ善人だという信条になってしまう。現在、私はそのような単純化した考えはないし、現実とも相違していると思う。誰もが善人にも悪人にもなり、その善悪の判断は人間がしているに過ぎないと。

私の自己反省14

「食欲や性欲や物欲や名誉欲は、人がその生命を全うするのに大事なものであるのに、自分はそれを良くないもののように思い、それをなくしよう・押えようと無理な努力をしてはいなかったか。あるいはまた、そういう欲望をなくすことが立派な人間になるための・正道であるかのように思い、さらに、自分はそういう欲望から超越することができたかのような・思い上がった錯覚にとらわれていたのではないか」(水谷啓二)

・欲望とは古い脳が司る領域であり人間の根源にあるもの。それを排除することはできないし、その古い脳をコントロールするために新脳が発達した。どちらが優位でもなくバランスの問題だろう。欲望は果てしないものだが、充足すれば止まるものだから野放図になることはないだろう。心の問題を持つ人たちは、こうした事実を認めてつきあうことであり、失くそうとか押えようという過度のエネルギー浪費がバランスを崩す原因となってしまう。欲望は上手に利用し自分の向上の動機づけにすればよい。欲望に振りまわされるのも理性に振りまわされるのも辛いものだ。

神の風景-人間と世間-54

「仕えるということを、なすべきこととして自らに課して生きるなら、鋭く、新しいことと言わねばなりません。仕える生によって、この世は鋭く断罪され、この世は新しい地平を望ましめられているのです」(藤木正三)2-70批判

・仕えるよりは仕えられたいという心情に反して、藤木師はこのように語ります。それが真正の批判であると…。人生は逆説ですから、この言葉も受け入れましょう。

人生いろいろ:先行投資にかかる詐欺

† 劇場型犯罪と書かれており、昨今の振り込め詐欺も単独犯ではなく、いろいろな役割を演じるチームプレイとなっている。

‡ 情報にあるように、少し未来の事業(例、再生可能エネルギー)に対する投資まがいのことは将来性があると考えても不思議ではない。少し前になるが、インターネットのサーバーを自宅に置けば儲かるという事件(近未来通信事件)があったが、これも時代はネット社会の直前での出来事だった。


見守り新鮮情報 第121号  平成23年10月14日
◇発行:独立行政法人国民生活センター◇

   代わりに買えば、数倍にして返す?社債の勧誘に注意!

 A社から電話があり、太陽光・風力発電などの再生可能エネルギーを扱うX社
の社債購入を勧められ「I工務店のI氏もほしがっている。35口700万円ずつ共同
で買わないか。必ず高く転売できる」と言われた。実際にBという会社から買い
取りたいと電話があったので信じ始めた。その後A社から「I氏が70口分購入し
たが、代金を法人名義で振り込んだので受け付けられなかった。今彼は海外出
張中で手続きできないので代わりに買ってほしい。2~7倍にして返す」と言わ
れたので、X社に社債70口1400万円分を振り込んだ。数日後、A社とB社に電話し
たが通じず、だまされたことに気づいた。(60歳代 男性)

<ひとこと助言>
☆「買った額より高値で買い取ってもらえるので、商品や権利を買わないか」
 と勧誘され、実際に買い取り希望の業者も現れるなどして、その商品や権利
 を購入するように仕向けられる劇場型の手口が後を絶ちません。
☆最近は、事例以外にも「社長と同じ出身地の人しか買えないので代わりに買
 ってほしい」「共同出資なのであなたが買わないと他の出資者に迷惑がかか
 る」などと言って購入を迫るなど、勧誘方法も巧妙になっています。
☆事例のように業者と連絡が取れなくなってしまうことが多く、いったん支払
 ってしまうとお金を取り戻すのは極めて困難です。
☆おかしいなと思ったら、お金を支払う前にお住まいの自治体の消費生活セン
 ター等にご相談ください。

イラスト入りリーフレット(PDF形式)は国民生活センターホームページ


ドイツ:ヒトラーの「わが闘争」再出版 国内で論争に

ドイツ:ヒトラーの「わが闘争」再出版 国内で論争に
2011年9月27日 毎日新聞

 戦後、ドイツで禁書となってきた独裁者、ヒトラーの著書「わが闘争」の再出版をめぐり、「極右のネオナチが喜ぶだけで出版は危険」「学術目的には必要」と同国で議論になっている。ユダヤ人虐殺につながった差別思想が色濃い本だけに、戦後70年近くたち、著作権切れを前にしてなお賛否が割れている。【ベルリン篠田航一】

 「わが闘争」は1925年に上巻、27年に下巻が刊行された。反ユダヤ主義などヒトラーの持論に加え、大衆を扇動するノウハウについても記述されている。33年にナチスが政権を取ってからは「聖典」化し、学校の授業で使われたほか、新婚家庭にも配布された。45年の終戦まで1000万部以上が出版されている。

 著作権は現在、ヒトラーが生前に住民登録をしていたバイエルン州が保有。ドイツでは作者の死後70年間、著作権が保障されるため、45年に自殺したヒトラーの著書は2015年いっぱいで「期限切れ」を迎える。

 同州はナチスによる犠牲者らへの配慮や、本が極右勢力の「聖典」となることを懸念し、これまで出版を許可してこなかった。だが公立現代史研究所(ミュンヘン)は昨年2月、「重要な歴史資料」との理由で、著作権が切れた後に注釈付きの新刊を出版したい意向を表明した。

 賛否はさまざまだ。ナチスの被害を受けたユダヤ人の組織「独ユダヤ人中央評議会」のシュテファン・クラマー事務局長は「今も危険な本だが、禁書扱いはかえって魅力的に映ってしまう。既にインターネット上では非合法に出回っている。ネオナチの勝手な解釈を許さないためにも、むしろきちんと学術的解説を加え、世に出した方がいい。正しい歴史理解や研究のためには必要な資料だ」と出版に理解を示す。

 一方で「ネオナチが(勢力拡大に)本を利用する可能性もある」(フォークス誌)など、懸念の声も根強い。反ユダヤ主義に詳しいベルリン工科大学のウォルフガング・ベンツ教授(歴史学)は「研究目的であれば今でも図書館で読める。最近のネオナチにはヒトラーを神聖視しない若者も多く、もはや出版自体を危険だとは思わないが、労力をかけて出版するのは無意味な作業だ」と話す。

 ドイツは基本法(憲法)で「出版の自由」を保障する一方、刑法ではナチス賛美につながる書物の配布を禁じており、司法当局が出版を認めない可能性もある。バイエルン州政府も「15年12月31日に著作権が切れた後も、法によって出版は禁じられる」との見解。だが、ドイツでは昨年、戦後初めてヒトラーを真正面から取り上げた大規模な特別展「ヒトラーとドイツ人」がベルリンで開催されるなど、タブー視する風潮も徐々に薄れている。

 「わが闘争」は本国ドイツ以外では翻訳が入手可能。日本では角川書店が73年から文庫版で翻訳本を刊行。08年にはイースト・プレス社(東京)から漫画版も出版された。

 05年にはトルコの若者の間でベストセラーになるなど、ユダヤ人が多いイスラエルに反感を持つ中東地域で、一定の人気を保っている。このため反ユダヤ感情をあおる危険を懸念する声もある。



・この記事で、著作権がバイエルン州にあることを初めて知った。個人のものではないのだな。それにしても、ドイツ以外では出版されているものであるし、海賊版はあるだろうから隠しても仕方のないことだろう。今でも、それだけの内容のある本ならば議論の的になるだろうが、神聖視するのは実態が分からないからで『わが闘争』だけでなく周辺資料を公開し、戦争に行きつく全体主義の構造を明らかにすることは必要であろう。

それにしても、70年たっても影響を心配しなければいけないほどの影響力がある。つまり、その世代の人たちには色濃く反映するということだ。それは、例えば日本でも戦中・戦後の秘録、資料がやっと公開されているようなものだ。つまり、墓に入る直前までは語りたくないということだろう。それが遅すぎると感じるのか・・・は意見が分かれることだろう。

介護主夫日記:100均アイデア商品3

自動車シート・椅子用らくらくクッション・・・これは210円商品だが、普通の商品と違うところは背もたれ部分がメッシュ構造になっており程よく姿勢をコントロールできることだ。父は姿勢がだんだんと傾いていくので、ずり落ち防止の意味を持たせて椅子に使っている。クッションというよりも姿勢保持のために使用。

反射バンド・・・夜間に自動車ライトで反射する蛍光素材を利用した商品。たすき掛けできるタイプやチョッキのように羽織るタイプ、手足に巻き付けるタイプがある。散歩や夜間外出の際に使用すると良い。ワンポイントでも運転手からは確認できる。

節電タップ・・・最近見つけた商品は105円だった。他100均店では315円で売っている。値段の差がどこにあるのか不明。電源のON/OFFができON時にはライトが点灯する。電気アンカを使用しているが、それは電源差し込みで使用するのでON/OFFスイッチがあると便利だ。

NNNドキュメント'11 遠き故郷 ~フクシマから逃れた200日~

NNNドキュメント'11
3・11大震災 シリーズ18 遠き故郷 ~フクシマから逃れた200日~
2011年10月30日25:00~ 日本テレビ

ナレーター:小室 等
制作:福井放送

大震災の後、福井県にも500人近い被災者が避難した。その中の一人、川崎葉子さん61歳。避難者同士のネットワーク作りに奮闘している。県外に避難すると、物資の配給や情報から孤立しがちだと感じていた。自宅は双葉町。福島第一原発からわずか3キロの所にある。塾やカルチャースクールを開き、講演活動も行っていた川崎さんのもとには、全国の友人・知人から大量の物資が届く。使い切れないその物資を他の被災者に提供する催しを開催。会場では、福井に身を寄せた被災者の名簿作りから始め、7月には「避難民のつどい」を開いた。高齢化が進む過疎地の空き家に集落ごと被災者を受け入れる事業では、福島との橋渡し役を務めている。



・川崎さんの5月~9月までの活動を伝える。彼女は、福井県あわら市での避難者のための物資提供会を主催する。そして、一時帰宅の様子や福井県での活動を伝える。

地元福井放送制作であり、恐らくローカルニュースでは話題の女性なのだろう。彼女のような避難生活を送っている人たちは大勢いるだろう。番組のナレーションにもあったが、見知らぬ土地で暮らす心細さを感じ、だからこそ、支え合うことや絆の大切さを実感しているということだ。

歯科医であった夫は震災後に仕事ができなくなり、長女も福井で見つけた仕事に出勤できない状態であるという。葉子さんは学習塾の先生をして家計を支えているということだ。こうしたことも大震災・原発事故の被害と言わざるを得ないだろう。

もし地元ニュースで報道するならば、なかなかここまでは放送できないのが実情だ。そこに、ドキュメンタリーとして再構成し全国に伝えることは地味ながら意義がある。できれば長期に取材をしてほしい。

洗脳体験をナラティヴに2

「見つめ、観察し、問いかけ、探究する。そのときこそ、ありのままの物事を何の障害もなく見る目に―現実をじかに体験することに―恵まれることだろう」(アントニー・デ・メロ)3-68

† 「ありのまま」に見ることは非常に難しい。自分との関わりなしに物事は成立しないから、何かしらの思いが入って物事を判断してしまう。現実をじかに体験するとは、そのことに最初に出会った初心をいつまでも保つことだろう。その初心という態度を、毎日毎秒繰り返すことが気づきということなのだ。

‡ 信念体系は、物事をじかに見させないようにする危険がある。私が属していた宗教教団でも、一つの教えで他を否定するような見方をしていた。例えば、いま考えてもとてもおかしいのだが、作曲家・ストラヴィンスキーには有名なバレエ音楽『春の祭典』があるが、これは異教の教え題材にして音楽だから聴いてはいけないと言われていた。信念体系とは、考えさせないようにする訓練のようなものだ。

何でもきくよ

20111017 03910
何でもきくよ
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