心の泉3

「誰からもよく言われ ひとりの敵もいないということほど ひどい非難があるだろうか?」(アントニー・デ・メロ)1-400

What worse indictment than to be spoken well of by every one and to have no enemies?

・イエスは誰からも信じられていたわけではなかった。はっきりとつかんでいた神との関係を示すために行動したが、結局弟子からも見捨てられて一人切りになった。誰からも支持されなくても、彼は信じた。十字架の上で神が答えてくれなくとも…。

難度海4

   終焉の地

私は何やら
うす濁りある
底辺で暮らしているが
ここが終焉の地になることを
ありがたく存じております

・底辺で生きているという自覚。そして、その地で最期まで生きる覚悟。

福音はとどいていますか6

「正しいと思ったら徹底的に主張する、それが筋だ、途中でほこを収めることは妥協だ、そう思うこともあります。しかし、徹底を求める心にも、やがて殺意となる芽が潜むのです」(藤木正三)1-27殺すな!

・これは、よくあることです。立場が良くなったことを幸いにして、積年の恨みを晴らすという態度にでることもあるでしょう。自分に落ち度がないってどうゆうことですか。落ち度がないなら静観していればいいのでしょうか。もしそこで自分に反省する余裕がなければ何らかの落ち度があります。殺意とは厳しい言葉ですが、事実上相手を認めない自分を肯定するという立場に陥るということです。

奇跡の言葉36

「黙想会はキリストについてのセミナーではない。沈黙のうちにキリストに向かって語るときだ。語るべきときはかならず来る。まずキリストに会おう」(アントニー・デ・メロ)2-68

・黙想会が最大の益を提供できるとすれば、沈黙を与えられるということだ。


**愛する人の与える傷は、忠実さのしるし。(聖書)

・傷つくことで分かることがある、忠実に生きて苦しんでもいいんじゃないかな

福音はとどいていますか5

「生きていることが恵みであるという事実に気付くまで人間を安心させない、それが律法です」(藤木正三)1-26律法

・高いところを見ながら生きていることを内に問うてゆく高度の反省だと律法を考える藤木師。律法は、道徳でも法律でもない点はここにあります。決まったことだから仕方なく従うというのでなく、さらに奥に自己を反省することが律法を守るということなのでしょう。表面的に文言どおりに生活していくといったものではなく、こころに深く感じ相手を裁かないという態度が求められます。

宮崎駿の仕事

NHK総合「仕事の流儀SPポニョに密着300日」、映画監督・宮崎駿を密着して撮ったドキュメンタリー。宮崎のドキュメンタリーは何本も見ているが、宮崎の真相に迫った好番組。キャスターの品のない質問を除けばよかった。(あなたにとって映画とは何ですかなんてなぜ聴くの?)宮崎の代弁をするようなナレーションだけど、どこまで宮崎に迫れたのかな。ポニョが大ヒットで、たれプーさん♪も嬉しい。こんな大人がまだいることが嬉しいなぁ。
スタッフを叱る宮崎は怖いよ!スタッフも心得いてひたすら謝るのも気持ちいい。宮崎のようなクリエイティブな仕事をこなせる日本人は数少ないから貴重だよ。やはり仕事で大切なのは人だね。次の作品あるみたいだから期待して待ちましょう。スタジオジブリの仕事はきっちりとしてる。番組宣伝は考えているし、企業とのタイアップも上手、話題性も事欠かない。やはり達人たちは違うなぁ~。

心の泉2

「イエズス・キリストとユダは、同じひとつのダンスおける別々の動きのようなもの」(アントニー・デ・メロ)1-400

Jesus Christ and Judas are movements of a single dance.

・イエスとユダが同じ土俵にのぼるなんて…と思う人もいるはず。しかし、イエスの神を中心とした生きざまと神を中心にできなかったユダの生きざまには共通したものが流れている。そう二人には同じ神の力が働いていた。神の働きの前では同じダンスのなかの違ったパートを演じていたのに違いない。

難度海3

   川の石

ながねん
流れの中で坐っているが
まだ カドが
丸くなりません

・人間関係の狭間で生きていく
そして丸くなったね…そう言われたらおしまいだという人もいるだろう。
そこでも、丸くなれない自分に気づくことが大切かな。

ブログの掟

ブログの掟を考えている。マナーは一応感じている。まずは自分のブログをきちんと運営していくことが大切かな。他人のブログにどの程度足跡を残すかに苦心する。土足で上がらないようにしたい。たれプーさん♪は長期滞在型なのでじっくりとブログに取り組んでいる。そうすると、あれこれと回れないのが辛いところである。
ブログをはじめて何か生活に変化があるだろうか。最初は自分のペースがなかなかつかめなかった。更新頻度をどの程度にするのか、内容をどうするのか、量をどのくらいにするのか…。今でもカウンターや余分なパーツを取り付けることなく来ている。ただ、アクセス解析だけを取り入れることにしてみた。アクセス数、検索ワード、リンク先などで随分と分かることがある。その数字に一喜一憂せずに、藤木師、デ・メロ師の生きざまを伝えることが、たれプーさん♪の人生態度だと思っている。
できれば、コメントほしいしコミュニケーションしたいと思っているが匿名性を重視したメディアであるから、あまり期待しても仕方ない。ブログ形態がどのくらい続くのだろうかと思ってしまうが、ちょっとした調べ物には重宝している。いろいろな考え方が、生の形で書かれているので咀嚼して読んでいる。

福音はとどいていますか4

「言葉に関していえば、賛成するか反対するかはあまり大したことではないのです。大切なことは聞き逃さないこと、そしてその言葉を通して相手と対話を始めること」(藤木正三)1-25聖書の読み方

・世界のどこかでまた民族紛争が起きかけている。賛成か反対かで国論を二分する。流血の惨事。戦うのは簡単なこと。対話するのは至難なこと。聖書との対話とは、疑ったり反発したりしながらも読み続けるという対話の継続こそが神との対話であると藤木師は語ります。聖書のことばが、真実だと感じる瞬間があります。それを経験するには長い時間の蓄積が必要かもしれません。

奇跡の言葉35

「聖霊を人に与えるためには、生活のなか聖霊の力を体験していることが前提となる」(アントニー・デ・メロ)2-67

・あなたが語るのは神学か、それとも出会ったイエスのみ姿なのか。


**砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。(サン・テグジュペリ)

・ヒトが美しいのは、どこかに善意を隠しているからだよ

ダイ・ハード4.0

ダイ・ハード4.0を見ました。ブルース・ウィルスのシリーズ4作目であるが、今回もアクションが多くて楽しめた。あまり人間関係が描かれていなかったのは残念である。また、飛躍した設定はこうくるかと!思わず唸ってしまう。とにかくバンバンぶっ壊し、走り回るのがダイ・ハードの魅力である。涙する場面がなくて少し不満かな、特に最後にもってきたかったね。
ルーシー・マクレーンはジョンの娘という設定。彼女が、ハッカーのマットに「あんた玉ついているの」ってやじるシーンが怖い!お父さんに負けないルーシーは、絶対につき合いたくない女性である。
ダイ・ハードは絶対死なないという意味らしいが、悪運強いのもなかなか大変みたい。アクション俳優には年齢制限あるかもしれない。第1作が、やはり出来がいいと思います。

心の泉1

「神は、実りある豊かな人生を愛されるように、何の実を結ばなかった人生をもお愛しになる」(アントニー・デ・メロ)1-400

God love life in its failre as much as in its fruifulness.

・何の実をも結ばない人生とは何か。人生は成功した否かで判断されやすい。それが大変わかりやすいからだ。実りの多い人生を称賛する生き方を理想としがちであるが、人生の実相はその反対に悲嘆にくれる毎日である。しかし、神はどんな人生をも受け入れてくださる。空を飛ぶ鳥にも、野の百合にもいのちを与える方に委ねましょう。

※アントニー・デ・メロのことばの出典。1-400とはアントニー・デ・メロ、古橋昌尚/川村信三訳『心の泉-瞑想への招き-』(女子パウロ会、1987)の400ページという意味です。

【著者紹介】
 アントニー・デ・メロ(Anthony de Mello)
 1931年 ボンベイに生まれ。
 1947年 イエズス会に入会。
 1961年 司祭に叙階。
        スペインで哲学、アメリカで心理学を学び、インドに帰って東洋と西洋の
        霊性の統合、心理学とイグナチオ的霊性の統合を試み、プーナ市で
        司牧カウンセリング研究所「SADHANA(サダーナ)」を主宰。
        神父はこの研究所で祈りのセミナーを開催したり、インド国内ばかりでな
        く、各国に招かれ黙想指導、祈りのセミナーなどを中心に活動。
 1987年 ニューヨークで客死。

 主な邦訳著書: 『何をどう祈ればいいか』,『小鳥の歌』,『心の泉』,『沈黙の泉』,『蛙の祈り』,『ひとりきりのとき人は愛することができる』(女子パウロ会)。 『幸せの条件』,『東も西も・無について』(エンデルレ書店)。

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【訳者紹介】

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 古橋 昌尚(清泉女学院大学人間学部心理コミュニケーション学科教授)

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 川村信三(イエズス会司祭・上智大学文学部史学科准教授)

福音はとどいていますか3

「宗教は、神の濃厚の故に『今が一番良い』と今を納得することと違うのですか」(藤木正三)1-24今が一番良い

・今を良いとすれば、社会の変革は必要なくなると短絡して考える方もいるかもしれません。現実として、人間社会は問題だらけで四苦八苦しています。ただ、私たちは厳密には今を生きることしかできない存在なのです。過去はどうすることもできず、未来はどうなるのか分からない。現在=いまが生きているという確かなところでしょう。

難度海2

   現世功徳

南無阿弥陀如来は
私の底なしの
驕慢心を
毎日 照らしてくださる

・アーメンも同じ意味だろう。底なしの欲望に引きずられても、それに気づけば大丈夫。

検索術と電子図書で変わる文化

何でもインターネットで調べられる時代になったといいますが果たして本当かな。たれプーさん♪もWebを常時接続できる環境になって痛感するのだが、本当に必要な情報が手に入るかというと大いに疑問だ。その意味で印刷術が起こした革命をWebに期待することはしない。本当に必要なことは、やはり地道に足や時間、お金をかけて調べるしかない。検索してポイって出てきた結果にはありがたみがない。そのような仮想現実のなかで育った世代が、リアリティをどう把握できるのか心配する。
最近の話題はグーグルによる電子図書館。英語圏に限定されるようであるが、古今の人類の遺産をWebで見られるのは時間の問題となった。ペーパレスの象徴たるPDFファイルは普及しているが、印刷して手元に残すという習慣もついている。今の子どもたちが大人になった時、電子端末でも何も困らない時代になるのかもしれない。確かに本はかさばるし重い保管も大変だ。図書館も文化遺産保管所になるのかな。

福音はとどいていますか2

「人はひとり自粛して死ぬのです」(藤木正三)1-23自粛

・藤木師の家族を絡めた珍しい断想。母親の死に際して日常感覚のあやうさを考えさせる。私たちは、すべての物事を自分自身に関連させて考え、思い、感ずる。ただ、それが直感的にも間違いではないにせよ世間とはズレていることがある。また、日本人の感覚だろうが人の死とは、このように無情なもの。キリスト教では、死=復活という教義・教理があり、それを望んで殉死するものは数多い。キリスト教原理主義、イスラム教原理主義に共通する考え方。華々しい終わり方を望むのか、それとも自粛して終わるのか…。

奇跡の言葉34

「アイデンティティの危機のうちにある多くの司祭は司祭職の意味を体験したことがあるのか。それについて語るだけではなかったか」(アントニー・デ・メロ)2-67

・デ・メロは、自らの拠り所を探すことができない聖職者に改めて問いかけている。

 
**大丈夫、何もこわがることなんかないんだ。(「天国から来たチャンピオン」)

・恐怖こそ人間を委縮させる源泉、よく分からないこそ目を開こう!

難度海1

   光は

しぶとい
この頭がさがったら
浄土の光は
こんなところに

・視線をかえると何か見えてくることがある。


▼榎本栄一(えのもと えいいち)略歴

明治36年   淡路島に生まれる
        5歳の時、父母とともに大阪に出て、西区で父母が小間物化粧品店を開く
        15歳 高等小学校卒業、父死亡
        19歳 病弱なりしが母と家業に精を出す
昭和20年3月 大阪大空襲で、家族七人淡路島へ逃れる
昭和25年2月 東大阪市で化粧品店を開業
昭和54年12月 76歳、廃業
平成10年10月 94歳、10月12日、午後9時53分逝去(ご法名・念詩院栄法)


著作
念仏詩『群生海』
念仏詩『煩悩林』 (以上、東本願寺難波別院)
念仏詩『難度海』 昭和52年5月~昭和55年9月までの作品
念仏詩『光明土』 昭和55年10月~昭和58年9月までの作品
念仏詩『常照我』 昭和58年10月~昭和61年9月までの作品
念仏詩『無辺光』 昭和61年10月~平成元年9月までの作品
念仏詩『尽十方』 平成元年10月~平成4年9月までの作品
念仏詩『無上仏』 平成4年10月~の作品 (以上、樹心社)
詩文集『いのち萌えいずるままに―念仏者の自己発見』(柏樹社)、櫛谷宗則 …文
詩文集『コトリと息がきれたら嬉しいな―榎本栄一いのち澄む』(探究社)、櫛谷宗則 …文


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スーパーにて

スーパーは人間観察の場として適当です。いつも行くスーパーはずいぶんと営業して長くなります。最近は午後4時過ぎには行きます。有閑マダム(古いな~)が次々とやってくのが嬉しいです。皆さんかなりいい加減な格好してます。夜のおかずに総菜買っているいる人にはげんなりします。キャッシャーしているパートの女性の動きに注目します。お客さんがいない時には、カートの移動とか籠の整理、または小分け袋をもいでいます。手持無沙汰といった感じかな。皆さん、お化粧には気を使っているみたい。やはり女性だもん。若い人もいます。中には若い男性もいます。
今日はベテランさんに、お客さんがレシート見てクレームつけていました。どうやら割引を忘れたみたい。ベテランさんしては珍しいな。新入りキャッシャーをマンツーマンで育てている凛とした方です。毎日のレジ打ちはどんなんかな。
おっと勧誘電話かかってきた。たれプーさんの声聞いて、適当な名前言って切らせようとしてます。嫌だね~。

福音はとどいていますか1

「その色分けは白と黒をゆれ動いている者同士の分別に過ぎません。よくみればやはりお互いに灰色であります。灰色は、明るくはありませんが暖い色です。人生の色というべきでありましょう」(藤木正三)1-21人生の色

・人生の色と題する断想である。たれプーさん♪は黄色が好き。やっぱり日本人は白字に赤かな。真白、真黒なんて人はいないのです。人間はすべからく灰色かもね。

 『モモ』 (Momo) は、1973年発表のドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学。1974年ドイツ児童文学賞受賞。各国で翻訳されている。特に日本では根強い人気があり、日本での発行部数は本国ドイツに次ぐ。イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれ、みんなが心に余裕が無くなってしまった中で、貧しいけれど友人の話に耳を傾け、自分自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女、モモの冒険によって、奪われた時間を取り戻すというストーリー。忙しさの中で生きることの本質を忘れてしまった人々に対する、警告的な意味合いも強い。『ウィキペディア(Wikipedia)』参照

※藤木正三師のことばの出典。1-21とは藤木正三、工藤信夫『福音はとどいていますか-ある牧師と医師の祈り-』(ヨルダン社、1992)の21ページという意味です。

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【藤木正三・著者紹介・略歴】

 藤木正三(ふじき・しょうぞう)

 1927年 大阪に生まれる
        府立浪速高等学校(旧制)
        関西学院大学・大学院において神学を学ぶ
        1961-63年 コペンハーゲン大学留学
 1955年 日本基督教団教師
        大阪千鳥橋(1955-65年)、京都御幸町(1965-93年)両教会主任担任
        聖和大学兼任講師
 1993年 隠退
        単立千里山基督教会客員
 2015年 昇天

 主な著書:『灰色の断想』,『断想 神の風景』,『福音はとどいていますか』(ヨルダン社)。『教会の職務』『この光にふれたら』(日本基督教団出版局)。『系図のないもの』(近代文芸社)。『神の指が動く』(ダビデ社)。『真っ直ぐに創造を信じる』(自費、復活之キリスト穂高教会)。『生かされて生きる』(いのちのことば社)。

 主な訳書:G・マランツク『キェルケゴール』(ヨルダン社)。『キェルケゴール著作全集 第9巻 原典訳記念版 種々の精神での建徳的談話』,『キェルケゴール著作全集 第11巻 原典訳記念版 キリスト教談話』(創言社)。

奇跡の言葉33

「彼らが見るのは、まず私たちそのものなのだ。自分を示す、これこそ今日における最も肝要な使徒職である」(アントニー・デ・メロ)2-66

・使徒職、牧師らに求められていることは、自分を示すだけの聖霊といのちに満たされた自分であるかということである。小手先のテクニックではないのだ。


**力を示さなければならないときには、自然に力はわいてくる。(ジョゼフ・キャンベル)

・そうなんですよ、真っ当な生き方をしていれば自然にいきます

奇跡の言葉32

「神にじかに触れている人の全存在、その言葉は、このようにも相手を変える力なのである」(アントニー・デ・メロ)2-65

・そうだ、その通り。全存在から感じさせるものがある人はホンモノである。その言葉は、簡潔で易しいかもしれないが、生きる核心を捉えている。


**わたしは何も後悔しない。(エディット・ピアフ)

・潔く今日も生きよう…

奇跡の言葉31

「一人一人が聖霊を豊かに受け、聖霊のいのちによる変容させる力を体験できるように祈りなさい」(アントニー・デ・メロ)2-63

・変容を体験した者は揺るがない。


**失望なんか、するものか!(リンドバーグ)

・希望を持てば何とかなる、絶望すれば終わり

みつを10

「神の賜物はいつも貧しくへりくだる者、求めて祈り続ける者に与えられる。神の賜物を求めて祈り求めなさい」(アントニー・デ・メロ)2-63

・神の賜物と自分の能力は違うかもね。


**トマトがトマトであるかぎり それは ほんもの トマトをメロンに見せようとするから にせもの となる

・自分が自分であるという難しい課題。誰もがトマトだと認めたくないものだが…、所詮はメロンではなかった

みつを9

「いかに英雄的な勇気と寛大さを求めるにしても、神への熱望がいかに強度なものであろうと、人は自分でそれを持つことはできない。あくまでも神から受ける賜物のなせるところだ」(アントニー・デ・メロ)2-63

・そうした謙虚さを受けたい。


**やれなかった やらなかった どっちかな

・どっちに転んでも、やったほうがいろいろと学べるには違いないよ
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