澤木興道 語録25

諸行無常を学すとは、その瞬間その瞬間、的のはずれないことを学することである。「この場合これでどうか」――いちいち一切生活上の工夫をすることが、無常を学するということである――無常といって、人の死ぬことのみではない。(澤木興道)1-221

・確かに無常とは死ぬことのみではない。生活上の工夫をすることが、それも的外れにならない処し方ができることが無常を生きるということだろう。
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澤木興道 語録24

善も悪も一時かぎりのもである。しかしその時かぎり、永遠の善きことと、永遠の悪しきこととがある。(澤木興道)1-220

・永遠とは、時間の流れが延々と続くということではなく、時間を超越したものに触れる瞬間を指す。時間を超えたものこそ追究したいものだ。

澤木興道 語録23

修行とは、今ここで自分が仏道をではどうしたらいいか――この工夫である。(澤木興道)1-220

・宗教とは、自分を離れて観察し行動すること。イエスならばどう対処したか、ブッダならばどう対処したかと枠を変えてみていくこと。神・仏と一体になることの意味だ。

澤木興道 語録22

大乗仏教は「生活態度」の問題である。(澤木興道)1-222

・これぞ核心! 信仰とは思想・信条ではなく生活態度である日々の問題という自覚が必要。

澤木興道 語録21

仏道修行とは態度を練ることである。(澤木興道)1-222

・日本人が好きなものは、道を究める生き方。書道・華道・柔道・・・何でも生き方の延長と捉える。

澤木興道 語録20

仏法の根本精神は「個人もちなし」(無我)ということである。(澤木興道)1-222

・何にも捉われないというよりも、無一物で生まれ死ぬという現実からくる達観。すべては所有をめぐる葛藤からくる。

澤木興道 語録19

ちょっとうっかりしておると、人間「食うこと」だけが大騒ぎとなってしまう。忙しい忙しいと言うて、何のために忙しい。――食うために忙しい。――ニワトリも忙しそうにエサを食うているが、あれは「人間に食われるために」食うておるのじゃ。(澤木興道)1-123

・ニワトリに人間を見る達観。そのユーモアある姿に我を見る。もう、けっこー。

澤木興道 語録18

人間という奴は、退屈せんようにのみ、つとめよる。(澤木興道)1-123

・うがった見方をすると、退屈しないように事件・事故を起こすよ。

澤木興道 語録17

人間という奴は、いつもフウフウ言うて、なんぞ幻影を追いかけまわしている。(澤木興道)1-124

・生活がいつまでたっても楽にならない~って、生きることは本来楽じゃないよ。

澤木興道 語録16

世界はいつでも大騒動しておって止むところを知らぬ。――「ヤレ凡夫じゃな」と言うよりほかはない。(澤木興道)1-124

・大騒動しているのか、そう見たいのか。政治のゴタゴタ、芸能界のゴシップを楽しむ我ら凡夫!
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