看護師の法則6

採血のときの患者の言葉にまどわされるな

・「私の血管は細くて入りにくいのよ」「一度でお願いします」などという言葉にまどわされないようにする。

新スタートレック TNG 第83話「ヒューマン・アンドロイド:データ」

新スタートレック TNG 第83話「ヒューマン・アンドロイド:データ」

このエピソードが大変好きなのです。それは日常生活を扱っているからかもしれません。むろん緊張感を持たせるためのシナリオも入っていますが、基本的には宇宙艦での生活を知ることができます。データを中心として一日が展開されており、新しいことが散見されます。猫スポットは初登場、艦内の庭園もそうです。また、結婚式のケイコ・イシカワの衣装や舞台装置は日本のイメージを取り入れてあるようだ。ケイコとオブライエン夫妻は、DS9の主要メンバーに抜擢されていく。

人間ですから24時間は起きていられないわけで、8時間勤務なのでしょうか。冒頭ではナイト・シフトからデイ・シフトに替わるところで照明が強化されます。人間の生理に合わせているわけです。ところで、異星人はどのようなライフサイクルなのでしょうかね。24時間とは限らないから…。

データはドクターにダンスを習うところがあるが、その奇妙な作り笑顔を見ると吹き出してしまう。このような不器用なデータが好きだ。一日の中でも、いろいろなことがあることが描かれていて面白い。このようにアンドロイドから、人間心理を提示させることがTNGシリーズの欠かせぬ特徴である。

テイペル大使がスパイであったというオチであるが、バルカンとロミュランは出自が同じであることの敷衍がある。


ケイコ・イシカワ:ロザリンド・チャオ 

群生海16

   私の詩

才能というようなもの
なんにもない
ただ自分のなかから
豆つぶのような仏さまが
ときどき うまれてくださる

・このような謙遜から、仏の声がうまれる。

ヨハネ・パウロ2世の「問題」

ヨハネ・パウロ2世の「問題」
2010年4月29日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ローマ・カトリック教会で聖職者の未成年者への性的虐待問題が発覚して以来、当方には一つの疑問があった。ドイツ出身のローマ法王べネディクト16世が聖職者の性的虐待問題を隠蔽していたかどうかではない。同16世の前任法王、ヨハネ・パウロ2世(在位1978年~2005年)はどうだったか、ということだ。
 なぜならば、聖職者の性的虐待問題はアイルランド教会でもドイツ教会でも主に1980年、90年代に集中しているからだ。例えば、べネディクト16世はミュンヘン大司教時代(ラッツィンガー枢機卿)、性的虐待問題を犯した聖職者の処遇問題で批判されたが、当時のローマ法王はヨハネ・パウロ2世だった。オーストリアのカトリック教会最高指導者グロア枢機卿が教え子に性的犯罪を犯した不祥事が判明したのは1995年だった。すなわち、現在、問題となっている聖職者の性的虐待問題の多くがポーランド出身のヨハネ・パウロ2世時代に生じているのだ。偶然だろうか。ヨハネ・パウロ2世は聖職者の不祥事をまったく知らなかったのだろうか。
 オーストリアの代表的週刊誌プロフィール最新号(4月26日号)は「バチカン法王庁が聖人化の手続きを進めているヨハネ・パウロ2世は聖職者の性的虐待問題を熟知していたが、それを隠蔽していた疑いがある」と報じた。
 同誌によると、パウロ2世は2004年11月、修道会「キリスト軍団」の創設者であり、未成年者へ性的虐待を繰り返してきた疑いがもたれたメキシコ出身のマルシャル・マシエル・デゴラード神父とローマで会見し、祝福ししたという。同神父の性的虐待問題はバチカン側に既に報告されていたが、ヨハネ・パウロ2世はそれを無視したというのだ。
 これが事実とすれば、同2世の聖人化プロセスは即停止されなければならなくなる。バチカンにとって大変な事態となる。
 それだけに、反応は早い。イタリアの保守系日刊紙ジョルナレは27日、バチカン教理省の文献から「ヨハネ・パウロ2世はキリスト軍団の創設者デゴラード神父の未成年者への性的虐待問題を知らされていなかった」と報じ、同2世の容疑を否定している。ただし、同紙が入手した教理省文献(2007年11月17日付)の中で、ウィリアム・ジョゼフ・レヴェイダ教理省長官は「ヨハネ・パウロ2世はデゴラード神父の性的虐待問題に全く関与していない。ただし、同神父の問題を指摘した法王宛ての書簡は届いていた」と認めている。デゴラード神父によって性的虐待を受けた神学生は1978年、89年、ヨハネ・パウロ2世宛てに書簡を送っているのだ。
 バチカン教理省長官であったラッツィンガー枢機卿(現ベネディクト16世)が当時、同問題の調査を開始し、後任に就任したレヴェイダ長官が調査を継続。そして2006年、バチカンはデゴラード神父の聖職剥奪などの処分を決定したというわけだ。同神父は08年に死去している。
 ベネディクト16世の容疑問題の時もそうだったが、バチカンから聞こえるのは「ローマ法王(ヨハネ・パウロ2世)はまったく関与していなかった」という説明だけだ。
 もちろん、聖人化手続きが進められているローマ法王の問題だけに慎重に調査しなければならないだろう。現時点で明確なことは、冷戦の終焉に大きな功績のあったヨハネ・パウロ2世の在位時代に、教会やその関連施設内で聖職者の未成年者への性的虐待が頻繁に生じていたという事実だけだ。



・列福という仕組みがカトリックにはある。厳密な審査を経て認定されるのだろうが、亡くなってから位を付けることにはいささか不思議な感じがする。ヨハネ・パウロ2世に関しては、記事のような理由で遅れているとのことである。
聖人の日については全く知らないが、カトリックのカレンダーには大勢の名前が書かれている。歴史ある由縁なのだろう。


前法王の列福が遅れる諸事情
2010年6月30日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 イタリアのメディアによると、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の聖人化プロセスのテンポがスロー・ダウンしてきたという。その理由として、日刊紙ジョルナレは26日付で「ヨハネ・パウロ2世の列福に不可欠な奇跡の証が疑わしくなってきたからだ。そのため、来年4月の列福式が非現実的となってきた」と報じた。
 これまで奇跡の実例としてフランス修道女がヨハネ・パウロ2世の死の直後、パーキンソン病が直ったという報告が伝えられてきたが、修道女を検診した医者は「修道女がパーキンソン病だったという報告は疑わしい」と述べたのだ。
 現在はパリで看護師として働いている修道女は、2002年からパーキンソン病に苦しんできたが、05年4月にヨハネ・パウロ2世に祈ったところ病気が治ったと証言した。この奇跡の証はヨハネ・パウロ2世の列福で貴重な役割を果たすことになっていたのだ。
 後継法王のべネディクト16世は05年6月28日、前法王の列福調査開始を宣言した。通常、列福調査は本人の死後、5年が経過してから始まるが、「特例」だったわけだ。前法王は現在、「尊者・神の僕」の段階で、列福が前進するためには「奇跡の承認」が必要となるのだ。
 ヨハネ・パウロ2世の列福プロセス担当者は「修道女の報告を今後詳細に調査するか、さもなければ、別の奇跡の実例を探すことになる」という。
 同2世の列福プロセスがスロー・ダウンしてきたもう一つの理由は、ヨハネ・パウロ2世の27年間余りの在位時代(在位1978年~2005年)、聖職者の未成年者への性的虐待問題が多発していることだ。すなわち、同2世は聖職者の未成年者への性的虐待を隠蔽してきた疑いが浮上しているのだ。
 当方はこのコラム欄で「ヨハン・パウロ2世の『問題』」を書いたが、聖職者の性的虐待問題の多くはアイルランド教会でもドイツ教会でも主に1980年、90年代に集中している。オーストリアのカトリック教会最高指導者グロア枢機卿が教え子に性的犯罪を犯した不祥事は1995年だった。すなわち、ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世時代に生じているのだ。特に、修道会「キリスト軍団」創設者で、未成年者へ性的虐待を繰り返してきた疑いがもたれたメキシコ出身のマルシャル・マシエル・デゴラード神父との関係は深刻だ。同神父の性的虐待問題はバチカン側に報告されたが、ヨハネ・パウロ2世は当時、それを無視したという情報があるからだ。
 べネディクト16世が特例として開始を指令した前法王ヨハネ・パウロ2世の列福調査がバチカンにとって次第に“重荷”となってきたのだ。


群生海15

   蚊と私

蚊をいっぴき ころしたが
五十六億何千万年たって
弥勒菩薩が あらわれるとき
そこで 蚊と私は
あそびたわむれているにちがいない

・広大無辺な詩である。時間・空間を超えた世界ではすべてはこうなのだろう。

準強制わいせつ:容疑の占師逮捕 「悪霊払う」と女性に

準強制わいせつ:容疑の占師逮捕 「悪霊払う」と女性に /栃木
2010年7月6日 毎日新聞

 除霊と称して女性にわいせつな行為をしたとして、足利署は5日、足利市西新井町、占師、村岡弘行容疑者(47)を準強制わいせつ容疑で逮捕した。

 容疑は2月6日午後1~3時ごろの間、自宅でさいたま市のアルバイト店員の女性(23)に対し、「体の中に20~30の悪霊がいる。急いで取った方がいい」などと言って女性の胸や下半身などを触ったとしている。

 足利署によると、村岡容疑者は昨年末から足利市に移住し、「スピリチュアルカウンセラー」を名乗って自宅で活動していたという。女性は知人から「(占いが)当たる」という評判を聞いて、容疑者宅を訪れた。同署の調べに対し、村岡容疑者は「悪霊を取り払う儀式だった」と容疑を否認しているという。【岩壁峻】



・最近はやりのスピリチャルカウンセラーだが、むろん自称。不透明な時代。彼らに自分の未来を委ねる女性たちも問題があるのだろう。

霊感が強い人はいると思うが、そもそも人間本来持っている原始的な脳に由来する本能能力と考えてよい。危険を察知し予知する能力は、例えば大地震まえの小動物の行動を考えればよいことだ。小動物は本能で感ずる。同じように、人間でも普段活用されていない本能部分があり、それが生来開花しているのが霊感と言われるものであると思われる。だから、霊感が強いことは動物的である。人間は、本能と新しい大脳の産物でありバランスを図り調和し進化することで生き残ってきた。

霊視や未知が分かっても、自分の感情すらコントロールできない人に未来を委ねることはできないだろう。もし賢明な能力者なら沈思黙考し静かに暮らしてゆくと思う。それが賢明ということだ。

魂の言葉14

ハートがどれだけたくさんのものを抱き締められるか、だれも知らないわ。(ゼルダ・フィッツジェラルド)

・無限の泉から愛は溢れる。

韓国農民にあてがわれた統一教会・合同結婚式日本人妻

看護師の法則5

採血の失敗は二回まで、それ以上は代わってもらうこと

・三回以上は患者の血管も収縮し、看護師はますます緊張して失敗する。

『統一教会―日本宣教の戦略と韓日祝福』著者・櫻井義秀教授に聞く

統一教会―日本宣教の戦略と韓日祝福
著者の一人 北海道大学大学院教授櫻井義秀教授に聞く
2010年5月1日 中外新報

□学術研究でまとまったものでは初ですね。

櫻井 教団が出している文書だけでは研究できない。統一教会の許可を得た研究ではちょうちん持ちになってしまう。私は脱会者から調査する方法で研究を進めてきましたが、たまたま中西さんが韓国の社会調査で現役日本人信者に巡り合い、そちらからの調査研究をまとめていただいた。共著の形で、日本と韓国の教会活動の違いも明らかにできたと思います。

□海外での研究は?

櫻井 アイリン・バーカーの研究が古典的で、教団に借りた信者名簿をもとにサンプリングし、社会学的には申し分ない方法です。結局得られた知見は他の新宗教と変わらない、信者は自分らの生活の中で満足できず、人生の支えになるものを求めていた、というありきたりの結論で、それが欧米の宗教社会学で定説になっていました。

 しかし彼女が研究したのは一九六〇年代から七〇年代にかけてのイギリスの統一教会です。英国は統一教会の宣教戦略では全くの周辺なんです。私は海外の学会で「日本の統一教会は違う」と言ってきたが、なかなか理解されなかった。

□韓国内では?

櫻井 本書で日韓の報道の落差を分析したが、韓国にも日本の状況は届いていないようです。幾つもある韓国のキリスト教系新宗教、"異端"の一つという認識でしかない。霊感商法はしておらず、企業を経営し、慈善事業も行なっている。日本の実情とはあまりに乖離していて、日本在住の韓国人でないとこの落差は分からない。いずれ英訳や韓国語訳を出版し、向こうの人に知ってもらいたいと思っています。

□統一教会は経営体として行き詰まっているという分析ですね。

櫻井 基本的に使う額が多過ぎるんです。当初は霊感商法だけでよかったが、一般からの金集めには限界がある。そこで清平の修練会とか合同結婚などを乱発し、信者から何とか金を集めようとする。タコが自分の足を食うようなものです。

 教団は間もなく地上天国ができると摂理をうたっていましたから、信者たちは八〇年代か九〇年代初頭ぐらいまで、全く新しい世界が実現すると思っていたのでしょう。ところが教祖も年をとり、子供にあとを譲る算段をし始めると、安定志向になってきた。天国はすでにこの世にできている、その天国の入国証明のようなものを発行する、とかいう話になる。

 合同結婚式は資格のハードルを高くしていたのが、どんどん開放し簡略化してゆく。結婚相手も本人たちがある程度決めてもいい、と柔軟化してきましたね。だが、間口を広くしても限界に来ている。日本の「青春を返せ訴訟」の裁判闘争は二〇〇一、二年ごろから絶対負けなくなり、霊感商法損害賠償裁判も勝てるようになった。警察も動き始めましたが、この影響は大きいでしょう。

□なぜ日本から韓国への金の流れがうまく形成されたのか?

櫻井 統一教会は客観的に見れば韓民族が選民であるという韓国独特のナショナリズム的宗教、シャーマニズムの要素も入ったキリスト教系新宗教の一つにすぎません。

 だが日本の幹部たちはある種の思想運動として入り、その教義をまともに受け取った。学生運動が非常に盛んな時期で、片やセクト最盛期です。それにフィットしない人たちがこういう流れに入ってきた。彼らにとって世界革命論みたいなものだったと思うんですよ。

 当時の幹部はキリスト教についての基礎的な知識もなく、統一原理を神学的に批判する力はなかった。批判できた人は去って、残った人たちが教団から言われた"エバ国家"日本の使命を全うするため会社的な組織をつくり、それが成功した。高度経済成長期はどんな会社でも成長の果実をそれなりに得られたが、その中で統一教会も伸びているんですね。

 金を稼ぐという目的は同じですが、当初は廃品回収や花売り等をやっていた。壷と霊感商法を絡める詐欺的商法を確立したのは転機ですね。姓名判断などは他からの借り物で、彼らが新しく作ったものはあまりないが、それを非常にうまく組み合わせ、経済成長期とバブル期の社会を背景に資金集めとして成功した、というところでしょう。

□世代間の継承に問題が出てきている、ということですが。

櫻井 入信者は訳が分からないまま、運動してこいと実践部隊に配属される。単なる駒となるための信仰を形成してきたのが統一教会の八〇~九〇年代だったと思います。その点でこの宗教は非教育的です。どんどん自分が惨めになり、精神的・経済的に追い込まれてゆく。なぜ、それでも続けられるかというのは非常に大きな問題で、これに答えないと彼らの信仰は分からない。詳しくは本書で書きましたが、自ら招いた苦境を受難、真理の証しと見なしている。

 別の面から見れば、彼らは異端視され世の中から批判されても「自分はこれで死んでもいい」という殉教者の意識です。だが二世以下は地域で生活し、学校に通い友人たちと交わるうちに、親の生き方より友人らから大きな影響を受ける。どんどん世俗化が始まると思います。日本の教会の使命は金を稼いでくることだけですからそれに耐えられるか、エバ国家の日本だから仕方ないと納得できるかどうかですね。それなりのメリットがある教団幹部はともあれ、「なぜ自分らだけが損な役回りを……」と一般の信者は考えるでしょう。

□教団の行き詰まりはかなり急速に?

櫻井 ええ。しかし、上の方はその辺りが分からなくて、いろんなイベントを打って、引き締めにかかっている。文鮮明の息子が何度も日本に来て、金集めだけ強調して帰っていく。韓国内で金を稼いでいるわけではなく、今後は厳しいでしょう。いま第四イスラエル研究会などの分派が少し反旗を翻すような動きを見せていますが、同調者は限られています。

□ところで、"カルト"論では信教の自由が問題になりますね。

櫻井 統一教会に入ると自己破産したり、家族崩壊してしまう。だとしても信者の自己責任だという議論ですが、果たしてそれでいいのか。

 統一教会も六〇~七〇年代は自らの正体を明かした、ある種の思想運動的な時代でした。そのころなら自己責任という議論も通用するでしょうが、八〇~九〇年代から現代に至る"駒"だけを集める時代の信者には当てはまらない。看板を掲げて、何をやっているか説明しているなら自己選択といえる。しかし、看板が内容と違っていて、入ってもまともなメニューが示されないんです。
 
 そもそも完全な自己選択論とは一種の幻想で、ある状況の中で自分に働き掛けてくれる何かがあり、それに応じることで人はいろんなことを選択する。ただ、そう言ってしまうと、責任の概念が成立しなくなるので、法治社会の中では自己選択・自己責任という仕組みがいるわけです。宗教も、イデオロギーもそうだ、と。むろん、実態はそこからずれているし、ズレがあまりにひどい場合には自己責任の本質を思い起こす必要がある。

 一般に「宗教」の概念に引っ張られ過ぎて考える傾向も見られますね。「宗教」とは概念であって、実際はいろんな教団組織やそれにかかわる人々とその活動があるだけです。信教の自由も各々に基づいて考えてゆくべき問題ですね。社会的相当性を著しく欠くような迷惑な活動については、毅然として言うべきことを言わなければならない。信教の自由の侵害には当たらない。それは私たちの正当な権利です。

□本書執筆の立場もやはりそこにある?

櫻井 この本は新宗教研究であると同時に社会問題研究なんです。まず統一教会とは何であるかと、カルト問題を解きほぐして理解し、解決する方向へ向かうための素材を提供したつもりです。これも宗教学者の役割ではないかと思います。

 新宗教研究は従来、信者の視点から信仰を理解し、教団の活動を世に出すことに努めてきたが、そういう研究が何を意味するのかという問い直しをしてこなかったと思うんです。内面的で外からは理解されにくい信仰を持つ人たちをサポートするのは良いことだといった前提があったのではないでしょうか。大方の場合、それはその通りでしょうが、前提が当てはまらないケースもある。

 宗教研究者の多くは言ってみれば信者や好事家の関心に応じるような形で宗教的な知識を提供することはあっても、シビアな問題提起は怠ってきた。宗教を社会とのかかわりで議論するのをあえて避けてきた。政治的になるとか、研究しにくくなるとかさまざまな理由があると思うんですが、社会的に発言する学問の基盤を自ら崩してきた気がしますね。 

櫻井義秀、中西尋子『統一教会――日本宣教の戦略と韓日祝福』
定価4935円、北海道大学出版会(電話011-747-2308)刊。



・厳しい教団経営を迫られているという。日本は格好のターゲット。

確かに宗教学者が、霊感商法批判をすることはない。彼らは宗教の理論に関心があるわけだから。ただ、宗教は社会とかかわり、その中で様々な展開をする。社会を大きく変える原動力とのなってきた。その点で、社会心理学はどんな組織体であろうと俎上にのせることができるわけで、構造分析と心理分析を加味して社会と人間のテーマを展開してほしい。

自分とは関係ない一部の人たちの問題と考えるのではなく、自分たちの問題であると考えてみてほしい。

魂の言葉13

わたしは、魂をよいものにするよう、魂にとってよいことだけをするように、配慮しています。(ソクラテス)

・現代社会は、時間を選んで魂の手配をする時代。

神父たちは今、何を考えているか

神父たちは今、何を考えているか
2010年7月2日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 欧州各地のローマ・カトリック教会関連施設で聖職者の未成年者への性的虐待問題が今年に入って発覚し、メディアでも大きく報じられてきたが、献身的に聖職に励む多くの聖職者たちは今、何を考えているのだろうか。
 これをテーマにオーストリア公営放送(ORF)は同国全土の神父たちを対象に意識調査を実施した。同調査では約500人の神父たちにその生活や聖職などについて電話インタビューが行われた(同国には約4000人の神父たちが聖職に従事)。
 同国カトリック通信は28日、その結果を明らかにしている。その主要な結果は、(1)79%の神父たちは聖職者の独身制撤廃を支持、(2)51%が女性聖職者の叙階を支持、(3)52%の神父たちが「重要な問題で教会指導者とは異なる意見を持っている」と答えていることだ。
 (1)では、79%が「教会は既婚の男性を神父に叙階すべきだ」と考え、62%が「神父は結婚しても、聖職に留まるべきだ」との見解を支持。同時に、結婚した神父たちを再び正式に聖職に復帰させる事にも賛同している。一方、独身制を守る67%の神父たちは「独身で生きる道を自分なりに見つけた」と答える一方、73%が「独身生活では厳しい時と良い時を体験した」と告白している。
 (2)の女性聖職者の叙階問題では、51%が支持。その理由として「聖職の向上に繋がる」と受け取っている。65%は「女性聖職者との協調は聖職履行上、プラスだ」と考え、神が自分の似姿として男性と女性を創造したとすれば、教会の聖職も同様に神の似姿となるべきだという意見も聞かれる。
 ちなみに、聖職者の性犯罪問題については、65%の神父たちは「このテーマはメディアの過剰報道の影響が大きい」と感じる一方、76%は「性犯罪問題は社会の他の機関以上に大きな課題だ」と受け取り、93%は「教会は問題解決のために努力すべきだ」と指摘、80%は「これを絶好の機会として、教会は性問題を基本的に再考すべきだ」と考えている。
 注目すべき点は、(3)の回答だ。ほぼ半分の神父たちが「重要な問題で教会指導部とは異なった意見を持っている」と答えているのだ。独身制問題や女性聖職者の叙階問題だけではないだろう。この回答はいろいろな解釈が可能だ。いずれにしても、ローマ法王を中心としたバチカン中央集権体制ではなく、自身の信仰を中心に独自の道を模索する神父たちが増えてきていることを示唆している。



・非常に重要な調査である。現役神父が何を考えているのかを窺い知る材料になる。

記事にあるように、独身制度、女性叙階、指導部との関係について尋ねている。問題は、これらの調査をバチカン首脳部がどう判断するかということになるだろう。

看護師の法則4

プライマリーナースとは患者の衣類の洗濯をしてあげる人ではない

・仕事の領域をわきまえるように。

ローマ(法王)の休日

ローマ(法王)の休日
2010年7月6日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 世界に約11億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ法王べネディクト16世は7日から夏期休暇に入る。
 法王は今年はローマ郊外の夏の離宮、カステルガンドルフォで休日を過ごす。これまではイタリア北部ヴェスト州ベッルーノ県ロレンツァーゴ・ディ・カドーレにある教会管理の「山の家」で休暇を過ごすことが多かった。
 7月末までは全ての謁見や公式行事はない。もちろん、水曜日の一般謁見もない。謁見から司牧(訪問)、ミサなど秒単位のスケジュールを連日こなしてきた高齢(83歳)のローマ法王にとって、この期間は文字通り、体力の回復に努める時でもあるわけだ。
 ちなみに、4月17、18日のマルタ訪問ではべネディクト16世は礼拝中、瞬間、前屈みとなって眠り込み、驚いた周りの者がそっと起こすといったハプニングがあった。法王は当時、疲労困憊だったのだ。
 8月に入ると、15日の「聖母マリアの被昇天祭」の記念礼拝をカステルガンドルフォの教会で行う。これが8月の唯一の公式行事だ。
 そして8月最後の週、カステルガンドルフォに今年もべネディクト16世と教理省長官時代(ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿)の38人の弟子たちが結集する。聖職者、神学者たち38人は通称“ラッツィンガー・サークル”と呼ばれ、法王個人のシンクタンクだ。毎年、テーマを決めて自由な討議を交わす。学者法王にとって、楽しい知的な一時だ。今年のテーマは「第2バチカン公会議の解釈学」だ。
 そして9月に入ると、5日、法王レオ13世(1810~1903年)の生誕地(カルピネート・ロマーノ)を訪問する予定だ。同13世はカトリック教会で初めて社会問題を扱った回勅「レールム・ノヴァールム」の著者であり、今年は生誕200周年に当たる。
 長い夏期休暇が終わると、9月16日から4日間の日程で初の英国公式訪問が待っている。英国エリザベス2世の招きだ。法王の訪英は歴史的な意味合いがある。英国教会はローマの教会と対立し、国王を最高権威とした英国国教会を設立して以来、バチカンとの関係は途絶えてきた。その関係修復の一歩だ。特に、聖公会で同性愛者を容認したり、女性聖職者の叙階などリベラルな路線が浮上し、保守派聖職者や信者たちがカトリックへ改宗する動きが見られる時だけに、べネディクト16世の発言が注目される。



・学者法王にとって、楽しい知的な時間が持てることはリラックスできる休暇となるだろう。今度の試練は高齢の法王にとっては厳しかったに違いない。そして、英国国教会との関係改善という歴史的な訪問も控えている。下記の記事にあるように、法王はショートリリーフで起用された可能性は大きい。こうした時間にじっくりと考えて政治の舵取りをしてほしい。


礼拝中に眠り込んだローマ法王
2010年4月22日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 訪問先のマルタのフロリアナで礼拝中、ドイツ出身のローマ法王べネディクト16世は瞬間、前屈みとなり、眠り込んでしまった。驚いた周りの者が法王をそっと起こしたという。16日に83歳となった法王は疲労困憊、といった状況だったのだ。
 「礼拝中に眠り込んだ」という報道が流れると、高齢法王の健康問題がメディアで再び囁かれだした。
 使徒ペテロの後継者ローマ法王は本来、終身制だが、教会法332条第2項によると、健康悪化で職務履行が不可能な場合、自発的に辞任することができることになっている。前任の法王ヨハネ・パウロ2世も晩年、健康理由に退位を検討していたといわれる。
 ちなみに、自ら辞任した法王は過去、1人いる。中世のローマ法王ケレスティヌス5世(在位1294年)だ。同5世は元々、法王職を願わず、自ら教会法を改正して法王の自主的辞任の道を開いた後、半年余りで法王職を捨てた。
 べネディクト16世の実兄(ゲオルグ・ラッツィンガー)によれば、ベネディクト16世は過去3度、軽い脳卒中の発作に見舞われている。ラッツィンガー枢機卿が第265代法王に選出された時、実兄は「心労が重なる法王職を務めることは無理ではないか」と懸念を表明したほどだ。
 教理省長官のラッツィンガー枢機卿がコンクラーベで法王に選出された背景については、同枢機卿が高齢(当時78)で長期政権が難しいからだったといわれる。すなわち、ショートリリーフの法王が当時、願われていたのだ。
 法王に就任して5年間が過ぎた。高齢の法王には穏やかな日々はなかったはずだ。不祥事とハプニングの連続で、その対応に苦慮してきたからだ。
 歴代法王の中でも最高の知性の持ち主といわれるべネディクト16世にとっては、外交センスが要求される法王職の履行は元々、安易ではない。書斎で好きな文献を研究し、著作活動ができれば、幸福だったろう。
 ここ数カ月間の聖職者の性犯罪問題は高齢の法王の健康を悪化させたことは間違いない。聖職者の不祥事は、アイルランド教会から始まり、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、オランダ、デンマーク、ノルウェーなど欧州各地の教会に拡大し、最高指導者としてその対応を強いられてきた。特に、ミュンヘン大司教時代、性的虐待問題を犯した聖職者を再雇用したことを指摘され、世界のメディアからその責任を厳しく追求されたばかりだ。
 ヨハネ・パウロ2世が法王に選出された時、58歳だった。それに対し、ベネディクト16世は78歳だ。この20歳の年齢の違いは大きい。べネディクト16世にとって、法王の日々は肉体的にも過酷な戦いであろう。



群生海14

   冥助

朝 起きて水をつかい
夜 電灯を消して寝るまで
世の中の
無数の人のちからに
助けられている私である

・こうした自覚がありがたい。忘れてしまった私である。

消火器投げ込み 「教会に裏切られた」

消火器投げ込み 「教会に裏切られた」
2010年07月06日 MBSニュース

 大阪や兵庫などの教会70か所以上に消火器が投げ込まれた事件で、逮捕された無職の男は動機について「教会に奉仕したのに裏切られたから」と供述しているということです。

 器物損壊の疑いで逮捕された大阪府豊能町の無職、池田康政容疑者(29)は今年4月、大阪市旭区の日本基督教団森小路教会に消火器を投げつけ、扉を壊した疑いがもたれています。

 池田容疑者は大阪や兵庫などで相次いだ72か所での事件について「すべて自分がやった」と供述していますが、その動機については「教会に一生懸命奉仕したのに裏切られたから」と話しているということです。

 「女房の親が死んだときも、がんだったんですけれど『神の仕業』と言っていた。『キリストに奉仕し、努力しているのに…』と」(池田容疑者の父親)

 警察は池田容疑者が一方的に教会に恨みを募らせたものとみて調べています。



・事件の続報が入ってくる。動機については「教会に一生懸命奉仕したのに裏切られたから」という。それは以下の記事からも確認できる。

容疑者にとっては、厳しい自分の人生に対して一筋の光を与えてくれると思っていたはずだ。そして、精一杯奉仕することで人生が好転すると感じていたはずだし、牧師らも教えていたはずだ。ところが、牧師の交代や近親者の病気などで事態が一変したのだろう。彼にとって、キリストは願いをかなえる対象であり牧師は大きな父親だったのだろう。

また、この容疑者の父親はインターホン越しながら、マスコミ取材に何度も応じているようだ。父親も病気を患っているという記事もあり、息子を利用したキリスト教会に対する不満があると感じた。このキリスト教会は容疑者に何をしたのだろうか。また、救いとは何かを語ったのだろうか。


消火器投げ込み男「牧師に願い聞いてほしかった」
2010年7月4日 読売新聞

 大阪府警捜査1課と池田署などは4日、同府豊能町光風台5、無職池田康政容疑者(29)を器物損壊容疑で逮捕した。

 近畿地方では2008年9月以降、プロテスタント系の教会や付属施設に消火器などが投げ込まれる事件が72件相次いでいた。池田容疑者は「全部自分がやった。牧師に願いを聞いてほしかった」とすべての犯行を自供した。池田容疑者は全事件の犯行日時や場所を記した日記や、プロテスタント系教会の住所録などを所持しており、府警は裏付け捜査を進める。

 発表では、4月27日午前4時頃、大阪市旭区の「日本基督教団森小路教会」の木製扉に消火器を投げ付け、扉を壊した疑い。複数の防犯カメラにミニバイクの男が映っており、映像から池田容疑者を割り出した。

 池田容疑者は約5年半前から兵庫県川西市のプロテスタント系教会に熱心に通っていた。教会では掃除に励み、信者の子どもを車で送り迎えするなど熱心に活動していた。

 ところが、親しかった牧師が07年5月に教会を去ってから様子が変わり、家族に「裏切られた」などと口走るようになったという。

 一連の事件は今年4月末までに大阪府で44件、兵庫県で22件、京都、滋賀両府県で各3件発生。うち大阪府内の約60教会には犯行を打ち明ける15種類の手紙が届いていた。手紙は匿名で、「教会に迷惑をかけた」「親や友だちに不幸が続き、教会を攻撃すれば止まると思った」などと書かれていた。池田容疑者は調べに、「自分が送った」と話しているという。



消火器投げ込み男「家族の病気は神の仕業」
2010年07月06日 スポニチ

 プロテスタント系のキリスト教教会に消火器が相次いで投げ込まれるなどした器物損壊事件で、大阪府豊能町の無職池田康政容疑者(29)が逮捕前、父親(61)が病気を患っていることについて「不幸は神の仕業。これだけキリスト教に奉仕して、なぜ報いを受けるのか」と話していたことが5日、家族への取材で分かった。

 池田容疑者が教会に送ったとみられる文書でも、事件の理由を「家族に悲惨な不幸があった」と記載。府警捜査1課は父親の病状が改善されない不満が事件につながった可能性もあるとみて、詳しい動機を調べる。同課はこの日、器物損壊容疑で池田容疑者を送検した。


ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう8

YouTube 資料映像 音源DVD紹介 HMV

ブラームス (Johannes Brahms): ドイツ・レクィエム(1997年ウィーン楽友協会大ホール)

アバド&ベルリン・フィルのドイツ・レクィエム
ただひたすら美しい・・・・ベスト・コンディションのアバドによる清新なブラームス

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衝撃的な癌告白の後、痛々しい姿で指揮台に立つようになった現在のアバドと異なり、ベルリンフィルのシェフとして、自信に満ちた貫禄と健康な輝きを発揮していた時期のアバドによる、流麗で冴えた美感に満ちたブラームスの「ドイツ・レクイエム」です。アバドの薫陶により、フレッシュな俊敏さを会得した天下のベルリンフィルと、アバドお気に入りのスウェーデンの超絶技巧合唱団二団体、エリクソン合唱団とスウェーデン放送合唱団のクリスタルな透き通った美声と完璧な声楽アンサンブルが一体となり、この大作の美点を純粋に抽出しています。

 マイスターが醸した蒸留酒のような、夾雑物の無い至純な味わいは、深刻さや超越的な宗教性には不足しているかもしれません。しかし、ブラームスがこの作品を書いた時にはまだ32歳の若さであったことを思い起こすと、むしろ音楽に相応しい演奏とも言えます。もともとアバドはブラームスを得意とし、ベルリンフィルとは特に相性が良く、二種類の交響曲第二番は特に名演とされています。しっかりした構成感と、しなやかなフレージングが高いレベルで調和していて、ブラームスの音楽が内包する観念と感覚双方に適確な光があてられています。これ見よがしな壮大さや、しばしばブラームスらしさと同一視される頑固さや晦渋さを強調することなく、音楽としての美のみを追求した演奏の最高峰に位置するものでしょう。

 独唱には、ブリン・ターフェルとバーバラ・ボニーを擁しています。二人ともオペラ界の大スターの名声に溺れることなく、真摯な歌い方で器楽と合唱に唱和し、演奏全体の統一感を一層堅固なものにしています。
 この演奏は、ブラームス没後100年記念行事の一環として、1997年に作曲者晩年の安住の地ウィーンで行われた演奏会をライブ収録したものです。華麗なムジークフェライン大ホールを背景に、ライバルのウィーンフィルの本拠地で熱演するベルリンフィルの演奏姿を堪能できる、オーケストラ・コンサートの映像としても第一級の素晴らしさを誇る好ソフトです。

■ブラームス:ドイツ・レクィエム op.45
バーバラ・ボニー(S)
ブリン・ターフェル(Br)
スウェーデン放送合唱団
エリク・エリクソン室内合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)

収録:1997年4月3日、ウィーン、ムジークフェラインザール(ライヴ)




看護師の法則3

右手の使えない患者の湯飲みは右手側に置く

・使える方の腕の近くにものを置かれると、かえってとりにくいものである。使う人の身になって考える気配りを。

ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう7


Brahms German Requiem Mvt 7 Part 1


Brahms German Requiem Mvt 7 Part 2

第7楽章 合唱

Selig sind die Toten, 祝福されたるは、死者、
die in dem Herrn sterben, von nun an. 主のうちにあって死ぬひと、これよりのちに。
Ja, der Geist spricht, そうだ、と精霊は言います、
daß sie ruhen von ihrer Arbeit; かれらは労苦から解き放たれる;
denn ihre Werke folgen ihnen nach. かれらの成したことは後ろについてくるのだから。
(ヨハネ黙示録 14:13)


ヘ長調、4分の4拍子。「Selig sind die Toten, die in dem Herrn sterben…(『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』:新約聖書・ヨハネの黙示録14章13節)」と、空に広がり昇っていく雲のような前奏を受けて、天の声のようにソプラノが歌い始め、バリトンが引き続き同じ旋律を歌う。そして、迷いのなく安心した様子で、全声部が歌う。

「Ja, der Geist spricht,…(“霊”も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。』:新約聖書・ヨハネの黙示録14章13節)」とつぶやくように歌い始める。イ長調に転調し、「das sie ruhen…(然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る…)」とだんだん日が沈んでいくように、眠りを誘うように、静かに歌う。

再びヘ長調に戻り、「Selig sind die Toten,…」とテナーが歌い、他の声部も加わる。「安らかにお眠りください」と祈るように歌われ、静かに終わる。

イオンの葬儀サービス「お布施」に目安 「宗教介入だ」仏教界困った

イオンの葬儀サービス「お布施」に目安 「宗教介入だ」仏教界困った
2010年7月2日 産経新聞

 ■価格独り歩き? 遺族は歓迎?

 流通大手のイオンが、自ら手がける葬儀紹介サービスの中で「布施(ふせ)の価格目安」を打ち出したところ、仏教界が「布施に定価はない」と反発している。戒名(かいみよう)料などを渡す際に、寺から「お気持ちで結構です」と言われて、悩んだ人は多いはず。そんな声を受けて打ち出された価格目安だったが、寺側は「企業による宗教行為への介入だ」と受け止めている。(赤堀正卓)

 イオンが新しく始めたのは、葬儀の際に僧侶を紹介するというサービス。全国に約1700万人いるイオンカードの保有者向けに5月から展開している。

 浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗といった伝統教団各宗派の僧侶を、客の要望に沿った形で紹介するという。その中で戒名の種類別や読経の有無ごとに、布施の金額を「目安」として打ち出した。例えば「通夜」「葬儀」「火葬場での読経」「初七日」の読経に加えて、「信士」といった戒名をつけた場合は25万円を目安として示した。

 仲介料は取らない。従前から葬儀社を紹介する事業を展開しており、利益はその中から出すという。

 イオンのコーポレート・コミュニケーション部では「『布施の価格が分からずに困った』『寺に聞いても、はっきりと教えてくれない』といった声が多くあり、それに応えることにした」と説明。「疑問と不安のない明瞭(めいりょう)な価格を提示するのは当社の理念。8宗派、全国約600の寺院の協力も得られることになっている」と話す。

 この事業に困惑しているのが、全国の伝統仏教宗派で組織する全日本仏教会。理事会などで「営利企業が、目安と言いながらも、布施の料金体系化をはかっていいのか」などといった声が出されたという。

 全日本仏教会の戸松義晴事務総長は「布施をどう考えていいか分からないという声があるのは承知している」としながらも、「布施は言われて出すものではなく、出す人が額などを決めるもので極めて宗教的な行為。価格を決めて商品のように扱うのはいかがなものか」と指摘する。

 全日本仏教会では現在、各宗派にイオンの事業に対する見解を寄せるように通知している。それらをとりまとめた上で、状況によってはイオンに申し入れなどをするという。

 寺院のコンサル事業を手がける日本テンプルヴァン株式会社の井上文夫社長の話「布施や戒名料は、寺と檀家(だんか)の長い付き合いの中で決まっていくもので、営利企業が扱う筋合いのものではない。目安とはいっても、大企業が発表すればそれが『定価』として一人歩きしてしまう恐れがある」

 葬儀に関する著書などがある第一生命経済研究所の小谷みどり主任研究員の話「最近、事前に見積もり費用を明朗提示する葬儀社が多い。僧侶の読経も、信仰のない遺族からすればサービス財にすぎない。消費者の立場からすれば、布施価格の明示はありがたいのではないか」

イオンの葬儀・お葬式 (サービス内容やフェアのお知らせなどがあります、イオン)
  http://www.aeonretail.jp/aeonlife/


・「布施は言われて出すものではなく、出す人が額などを決めるもので極めて宗教的な行為。価格を決めて商品のように扱うのはいかがなものか」と全日本仏教会総長は言う。

確かにそうなのだが…、では、いくらでも僧侶は満足してくれるのだろうか。これは、価格破壊ではない!宗教行事に遭遇する機会の少なくなった現代人のマナーを守りたいという欲求からきていることだ。だから、安ければよいなどと考えている訳ではなく、そもそも、お布施と言われても見当がつかないのだ。

葬儀費用については、特に関心が高いので様々な書籍や情報が出ているので、リーズナブルに頼むこともできる。ただ、イオンを営利企業だから宗教とは違うと決めつけてもいいのだろうか。反対に言えば、大企業でありコンプライアンスや情報公開もしっかりしている企業の方が、正体不明の宗教団体よりも会計明朗ですっきりとしているはずだ。

私としては、ブライダル教団が結婚式を執り行うことは疑問がある。それでは、この場合はどうなのか…。少なくとも、普段から宗教に縁遠い人にはマナーとしても、相場としても、宗教的な行為としても何らかの目安が必要だと思う。記事にある小谷みどり氏は著書も多いし参考にされるといい。

追記
葬儀事業者における葬儀費用に係る表示の適正化について [PDF:738KB]
平成24年2月3日 消費者庁


<以下追加>

「お布施」の在り方で議論
2011年8月3日 NHK

葬儀や法事の際の「お布施」の在り方について、仏教関係者と企業の担当者などが討論するシンポジウムが開かれ、お布施の金額の基準などが必要だとする意見と、それに反対する意見が対立し、折り合いはつきませんでした。
東京都内で開かれたシンポジウムには、仏教に対する相談を受け付けている団体や、お布施の金額を示して僧侶を紹介している企業、それに、消費者団体の代表らが出席しました。この中で消費者団体などからは、お布施の金額の基準が示されず、納得できるものになっていないのではないかという疑問の声が出されました。これに対して、仏教関係者からは、お布施は本来、葬儀でお経を読む対価ではなく気持ちとして表されるもので、金額を明示することはできないと主張し、折り合いはつきませんでした。日本消費者協会の去年の調査では、葬儀の費用はこの20年間で最も少なくなるなど、このところ減る傾向にあります。シンポジウムを主催した「全日本仏教会」は、「意見の違いをそれぞれの立場でよく考えて、葬儀やお布施の在り方をさらに議論していきたい」と話しています。


ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう6


Brahms German Requiem Mvt 6 Part 1


Brahms German Requiem Mvt 6 Part 2

第6楽章 バリトン独唱と合唱

Denn wir haben hie keine bleibende Statt, われらここに永遠の地をもたず、
sondern die zukünftige suchen wir. しかるに、未来のものを求むればなり。
(ヘブライ書簡 13:14)
Siehe, ich sage euch ein Geheimnis: 見よ、あなた方に奥義を話しておく:
Wir werden nicht alle entschlafen, われらは全てが眠るのではない、
wir werden aber alle verwandelt werden; われらはしかし全て変えられる;
(第一コリントス書簡 15:51)
und dasselbige plötzlich, in einem Augenblick, 突然、瞬く間に、
zu der Zeit der letzten Posaune. 最後のラッパの時に。
Denn es wird die Posaune schallen, すなわち、ラッパが鳴り響き、
und die Toten werden auferstehen unverweslich 死者はよみがえり朽ちぬ者となり
und wir werden verwandelt werden. われらは変えられるのだ。
(第一コリントス書簡 15:52)
Dann wird erfüllet werden das Wort, das geschrieben steht: そのとき、書かれてある言葉が実現する:
Der Tod ist verschlungen in den Sieg.  死は呑みこまれてしまう、勝利のなかに。
Tod, wo ist dein Stachel?  死よ、どこにあるのだ、おまえの棘は?
Hölle, wo ist dein Sieg?  地獄よ、どこにあるのだ、おまえの勝利は?
(第一コリントス書簡 15:54/55)
Herr, du bist würdig 主よ、あなたこそふさわしい方
zu nehmen Preis und Ehre und Kraft, 賛美と誉れと力を受け取るのに、
denn du hast alle Dinge erschaffen, なぜなら、あなたは万物をつくりだしたのであり、
und durch deinen Willen haben sie das Wesen またあなたの意によってそれらは存在し
und sind geschaffen. つくられたのですから。
(ヨハネ黙示録 4:11)

ハ短調、4分の4拍子。「Denn wir haben hie keine bleibende Statt…(わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。:新約聖書ヘブライ人への手紙13章14節)」と合唱が不安な気持ちを打ち明けるように歌う。

それを受けて、「Siehe, ich sage euch ein Geheimnis:…(わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章51節)」とバリトンソロが強く説得するように歌う。そして、「そうなのか」と聞き入れ納得しているように、「Wir werden nicht alle entschlafen…(私たちは皆、眠りにつくわけではありません…)」と合唱がバリトンソロの言葉を繰り返しつぶやくように歌う。

「und dasselbige ploetzlich,…(最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章51節)」とバリトンソロが強く訴えかける。合唱が入り、ハ短調に転調。渦に巻き込まれるようにクレッシェンドする。

4分の3拍子に変わり、「Denn es wird die Posaune…(ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、私たちは変えられます。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章52節)」と迫って来るものを恐れるように合唱が叫ぶ。嵐のようにも感じられる。

「Dann wird erfullet werden das Wort,…(次のように書かれている言葉が実現するのです。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章54節)」とバリトンソロが告げる。

それを受けて、「Der tod ist verschlungen…(死よ勝利にのみ込まれた。死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。:新約聖書コリントの信徒への手紙15章55節)」と合唱が激しく強く問いかける。

2分の2拍子になり、「Herr, du bist wuerdig…(主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。:新約聖書ヨハネの黙示録4章11節)」と喜びに満ちて、栄光と誉れと力を讃えるフーガが歌われる。

ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう5


Brahms German Requiem Mvt 5

第5楽章 ソプラノ独唱と合唱

Ihr habt nun Traurigkeit; あなた方は、今は悲しんでいます;
aber ich will euch wieder sehen けれども、私はあなた方と再会しましょう
und euer Herz soll sich freuen, そのとき、あなた方の心は喜び、
und eure Freude soll niemand von euch nehmen. その喜びは何ものにも奪われません。
(ヨハネ福音書 16:22)
Sehet mich an: 私を見なさい、
Ich habe eine kleine Zeit 私はわずかの間の
Mühe und Arbeit gehabt ほねおり労苦で
und habe großen Trost funden. 大いなる慰めを見出しました。
(ベンシラの知恵 51:35)
Ich will euch trösten, あなた方を慰めましょう、
wie einen seine Mutter tröstet. 母がその子を慰めるように。
(イザヤ書 66:13)


ト長調、4分の4拍子。「Ihr habt nun Traurigkeit…(ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。:新約聖書ヨハネによる福音書16章22節)」とソプラノソロがお母さんのように温かく歌う。「Traurigkeit(悲しみ)」のあたりが一部短調になっており、静かに泣き崩れるようにも感じられる。それに続いて、「Ich will euch troesten,…(母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。:旧約聖書イザヤ書66章13節)」と合唱が慰めるように歌う。

変ロ長調に転調。「Sehet mich an: ich habe eine kleine Zeit…(目を開いて見よ。わずかな努力で、わたしが多きの安らぎを 見いだしたことを。:旧約聖書続編シラ書〔集会の書〕51章27節)」とソプラノソロが入り、このソロの後半でロ長調に転調し、合唱の「Ich will euch troesten,…」に受け継がれる。

ト長調になり、「Ihr habt nun Traurigkeit…」を再びソプラノソロが歌う。途中、ハ短調に変わるが、「aber(しかし)」で、すぐト長調に戻り、「ich will euch wiedersehen,und euer Herz soll sich freuen… (わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる…)」と続ける。そして、「Ich will euch troesten,…」と合唱がやわらかな表情をつけて歌う。

大阪の教会襲撃容疑で男を逮捕、連続事件も関与供述

大阪の教会襲撃容疑で男を逮捕、連続事件も関与供述
2010年7月4日 朝日新聞

 大阪市のプロテスタント系教会の玄関に消火器を投げ込んで扉を壊したとして、大阪府警は4日、器物損壊容疑で同府豊能町光風台5丁目の無職池田康政容疑者(29)を逮捕し、発表した。容疑を認めているという。近畿地方では2008年秋以降、プロテスタント系の教会ばかりが同様の手口で襲われる事件が72件あり、池田容疑者は「全部自分がやった」などと供述しているという。

 捜査1課によると、池田容疑者は4月27日午前4時20分ごろ、大阪市旭区今市2丁目の日本基督教団森小路教会の1階玄関に消火器1本を投げ込み、木製の扉を壊した疑いが持たれている。現場近くでは事件直前、フルフェースのヘルメットをかぶってミニバイクに乗った男が両足に消火器のようなものを挟んで教会方面に走り去る姿を防犯カメラがとらえており、府警が割り出しを進めていた。

 府警によると、池田容疑者は数年前まで、プロテスタント系教会に通っていたことがあるといい、府警の調べに対して「牧師に自分の願いを聞いてほしかった」などと話しているという。



・防犯映像が撮られていたことから逮捕は時間の問題だと思っていたら、やはり捕まった。

これで、京阪神の教会関係者はホッとしているだろうね。動機については、予想通りに教会に対する期待というか不満だったようだ。下記の容疑者の父親へのインタビューで、牧師との信頼関係のもつれが遠因にあるということが分かる。しかし、他教会への執拗な嫌がらせの意味はなんなのだろうか!?


キリスト教会事件

◆教会に消火器投げ込み容疑で男逮捕
 2010年7月4日 MBSニュース

 関西で70か所以上の教会に相次いで消火器が投げ込まれた事件で、警察は29歳の無職の男を逮捕しました。

 器物損壊の疑いで逮捕されたのは、大阪府豊能町の無職、池田康政容疑者(29)です。

 警察によりますと、池田容疑者は今年4月、大阪市旭区の「日本基督教団森小路教会」に消火器を投げつけ扉を壊した疑いで、付近の防犯カメラにはバイクで逃げる男の姿が映っていました。

 関西では、おととし以降、プロテスタント系の教会に消火器が投げつけられる事件が72件相次ぎ、犯行をほのめかす声明文も届いていました。警察は同一犯による犯行とみて捜査していました。

 「(池田容疑者は)教会に奉仕に行っていた。(牧師が)アメリカ・ロサンゼルスに修行のために行った。見捨てられたような感じになってた」(池田容疑者の父親)

 池田容疑者はプロテスタント系の教会に通っていたことがあるといい、「72件すべて自分がやった。牧師に自分の願いを聞いて欲しかった」と、容疑を認めているということです。



◆消火器投げ込みの疑い 男逮捕
 2010年7月4日 NHK

 大阪のキリスト教の教会に消火器を投げ込んだとして、29歳の無職の男が逮捕されました。関西では教会を狙った同じような事件が相次ぎ、男は70件以上の犯行を認めているということで、警察が詳しい動機を調べています。
逮捕されたのは大阪・豊能町の無職、池田康政容疑者(29)です。警察の調べによりますと、池田容疑者は、ことし4月、大阪・旭区にあるキリスト教の教会に消火器を投げつけて玄関の扉を壊したとして器物損壊の疑いが持たれています。警察は、教会の近くに設置された防犯カメラの映像に映った男とよく似ている池田容疑者から事情を聴いたところ、容疑を認めたということです。池田容疑者は以前、別の教会に通っていたということで、警察によりますと、「牧師に自分の願いを聞いてほしかった」と供述しているということです。関西のプロテスタント系の教会では、おととし9月以降、大阪や兵庫を中心に消火器が投げ込まれる事件が相次ぎ、池田容疑者は「70件以上の犯行を繰り返した」と供述しているということで、警察が詳しい動機を調べています。



◆教会に消火器投げる=2府2県で72件か、男逮捕―大阪府警
 2010年7月4日 時事通信

 大阪市旭区の教会に消火器を投げ付けドアを壊したとして、府警捜査1課などは4日、器物損壊容疑で、同府豊能町光風台、無職池田康政容疑者(29)を逮捕し、池田署に捜査本部を設置した。捜査本部によると、「牧師に自分の願いを聞いてほしかった」などと容疑を認めているという。

 大阪、京都、兵庫、滋賀の4府県では2008年9月以降、プロテスタント系のキリスト教関連施設に消火器や石が投げ込まれる事件が計72件発生。池田容疑者は関与を認めているといい、捜査本部が裏付けを進めている。

 

ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう4


Brahms German Requiem Mvt 4

第4楽章 合唱

Wie lieblich sind deine Wohnungen, なんと愛しいことでしょう、あなたの住まいは、
Herr Zebaoth ! 万軍の主よ!
Meine Seele verlanget und sehnet sich わたしの魂は切に求め憧れます
nach den Vorhöfen des Herrn; 主の前庭を;
mein Leib und Seele freuen sich わたしの身そして魂は喜びを覚えます
in dem lebendigen Gott. 生ける神の前にあって。
Wohl denen, die in deinem Hause wohnen, 幸いなるひとよ、あなたの家に住むひと、
die loben dich immerdar. あなたを常に讃えるひと。
(詩篇 84:1/2/4)


変ホ長調、4分の3拍子。「Wie lieblich sind deine Wohnungen,…(万軍の主よ、あなたのいますところは どれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。:旧約聖書詩編84章2-3節)」と合唱が静かに、平和で幸せな雰囲気をもって歌う。「verlanget und sehnet sich(切望し慕う)」の部分は、バスから順に歌い始め、願いが大きく膨らんでいくように声部が重なっていく。

「mein Leib und Seele freuen sich…(命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。:旧約聖書詩編84章3節)」の部分は、まっすぐ前進するような、迫ってくる様子を感じさせる。そして、冒頭の「Wie lieblich sind…」がやさしく再示される。

「Wohl denen, die in deinem Hause wohnen,…(いかに幸いなことでしょう あなたの家に住むことができるなら まして、あなたを賛美することができるなら。:旧約聖書詩編84章5節)」と幸せに満ちて歌う。「die loben dich immerdar(あなたをいつも賛美する)」の部分は、細かい動きのあるメロディーとゆったりとしたメロディーの二重フーガになり、「バンザイ!」と讃えていることが強く感じられる。

もう一度念を押すように、「Wie lieblich sind…」という言葉が戻ってくる。あこがれの気持ちが膨らむように、表現たっぷりと歌われる。

エアーズロックで女性が半裸に、アボリジニ団体が激怒

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エアーズロックで女性が半裸に、アボリジニ団体が激怒
2010年06月27日 AFPニュース

 「エアーズロック(Ayers Rock)」として有名なオーストラリア中部にある巨大な一枚岩「ウルル(Uluru)」で、女性がストリップショーばりに服をぬいで白いビキニ姿になり、この岩を聖地とみなす先住民アボリジニの逆りんに触れている。

 この女性、アリゼ・セリ(Alizee Sery)さん(25)は現地紙サンデー・テリトリアン(Sunday Territorian)に「アボリジニの文化ではウルルが聖地だというのは分かってるわ。アボリジニの人たちは昔は裸で住んでいたってことを思い出してほしいわ。服を脱ぐことは、かれらの文化に敬意を払って、昔に戻ることよ」と語った。

 しかしエアーズロックがある北部特別地域(準州、Northern Territory)のアボリジニの代表からなる中部土地評議会(Central Land Council)の会長デビッド・ロス(David Ross)氏は、セリさんの発言をまったく歓迎していない。

 ABC放送によるとロス氏は、エアーズロックの所有権をもつアボリジニたちが昔から言ってきたエアーズロックに上らないでという要求を、多くの人たちが無視していることを示す一例だと非難し、エアーズロック登山を禁止すべきだと力説した。

 一方のセリさんは、「あれだけきつい思いをして頂上に着いてあの光景を目にし、あの場所の魔法に触れたら、素晴らしい平和と自由の感覚に満たされて歌い、踊り、そして脱ぎたくなるわ」と悪びれる気配はまったくない。



・聖地を汚してもいいのだろうかという論争になりそう。観光地とはしては有名らしいが、これでさらに有名になりそう。半裸なのか、全裸なのかも不明。

 報道動画
 http://www.youtube.com/watch?v=XRsuBc1MUyU


エアーズロックで全裸、動画に怒りの声
2010年7月3日 MBSニュース

 世界遺産に指定されているオーストラリアの観光名所・エアーズロック。地元では登山禁止を求める声が強くなっています。その原因はネット上に投稿されたある動画でした。

 オーストラリア中心部に位置する世界最大級の一枚岩・エアーズロック。ここを訪れる観光客は年間35万人にもなります。しかし、オーストラリアの観光名所・エアーズロックへの登山の禁止が今、検討されています。

 原因はインターネットに掲載された映像でした。フランス人観光客の女性がエアーズロックの頂上で踊りながら服を脱ぐ様子が映されています。この映像が地元メディアで報じられたため、エアーズロックを「ウルル」と呼び、聖なる地とあがめる先住民・アボリジニから登山禁止を求める声が上がったのです。

 「自然を残すとか文化を考えたら(登山禁止は)しょうがないかなという感じ」(日本人観光客)

 当の女性は「昔は先住民も裸で生活していた」と釈明。しかし、その後も頂上でゴルフをしたり全裸で写真を撮る男性などが続出しています。

 エアーズロックをめぐっては登山禁止が検討されましたが、見送られたばかり。今回の問題で登山禁止の動きは再燃することになりそうです。


ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう3


Brahms German Requiem Mvt 3

第3楽章 バリトン独唱と合唱

Herr, lehre doch mich, 主よ、知らしめたまえ、
daß ein Ende mit mir haben muß, 終わりの定めあること、
und mein Leben ein Ziel hat, わが命の限りあること、
und ich davon muß. そこから去らねばならぬことを。
Siehe, meine Tage sind einer Hand breit vor dir, 見よ、わが日は一掌に過ぎぬ、あなたの前では、
und mein Leben ist wie nichts vor dir. そして、わが命は空にひとしい、あなたの前では。
Ach, wie gar nichts sind alle Menschen, ああ、なんと空しいことか、全ての人は、
die doch so sicher leben. 確かに生きているとしても。
Sie gehen daher wie ein Schemen, さまようこと影のように、
und machen ihnen viel vergebliche Unruhe; そして無意味なことに騒ぐ;
sie sammeln und wissen nicht, 集め蓄えるけれども、知らないのだ、
wer es kriegen wird. 誰の手にそれが収まるのかを。
Nun Herr, wes soll ich mich trösten? では主よ、何をわが慰めとすれば?
Ich hoffe auf dich. わが望みは、あなたにある。
(詩篇 39:4-7)
Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand 正しいものの魂は神の手にあり
und keine Qual rühret sie an. そしていかなる苦痛も届くことはない。
(知恵の書 3:1)


ニ短調、2分の2拍子。「Herr, lehre doch mich…(教えてください、主よ、わたしの行く末を わたしの生涯はどれ程のものか いかにわたしがはかないものか、悟るように。:旧約聖書詩編39章5節)」をバリトンソロが歌い始める。迷いと不安を切々と歌い、救いを求める。続いて合唱が、「Siehe, meine Tage…(ご覧ください、与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。:旧約聖書詩編39章6節)」と入り、恐れと無力感とをもって訴えかける。

イ長調、2分の3拍子に変わり、「Ach, wie gar nichts sind alle Menschen,…(ああ、人は確かに立っているようでも すべて空しいもの。ああ、人は影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし だれの手に渡るとも知らずに 積み上げる。:旧約聖書詩編39章6-7節)」と、まずバリトンソロが不安な様子で歌い、合唱が続く。

「Nun, Herr, wess soll ich mich troesten?…(では主よ、何に望みをかけたらよいのでしょう。:旧約聖書詩編39章8節)」との問いをバリトンソロに続き合唱が歌う。

ニ長調に転調、「Ich hoffe auf dich(わたしはあなたを待ち望みます。)」と合唱が懇願するように、三連符で呼びかける。

「Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand,…(神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。:旧約聖書続編知恵の書3章1節)」と、苦しみから解放される喜びと感謝の気持ちが、フーガで歌われる。

魂の言葉12

あなたが触れたすべてのものが変わる。
あなたが変えたものすべてが、あなたを変える。(オクタビア・バトラー)

・反対に言うと、変わらなければ本物ではないということ。

ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう2


Brahms German Requiem Mvt 2 Part 1


Brahms German Requiem Mvt 2 Part 2

第2楽章 合唱

Denn alles Fleisch es ist wie Gras 人はみな草のごとく
und alle Herrlichkeit des Menschen 人間の光栄はみな
wie des Grases Blumen. 草の花のごとし。
Das Gras ist verdorret 草は枯れ
und die Blume abgefallen. 花は散る。
(第一ペテロ書簡 1:24)
So seid nun geduldig, lieben Brüder, だから今は耐え忍びなさい、愛しい兄弟よ、
bis auf die Zukunft des Herrn. 主の来たるその時まで。
Siehe ein Ackermann wartet ごらんなさい、農夫は待っています
auf die köstliche Frucht der Erde 大地の尊い実りを
und ist geduldig darüber, そして耐え忍んでいます、その上に、
bis er empfahe den Morgenregen und Abendregen. 朝の雨と夕べの雨を迎えるまで。
(ヤコブ書簡 5:7)
Aber des Herrn Wort bleibet in Ewigkeit. しかし主の言葉は残る、永遠に。
(第一ペテロ書簡 1:25)
Die Erlöseten des Herrn werden wieder kommen 主に救われた人々はふたたび戻り
und gen Zion kommen mit Jauchzen; シオンへと歓呼の声とともに来たらん;
ewige Freude wird über ihrem Haupte sein; 永遠の喜びを頭上にいただき;
Freude und Wonne werden sie ergreifen 喜びと歓喜をつかみとり
und Schmerz und Seufzen wird weg müssen. そして苦悩と嘆息は消え去らん、必ずや。
(イザヤ書 35:10)


変ロ短調、4分の3拍子。重苦しい雰囲気で、「Denn alles Fleisch, es ist wie Gras…(人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。:新約聖書ペトロの手紙一1章24節)」と語る。絶望的で暗い雰囲気から、クレッシェンドしていき、「だからどうすればいいのだ?」と問いを投げかけるように、「Denn allesFleisch…」と強い口調で再び歌う。

変ト長調に転調。先の問いかけに対して、「So seid nun geduldig,…(兄弟たち、主が来られるときまで 忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで 忍耐しながら、大地の尊い実りを 待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。:新約聖書ヤコブの手紙5章7-8節)」とやさしく答える。

変ロ短調に戻る。再び、「Denn alles Fleisch,…」と重苦しく繰り返すが、突然、変ロ長調に変わり、確信を持って、「Aber des des Herrn Wort bleibet in Ewigkeit.(しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。:新約聖書ペトロの手紙一1章25節)」とfで叫ぶ。すぐに、4分の4拍子に変わる。「Die Erloeseten des Herrn werden wiederkommen… (主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて 喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え 嘆きと悲しみは逃げ去る。:旧約聖書イザヤ書35章10節)」と喜びを自信に満ちて歌う。

中国のキリスト者のために祈りを

中国のキリスト者のために祈りを
2010年5月21日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 日本のキリスト教信者数は人口の約1%、100万人前後と推定されているが、約13億人の人口を有する中国のカトリック教徒数も人口比ではほぼ1%だ。プロテスタント系教会メンバーも含めば、中国のキリスト教信者数は数千万人とみられ、信者数では既に韓国、フィリピンなどよりもはるかに上回っている。
 一部の情報によると、中国のキリスト教徒総数は中国共産党員数(2007年度約7500万人)を凌いだともいわれる。中国はもはや純粋な共産党政権国家とはいえないわけだ。
 欧州に亡命した中国反体制派グループから聞いた話だが、中国の共産党幹部は党員証より民間企業の会社名刺を持っていることを自慢するという。すなわち、企業の重役ポストの名刺が党員証よりも社会的ステイタスが高いわけだ。
 さて、中国の宣教に意欲を燃やすローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁では今月24日を「中国教会のために祈祷を捧げる日」として、信者たちに祈りを呼びかけている。これはローマ法王べネディクト16世のイ二シアティブに基づく。
 同16世は07年6月30日、中国のカトリック信者向けに「中国人への書簡」を公表し、そこで(1)中国共産党独裁政権下で弾圧を受けている地下教会の聖職者、信者への熱いメッセージ、(2)北京政権に対しては「信仰の自由」の保証、特に、バチカンの聖職者任命権の尊重を要求した。
 中国では1958年以来、聖職者の叙階はローマ法王ではなく、中国共産政権と一体化した「愛国協会」が行い、国家がそれを承認してきた。バチカンによれば、愛国協会は現在、中国を138教区に分け、司教たちが教区を主導している。一方、ローマ法王に信仰の拠点を置く地下教会の聖職者、信者たちは弾圧され、尋問を受け、拘束されたりしてきた。
 ただし、中国とバチカン両国はここにきて歩み寄りが見られる。というより、バチカン側の譲歩が目立つ。「愛国協会」公認司教をバチカン側が追認するケースが増えてきた。バチカンと中国両国の外交樹立が差し迫ってきた、という予測記事が流れるほどだ。
 なお、今年は中国宣教の基礎を築いたイタリアのイエズス会修道士マテオ・リッチ師(1552―1610年)の死後400年に当たる。



・中国のキリスト教については私はよく知らない。よく地下教会のためへの祈りだとか献金などと書いたトラクトを見る機会もあったが具体的に行動したことはない。この記事によると人口の1%程度であるが、人口が莫大だから信者数はかなりにのぼる。国策の愛国協会とバチカンを支持する地下教会の葛藤から和解ムードも出てきたという内容だ。ロシアなどは体制崩壊後に、こころの空白を埋める意味でロシア正教が再び脚光を浴びてた体制側との共通の利益から共存を果たしている。中国の場合は、もともとの宗教・倫理思想が根付いていることだろうから、共産党政権が何らかの危機に瀕した時には再び利用されるかもしれない。ただ、共産思想と宗教というものが簡単に結びつくことはないだろうし、愛国協会を発展させたものが現実的な将来像になるだろう。

ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう1


Brahms German Requiem Mvt 1

第1楽章 合唱

Selig sind, die da Leid tragen, 祝福されたるは、悲しみを負うひと、
denn sie sollen getröstet werden. 彼らは慰められるのですから。
(マタイ福音書 5:4)
Die mit Tränen säen, 涙とともに種を播くひとは、
werden mit Freuden ernten. 喜びとともに穫りいれるでしょう。
Sie gehen hin und weinen 彼らは出でゆき、そして涙し
und tragen edlen Samen, そして大切な種を負いゆき、
und kommen mit Freuden そして喜びとともに戻り
und bringen ihre Garben. そして実りの束を携えてきます。
(詩篇 126:5/6)


ヘ長調、4分の4拍子。静かに夜が明けていくように、この曲は始まる。「Selig sind die da Leid Tragen…(悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。:新約聖書マタイによる福音書5章4節)」と合唱がやさしく光がさすように歌い始める。前半は、夏の早朝の涼しく心地よい空気のような静けさとやさしさが感じられる。そして、寂しげである。

「Die mit Troenen saeen, werden mit Frueden ernten…(涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。:旧約聖書詩編126章5-6節) 」と続く。この部分は、広大な畑を耕す(刈り取る)人々の姿が浮かぶようである。88小節からの「und kommen mit Freuden」は刈り取る人の動きを描写しているようにも感じられる。この後半は、クレッシェンドしてfになり、寂しさは希望へと変化していき、喜びと安堵感をもってppで終わる。
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