ブラームス:ドイツレクイエム を聴こう0

最近、よく聴くのがブラームス:ドイツレクイエムである。合唱スコアも入手して少し本格的になっている。解説を読むと、随分と時間をかけて作曲されているのが分かる。合唱・独唱は詩編を歌っているので、他のレクイエムのような典礼文ではない。

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今まで、CDで良かったのは一般流通されていないクリスチャン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン/シェーファー(S)/シェーネ(Br)/ドレスデン国立歌劇場合唱団の実況放送録音。2003年2月13日にドレスデン空襲追悼のために行われた演奏会。一般の演奏会とは雰囲気が違い厳かな感じがする点と独唱の声が私にはマッチする。


―ブラームス≪ドイツ・レクイエム≫の魅力―
 Aki @ドイツ散歩道+The Web KANZAKI

1. はじめに

ブラームスの≪ドイツ・レクイエム 作品45≫(Ein deutsches Requiem Op.45)は、私にとって、最も印象深い楽曲の一つである。2000年1月に合唱団員として、この楽曲を演奏した。大変難しいメロディー、ハーモニーから生じる不思議な雰囲気、そして、ドイツ語のやわらかな響きに魅了された。それをきっかけに、ドイツらしさを探し求めドイツへ足を運んだり、ドイツ語を学んだりすることとなった。私に強い印象を与えた≪ドイツ・レクイエム≫の魅力に迫りたい。

2. 作曲された背景

この曲の成立の動機にはさまざまな説がある。1856年の夏、シューマンの死に接し、悲しみにくれたクラーラ(シューマン夫人)や友人たちの心を慰めることが成立動機のひとつになったといわれている。<中略> また、この作品がブラームスの母親の死と強く結びついているという説も、そのままには受けいれることはできない。時代的にみて、母親の死(1865年)でレクイエムの作曲がはじめられたわけではない。しかし、それがきっかけとなってレクイエムの完成をめざしたことは容易に考えられる。(門馬 1999:192-193)

3. ラテン語のレクイエムとの比較

≪ドイツ・レクイエム≫は、ドイツ語を歌詞とするレクイエムである。レクイエというのは、死んだ人のためのミサ、つまり、死んだ人の霊を鎮め慰める音楽で、一般にはラテン語の歌詞に付曲されている。(音楽の友社 1993:376)

ブラームスのレクイエムは、ルーテルの訳したドイツ語聖書や聖書外典に基づき、そこから自由に選んだ言葉をテキストとしており、単にドイツ語で歌われるということの他に、歌詞の内容からいっても、典礼音楽としての使用を全く想定していない点でも極めて異例のものであった。<中略> ≪ドイツ・レクイエム≫は7つの楽章から成っているが、この章の数はモーツァルトその他のレクイエムの場合と一致している。ブラームスのレクイエムが典礼を離れた音楽であるとはいえ、それまでのレクイエムの形式を全然意識していなかったとは考えられない。(西野茂雄 東芝EMICD解説:7-8)

しかし、ラテン語のレクイエムは、祈る側の言葉であるのに対して、ブラームスの≪ドイツ・レクイエム≫は、聖書の言葉からとっているため、その多くはキリストの言葉である。そのため、キリストが聴衆に語りかけ、慰めているような印象を受ける。これは、ラテン語のレクイエムと全く異なる。

5. 考 察

この曲に使われた言葉は、母親の死を悲しんでいるときに聖書を読み、ブラームス自身が慰められた言葉、彼の心に響いた言葉にであったのではないだろうか。母国語で書かれたレクイエムは、死者の霊を慰めるためというよりも、残された人びとの心を慰めるものとなっていると感じられる。第1~第6楽章では、人々の悲しみや恐れなどを描写し、そして、神の言葉によって慰められ、希望を持てるように変化していく心理を描写している。不安と恐れの渦の中で皆生きているのだと教えているようにも感じられる。このことから、身近な親しい人の死を受け入れ、「希望を持って生きられるように」とのブラームスの願いが込められていると考えられる。第7楽章は、天に昇る情景描写や「労苦から解かれて安らぎを得る」という言葉から、死者への祈りと感謝の気持ちが込められていると考えられる。

また、この曲を聴くと、ドイツの風景を映像として見ているような感じさえする。太陽の光、田園風景、人々の動きなどが描写されているように感じられる。私が実際に見たドイツの風景は、この曲を演奏しながら想像していたドイツの風景とぴったり合うものであった。この感動によって、音楽の大きな力を知り、もっと深く勉強しようと考えるようになったことに、改めて気づかされた。

6. 参考文献

音楽之友社編 作曲家別名曲解説ライブラリー⑦『ブラームス』 音楽之友社 1993
門馬直美 『ブラームス』 春秋社 1999
Brahms ≪Ein deutsches Requiem op.45≫ BREITKOPF&HAERTEL
『聖書 新共同訳-旧約聖書続編つき』 日本聖書協会 1988
CD:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 東芝EMI 1957
CD:オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団 東芝EMI 1961


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藤木正三 ほか『希望の旅路―聖書に聴く「老い」』(日本基督教団出版局)

『希望の旅路―聖書に聴く「老い」』
 李 仁 夏 岩村信二 大隈啓三 大橋 弘 金井輝夫 宍戸好子 清水 昭 辻 哲子 平方美代子 藤木正三 三永恭平 三好鉄雄 桃井綾子 吉田満穂(著)

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単行本: 181ページ
出版社: 日本基督教団出版局 (2001/12)
 
・藤木正三「野の花を思い、健気に生きる」119~130頁

随分と日本語でも使われなくなる言葉がある。健気(けなげ)という言葉も最近は聞かなくなってしまった。藤木師が受けた胃摘出手術を前に説教で語ったことを踏まえて、「老いる」ことへの考察がされている。

20年は伸びた寿命をどのように生きるのかという問題は切実だろう。生きるとは、何を食べて、楽しんで、生活していくかという問題となる。死がいつ訪れるのかが分からない以上は不安になることは当然としても、ただ生きていることに何となく疲れてしまうことも増してきているのではないだろうか。

生き甲斐という言葉ある。人間は社会的生物なので関係性を生きたいと思うのだが、それが叶えられない時代になってきている。孤独死とか無縁社会という言葉は使いたくないが急速に人間の関係性がバラバラになっているのが現代のようだ。

終の棲家をどうするのかという問題も難しい。ポックリ寺信仰が盛んなことも分かる。最期は誰かに看取られながら愛されて逝きたいというのは理解できることだ。マザー・テレサの始めた活動はまさに、この一点だったのだろう。

  現代文明の進展は、社会構造の変化と共に、老人の長命化そして多数化を生み、老いの問題を個人にとっては苦痛、家族にとっては負担、社会にとっては難問に変えてしまった。その変化は急激であり、今多くの老人は内心、生きる姿勢を決めかねているように思われる。(125~126頁)

  人は生きて来たように老いるのであって、「老い」の姿は極めて多様であり、無理をしてまでせねばならぬ老い方などないであろう。
  ただ「老い」は死の前奏であり、死はこの世の生の終わりであるから、「老い」は「終わりの受容」を修練する時と人生に位置付けねばならない。それを忘れしめるような前向きの勧めには、何か「老い」から目を逸らしめるような疎ましさがある。
  「終わりの受容」、これは諦めということではない、「生かされて生きていることの認容」のことである。
  その点、「野の花」に学ばねばならない。「生かされている」ことに端的となる。それが「野の花の健気さ」なのだが、それこそ終わりに直面している者の修練すべき課題であろう。(126~128頁)


藤木師は「生かされて生きている」の「生かされて」という点が希薄になっていることを指摘する。自らが何かの整えをして生きる以前に、すでに前提としてあることに気づきたいものだ。

「老い」と「死」はセットで考えたい。つまり、「死」を意識して生き始めるということが「老い」の自覚ということだろう。現代は「死」を避けて生活をエンジョイするハウツーに長けている。しかし、安らかに最期を迎えるためには覚悟が必要ではないのだろうと思う。その覚悟の中に、生かされているものとしての安心がほしい。

看護師の法則2

転落は予見できる

・転倒患者は、事前にその原因を予測できるのに対処していなかったことが多い。

「洋服」を「和服」にする努力

「洋服」を「和服」にする努力
2010年6月26日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 作家・五木寛之氏とカトリック教会司教・森一弘氏との対話集「神の発見」(平凡社)によると、日本のカトリック教会は17世紀のオランダの神学者ヤンセンの影響を受け、その教えは真面目で厳格な信仰を形成していったという。すなわち、日本のローマ・カトリック教会が魅力の乏しい教会となったのはオランダ人神学者のヤンセ二ズム(厳格主義)の影響が残っているからだというわけだ。
 神学者コルネリウス・ヤンセン(1585年~1638年)は人間の罪深さを強調する一方、人間の自由意思の弱さを主張し、厳格な信仰を要求してきた。ヤンセニズムはその著書「アウグスティヌス」の中で記述されている。特に、フランスに大きな影響を与えた。ちなみに、フランスの教会は当時、アジア宣教の責任を担っていたのだ。
 当方は日本を離れ30年になることもあって、日本のカトリック教会やその信者たちの実態を知らない。当方が小さい時、カトリック信者といえば、特定のエリートの信仰、意味は分らなかったが、ハイカラな信仰といったイメージを持っていただけだ。
 日本でキリスト教が広がらなかった主因について、当コラム欄でもいろいろと考えてきたが、日本のキリスト教宣教は、外国宣教師が日本民族の文化を無視し、厳格な信仰を一方的に押し付け、結局、反発されてきた歴史であったといえるかもしれない。
 キリスト教と好対照はインドから到来した仏教だろう。五木氏によると、仏教は、インド、中国を経由して独自の日本仏教を形成していった。それはインド仏教でも中国仏教でもない、「日本仏教」というわけだ。
 キリスト教の場合、日本独自のキリスト教はこれまでのところ生まれてこなかった。カトリック作家・遠藤周作が厳格で厳しい父性の神ではなく、許しと癒しをもたらす母性の神を追い求めていったことは良く知られている。それはヤンセン主義の強い信仰から脱皮し、日本人の肌に合ったカトリック信仰を模索したパイオニア的な試みだった、といえるだろう。カトリック劇作家の矢代静一は遠藤の試みを「少年のときに着せられた洋服(幼児洗礼)を自分の体に合った和服にする努力」と表現している。



・レビューを見ると、評価が分かれる本である。特に五木氏に対しての評価は辛辣であり、仏教や西欧思想についての見識が浅いという評価である。まあ、真摯な対談ではではなく、時のトピックを扱った放談というのが全体のトーンだろうか。
独自の仏教を形成したのは日本人の古来からの知恵であり、仏教そのものの持つ包容力ではないと考える。その点で、キリスト教も日本独自の発達をする予感はあるのだが、唯一神と普遍的神との整合は難しい。唯一神も天使たちが回りいたわけで、日本独自の神すらも序列があるから類似を指摘はできる。


◆神の発見 (角川文庫)
 森 一弘 (著), 五木 寛之 (著)
 文庫: 254ページ
 出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング) (2009/10/24)

看護師の法則1

看護師が疲れない体位変換は患者も安楽

・不測時の対応を準備して行うときは事故は起きないもの。怖さを知らずに行うときには事故は起きやすい。

福岡発ラジオ深夜便 「芸能」で伝わる博多の心 小松政夫

<インタビュー>
「芸能」で伝わる博多の心~博多の芸の心意気
コメディアン 小松政夫  聞き手 伊達正隆アナウンサー

NHKラジオ 福岡発ラジオ深夜便 6月25日(金)深夜 放送

・俳優・コメディアン小松政夫さんのインタビュー。俳優を目指して上京し、有名劇団の三次オーデションまでゆくが上納する金がなくて諦める。その後、いろいろな職業をして複写機のセールスをし始めた頃に、ある会社での人との出会いが彼の人生を大きく変えてゆく。車のトップセールスマンとして当時100万円の給与があったという。その後、植木等の付き人募集の広告を見て、再び芸能界への憧れを抱く。

 とても面白くジ~ンとする話である。それで、恐らく本も書いていると推測して調べたら下記の通りにまとめて書いていた。私が感じたのは、人生は出会いであるという小松の言葉だろう。良い上司にもとで何らかの力を発揮できた人は強い。‘のぼせもん’とは博多の言葉で、すぐに夢中になる、熱中しやすい人間のこと。

 なお、次の番組がNHKラジオで月一回放送されている。小松政夫をメインに、九州で活躍する人たちとの交友録。これも楽しい。

★博多屋台 こまっちゃん
  ラジオ第一 第4水曜 午後9時30分~<全国放送>


①『のぼせもんやけん―昭和三〇年代横浜 セールスマン時代のこと。』
 小松 政夫 (著)

役者に憧れて故郷を捨て、横浜の地に立った“のぼせもん”の青年・松崎雅臣=小松政夫。二年後、彼はなぜか車のトップ・セールスマンになっていた!?師匠・植木等に出会うまでの横浜トヨペット時代、良き先輩、良き仲間、良きお客様と繰り広げる、な~みだ、な~みだの奮闘記!!いま芸能界の大御所となった小松政夫が、今まで真正面から語られることのなかった芸能界以前の時代を綴る。

単行本: 205ページ
出版社: 竹書房 (2006/06)

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②『のぼせもんやけん2 植木等の付き人時代のこと。』
 小松政夫 (著)

植木等の付き人兼運転手として、銀座の地にやってきた<のぼせもん>の青年・松崎雅臣=小松政夫。六百倍の難関を突破したはずが、なんと自分以外にも付き人が・・・!?植木等の側につかえられる幸せと、新人時代の悪戦苦闘の物語。師弟愛と友情に彩られた”付き人時代”を描く、な~みだ、な~みだの奮闘記、感動の第2弾。

単行本(ソフトカバー): 221ページ
出版社: 竹書房 (2007/12/14)

群生海13

   妻

妻とふたり
小さい あきないをするのだが
妻は このあきないを
小さいとは思わず
精を出す

・精を出すという表現は最近は聞かなくなってきた。

ロシアの「洗礼の日」を法定祝日に

ロシアの「洗礼の日」を法定祝日に
2010年4月24日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ロシア民族の「キリスト教化の日」を法定祝日とする動議がロシア議会(下院)第一読会で協議され、賛成多数で採決された。具体的には、ロシア民族の「洗礼の日」に当たる「7月28日」を国の祭日とする案だ。
 22日付のオーストリアのカトリック通信社(カトプレス)によれば、同動議を提出したマルコフ議員は「ロシアのキリスト教化は民族にとって非常に重要な瞬間だった。その日を期して、ロシアは欧州文明の一つとして受け取られるようになった」と説明した。
 歴史的に見ると、キエフ大公国のウラジミール大公は988年7月28日、ビザンティン帝国からキリスト教(東方正教)の洗礼を受け、キリスト教を国教とすることを決定している。キエフ大公は現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシ(白ロシア)を含む。伝説によると、ウラジミール大公はアンナとの婚礼を契機にキリスト教に改宗したという。ロシア正教会は12世紀、同大公を聖人としている。
 宗教祭日といえば同国ではこれまで正教会のクリスマスに当たる「1月7日」の一日だけだ。ロシア正教会は過去2年間、民族がキリスト教の洗礼を受けた日を祭日とすべきだと要求してきた。
 ロシア正教会と友好関係を築くメドベージェフ大統領とプーチン首相は昨夏、「7月28日の祭日化」と提案している。
 ちなみに、同動議に強く反対しているのは野党のロシア共産党の1党だけだ。同党は昨年11月、ロシア国歌の歌詞から「神」に言及した個所を削除するように要求した改正案を連邦下院に提出している。
 なお、ウクライナでは2008年、同国のキリスト教化の日を既に法定祝日としている。



・1/7は既に祭日らしい。7/28は大公の洗礼日ということ。ロシアの祝祭日については詳しくは知らないが、祝日となるのだろうか。ロシア正教は、政府との関係を相互に強化し盤石な力を持つに至っている。


ロシアの祝日 Russian REPORT
ロシア サンクトペテルブルグ情報:ロシアン・リポート

1月1日 新年

1月7日 ロシア正教のクリスマス

2月23日 祖国英雄の日
本来は、赤軍が組織された日にちなんだ軍人のための祭日だったが、現在では3月8日の「女性の日」に対する「男性の日」となっている。日本のバレンタインデーに近い。以前は休日ではなかったが、2002年から休日に制定された。

3月8日 国際婦人デー
「女性のための祝日」である。男たちは恋人や妻や母親にプレゼントを渡し、いつもは亭主関白な夫でもこの日ばかりは愛妻のために料理の腕をふるったり、素敵なレストランに連れていったりする。この日街を歩く男たちは手に手に花束やプレゼントを持っている。ちなみに、生徒たちは学校の先生にもプレゼントを渡さなくてはならない。

5月1日 春と労働の祝日
旧メーデーが名前を変えたもの。サンクトペテルブルグではエルミタージュ前の宮殿広場で集会が行われ、その後パレードになる。

5月9日 ドイツ戦勝記念日
第二次世界大戦時にドイツが降伏した日。サンクトペテルブルグでは当時の軍人たちが勲章をつけてネフスキー大通りをパレードする。

6月12日 ロシアの日
ソ連末期の1990年にロシア連邦の国家主権宣言が採択された日。

11月4日 民族統一の日
1612年にモスクワがポーランドの支配から自由になった日。2004年末の国会で採択され2005年から制定。


魂の言葉10

できることなら何でも、夢見られることなら何でも、いますぐ始めたまえ。
大胆さには、才能、力、魔力がある。
さあ、いますぐ始めたまえ。(ゲーテ)

・ある大胆さがツキを呼んでくることがある。始めなければ、はじまらない。

書評『神様は、いじわる』(さかもと未明)

[書評]神様は、いじわる [文春新書](さかもと未明)
2010.06.20 極東ブログ

 どうしてこんな不幸が自分にだけやってくるのだろう。そう途方に暮れたことのない人は、うらやましいと私は思う。特に深刻な病気は耐え難い。有史以来、多くの人が不遇の人生を歩み、悩み、考え、記した。旧約聖書にもこのテーマがある。

 ヨブという正しい人が、神様の命令で悲惨な病気になる。病気を直接もたらしたのはサタンだ。といってもこの時代のサタンは後の西洋史の悪魔とは少し違うが、サタンは神のそばにいながら、ヨブの信仰を疑っていた(神を疑っていた)。そこで神様に、あんな正しいフリをしているヨブでも、理不尽な病気になれば、神様、あなたを呪いますよと進言した。神様は、ではそうするがよいだろうとサタンに命じた。ヨブは苦しみながら神を呪った。
 この話にはハッピーエンドが付いている。そこでユダヤ教徒もキリスト教徒も信仰に慰めを得ている。聖書学を学んだ私は、そのエンディングが、この悲惨な物語に耐えられなかった後代の加筆であることを知っている。本当の物語は、ヨブは苦しみ、神を呪って終わった。本当はなんの救いもなかった。ただ、それでもヨブは神への信仰を失わなかった。なぜか?
 筋の通った答えはない。信仰はその結論であって答えではない。答えは、そうした境遇を生きた人の人生のなかにしかない。漫画家さかもと未明さんは、その答えを出した。いや、他人から見えるものは、答えというものではないだろう。それでも、現代日本のなかで、彼女はヨブの物語を顕現させた。この手記「神様は、いじわる」の五章を読み終えたとき私は突然、嗚咽した。体じゅう震えた。同情もある。それ以上のこともある。
 さかもと未明さんが、難病の全身性エリテマトーデス(SLE)に罹患していたことはずっと知らなかった。
 2007年11月、漫画家の命ともいえる指先が腫れて痛んだ。棘が刺さったような褐色点もある。皮膚科で検診し様子を見たが治らず、膝も痛むようになった。大学病院で検診してSLEの診断を得た。強皮症の抗体も出た。シェーグレン症候群もある。休む間もない売れっ子に突然入院が勧められた。「なおせないんですか」と医師にむなしく聞いた。この病気にも治るということがない。


  わたしは悲しんだり絶望するより先にお金や仕事の事で頭をいっぱいにしながら病院を後にした。
 「悲しい」という気持ちがわきあがってきたのは、それから何時間もたった帰り道の路上だった。


 あれかと思う人もいるだろう。
 物語はSLEに至る前史から始まる。診断の一年前から不調はあった。それは社会的な成功という意味での幸福の絶頂に重なるものだった。その明暗は痛々しいほどだが、さなか、北朝鮮拉致問題に取り組む横田滋・横田早紀夫妻と知り合うことになる。
 この出会いは、本書のひとつの、不思議なテーマとなっていく。言うまでもなく、ご夫妻の娘さん、横田めぐみさんは、13歳のときに北朝鮮に拉致された。日本で暮らしていたらどのように育ったか。さかもと未明さんは、めぐみさんより1つ年下で、夫妻からすれば自身の娘のように見える。さかもとさんにしてみると、夫妻との出会いは、彼女自身の親の関係を修復していくきかっけになっていく。奇跡というものが、こっそりとこの世界に光を差し込む。
 物語はさらに遡及し、子供時代、とくに悲惨な家庭生活に及ぶ。壮絶な青春も描かれるなかで、その壮絶さに拍車をかけているのが、彼女の表現者としての癒えることのない乾きだ。なんども人生をこんなものだと諦めようとして諦めることができず、それは傍から見れば無謀なものになっていく。私も彼女作品をいくつか読んだが、そうした無謀な人にしか思っていなかった。
 この地獄図は、しかし、女性手記や通俗小説にある凡庸さにも覆われている。悪口のようだが、さかもとさんの語り口調も、香具師の口上といった滑らかさがある。疾病以前からなんども書き、繰り返された物語もあった。
 が、この家族の悲惨さという凡庸な悲劇は、直球のような和解で変化していく。私は読みながら、和解に安堵するよりも、痛ましく思えてならなかった。幸せでも不幸でも、人生の半ばを過ぎたら人は親を捨てるほうがよいと私は思っている。親との心の葛藤など、生涯解決できっこないものだとも思う。さかもとさんの親との和解のは間違いではないとか不安な思いで読む。
 ここにも不思議な奇跡の光が差し込む。暴力をふるっていた父は変わった。もっと心揺すぶられるのは、20年も離れていた彼女との弟の再会だった。憎んで離れていたわけではない、ただ離れていた。大人になって姉弟は普通に再会するのだが、このシーンには人生というものの独特の味わいがある。
 物語の後半は難病生活になる。それは、表面的な社会的成功からの引退でもある。そのプロセスは芸能界やマスコミというものの裏側を結果的にうまく描き出していて興味深い。よく言われるような醜聞はない。こういう世界は本当に実力の世界なのだと思い知らせれるリアリズムがある。
 漫画家として、これも結果論ではあったが、性をよく描いてた彼女にとって、性とはなんであったかについても、本書は伏線のように描き出していく。その部分は、難病と同じほどに重たい問いかけに満ちている。子供が欲しかったのだろうかと問い、幻想なのかで夏の蝉の声を聞く描写は、痛ましいというのとも違うし、悲しいというのでもない。なんとも言い難い。蜻蛉日記を読み終えたときのように胸に沈むある種の感動がある。人にとって幸せとはなんだろうか。不幸とはなんだろうか。そうしたありきたりの問いでは答えられないものが、なぜ人生には存在するのだろうか。
 終盤、死病を抱えながらも新しい人生を見いだしていく過程は、きちんとした感動と希望に満ちている。そして最後は、神へ感謝で終わる。
 いや、それはどこかしら終わりではないと私は思う。さかもとさんは、まだ物語を終えていない。待ちましょう。待つことは、あなたに物語に感謝する人たちもまだ生きづつけていることでもあるのだから。



・病気にどのように向き合うかということは大きな問題である。私は、この漫画家の作品も知らないし、どのような作品を描いているのかもしらない。しかし、この書評を読んだだけでも、病が大きな物語を作り、ある時は家族の和解といったことも引き起こす。治療不能といった病気は数知れず、また現代の治療は身体に多大な負担をかける。ヨブの話は、聖書では最後にハッピーエンドで終わる。しかし、ヨブはそうした結末如何に関わらずに自らに課せられた病を引き受け、家族に降りかかる災難をじっと受け入れたに違いないと私は考える。聖書の中でヨブ記を引き合いに出して語る人は多い。それは、人生そのものが書かれているから共感できるためであろう。善人で忠実なヨブが、最大に不幸に陥るという逆説。そうなのだ、神に従えば、この世の中で全てのものが手に入るわけではない。本書は神への感謝で終わるという。そう、病が治ったことでの感謝なのではない。病を含めて今あること、神を知っていることへの感謝なのだろう。

群生海12

   冥恩  家と店 自転車で三十分の距離

二坪半の店
十坪の家
四人の子どもと妻
これが私の
今日までの全部である
少しあわれなようであるが
冥恩をかんずること切である

・この詩には、榎本師の生活すべてが表現されている。こうした平凡に思える事実に思いを馳せたい。

独旧教会の昨年度教会脱会者数

独旧教会の昨年度教会脱会者数
2010年5月30日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 独ローマ・カトリック教会の2009年度教会脱会者数は12万3585人で、前年度(12万1155人)比で微増した。
 同教会司教会議議長ロベルト・ツォリチィ大司教が同国27教区の脱会者数を合計した数字だ。昨年度の統計だから、聖職者の未成年者への性的虐待事件の影響はまだ反映していないが、「懸念すべき数」(ツォリチィ大司教)であることには変らない。
 また、昨年度の洗礼者数は約17万8000人(前年度18万5600人)だ。主に、新生児の洗礼数だ。その他、約4000人が教会に入会し、約8500人が再入会している。
 上記の数字からいえることは、新生児の洗礼数が教会脱会者数を上回っている限り、教会の勢力は急速に低下することはないということだ。実際、ローマ・カトリック教会の信者数は微増だが、増え続けている。世界で今日、11億人を超えるカトリック信者がいる。
 ここまでくると、「聖職者の未成年者への性的虐待問題で信者たちが教会から大量脱会したとしても、教会の土台は揺るがないのではないか」と質問されれば、信者数では「その通りだ」と答えざるを得ない。
 しかし、それは教会脱会者数と洗礼者数を同列に置いて計算することからくる錯覚だ。実際、ツォリチィ大司教は「洗礼者が多いということは、教会が生き生きしている証拠だ」と誇示している、
 前者と後者はその意味するところがまったく異なる。新生児の洗礼は、キリスト教会社会では一種の通過儀式だ。洗礼を受ければ、立派に信者に数えられる。問題は、教会脱会者数の増加であり、幼児洗礼者の数に騙されてはならない。少子化が急速に進む欧州では、幼児洗礼者も減少傾向にある。
 そのように考えれば、ドイツ教会の昨年度の実質的成果は新加入者と再加入者を合わせた数、1万2500人だ。教会脱会者数の12万3585人にははるかに及ばない数字だ。独教会司教会議が洗礼者の数を喜んでいたら粉飾財政で破綻したギリシャの二の舞となるだろう。独ローマ・カトリック教会は次第に溶け始めているのだ。



・きちんとした数字が出ているのが羨ましい感じがする。日本人は仏教・神道・新興宗教…と足し合わせると人口を超える数字になるのは有名な話。幼児洗礼は厳密には信仰告白ではないだろうから、脱会者は多いと言える。

魂の言葉9

すべて奇跡だ。
例えば、風呂に入ったとき あなたがお湯に溶けてしまわないことだって。(パブロ・ピカソ)

・ピカソらしい例えなのかもしれない。なんで生きているのかは分からないね。

<ダライ・ラマ14世>「英語学び貢献を」 若者自殺に懸念

<ダライ・ラマ14世>「英語学び貢献を」 若者自殺に懸念
2010年6月19日  毎日新聞

 訪日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が19日、東京都内の日本外国特派員協会で講演し、日本の若者の間で自殺者が増えていることに懸念を表明した。ダライ・ラマは「内に閉じこもるのではなく、世界の共通語である英語を学んで、アフリカやラテンアメリカなど外の世界に飛び出して貢献してほしい」と訴えた。

 ダライ・ラマは「日本は技術的に進んだ国だが、若者が過剰なストレスと孤独感に悩んでいる。自殺者が増えているとも聞いている」と述べた。その上で、「英語を学び、外に出る。これが重要だ」と述べた。インドでの亡命生活を強いられながら、英語を使って世界各地で支持者の輪を広めてきた自身に、日本の子供たちの将来を重ね合わせたようだ。

 ダライ・ラマは「ただし(市民虐殺事件の責任を問われ禁固刑が確定した)フジモリ(元ペルー大統領)のようになってはいけないよ」とユーモアたっぷりに話し、会場を沸かせた。

 訪日については、「思いやりと非暴力のメッセージを広めるのがねらい。政治的な目的はない」と述べ、日本政府と接触するつもりがないと表明した。開催中のサッカー・ワールドカップ(W杯)の行方についての質問には、「まったく興味がない。スポーツのルールが分からない」と答え、笑いを誘った。



・なぜフジモリさんを引き合いに出しているのかな。英語は武器になると知っているのはさすがだね。外に出るということは、発想の転換のを迫るものだ。
就職の決まらぬ人、結婚ができない人、何をしていいのかわからない人…その答えの一つが異なった環境で逞しく生きている人たちの存在を知ることだろう。日本は非常に均一な国民性を持つ特異な国であり、そのために生きずらいと感ずるとことも大いにある。

群生海11

   柿

私という柿
熟するのは
私の 死後になりそうだな
何しろ この柿
熟するのに
まだながい年月が
かかるので

・熟するのは何時のことか…。

日本の若者は海外雄飛を=ダライ・ラマが激励

日本の若者は海外雄飛を=ダライ・ラマが激励
2010年6月19日 時事通信

 来日中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(74)が19日、都内で記者会見し、「日本の若者は英語を学び、中東やアフリカ、ラテン・アメリカなどへ積極的に赴き、その発展に大いに貢献すべきだ」と述べ、海外雄飛を勧めた。閉塞(へいそく)感に満ちた現代日本の若者にメッセージを送ってほしいとの質問に答えた。

 ダライ・ラマはまた、「今回の来日の主な狙いは、非暴力主義や慈悲の精神を広めることにある」と政治的訪問でないことを強調。「そのためには政府の指導者より民衆が大切だ」と述べた。

 一方、開催中のサッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会でどのチームが優勝すべきかと質問されたが、「ルールも分からず、全く興味がない」と答え、会場の笑いを誘った。

 

・台湾やチベットの要人が来日すると某国からクレームがくる。
それにしても、サッカーにも全く興味を示さないこと、さすがに大物だ。
ユーモアの精神、世界中の宗教指導者が身に着けたいものだ。

魂の言葉8

人生とは、解くべき謎なのではなく、経験すべき事実。(キルケゴール)

・丸ごとが人生なので、知識偏重の謎ではない。経験して分かることばかりだ。

マーチン・ルーサー・キングのスピーチ-私には夢がある!


Martin Luther King "I have a dream"

マーチン・ルーサー・キングのスピーチ-私には夢がある!
1963年8月28日

Martin Luther King's Speech - I Have A Dream!
August 28, 1963


Iam happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation.
私は、我が国の歴史の中で、自由のため最も偉大なデモンストレーションとしてに歴史に残る集会に、今日、皆さんと共に参加できて幸福です。
Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand today, signed the Emancipation Proclamation.
今から100年前に、我々が今日その像の下に立っている偉大なるアメリカ人(=リンカンー大統領)が、奴隷解放宣言に署名しました。

This momentous decree came as a great beacon light of hope to millions of Negro slaves who had been seared in the flames of withering injustice.
この重要な宣言は、それまで燃えさかる不正義の炎に焼き焦がされてきた何百万もの黒人奴隷たちにとって、希望を示す素晴らしい灯りでした。
It came as a joyous daybreak to end the long night of their captivity.
それは奴隷制度のもとでの長い夜の終わりを告げる喜びの夜明けでした。

But one hundred years later, the Negro still is not free.
しかし、あれから100年たった今、黒人が、いまだに自由ではないのです。
One hundred years later, the life of the Negro is still sadly crippled by the manacles of segregation and the chains of discrimination.
100年たった今、黒人たちの生活は、人種隔離の手かせと人種差別の足かせに縛られています。
One hundred years later, the Negro lives on a lonely island of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity.
100年たった今、黒人たちは物質的繁栄の広大な海の中で、貧困という孤島に暮らしているのです。
One hundred years later, the Negro is still languished in the corners of American society and finds himself an exile in his own land
100年たった今、黒人たちはいまだにアメリカ社会の片隅で苦しんでいて、自分たちの国の中で島流しにされているのです。
So we have come here today to dramatize a shameful condition.
私たちが今日この場に集まったのは、この恥ずべき状態を広く世に訴えるため。

In a sense we've come to our nation's capital to cash a check.
ある意味で、私たちは、小切手を現金に換えるために、私たちの国の首都に来たのです。
When the architects of our republic wrote the magnificent words of the Constitution and the Declaration of Independence,
私たちの共和国の創設者が、憲法と独立宣言のすばらしい言葉を書いたとき、
they were signing a promissory note to which every American was to fall heir.
彼らはあらゆるアメリカ人が享受すべき約束手形に署名したのです。
This note was a promise that all men, yes, black men as well as white men, would be guaranteed the "unalienable Rights" of "Life, Liberty and the pursuit of Happiness."
この手形は「生命、自由および幸福追求」の「譲ることのできない権利」がすべての人(そうです白人と同様に黒人も)に保証されるだろうという約束でした。
It is obvious today that America has defaulted on this promissory note, insofar as her citizens of color are concerned.
有色人種の市民に関する限り、アメリカがこの約束手形の履行をおこたっていることは、今日明白です。
Instead of honoring this sacred obligation, America has given the Negro people a bad check, a check which has come back marked "insufficient funds."
この神聖な義務を守る代わりに、アメリカは黒人たちに不渡り小切手(「残高不足」とマークされて戻った小切手)を与えているのです。

But we refuse to believe that the bank of justice is bankrupt.
しかし、私たちは、正義の銀行が破産していると思うことを拒否します。
We refuse to believe that there are insufficient funds in the great vaults of opportunity of this nation.
私たちは、この国の「機会」という金庫が残高不足になっていると信じることを拒否する。
And so, we've come to cash this check, a check that will give us upon demand the riches of freedom and the security of justice.
したがって、私たちはこの小切手(我々に自由という富と正義の保証を要求に応じて与えてくれる小切手)を現金にするために来たのです。

We have also come to this hallowed spot to remind America of the fierce urgency of Now.
我々は、また、アメリカに今の激しい緊急性を思い出させるために、この神聖な場所に来ました。
This is no time to engage in the luxury of cooling off or to take the tranquilizing drug of gradualism.
今は、クーリングオフをやったり、漸進主義という精神安定剤を飲むというような悠長な時ではないのです。
Now is the time to make real the promises of democracy.
今こそ、民主主義の約束を実現するときです。
Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice.
今こそ、隔離され暗く荒涼とした谷から人種平等の太陽に照らされている道に上ってゆく時です。
Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood.
今こそ、私たちの国を、人種差別の泥沼から、兄弟愛の硬い岩へと持ち上げる時なのです。
Now is the time to make justice a reality for all of God's children.
今こそ、全ての神の子が実際に正義を手にするときです。

It would be fatal for the nation to overlook the urgency of the moment.
国家が現在の緊急性を見落とすのは致命的でしょう。
This sweltering summer of the Negro's legitimate discontent will not pass until there is an invigorating autumn of freedom and equality.
黒人の正当な不満が渦巻く蒸し暑い夏は、自由と平等のさわやかな秋になるまで、終わらないでしょう。
Nineteen sixty-three is not an end, but a beginning.
1963年は終わりではなく、始まりの年なのです。
And those who hope that the Negro needed to blow off steam and will now be content will have a rude awakening if the nation returns to business as usual.
黒人にはうっぷん晴らしが必要だったがもう収まるだろうと期待している人々は、この国がこのままもとの生活に戻ってゆくならいやな思いをすることになるでしょう。
And there will be neither rest nor tranquility in America until the Negro is granted his citizenship rights.
黒人に公民権が保証されるまで、安息も平静もアメリカにはあり得ないでしょう。
The whirlwinds of revolt will continue to shake the foundations of our nation until the bright day of justice emerges.
正義が行われる明るい日が出てくるまでは、反乱の嵐は我が国の基礎を揺るがし続けることになるでしょう。

But there is something that I must say to my people, who stand on the warm threshold which leads into the palace of justice:
しかし、正義の殿堂にいたる暖かな入り口に立っている仲間に言わなければならない事があります。
In the process of gaining our rightful place, we must not be guilty of wrongful deeds.
我々の公正を得る過程で、我々は間違った行為を犯してはなりません。
Let us not seek to satisfy our thirst for freedom by drinking from the cup of bitterness and hatred.
自由への乾きを、恨みと憎悪の杯を口にすることで満たそうととしてはなりません。

We must forever conduct our struggle on the high plane of dignity and discipline.
我々は尊厳と規律の高い次元で我々の闘いを永遠に実行しなければなりません。
We must not allow our creative protest to degenerate into physical violence.
我々の創造的な抗議が物理的な暴力に陥るのを許してはなりません。
Again and again, we must rise to the majestic heights of meeting physical force with soul force.
何度も繰り返します、私たちは魂の力で物理的力に立ち向かうとい荘厳な高みに上らなければなりません。
The marvelous new militancy which has engulfed the Negro community must not lead us to a distrust of all white people, for many of our white brothers,
黒人社会をのみ込んでいる素晴らしい新しい闘志が、全ての白人の人々に対する不信に至ってはなりません、なぜならば、白人の兄弟の多くは、
as evidenced by their presence here today, have come to realize that their destiny is tied up with our destiny.
今日ここに彼らが存在することで明らかなように、彼らの運命が我々の運命に結びつけられると理解するようになったのですから。
And they have come to realize that their freedom is inextricably bound to our freedom.
そして、彼らの自由が我々の自由と密接不可分に結びついていると理解するようになったのですから。

We cannot walk alone.
我々は、単独で歩くことはできません。
And as we walk, we must make the pledge that we shall always march ahead.
そして、歩くとき、私たちは前進し続けることを心に誓わなければなりません。
We cannot turn back.
我々は引き返すことができないのだから。
There are those who are asking the devotees of civil rights, "When will you be satisfied?"
熱心な公民権運動家に「あなた方はいつになったら納得するのでしょうか?」と尋ねる人々がいます、
We can never be satisfied as long as the Negro is the victim of the unspeakable horrors of police brutality.
黒人が警察の残虐行為によることばに表せない恐怖の犠牲者である限り、我々は決して満足することができない。
we can never be satisfied as long as our bodies, heavy with the fatigue of travel, cannot gain lodging in the motels of the highways and the hotels of the cities.
私たちが旅の疲れで重くなった身体なのに、高速道路に(黒人の)泊まれるモーテルが無く、街に(黒人の)泊まれるホテルがない限り、我々は決して満足することができない。
We cannot be satisfied as long as the negro's basic mobility is from a smaller ghetto to a larger one.
私たちは、黒人の移動範囲が基本的に小さなゲットーからより大きなゲットーになったにすぎないのである限り満足することができない。
We can never be satisfied as long as our children are stripped of their self-hood and robbed of their dignity by a sign stating: "For Whites Only."
私たちの子どもが「白人専用」の標識によって彼らの個性をはぎ取られ、彼らの尊厳を奪われている限り、我々は決して満足することができない。
We cannot be satisfied as long as a Negro in Mississippi cannot vote and a Negro in New York believes he has nothing for which to vote.
ミシシッピーの黒人が投票することができない限り、ニューヨークの黒人が投票しても無駄だと信じる状態が続く限り、私たちは決して満足することができません。
No, no, we are not satisfied, and we will not be satisfied until "justice rolls down like waters, and righteousness like a mighty stream."
決して決して、我々は満足していない、「正義が水のようにこぼれ落ち、公正さが強力な流れになる」まで満足することはないでしょう (アモス書5-24)

I am not unmindful that some of you have come here out of great trials and tribulations.
私はあなた方の中には大変な試練と苦難をへてここに来た人々がいる事に無頓着ではありません。
Some of you have come fresh from narrow jail cells.
あなた方の何人かは、狭い刑務所の独房から出てきたばかりの人もいるでしょう。
And some of you have come from areas where your quest -- quest for freedom left you battered by the storms of persecution and staggered by the winds of police brutality.
あなた方の何人かは、自由を求めたために迫害の嵐に見舞われ警察の残虐行為の暴風によろめくままにされている地域から来た人もいるでしょう。
You have been the veterans of creative suffering.
あなたは創造的苦難のベテランでした。
Continue to work with the faith that unearned suffering is redemptive.
不当な苦しみは贖罪的であると信じて闘い続けてください。

Go back to Mississippi,
戻ろうミシシッピーへ、
go back to Alabama,
戻ろうアラバマへ、
go back to South Carolina,
戻ろうサウスカロライナへ、
go back to Georgia,
戻ろうジョージアへ、
go back to Louisiana,
戻ろうルイジアナへ、
go back to the slums and ghettos of our northern cities,
戻ろう北部の街のスラムやゲットーに、
knowing that somehow this situation can and will be changed.
この状況はなんとしても打開するし、打開されることを信じて。
Let us not wallow in the valley of despair.
絶望の谷を彷徨うのはもうやめよう。
I say to you today, my friends, so even though we face the difficulties of today and tomorrow,
わが友よ。われわれは今日も明日も困難に直面しているが,
I still have a dream.
それでもなお私には夢があるといいたい
It is a dream deeply rooted in the American dream.
それはアメリカン・ドリームに深く根ざした夢なのだ。

I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal."
私には夢がある、つまりいつの日か、この国が立ち上がり、「我々はすべての人々は平等に作られている事を、自明の真理と信じる」というこの国の信条を真の意味で実現させることだ。(アメリカ独立宣言)

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢が。
I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.
私には夢がある。今、差別と抑圧の炎熱に焼かれるミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変われる日が来るという夢が。

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
私には夢がある。私の四人の幼い子ども達が、いつの日か肌の色ではなく人格そのものによって評価される国に住めるようになるという夢が。

I have a dream today
今日、私には夢がある!

I have a dream that one day, down in Alabama,
私には夢がある、いつの日かこのアラバマでも、
with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of "interposition" and "nullification"
目下のところ悪意に満ちた人種差別主義者に牛耳られ、州知事が「(連邦政府の)干渉排除」や「(連邦法の実施の)無効化」を唱えているアラバマ州においてさえ
-- one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.
将来いつの日か、幼い黒人の少年少女たちが、幼い白人の少年少女たちと手に手を取って兄弟姉妹となることができるという夢が。

I have a dream today.
私には今日、夢がある!

I have a dream that one day every valley shall be exalted, and every hill and mountain shall be made low, the rough places will be made plain, and the crooked places will be made straight; "and the glory of the Lord shall be revealed and all flesh shall see it together."
私には夢がある、いつの日にか、すべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。「そして神の栄光が現れ、すべての人々が共にその栄光を見るだろう。」
〈イザヤ書40:4-、5〉
This is our hope.
これが我々の希望なのだ。
This is the faith that I will go back to the South with.
この信仰をもって、私は南部へ戻って行く
With this faith we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope.
この信仰をもってすれば、絶望の山からも希望の石を切り出すことができるのだ。
With this faith we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood.
この信仰をもってすれば、我々は祖国にうずまく不協和音を人類愛のすばらしいシンフォニーに昇華することができるのだ
With this faith we will be able to work together, to pray together, to struggle together, to go to jail together, to stand up for freedom together, knowing that we will be free one day.
この信仰をもってすれば、我々は共に働き、共に祈り、共に闘い、共に投獄され、自由がいつか来るのだということを信じながら、共に自由のために立ちあがることができるのだ。

This will be the day...., this will be the day when all of God's children will be able to sing with new meaning "My country 'tis of thee, sweet land of liberty, of thee I sing. Land where my fathers died, land of the Pilgrim's pride, from every mountainside, let freedom ring!"
そしてその日が来れば、その日が来れば神の子はみなおしなべて、新しい意味をこめて「我が祖国よ、美しい自由の国をたたえ私は歌う。父が骨を埋めた国、開拓者の誇りとする国。すべての山々から、自由よ鳴り響け」と歌えるのだ。(「アメリカ(我が祖国My country 'tis of thee)」・・国民的愛唱歌)
And if America is to be a great nation, this must become true.
真にアメリカが偉大な国となるためには、このことを実現しなければならないのです。

So let freedom ring from the prodigious hilltops New Hampshire.
だから,自由の鐘を打ち鳴らそう、ニューハンプシャー州の巨大な丘の頂から。
Let freedom ring from the mighty mountains of New York.
自由の鐘を打ち鳴らそう、ニューヨーク州の悠々しき山々からも。
Let freedom ring from the heightening Alleghenies of Pennsylvania.
自由の鐘を打ち鳴らそう、ペンシルヴァニアにそそり立つアレゲニーの山脈からも。
Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado.
自由の鐘を打ち鳴らそう、コロラド州の雪を頂くロッキー山脈からも。
Let freedom ring from the curvaceous slopes of California.
自由の鐘を打ち鳴らそう、カリフォルニア州のなだらかな山々からも。
But not only that,
それだけではない、
Let freedom, ring from StoneMountain of Georgia.
自由の鐘を打ち鳴らそう、ジョージア州のストーンマウンテンからも、
Let freedom ring from Lookout Mountain of Tennessee!
自由の鐘を打ち鳴らそう、テネシー州のルックアウトマウンテンからも。
Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi
自由の鐘を打ち鳴らそう、ミシシッピー州のすべての丘やほんの小さな塚からも、
From every mountainside,let freedom ring!
すべての山腹から、自由の鐘を打ち鳴らすのだ。

And when this happens, when we allow freedom to ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from every state and every city,
そうすれば、私達が自由の鐘を鳴り響かせば、すべての村、すべての集落から、すべての州、すべての街から、自由の鐘を鳴らせば、
we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual,
すべての神の子が、黒人も白人も、ユダヤ人も異邦人(非ユダヤ人)も、プロテスタントもカトリックも、すべての人々が手に手を取ってあの古い黒人霊歌を共に歌える日がより早くやって来るのだ。

"Free at last! free at last!
「ついに自由だ、ついに自由になれた。
Thank God Almighty, we are free at last!"
全能の神に感謝しよう。ついに我々は自由になったのだ」と。

※注 この演説中の言葉に、何度も「Negro」とい表現が使われています。この言葉には黒人を侮蔑するニュアンスが含まれているために、今日のアメリカでは心ある人は使用しない言葉です。しかし、キング牧師はこの演説の中で「Negro」という言葉をくりかえし使っています。もちろん、黒人を侮蔑する意志などありません。これは、我が国における「部落解放宣言」の中で、あえて「特殊部落民」や「エタ」という差別語を使って、高らかに人権宣言をしたことと同じような高い精神性にもとづくものと考えます。・・・このような考えのもと、あえて「Negro」をはずしたり置き換えをしませんでした。もちろん、今日においては、差別解消の強い意図なくこの言葉は使われるべきではありません。今日では、「black men」や「colored American 」などが使用されているようです。

※2 同じようにユダヤ人を侮蔑する表現になる「Jew」が使われていますが、通常は「Jewish」と表現するのが適切なようです。ただし、これも本来は、「聖書」の中で選ばれた民としての「ユダヤ人」とそれ以外である「非ユダヤ人(異邦人)」と並べられているもので、その垣根も乗り越えるという文脈の中で使われているわけです。

※3 この演説の英文表記については、注1に関わる書き換えなど、多様なパターンがあります。思うに、この演説はキング牧師が用意した原稿によってなされたものの、聴衆の反応や当日のキング牧師自身の心の動きにあわせて、原稿どおりではない内容になったようです。その上、記録する際に落ちたり、当初の原稿にあるものがそのまま記載されたりで、多様な内容になった物と思われます。
 こに記した英文は、ワシントン大行進の当日、キング牧師によって話された内容に、きわめて忠実な物です。

※4 「 I have a dream today. 」私には今夢がある。と訳すのが適切かとも思いましたが、1963年8月28日のその日、白人も含めて25万にもの人々が黒人の公民権を取り戻すためにリンカーン記念堂の前に集まったのですから・・「今日」という思いがあっただろうと、臨場感を大切にしてみました。

※5 演説の中に具体的な州名が羅列されます。自由に関わる大切な州や公民権運動の厳しい取り組みが実践されていた州であり、重い意味があります。例えばニューヨークには自由の女神が、ペンシルバニア州には自由の鐘があります。アラバマ州にはバスボイコット運動発祥の地アトランタがありキング牧師が長期間逮捕されたバーミンガムがある州です。テネシー州は差別が厳しく、後にキング牧師が暗殺されることになる州という具合です。

※6 キング牧師は、当然キリスト者です。演説の中に聖書からの引用が多くあります。全くそのままではないので、異なる部分はそのまま訳しましたが、原典は以下のように訳されています。

◇アモス書5章の24
5:24 正義を洪水のように/恵みの業を大河のように/尽きることなく流れさせよ。
◇イザヤ書第40章の4と5
40:4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
40:5 主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
(イザヤは旧約聖書に出てくる預言者の一人です。ここでは、「荒れ野に主の道を備えよと、新しい国造りをイザヤは指し示します。虚飾がはぎとられた荒れ地の、山と丘( 権力者と驕り高ぶっているもの) を低め、谷(おとしめられてきた者)が立ち上がり主のための道を備えよう。」と述べています



「人が好き 自然が好き」 
http://www.fuchu.or.jp/~okiomoya/i%20have%20a%20dream.htm

・有名な演説を聞きましょう。

福音はとどいていますか59

「感謝が人生態度の基本として不動であることが、信仰なのです。喜びも悲しみも怒りも、全ては感謝の念の上に立ってのことでなくてはなりますまい」(藤木正三)1-82感謝と信仰

・生かされていることへの感謝がまず根底にないと全てが異なる見方となります。喜び・悲しみ・怒りは人間の感情であり、それは自然なものなのですが、それだけに左右されていては人間としては未熟かと思います。もう一歩踏み込んで考えてみたいものです。

マニフェストと起請文

余録:マニフェストと起請文
2010年6月18日 毎日新聞

 「もし右の旨偽るにおいては、梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしゃく)、四大天王、総じて日本国中大小神祇(じんぎ)……天満天神、愛宕(あたご)大権現、摩利支尊天の神罰冥罰(みょうばつ)を蒙(こうむ)るべきものなり」。神様や仏様をずらりと並べたのは、戦国大名が盟約の際に記した起請文(きしょうもん)の一部だ
▲もし違約すれば日本中の神仏の罰を受けるというのだ。一神教のキリシタン大名の場合は「天道のガラサ(恩寵=おんちょう)を離れ、弓箭(きゅうせん)の運命竭終(けつしゅう)し(尽き果て)……子々孫々において皆もって御罰を蒙る」と書いている(神田千里著「宗教で読む戦国時代」講談社)
▲ただいくらたくさん神仏を書き連ねても、自らの勝ち残りのためには平気で約束をほごにした戦国大名だった。いや内心は神仏をおそれる者もいただろう。だが権力を握る者には、過去の約束にこだわって現在の地位を失うのは、地獄の責め苦より耐えがたいようだ
▲昨年は「政治主導」を掲げ、財政のムダ削減で所要の財源を捻出(ねんしゅつ)するとのマニフェスト(政権公約)で政権奪取した民主党だ。だが今度は財政健全化へ大きく転進し、消費税引き上げに向けた超党派協議で早期に結論を出すようめざすという参院選公約を発表した
▲もとより頭で考えた段取り通りに運ぶはずもない一国の政治だ。現実に政権を担えば、過去の約束よりも現在の必要を優先すべきことも多かろう。だったらマニフェストは戦国の起請文と同じか。与党はもちろん野党をふくめマニフェストの意味も問われる参院選だ
▲違約に罰を下すも、適切な修正だと許すのも有権者次第だ。梵天、帝釈から天神様まで、そこはお好きな神仏になり代わり断を下していただきたい。



・いろいろな神仏大集合。別段大名だけじゃない。普通の人たちも言うね。天地神明に誓って!

群生海10

   鰯

私は 何匹かの
鰯をたべた
鰯のいのちは
私のいのちと いっしょになって
ややこしい 人間世界が
ぐるぐる 泳ぎまわる

・いのちを頂いて人間は生きている。血となり肉となるのだ。

ソダノ枢機卿の場違いな連帯表明

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ソダノ枢機卿

ソダノ枢機卿の場違いな連帯表明
2010年4月7日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ローマ・カトリック教会総本山バチカン法王庁枢機卿会議議長のアンジェロ・ソダノ枢機卿は4日、イースター記念礼拝の開始直前、「教会信者たちはあなたと共にあります。一連の無意味なおしゃべりで影響を受けることはありません」と述べ、聖職者の未成年者への性犯罪問題でメディアから責任を追及されているローマ法王べネディクト16世に対し、異例ともいえる連帯感を表明した。世界の耳目が集まるイースターの法王の記念礼拝前に、教会高位聖職者が法王支持を内外に示す狙いがあったと受け取られている。
 国務長官を久しく務めた同枢機卿は聖職者の未成年者への性犯罪には直接言及せず、教会を批判するメディアに対し、「無意味なおしゃべり」と一蹴したわけだ。
 使徒ペテロの後継者、ローマ法王への忠誠心の発露は理解できるが、聖職者の性犯罪の犠牲となった人々には一言も言及せず、もっぱら法王擁護に腐心した枢機卿の発言について、教会内外で批判の声が出ている。
 バチカンはべネディクト16世への責任追及の声が上がると、必死に反論を展開し、日頃は客観的報道で評判のいいバチカン日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノまで法王批判を展開するメデイアに対し、詳細な検証なく「法王中傷キャンペーン」(4日付)と非難する記事を掲載している。
 バチカンは法王がアイルランド教会宛に一通の司牧的書簡を公表したことで聖職者の性犯罪問題の批判の嵐が静まると考えていたのだろうか。書簡公表後も欧州の各教会で次々と聖職者の未成年者への性犯罪事件が判明しているのだ。
 興味を引く点は、アイルランド、ドイツ、オーストリアの教会では教会指導者たちが復活祭で「聖職者の性犯罪問題を徹底的に解明し、教会は再生しなければならない」と事態の深刻さを真摯に受け止める発言をしていることだ。バチカン関係者が聖職者の性犯罪問題が法王に直接影響を及ぼさないように腐心しているのと好対照だ。
 欧州の神学者の1人は「バチカンの中央集権体制(法王の最高司牧権)は時代の要請にもはや一致していない。各国の教会司教会議が全ての問題で責任と権限を担い、ローマ法王は世界正教会の最高指導者と同様、精神的指導者に留まるべきだ」と主張している。
 欧州の各教会が聖職者の性犯罪問題で指導力を発揮し、抜本的な改革を実施できれば、ローマ法王の中央集権時代の終焉を求める声が一層、高まることが予想されるわけだ。



・制度としての法王中心集権体制が機能できないのは当然のことだ。いろいろな意見をまとめることは不可能だ。制度の見直しをはかるのか、それとも信者を減らしても同じ歩調で歩むのだろうか。法王に苦言を呈する側近がいないことが問題と言えば問題かな。ソダノ枢機卿の動向も見逃せない。


焦点ボケの「文化闘争」説
2010年4月9日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 バチカン法王庁の枢機卿会議議長、アンジェロ・ソダノ枢機卿はバチカン日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノ(7日付)とのインタビューの中で、批判にさらされているローマ法王べネディクト16世を改めて擁護し、「ピウス12世やパウロ6世に対する一連の批判と同じだ。聖職者の未成年者への性的虐待問題の本当の背景は『文化闘争』だ。べネディクト16世が道徳的真理を具現化した存在であるため、容認できないのだ。聖職者の性的虐待問題は今日、教会攻撃の武器として利用されている」と述べている。
 そして「未成年者へ性的虐待を犯した一部の聖職者のために現職の法王を批判することは間違った攻撃だ。イスカリオテのユダの裏切りがイエス・キリストの責任でないのと同じだ。一部の聖職者のために教会全体が批判にさらされることに痛みを感じる」という。
 ちなみに、ソダノ枢機卿は「自分が復活祭の時、法王へ連帯表明をしたのは、枢機卿会議議長として法王を擁護するのが義務と感じたからだ」と説明している。
 オーストリアのカトリック通信社(カトプレス)が7日、米国「ナショナル・カトリック・レポーター」(National Catholic Reporter)の記事を紹介し、「ソダノ枢機卿(当時国務省長官)はメキシコ出身の修道院創設者P・Marcial Maciel(マルシャル・マシエル師)の未成年者への性的虐待問題の調査に抵抗した、という批判にさらされている。当時教理省長官だったべネディクト16世(ラッツィンガー枢機卿)は同問題の調査を願っていた」という。
 べネディクト16世の名誉回復のために付け加えるとすれば、同16世は法王就任後、マシエル師の修道院の調査を指令するなど、制裁に乗り出している。
 一方、どうしてソダノ枢機卿は性的虐待を犯した疑いのある聖職者の調査に強く反対したのだろうか。
 ソダノ枢機卿がいうように、聖職者の未成年者への性的虐待問題は進歩的モダニズムとの文化闘争ではない。「神の宮」の教会の信頼と使徒ペテロの後継者(法王)の名誉がかかった問題であり、教会の存続を問う深刻なテーマだ。

魂の言葉7

愛するための最初の義務は、聴くこと。(パウル・ティリッヒ)

・義務というよりも、特権だね。

国が性教育しないインド、代わりに新聞のコラムに頼る

国が性教育しないインド、代わりに新聞のコラムに頼る
2010年06月08日 らばQ

性教育をいつどんなタイミングで誰がやるのかというのは、文化や宗教、そして家庭ごとの判断で変わるものです。

インドでは性教育を政府や学校が行わないため、子供たちはもちろん、大人も性に対する疑問などは新聞のコラムに頼っている状態となっているようです。

インドの学校では一切の性教育がなされないことから、性に対する様々な疑問を抱くのは思春期前の子供たちだけではないようで、正しい知識を持たないままの大人も多いのです。

政府の見解では、結婚前に性のことを知ることはモラル的によろしくないということのようです。また、性教育を施すことで公共の場所で淫らな行為が行われることを恐れているとのことです。

そこで新聞のコラムで、エキスパート"Expert"ならぬ、セクスパート"Sexpert"と呼ばれる人に尋ねようと、性に関する率直な質疑応答がされるようになりました。

質問は子供だけでなく大人からも多いそうで、赤ちゃんがどこから出てくるかなどを知らない大人が多いことも浮き彫りとなっています。

回答者は婦人科医でありセックスカウンセラーでもある85歳の医師。彼の答えはかなり直接的で、簡潔でわかりやすくもあります。サイズばかり気にする男性に技術を求めるようなアドバイスをしたり、タブーは同性愛だけとなっているようです。

国が教育しない以上、このセクスパートの活躍は続きそうですが、実際に投げられている質問は以下の通りです。

・自慰行為を毎日行うと頭は禿げますか。

・バス内でひじが女性の胸に触れた場合、HIV感染の危険性はありますか。

・オーラル・セックスで妊娠しますか。

・私は20歳の女性でめったに自慰行為をしないのですが、処女膜は守れますか。

・私は51歳、妻は49歳、妻は閉経を迎えつつあります。去年は生理が2回来ただけです。私たち二人に健康上の問題はなく、毎日しているのですが、妊娠する可能性はありますか。

すべての質問は真面目なもので、知識のよりどころが無いため切実な問題となっているようです。

学校での性教育は、程度や時期など、日本でも難しい問題となっていますが、インドで行われるにはまだまだ時間がかかりそうです。



・あのインドで性教育が行われていないとは!?

かの国が人口爆発しているのは性教育・避妊教育の遅れからだろうか。インドの公衆衛生教育はひどく貧弱らしい。そういえば日本は衛生思想が浸透しているが、現地の人は汚い水だって平気で飲む。むろん、その抗体があるから病気にはならないけど。翻って日本では性教育はどうだろう!? 一番大切な愛情とか家庭とかを教えていないような気がする。性行為に関しては極めているのに、子どもや育児、家計についてはお粗末な状態だ。インドなどでは、国際協力隊などが頑張っている。

福音はとどいていますか58

「人は人、自分は自分、自分のできる限りを果たしたいものです。それと、できる限りを口実に怠けないこと、以前できなかったことができたり、できたことができなくなったりするものです」(藤木正三)1-81できる限り(Ⅱ)

・誰でも限界がありますからいつも100%の力を発揮できるものではありません。できる限りという、この言葉を慎重に使いたいものです。それでも、できる限りの生き方をしたいものです。完全燃焼した生き方というものを経験したいものです。自分の持っているものを出し惜しみして生きるようなあり方はしたくないものです。

赤裸々な42の秘密…アメリカの女性1万人に尋ねました

赤裸々な42の秘密…アメリカの女性1万人に尋ねました
2010年04月27日 らばQ

女性と言うものは万国共通なのでしょうか?それとも国民性に大いに左右されて、同じ女性と言えども違いは大きいのでしょうか?

海外女性たちが何を考え、何を好んでいるのか、気になるところです。

アメリカの女性1万人を対象にした、赤裸々なアンケート結果が話題に上っていたので、ご紹介します。

1. 年収は?
3万ドル(約280万円)未満 47%
3万1ドル~5万ドル(約470万円) 27%
5万1ドル~7万5千ドル(約700万円) 15%
7万5千1~10万ドル(約940万円) 6%
10万ドル以上 5%

2. 夫や彼氏の収入と比べてどうですか?(相手がいる人のみ)
夫や彼氏より多い 29%
夫や彼氏より少ない 47%
夫や彼氏と同じ 24%

3. あなたのお給料は?
もらいすぎ 2%
足りない 54%
ちょうどよい 44%

4. 整形手術をしたこと、あるいは予定がありますか?
ある 31%
ない 69%

5. 神様を信じてしますか?
信じている 61%
信じてない 39%

6. お祈りをしますか?
する 45%
しない 55%

7. 車のオイルの替え方を知っていますか?
知ってる 35%
知らない 65%

8. ストリップ・クラブへ行ったことがありますか?
ある 42%
ない 58%

9. 同性愛者の結婚に賛成ですか?
賛成 89%
反対 11%
 
10. 進化論を信じていますか?
信じている 89%
信じてない 11%

11. アルコールは週にどれくらい摂取しますか?
全く飲まない 20%
1~2本 32%
3~5本 30%
6本以上 18%

12. 中絶はどういうときに許容すべきか?
許容すべきではない 4%
強姦や近親相姦、あるいは母体の健康や命に関わるとき 12%
女性の自由意志で決定してよい 84%

13. 縦列駐車ができますか?
出来る 84%
出来ない 16%

14. 週に何回運動をしますか?
運動しない 23%
1~2回 32%
3~5回 40%
6回以上 5%

15. 安全な性交渉をしていますか?
いつも安全 57%
ほとんど安全 36%
安全ではない 7%

16. アメリカでいちばんルックスのいい男性は?
ジョニー・デップ 29%
ジョージ・クルーニー 28%
ジョン・ハム 21%
ブラッド・ピット 12%
ロバート・パティンソン 4%
バラック・オバマ 3%
ザック・エフロン 3%

17. アメリカでいちばんルックスのいい女性は?

クリスティーナ・ヘンドリックス 30%
アドリアナ・リマ 17%
ジェシカ・アルバ 15%
メガン・フォックス 14%
ゾーイ・サルダナ 13%
ザック・エフロン 8%
ミシェル・オバマ 4%

18. アメリカでいちばん賞賛すべき男性は?
バラック・オバマ 50%
ビル・ゲイツ 21%
ジョージ・クルーニー 7%
ミット・ロムニー 2%
その他 20%

19. アメリカでいちばん賞賛すべき女性は?
ヒラリー・クリントン 29%
ミシェル・オバマ 19%
エレン・デジェネレス 16%
オプラ・ウィンフリー 12%
サラ・ペイリン 3%
その他 21%

20. 一番最近のヘアカットにいくら使いましたか?
25ドル(約2350円)以下 30%
26~50ドル(約4700円) 34%
51~100ドル(約9400円) 26%
101~200ドル(約1.9万円) 8%
200ドル以上 1%

21. クレジットカードの借金の持ち越しは毎月どれくらいになりますか?
0 55%
1~1000ドル(約9.4万円) 23%
1001~3000ドル(約28万円) 10%
3001~6000ドル(約56万円) 5%
6001ドル以上 7%

22. ミシェル・オバマ(大統領夫人)の服装やヘアスタイルが気になりますか?

気になる 21%
気にならない 79%

23. 次の2012年の大統領選で最も強い共和党候補は?
ミット・ロムニー 50%
ティム・ポーレンティ 16%
スティーヴン・ボールドウィン 15%
サラ・ペイリン 11%
ニュート・ギングリッチ 8%

24. 候補者を女性と言うだけで投票しますか?
する 10%
しない 90%

25. オバマ大統領が当選した当時と比べて、現在の意見は?
高い 6%
低い 30%
変わらない 64%

26. 浮気をしたことがありますか?
ある 24%
ない 76%

27. バレないとわかっていれば浮気をしますか?
する 16%
しない 84%

28. あなたの魅力はパートナーの魅力に比べてどうですか?
私のほうが魅力的 36%
彼のほうが魅力的 6%
同じくらい 59%

29. 男性のどこをまず最初に見ますか?
髪の毛 14%
彼の服 15%
彼の靴 2%
彼の目 49%
彼の体 17%
彼の彼女 4%

30. あなたがエリン夫人だったら、タイガー・ウッズと一緒にいることにしますか?
はい 11%
いいえ 89%

31. 仕事で女性の武器を使うのはありだと思う?
あり 29%
なし 71%

32. 自慰行為の頻度は?
しない 14%
月に1~2回 30%
週に1~2回 41%
1日1回 14%

33. 以下のうち、どれを男性に期待しますか?
ドアを開けてくれる 72%
椅子を引いてくれる 23%
コート類を着せてくれる 33%
支払いをしてくれる 42%
自分が帰るときに席を立ってくれる 10%

34. どんなプレゼントを一番もらいますか?
下着 2%
アクセサリー 11%
旅行 81%
Xbox 5%

35. 自分の胸の大きさに満足していますか?
している 79%
していない 21%

36. 男性は女性よりおもしろい?
はい 35%
いいえ 65%

37. 男性もコロンをつけるべき?
はい 58%
いいえ 42%

38. ヒゲの好みはどんな?
キレイに剃ってある 47%
無精ひげ 45%
ヒゲを伸ばしてある 8%

39. 裸でも快適?
はい 75%
いいえ 25%

40. 照明がついていても?
はい 69%
いいえ 31%

41. デートの支払いを自分が払うと言うまでに何回くらいかかる?
最初のデートのとき 51%
2~3回目 32%
4~6回目 7%
7回以上 2%
男性がいつも支払うべき 7%

42. 平均して肉体関係を持つまでに何回デートしますか?
最初のデートで 6%
2~3回目で 36%
4~5回目で 28%
6~10回目で 21%
結婚が決まるまで何回でも 9%

平均年齢27.4歳のアメリカ人女性によるアンケート結果、いかがだったでしょうか。
なかなか興味深い項目もあったかと思います。

これを見て参考にするのか、恐れおののくべきなのか難しいところですが、海外サイトのコメント欄には、この結果に対する様々な感想が寄せられていました。

一部抜粋してご紹介します。

・何をどんな風に考えてくれたって構わないさ、キッチンでさえ考えてくれれば。

・ハムとチーズを載せてマヨネーズたっぷりだ。

・僕は料理ができるので、女性には別の部屋で役立ってもらいたい。

・縦列駐車については、みんな嘘をついている。

・オイル交換もだ。35%?35%の男性も出来ないだろ。女性が思ってるのはこうだろ、「オイルチェンジは自分でやるわ、ウォルマートやジフィルーブでしてもらうわ」

・ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ ぺちゃくちゃ

・質問26(浮気をしたことがありますか?)と27(バレないとわかっていれば浮気をしますか?)でいかに女がウソをつく生き物かわかった。

・男のほうが女よりおもしろいだろ。

・40%の女が週に3~5回の運動をするって?ありえないだろ。運動の定義がよっぽどゆるくなけりゃ。

・神様を信じますかという質問と、進化論を信じますかという質問の比較がいい。

・すごい大切な質問が抜けてるじゃないか。サイズって重要?

・39(裸でも快適?)と40(照明がついていても?)の質問もウソだ!

・24%の女性が浮気をしたと言い、16%の女性がバレなきゃ浮気をすると言っている。じゃあ、8%はバレるために浮気するのか?

アンケートはあくまで自己申告の回答なので、男性たちの中には疑問を感じる項目もあったようです。

たしかに縦列駐車を84%の女性が出来ると答えているのは自信あり過ぎと言うか、懐疑的になるのも無理はないと思います。

アメリカ女性たちはこのような回答をする傾向があると言った風に、統計やアンケートは軽く受け止めておく方が良いのかもしれませんね。

What 10,000 Women Really Think


・意識調査って面白い。思ったよりも進化論を信じている人が多い。どのような調査なのか詳細が書かれていないので分からない。こうした調査は、同じ内容で複数国でやると違いが鮮明になる。

群生海9

   とおい耳

この耳は
ふしぎな耳で
テレビの言葉は 聞こえにくいが
何万光年 彼方からの
宇宙の ささやきが
人身受け難しと 聞こえてくる

・宇宙のささやき、いのちのささやきは感じることができるが、小さな音だから耳をすましてね!

マーフィーの法則 (健康編)

マーフィーの法則 (健康編)
06 07, 2010 おも白歯なし

マーフィーの法則は有名ですが、その中で健康に関するものを集めてみました。

■人は、健康であることより、病弱であることを自慢したがる。

■治りかけたときに飲んだ薬が、よく効く薬である。

■水が飲めないほどの虫歯も、酒ならしみない。

■なんとなく気分がすぐれななかったが、体温計の数字を見た途端、急に具合が悪くなる。

■すべての健康法を試すことができる人はいない。いるとしたら、それはかなり健康な人である。

■老化の法則
 1.座るとき「どっこいしょ」というようになる。
 2.ジャリタレの顔がどれも同じに見える。
   (ジャリタレ・・これとっくの昔に死語になってますね)
 3.「あれ」「それ」といった代名詞が多くなる。

■少し持病のある人が、長生きする。

■体に悪いものも少々摂取しておかなければ、体に免疫がなくなり、体が弱くなる。

■「運動する時間がない」と言う人ほど。時間をムダに使っている。

■運動不足を気にしている人ほど、「運動する時間がない」と言う。

■不規則な生活が続けば、それが規則となる。

■不安から逃れたかったら、宗教を求めるより、自分より重症の患者を見つけることだ。

■「疲れた」とひとこと言う度に疲労は倍加する。

■タバコの煙は嫌煙家のところに流れる。

■なかなか禁煙できない人は、意志に強い人である。



・もっともマーフィらしいのは、タバコの煙は嫌煙家に流れるだろう。マーフィは経験知を上手く言い表しているから、頭だけの知恵とも違う。
よく牧伸二の使うネタだが、病院で患者たちが「今日は誰それさんが来ていないね!」「きっと病気なんだよ!」というものがある。確かに本当に病気の人は病院の病気自慢にも出られない。

福音はとどいていますか57

「信じる者に与えられる救いとは一体何なのでしょう。苦悩や罪の中でそれらがどうでもよいこととなる程に、生かされて今あるという事実がよく見え、そしてその事実に単純になれることです」(藤木正三)1-80父よ

・苦悩や罪は後から付け足したもののように感じることがあります。そうではなく、現前の事実に単純に向き合うことが救いの始まりだと言えるでしょう。事実を事実として受け取らないことから、すべては始まると言ってよいのです。その事実に対して、あれこれと付け加えて悩むのが人間であり、その解放を示すのが信仰であると言ってよいのです。

オーストラリアではストリップ劇場よりも教会の方が危険という調査結果が出される

オーストラリアではストリップ劇場よりも教会の方が危険という調査結果が出される
2010年04月14日 GIGAZINE

教会と言えば神聖な場所で、安全で安心なところというイメージがありますが、オーストラリアのニューサウスウェールズではストリップ劇場や売春宿などの成人向け娯楽施設よりも教会の方が犯罪が多いという調査結果が出たそうです。

News.com.auの記事によると、ニューサウスウェールズの犯罪統計調査局の最新データでは、2008年に「礼拝所」で罪を犯したとして告発された人数は1600人に上るそうです。それに対して「成人向けの娯楽施設」で罪を犯して告発されたのは282人だけだったとのこと。

礼拝所での性犯罪や自動車盗難で逮捕された人もおり、ハラスメント行為や脅迫を行って捕まった人数は成人向けの娯楽施設の2倍以上となる模様。

調査局のDon Wedderburn局長は「今回の統計データを見ると、礼拝所で襲われたり何か盗まれたりといった犯罪にあう可能性は路上と変わらない」と話しており、意外な結果になったことを伝えています。

なお、データに上がっている「礼拝所」には、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の教会や寺院のほか、修道院や大聖堂、礼拝堂などが含まれており、「成人向けの娯楽施設」には、ストリップ劇場、ポルノショップ、売春宿、マッサージパーラー、同性愛クラブ、賭博場が含まれるとのこと。犯罪者にとって礼拝所にいる人は狙いやすいのか、それとも娯楽施設では欲求の発散が行われて犯罪が少なくなるのか、犯罪件数の違いにつながる理由は分かりませんが何にしろ礼拝所でも危機意識は持っておいた方が良いようです。

Aussies safer in a strip club than a church, figures show News.com.au



・にわかに信じられない数字。
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