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みつを16

「イエスは私たちを愛されたが、それでも受難に際して、ひるまれた。私たちは静かにこのことを味わうべきだ。だがこのいやな受難にあえて突き進ませたのは父であった」(アントニー・デ・メロ)2-73

・大切なことは、父の意志を自分の意志よりも上に置いたこと。受難が素晴らしいのではない。その意味も分からずに、委ねきる態度を最後まで貫いた生き方にイエスの思いがある。彼は祈って行動したように、何も訳が分からずに突き進んだわけではない。


**その場がきなけりゃ わかんねえ

・理屈、頭で考えたってね、取り越し苦労になるだけ。なぜって、それは全てが動いていて作用しているから…

みつを15

「イエスは私たちから、主よ主よと呼ばれることに格別の喜びを覚えない。むしろ自分が務めたように、私たちに父なる神のみ旨を行わせることに関心を示された」(アントニー・デ・メロ)2-73

・先生、先生と呼ばれて悪い気がする人はいないだろう。ただ上辺のことよりも、内面への傾倒をイエスは弟子たちに求めた。私がつかんだ神を、あなたもつかみなさいと。そして、神があなたに示されたように、あなたも神と隣人を愛しなさい。


**にんげんはねぇ 追いつめられると弱いもんだな ひとごとじゃない自分のこと

・誰でもそうだね、余裕がなくなるともうダメだ

みつを14

「イエスの生涯を占有したのは、人類ではなく、父なる神であることを福音書は明白に描いている」(アントニー・デ・メロ)2-73

・イエスを隣人のために生きた人と評することもできるが、彼の関心は何が御心なのかを探る旅であった。


**なみだで洗われたまなこは きよらかでふかい

・涙を出さなくても、こころの中で泣いているから次に進めるんだ

みつを13

「イエスの祈りは、彼の生涯がまさにそうであったのだが、本質的に父を中心としたものとなっている」(アントニー・デ・メロ)2-73

・主の祈りには、祈りの順序が記されている。


**自分が自分にならないで だれが自分になる

・まったくそうだね、あなたの人生はあなたの一日の行動次第だ

みつを12

「困難に出くわし、もうこれ以上祈ることができないと思うようなとき、イエスを見つめて願いなさい。『主よ!祈りを教えてください』と」(アントニー・デ・メロ)2-72

・幾度も繰り返して祈る。祈りは型にはまったものではない。あなたの苦悩を神の前に出しなさい。そして、祈りすらできない自分を投げ出しなさい。


**名もない草も実をつける いのちいっぱいの花を咲かせて

・そうだ、悠久の流れの中ですべてはうつろう

みつを12

「困難に出くわし、もうこれ以上祈ることができないと思うようなとき、イエスを見つめて願いなさい。『主よ!祈りを教えてください』と」(アントニー・デ・メロ)2-72

・幾度も繰り返して祈る。祈りは型にはまったものではない。あなたの苦悩を神の前に出しなさい。そして、祈りすらできない自分を投げ出しなさい。


**名もない草も実をつける いのちいっぱいの花を咲かせて

・そうだ、悠久の流れの中ですべてはうつろう

みつを11

「祈りの道においてイエス以上の師はまたとない。キリスト者にとって、彼をおいてほかに師はない」(アントニー・デ・メロ)2-71

・イエスはどのように祈るかという手本を聖書で示された。そこから多くを学べます。


**一番わかっているようで一番分からぬ この自分

・汝自身を知れ!、哲学の源

奇跡の言葉40

「シモーヌ・ベェイユは、名状しがたい神の現存を次のように表現している。『初めの二つ三つの言葉が、体から思考を引き離しました。そして、私の体を宇宙の外なる空間へ持ち去りました。見通しや観点のない、そうした空間です。同時に無限、そう無限がこれを満たしたのです。そして、沈黙です。音不在の沈黙ではなく、たしかに知覚できる何らかの客体としての沈黙でした』」(アントニー・デ・メロ)2-70

・瞑想の極致と同じことを彼女は体験している。思考を離れ、肉体も離れ、主客が同一化する。無であるのに有であるという体験。彼女は主の祈りを唱えているときに生じたことだが、精神集中が過度に進むとこのような体験を誰もがすることができる。


**人が自分自身について思うこと。これが自分の運命を決定するのです。(ソロー)

・実は人間は思う通りに行動しているし、生きているということなんだよね

奇跡の言葉39

「聖アントニオの弟子、砂漠の霊父アンモナスの言葉を引用しよう。『おまえたちのなかに住んでおられる神が力強く働いてくださるのは、沈黙によっていることを忘れてはならない。神の秘義は沈黙によって初めて、心に教えていただけることをわきまえなさい』」(アントニー・デ・メロ)2-69

・砂漠の隠遁者たちにとって孤独は必須の条件であるとするマートンのことばを引用してデ・メロ師は沈黙の重要性を説く。初期に砂漠に隠遁し霊性を深めた師父・師母たち、砂漠は日常と非日常を超える空間であり、その往復の中で神を感じていたことは大きい。決して神学書を読みふけり哲学したわけではない。いや、そうしなかったからこそ内面の旅を続けられたのだろう。


**顔をいつも太陽のほうに向けていて。影なんか見ていることないわ。(ヘレン・ケラー)

・影を見続ける人たちがいる。太陽があって影があるんだよ

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